act.3 初めての王宮
仕上がったドレスは今まで着たことのない深紅色の生地で、着る人を選ぶ色だ。王家の紋章と同じ大輪の薔薇の花をモチーフにしたデザインで、セシリアが今まで来たことのない大人っぽいラインだ。着てみてもわかることだが、平凡な顔立ちのセシリアには不似合いで、派手な化粧をしてみても見劣りする仕上がりなのが不満だった。
けれどこの姿で行けば、絶対に大丈夫だとも確信していた。薔薇の花をモチーフにしたドレスが一番注文されていると新聞で読み、なおかつ似たような色の生地が選ばれているとランキングの上位にあるのをみてこれを選んで正解だったと握りこぶしを作ったほどだ。
舞踏会当日、メイドたちの苦心の作として仕上がった自分の姿を鏡で見ながら、セシリアは意外にもそこまで不似合いではないのかもしれないと気付いた。顔立ちは完全に違うはずなのだが、化粧のせいかどことなくカミラの姉のような雰囲気を醸し出している。
ライアンもそうだったが、派手な衣装や化粧を毛嫌いしているらしいと噂のクレイグを狙っているものであれば、この格好はないだろう。けれど、目に留まるようにとあえてその路線で行く令嬢は少なくないと考えている。
だから、大丈夫。見つからないし、目立たせない。
「支度は整ったようだね」
「お父様」
「思ったよりもすごく化粧が濃いな。お前の良さが全く隠されてしまっているじゃないか」
「ご心配をなさらずとも、ここまで派手なメイクにしたのはわざとですから、これでいいのですわ」
「そうなのか?」
絶対に好んでは着ないであろう豪華なドレスは、確かにセシリアらしくなくて子爵は驚きを隠せないものの、しかしこれならば反対に王宮では目立たないかもしれない。地味なドレスのほうが王宮に上がるのに相応しくない。
「始まってしまえば中では一緒にいれないから、好きなように行動しなさい」
「はい。目立たぬよう王子様に取り巻く方々の後ろをついて回りますわ」
「それはどうかと思うが……まあ、好きにしなさい」
苦笑している子爵に、セシリアはにっこりと微笑む。理由を聞かなくても、セシリアの好きに行動させてくれる子爵に感謝する。
「さあ行こうか、セシリア」
二日ほど前から、セシリアは子爵とともに領地から王宮の近くにある子爵の屋敷に来ていた。慣れない屋敷に戸惑い、忙しい都の空気にセシリアは戸惑っていた。喧騒が苦手というわけでもないが、のんびりとした遼地での生活が長かったために忙しい空気に慣れることはない。そのせいでこの二日間は部屋から出るのは食事のとき以外になかった。心配する子爵に曖昧に返事をし、ここに来るのはこのとき以外にないのだと思えば、この舞踏会も我慢できると自分を叱咤する。
差し出された子爵の腕に手を添えると、セシリアは緊張した面持ちで顔を上げる。
「王宮内では目立った動きをすると他の令嬢の反感を買う、お前のやり方に口出しはしないが、あまり令嬢を利用することはしないほうがいい」
「はい、お父様」
ゆっくりと子爵と歩き出すセシリアは、昨夜は実はあまり眠れていなかった。王都に来たのはこれが初めてだからか、慣れない空気に緊張をしているものの、二度とここに来ることはないのだと思えば楽しみでもあった。今生の王宮を見るのは初めてだからだ。
この国は、かつて小国の王女だったカミラが嫁いだ隣国である。残念ながら小国はないものの、大国だったあの国は今もこの地の一部に名を残していることに驚いていた。そして、その地に生まれてきた自分の運命も。
首都はかつて覚えている場所と違うこと、また王家の血筋もライアンの血を受け継いでいるものはいないようだ。詳しくは書かれていないが、長い年月もあれば色々な事柄が起きていてもおかしくはない。だからクレイグとライアンは、血筋で考えれば繋がることはない。
そう結論付けてしまうことが出来るだけに、あの二人の容姿が酷似していることが引っ掛かってしまう。何か意味があるのだろうかとセシリアは考えなくてもいい深読みをしてしまうのだ。
馬車で揺られて数十分後、王宮についたのか止まった。思考が中断され、セシリアは意識を浮上させる。
先に子爵が下り、差し出された手を繋ぎながら、転ばないようにと気をつけながら馬車から下りた。
ここが王宮なのだと顔を上げたセシリアが最初に出た言葉は感嘆であった。
「まあ、すごい」
かつての記憶があるから多少のことでは驚かない自信のあったセシリアだったが、それは間違いだと気付かされる。小国であったカミラの国のお城も、また大国と呼ばれていたライアンの国のお城はどちらも白い外壁を主とした、見目を重視した美しいお城であった。しかし目の前にそびえるお城は灰色で統一され、威圧感たっぷりの外壁をしているからか見る人を圧倒させる。規模も二つのお城を足しても足りないほどの大きさだ。
外見重視をもとに作られたお城を思い描いていただけに、重厚な作りになっているらしいお城は驚いても仕方ないだろう。また今夜はふんだんに明かりが使われているらしく、恍惚とした蝋燭の明かりが何とも言えない雰囲気を作り出している。一人であれば、このまま帰りたくなるような重い雰囲気が漂っている。
見上げたまま動かなくなったセシリアに苦笑しながら、子爵が隣へと並ぶ。
「さあ、お姫様」
「ありがとう、お父様」
子爵のエスコートを受けているセシリアの視線は城にくぎ付けで、それが動くことはない。想像していた城との違いに驚愕がおさまらず、ほんのりと頬を赤く染めている。
「王宮に来たのは初めてだから、驚いただろう」
「はい。立派な作りですね」
厳重に警戒されている門を通り抜け、恍惚とした明かりの中を歩く。他にも令嬢たちがエスコートされて歩いているのをセシリアはやっと目線を動かして確認する。多くの令嬢が父親とともに連れだって歩いている。中には兄弟もいるのだろうか、兄と妹、弟と姉といった年若い貴族もいる。さりげなく出会いの提供を与えているのだと気付くと、このような催しも必要なのかもしれない。最近では政略結婚よりも自由結婚のほうが多いと聞くだけに。
記憶の中にあるカミラの住んでいた城も複雑な作りをしていたが、こちらはそれ以上の作りに仕上がっているらしく、一人になったら迷子になるであろうとセシリアは予測する。そのような事態に陥る予定はないので関係ないのだが。なにしろ目指す舞踏会場は大ホールで行われるので、二階の大広間への道順はほとんど一緒であった。
「なんだかすごいところですね、お父様」
これほどまでに多くの人を目にしたことのないセシリアは目を丸くして周囲を気にかけてしまう。田舎者丸出しのセシリアを窘めるか悩みながらも、子爵も頷く。
「そうだな。相変わらずここは、私には苦手な場所でもある。おっと、これは内緒のことだぞ。子爵として出仕する義務を奪われてしまう」
耳元で囁いた子爵の内容にセシリアは笑んだ。知らない間に緊張をしていたようで、子爵の冗談に知らず力んでいた体から力が抜ける。
「ふむ、目立たないようにするためのドレスと化粧だとは聞いていたが、確かにこの場では華やぐどころか逆にしっくりとくるな。お前の見立ては正解だったわけだ」
会場に近づくほど、着飾った令嬢が目に入る。端のほうで談笑している令嬢たちは若い貴族の青年と睦まじく笑いあっている、頬をバラ色に染め。
「そうみたいですわね。うまくいきそうで嬉しいですわ」
「他の候補の方々に聞かれぬようにしておくように。いらぬ反感を買うからな」
「もちろんですわ。お父様こそ、出世の足しにならない行動をとってしまうこと、申し訳ありません」
「普段よりも娘が華やいだ格好を見ることが出来た、それだけで十分だよ」
多くの令嬢たちがこの場にいるのを目にすると、クレイグの花嫁候補ばかりだと少なからず嫉妬心が生まれてくる。ライアンとは違うと思いながらも、どこかで彼なのかもしれないと独占欲が生まれていたからかもしれない。
選ばれたくはない、けれどクレイグの横にセシリアがたてないことがひどく心もとなくなり、焦燥感が募る。
傍にいたくないくせに、かつて自分のものだったライアンを誰かに奪われるのが悔しい、そんな気持ちもないこともない。ライアン本人とは違うと決めつけていたのにも関わらず。
「もうじき殿下が陛下とともに出席される。その後はお前の好きにしなさい」
「ありがとうございました。お仕事がんばってくださいね」
「ああ。帰りは私のほうが長居をするだろうから、先に帰りたくなったら戻っていなさい」
「わかりました」
「では、またな」
「お父様」
「どうした?」
「……ごめんなさい、なんでもありません」
頭を下げてセシリアは子爵と別れた。
本当は迷子になった子供のような寂しさを感じたのだ。ここで離れたら、もう子爵の手をとれないような、そんな感覚を味わった。
そんなこと、あるわけないというのに。
去っていく背中を見ながら、セシリアは胸がぎゅっと締め付けられる。きっとこんなところに一人にされるから、寂しくなっただけだと気持ちを切り替え、セシリアは令嬢たちに続くようにゆっくりと大広間へと歩みを進めた。
中は煌びやかと表現するにふさわしい輝きを見せていた。たくさんの蝋燭が飾られて明るく、けれど令嬢たちで埋め尽くされていくとその明りが暑いような気もしてきた。
見渡せば、令嬢たちは華やかな装いをしており、互いを気にしないふりをしながらも、どこか権勢をしているような雰囲気をしている。
着飾っているドレスたちも似たり寄ったりなデザインが多くみられた。
これならばセシリアのドレスはシンプルに見え目立つことはないだろうと、そう安堵してしまう。
しばらくすると、陛下と王妃、そして普段とは違いしっかりと礼服に身を包んでいるクレイグ王子が大広間に姿を現した。
ざわめいていた会場が一瞬で静まり返り、皆が陛下や王妃ではなくクレイグに熱い視線を向けていた。
最初に口を開いたのは陛下で、次にクレイグが挨拶をしている。
今生の陛下はカミラの父とは違い、親しみのある顔をしたやや豊満な体型をしている。反対に王妃はすらりとしたスレンダーな女性で、口元に浮かんだ笑みがはかなげなイメージを持たせる。王妃が座る際に、陛下が当たり前のようにエスコートしている姿に目を奪われてしまった。
はにかんだ愛らしい笑みを浮かべる王妃が少女のようで、また茶目っ気たっぷりにウインクする陛下の優しさが夫婦の仲を示しているようで素敵だと思った。あんな夫婦になりたかったのだと、改めて実感出来るほどに理想的だ。ただ寄り添って微笑みあいたい。無理強いするのではなく、自然に受け入れていくことが出来たら、それはどんなに素敵なことなのだろうかと。
虚無感を抱きながらセシリアはゆっくりと顔を下げた。考えても仕方ないことを、くよくよ悩み続けても仕方ない。こんな場所にいるから、思考がネガティブになってしまうのだと気持ちを切り替えることにする。
ふいに視線を感じ、セシリアは顔を上げた。そして視界に入ってきた人に目線はくぎ付けとなってしまう。
最初に浮かんだのは疑問の言葉。
どうして、あなたが私を見ているの?
壇上で挨拶をしているクレイグが、セシリアに視線を固定して見ているような感覚を味わった。
ライアンと同じ黄金の髪は腰までまっすぐに伸びており、精悍な顔立ちに甘いマスクは絵姿のころよりも成長したことを強調づけており、長身を生かしたデザインの礼服は確かに人目を引く。痩躯でありながらも引き締まった筋肉を持っていると聞いたこともあり、セシリアは納得してしまう。けれどそれらと比較しなくても、クレイグの一番印象的なところは瑠璃色の瞳だ。深い海の青の瞳は、見つめられると今も鼓動が速くなる。からみつく視線、そしてすぐに訪れるのは、かつて痛めた痛み。
気のせいかもしれないと感じながらも、セシリアはクレイグとしばしの間視線が絡み合っていた。他の音が聞こえなくなるくらいに。
いけない、と気付いた時には体が動いていた。
見とれて動けないでいる令嬢たちの隙間を狙い、セシリアは無理やり移動を開始する。
そして見つけたのは、セシリアよりも少し背の高い女性。その女性の後ろに陣取ると、そっと息を吐く。早められた鼓動に戸惑いながらも、ゆっくりと気持ちを落ち着かせていく。
目があったように感じられただけで、きっと違う誰かを見ていたのだろう。錯覚を起こしたのだとそう自分に結論付けて、セシリアはこのことを深く考えることをやめておいた。このままクレイグの挨拶が終われば、令嬢とのダンスのために壇上から下りてくるだろう。そこで取り囲む群れの中に隠れてしまえば、気付かれることなく終わることが出来る。
自分に言い聞かせるように何度も心の中で繰り返すセシリアだったが、本当はそんなことをしても無駄なのだと気付いてもいた。クレイグはしっかりとセシリアを見つめていたのではないかと思う。それは、同じように前世の記憶があるから――そんな淡い期待も捨てきれない。そして願ってしまうのだ。この動悸が本物かどうかと。
けれどなけなしの理性も最後の抵抗だと強調してくる。名前も知らぬ女性を探すなんて、いくら王子であろうと無理だろうと。この会場から出てしまえば、見つかることはないと高をくくる。この胸に宿る淡い痛みは憎しみから来るライアンへの恋情だと。クレイグがライアンであればいいという一縷の望みを持ちながらも、そうでなければいいという双方の思いがぶつかる。
見つからなければ逃げ切れる。だから先ほどの視線は気のせいだ。けれどこの思いは知っている、そう思い込めば思うほど、なぜか逃げ出せないような焦燥感を感じてしまうことを。
いまだに持ち続ける、ライアンへの愛情を確かめたくて。