act.6 舞踏会の理由
不本意ながらも、仲良くお茶を飲むことになっていたセシリアとクレイグのもとに、子爵が現れた。
今朝がた陛下から婚約が決定したという通達を示す封筒を子爵家に届ける旨を聞いていたクレイグは、それを子爵が手にしているのを目にして微笑む。表情からどのような心中を抱いているのかは読めなかったが、少なくとも頭ごなしに反対を示していることもない。
「初めまして、義父上」
素早く立ち上がりにこやかに笑みながら礼をとるクレイグに対し、子爵は難色を隠すことが出来ない。手にしている手紙の内容が信憑性に欠けているせいかもしれない。けれど、セシリアの私室で仲良くお茶をしている姿を目にし、冗談ではなく本当のことなど考えを改めなければならないのかもしれない。
「セシリア、これはどういうことだい?」
緊張しているからか、子爵の声が震えている。セシリアからの返答によってはこれからのことを考えると落ち着くことが出来ない。特に子爵はクレイグと間近で会見できるほどの権力を有していないので、王族との至近距離に些か緊張もしている。震える手が封筒を握り締めているのにも気づかず。
そんな子爵の姿を目にし、セシリアはこの言葉を口にするのを躊躇う。本当にいいのだろうかと。けれど仕方ない、今更発言を覆すことなどセシリアが望もうと出来ない。
「先ほど決めました。私は王子殿下の花嫁になります」
「だがお前は」
「大丈夫です。殿下は無体なことをいたしませんもの。ね?」
「はい、当然です。義父上にもお約束いたします、セシリアの気持ちが追いつくまでは、私はセシリアには必要以上に触れたりせず、婚約者として相応しいふるまいをいたします」
牽制するようなセシリアの口調にも難色を示すことなく、クレイグは淡い笑みを口元に浮かべている。そんなクレイグを好ましく思いながらも、子爵はセシリアの気持ちを優先させてしまう。大切な娘なのだ、仕方ないことだろう。
「決めたのか」
「はい。決めてしまいました」
何があろうとセシリアは意見を覆すことはしないだろうと、子爵は彼女の意思を尊重させてあげたい。
今まで育ててきた中でセシリアは自分の意見を伝えることが極端に少なかった。言われたことをきちんと守り、子供らしさはなくどこか達観した様子を見せるセシリアを心配していた。そんなセシリアだったからこそ、子爵は彼女の言葉を優先させたいと思っているのだ。
「わかった、私はお前が決めたことに口出しはしない」
「ありがとうございます」
本当は色々と口を出して難色の色を示したいのだろうが、けれどそれをしないのは子爵の優しさだとセシリアは知っている。その優しさにつけ入り、セシリアは事の次第を報告することを避ける。何もかも話すことはできないのだから。
「では、私はお邪魔のようだから失礼するね」
そう言って部屋から出て行く子爵を見送るクレイグの瞳は優しい。本心からそう思っているのかと疑ってしまうくらいに。
「今生の君の両親は優しい方のようだね」
「ええ。とても優しい家族です。私は初めて記憶を持って生まれたことを感謝したほどです」
「そうか、よかったね」
そう言われると頷いてしまったのは本心からであり、他意はない。
「早く私も同じように言われたいと思うよ。記憶を持って生まれたことに感謝される、うん、いい響きだね」
どのような経緯でそうなるのかはわからないが、記憶を持って生まれたことにそうそう感謝することはないと思う。むしろへんに縛られているせいで、身動きが取れないくらいだ。
出来たら今生を全うしたのちは、記憶を全く持って生まれたくはない。まして、過去との因縁を持ちこむことは丁重にお断りしたいほどだ。
「大変申し訳ないのですが、殿下には一生無理かもしれませんけれど」
「それはつまり、一生かけて君に償える権利をもらえたということだね。そうだね、死が二人を分かつまでともに過ごせると思えば、本望だよ」
「あなたは……」
言葉を失う。こんなにも応酬をする相手だっただろうか。躍起になっているのかと思えば、そうでもない。はっきり言ってセシリアはクレイグのこの対応に驚きつつ当惑していた。
クレイグの本心が全く見えないので、この応酬をどうさばけばいいのかわからないのだ。憎しみをこめた眼差しで見つめられると予想していたのに、償える権利をもらえたと平気で口にする。本気でそう思っているとは思えず、セシリアは困惑してしまう。
「どんな理由であろうと、私は君を手放さないと約束をしたしね。覚悟しておいてほしい、私は約束を必ず守るし、今生は必ず君を守り慈しみ、そしてあなただけだと誓うよ」
熱心に語りかけてくる口調は強い。そらさずまっすぐに見つめてくる視線も真摯を帯びているようでつい頷きたくなる。これは本当に本心からの言葉だろうか。前世の記憶が消されない限り、セシリアはクレイグの言葉を信用することはできない。
この婚姻だって、結局はカミラとライアンの二人があってこそあり得た事実だ。カミラを傷つけ、容赦なく地獄に落としているライアンの生まれ変わりを、どうしてセシリアが愛せるというのだろうか。ほだされることはあるかもしれないが、愛情を捧げることはできそうにない。その言葉を口にするのも、耳にするのもいまだに躊躇われるというのに。
「……では、頑張ってくださいね」
どう返事をしたらいいのかわからず、とりあえず応援をしているように装ってみる。
そんなセシリアに気づいているのか、クレイグは優しい眼差しで見つめてくる。居たたまれなくなるものの、視線を避けることが負けるような意識を持ってついつい睨んでしまう。
しばらく見つめ合っている二人に、ノックがある。下手な話を聞かれたくなくて、使用人を控えていなかったので対応するためにセシリアが立ち上がる。
「はい?」
「お嬢様、私です。よろしいでしょうか」
「ええ、もちろんよ。入ってきてちょうだい」
「失礼します」
扉を開けたセシリアが微笑むと、彼女付きの侍女であるエミリー・ノックスも笑みを返しながら現れた。堅苦しい格好を嫌っていたエミリーだったが、侍女服が気にいったのか最近ではアレンジを加えながら着こなしている。黒いドレスにレースの付いた白いエプロン。子爵の領地で商売を営んでいる男の娘で、行儀見習いとしてエミリーは縁続きとなったセシリアの侍女となった。けぶるような金髪を一つに結び、翡翠の瞳を持つ彼女はセシリアと同い年で、三年前からの付き合いだが、幼いころからの友人のように絆を深めていた。ぱっちりとした二重、色白で見る人にはかなげな印象を与える美少女としての美貌を持ちながら自分の容姿に全く無頓着で、セシリアに関しては細かいのに自分のことに対しては無頓着な性格をしている。
「どうかしたの?」
そう尋ねるセシリアに微笑んでから、エミリーはクレイグに向き直る。
「殿下、ケネス様が到着いたしました」
「そうか、ありがとう」
「こちらにお通ししてもよろしいでしょうか」
「セシリアがいいというのであれば」
何のことだろうと首を傾げるセシリアに、エミリーが微笑む。
「殿下付きの騎士です。どうやら殿下は城からお忍びでこちらに伺ったようで、ケネス様はかなりご立腹のご様子なのです」
「そう。私は構わないから、すぐにでもお通しして」
「はい、畏まりました」
そう口にしてからエミリーは扉の後ろを振り返る。すると一人の背の高い男性が現れた。威圧感たっぷりの体躯を持つその姿を目にし、瞬時に体がこわばり後ずさりするセシリア。男性恐怖症はやはり健在らしいと肌で感じながら、どうしてクレイグには反応しないのかと不思議に思う。
そんなセシリアに気づき、エミリーがかばうように前に立ち中へと促す。
「ケネス様、どうぞ」
にっこりと微笑み対応するエミリーに、極悪人と疑われても失礼ではないような鋭い瞳をしているケネス・ブロウズはセシリアに礼をとってから部屋へ踏み入れた。
黒い短髪と瞳を持つケネスは座ったままのクレイグのもとに足を進めてから、片膝をついた。
「お探ししました、殿下」
「思ったよりも遅かったな、ケネス。いなくなったのに気付いたのはいつだ?」
「先ほどです。殿下から席をはずすように言われ、先ほどまで侯爵に騙されてしまいました」
「そうか。悪かったな、試すようなことをして」
「いえ」
ソファーに座ったままのクレイグは先ほどまでセシリアと対応していたとは思えないほどの冷たい声をしていた。信頼をしている騎士でも、やはり公私をつけているからだろうか。
「そうそう、陛下からの封書も持ってきてもらって悪かったな」
「仕事ですのでお気になさらず」
「最後まで反対したのはお前だけだったからな、破棄されないか心配はしていた」
「それは……」
「皇太子殿下の真似をすることを避けるため、の進言だったな」
「殿下」
言わんとすることを口止めすべきか悩むケネスに、クレイグはむしろ話をするタイミングをはかっていた。
「セシリアには聞かせておいたほうがいいと思うからね」
いきなり矛先がこちらに向き、セシリアは首を傾げる。どうでもいいが、背の高い男性というのはセシリアにとっては鬼門だ。いくら膝をついていようと、広い背中は隠しようもないし、なによりも向けられた黒い瞳の強さに負けてしまいそうだ。無意識のうちに嫌悪を抱いてケネスを見てしまう。彼には非など一つもないのに。
騎士として鍛練を積んで逞しい筋肉、クレイグよりも高い身長、鋭い瞳。どれをとっても異性だと意識してしまう。隠そうとしても震えだす体は止められないし、虚勢を張ろうとして失敗をしてしまう。
気を紛らわそうとクレイグを目にして、改めて何の反応も現れないことに驚いてしまう。かつて乱暴を働いたのはライアンである。その生まれ変わりであろうクレイグに反応をしない理由を問われても、今のセシリアには答えることが出来ない。むしろ逆だろうとセシリアが問いかけたいくらいだ。
「先日結婚した皇太子の花嫁候補を探すお見合いパーティーだが、実は皇太子のやらせだということを知っていたか?」
反応できず、セシリアだけでなくエミリーも口を閉ざしたままだ。
「高位の貴族なら全員が知っていることだ。茶番劇をやらされたのだからな、しかも二年近くも」
「どういう、意味でしょうか」
先に立ち直ったエミリーが、主人であるセシリアに代わって問う。
「その言葉通りだよ。皇太子には、下位の貴族の令嬢と幼馴染であり、一目ぼれをしていた。しかし皇太子であることから周囲に相応しくないと令嬢を罵られ反対され、高位の貴族との令嬢を無理やり婚約者をあてがわれそうになった。それを阻止するために、陛下に頼み込んだのがあのお見合いパーティーだ。高位の貴族たちは、自分の娘にもチャンスが巡ってきたのだと令嬢を着飾らせて皇太子の傍にあてがった。それでも皇太子はかたくなに誰かを選ぶことを避け続けてきた。自分が選んだ令嬢がこのパーティーに呼ばれるまでは。次第に声がかからないことを知りプライドを傷つけられた高位の令嬢たちは、そこで知り合った貴族の男と結ばれていく。当てが外れて行く父親の気持ちなど理解しようともせずにね。それこそが皇太子の狙い目立った。あらかた令嬢を片付けてしまい、最愛の令嬢を呼んでしまえば、あとは皇太子がその令嬢を選んでおしまいだ」
「なんて夢のない」
「令嬢からすればどうだろう、そこまで自分を望んでくれたと喜ぶものではないのか」
「そうかもしれませんが……ではクレイグ王子が開かれた理由は」
「同じだ。高位の貴族たちが王族との結婚に夢を見て、私に目的を絞っただけだ。今回も皇太子と同じようにあなた以外を娶るつもりはないと私が宣言してしまった。今頃はらわたが煮えくりかえっているだろうな」
くつくつと笑うクレイグに、子爵の先行きを不安に思う。何事もないといいのだが。
「ああセシリア、そんな顔をしないで。子爵なら大丈夫だよ」
心を読まないでください。そう言いたいのを我慢して、それはどうしてかと尋ねる。
「気弱そうに見えて、実はしたたかだと噂されているからね」
「お父様のことですよ?」
「そうだよ。子爵は君が思うよりもしたたかで、強い」
そんな風には思えなかったが、子爵が無事であるには越したことはない。まだ半信半疑ではあるものの、セシリアは少しだけ心を落ち着かせる。
「さて。私は無事に見合いパーティーの趣旨を示した。残りの心配はあなた君だけだったが、それもクリアした。さて質問です、この後は何が必要だと思うかな?」
おどけた口調で先を促すクレイグに、セシリアは心の中で悪態をつく。何を言いたいのか理解しながら、それを望まれても返せる自信をセシリアは持っていないのが現状だ。
けれどそれを悟らせるわけにはいかないので、無理やり笑みを作る。
「簡単ですわ。親睦を深めるのですわね」
「そう。二人だけの親睦をね」
とろける様な甘い笑みを浮かべるクレイグに、セシリアはライアンを思い出していた。親密になればなるほどその笑みを浮かべることが多くなり、時には欲をはらんだ瞳を向けてくることもあったと。クレイグに瑠璃色の瞳にはその色が見えないので、単純にお互いを知り合いましょうと思っているのだろう。
確かに今のクレイグが何を望みどのような理由でセシリアを花嫁に選んだのかわからない以上、その理由を問いただすためにも親睦を深めたほうがいいのかもしれない。そう思いながらも、本心はこれ以上の接触は避けたほうがいいだろうと警告している。
破局した恋人同士が、生まれ変わってまた破局するための道を進むのはセシリアにはあまりいい趣味だと思えなかった。