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act.2 届けられた招待状






「カミラ、起きて下さい」

 優しい声が聞こえてくる。ふいに意識が浮上して行き、セシリアは瞳を開けた。

 ああ、これは夢だ。

 そう思ったのは、カミラの婚約者であるライアン王子が心配そうな表情でこちらを見ているから。

 優しく名前を呼ばれて抱き起こされ、そのまま腕の中に閉じ込められてしまう。力強い腕のせいで、セシリアは逃げ出すことが出来ない。

 慣れない抱擁は戸惑うばかりだったが、ライアンの腕の中は温かく安心できて、カミラは幸せな気持ちでいっぱいになる。こんな気持ちを抱けるなんて、ライアンにはどれほど感謝してもしきれない。

 例えこれが偽りの愛情であっても、カミラは幸せだった。

「愛しています、カミラ」

 髪を梳くように撫でる手の動きに、こみあげてくるのは恋情だ。飛び上るほど舞いあがっているこの気持ちはカミラのもののはずなのに、セシリアも同じように幸せな気持ちを味わう。夢のせいか同調率が強く、涙がこぼれ落ちる。

「なぜ泣くのですか?」

 頬に伝わった涙をライアンは唇で拭う。くすぐったさに身をよじるカミラを、ライアンは逃がさないように腕に力を込めて閉じ込める。

 それすらも愛しく思い、セシリアの口元に笑みが浮かぶ。幸せすぎて涙が浮かぶなんて考えたことがない。

 こんなにも幸せな夢なのに、起きたらきっと覚えていない。

 覚えていたいくらいに幸せな夢のはずなのに、この夢の内容は目がさめれば忘却の中に埋まってしまう。

 どうしてだろう、強烈に覚えていることは目が覚めても覚えていられるのに、とりとめのない日常で感じる幸せな気持ちは霧散してしまう。

 どんなに忘れたくないと願っても、完全に起きてしまえば忘れてしまう。そして訪れるセシリアの目覚めとともに、こぼれ落ちる涙。夢の内容を忘れていても、心が忘れていないのだろう。

 ここ最近のセシリアは、起きると同時に声を押し殺して泣くという日が確実に増えていた。彼のことを思う気持ちが強ければ強いほど、涙がこぼれ落ちているようだ。

 それこそが一番の変化であり、年相応の無邪気さを見せながらも大人びて見せることとなっている。

 夢にこそ見るものの、記憶を思い出したからといって特に何かが変わったことはなかった。時折、景色ではないどこか遠くのほうを見つめる瞳や雰囲気が違って見え、両親を心配させてもいた。

 記憶が戻ったことで、セシリアは今までのような子供のままでいることが難しくなりはじめていた。

 何気なく過ごしている日常の中で、ふとした瞬間にライアンのことを思い出して胸に痛みが走る。嬉しかったことだけでなく、泣くよりも辛い現実のことなどが胸によぎってはセシリアをおとなへと成長させていく。この感情はカミラの時に芽生えた気持ちなのに、まるで自分のことのように感じられることが、一番の苦痛であった。

 好きじゃない、私は彼のことを愛してなどいない。

 そう否定すればするほど、セシリアの胸に宿るのはライアンのことをどれだけカミラが思っていたのかを思い知るのだ。

 優しく触れてくる手も、抱きしめてくる温かな腕の中も、瑠璃色をした瞳の中にある欲情も、そのすべてを脳裏に焼き付けていけば、カミラの記憶のはずがまるでセシリアへ向けられているように感じるのだ。

 嫌われたくなくて、ライアンの姿を目にするだけで、熱っぽい瞳で見つめられるたびに、艶のある声を耳元で囁かれるだけで、それだけでセシリアは胸が苦しくなる。

 思い出される記憶は優しくて穏やかで、なのにセシリアはライアンがもしも同じように生まれ変わっていても会いたいとは思えないのだ。昔の記憶があるから、ライアンの生まれ変わりに必ず惹かれると自信があったから。

 だから会いたくはない。夢の中ではライアンの腕の中でおとなしくしてしまうけれど、それはカミラだからだ。セシリアだったら逃げ出してしまうだろう。ライアンからの愛情が強すぎて、他に目を向けられなくなったセシリアは男性恐怖症となっているのだから。ライアンの生まれ変わりであろうと、きっとライアンではないから大人しく抱かれることはない。

 この気持ちが恋情でないにしろ、ライアンのことを好きだからこそ、カミラの記憶のあるセシリアとしては彼に会いたくない。現世でライアンと同じ容姿を持つクレイグには会いたくもないし、出来れば二度と視界にいれたくないと思い始めていた。

 ゆっくりと浸透するようにセシリアはライアンとカミラの記憶を夢で見続けていた。繰り返し、同じ内容を何度も何度も。愛しいと募る恋情や愛情のほかに、これ以上夢に振り回されたくない嫌悪の気持を抱きはじめていた。


 16歳の誕生日を迎えるころ、城から一通の招待状が届けられた。宛名はセシリアで、内容は第二王子であるクレイグの花嫁候補になり得る女性すべてに届けられているらしい。吉日に舞踏会を開くので、出席をしてほしいと陛下直々の申し出らしい文面に、セシリアはそれを受け取ると目に見えて肩を落とした。

 時間の許す限り考えると言いと子爵に言われたことで、両親がセシリアが返事をすることを控えることに気づいているようだ。

「行きたくないとは言えないわね」

 自室にこもったセシリアは、その招待状を目にしながらため息とともにこぼれ落ちた。傍にメイドは控えておらず、今は部屋には一人きりだから言える本音である。

 倒れたきっかけがクレイグの絵姿だったことから、両親が行きたくないなら行かなくてもいいと言ってくれたのだが、陛下直々の申し出なのだ、そんな簡単に理由もなく欠席の返事など返せるわけがない。

 先日、クレイグの兄である皇太子殿下が婚約者と二年の月日を経て結婚をされた。こちらも実は舞踏会という名のお見合いパーティーが開かれ、皇太子は一人の令嬢を選んだと聞く。もちろん、一回で簡単に選んだわけではなく、何度となく開かれていたらしい。セシリアと皇太子の年齢が少しだけ離れているので、その時は招待状が届けられることはなく、姉が何回か城へ出向いていたのを思い出した。姉いわく、皇太子殿下に食指は動かなかったらしく、どうなるのか静観していたらしい。そんな姉もすぐに結婚が決まり、もうすぐ一児の母となる。

 無事に皇太子の結婚が済まされたことで、次は第二王子のクレイグだと周囲が騒ぎだしたことがこの舞踏会の発端らしい。皇太子のときに選ばれなかった令嬢だけでなく、年齢の釣り合う他の女性たちも目の色を変えて参加するだろう。特に、年頃の娘を持つ貴族たちは出世のためにと目の色を変えていることだろう。

 そうなると、子爵である父親も本来ならば出世のためにセシリアを行かせるのが普通のことなのかもしれないが、意思を尊重しようとしてくれることが今は辛い。断固として行かせようとする姿勢であれば、仕方ないと諦めて行けるような気もしないでもないのだ。

 出来たら行きたくはない、けれどこのまま父だけをつまはじきにされるのも困る。

 結論から考えれば、行かないほうがいいかもしれないのだが、クレイグに会ったことがないセシリアは、もしかしたら彼は記憶を持っていないのではないかと考えてもいた。ライアンのことを好意的に思っていても、容姿が似ていてもクレイグは全く違う人間なのだ。容姿はたまたま偶然似ているだけで、生まれ変わりがそう簡単に周囲にいるとは思えないのだ。もちろん物語ならばあり得るかもしれないが、セシリアとクレイグにはそんな要素は必要ないので、きっと記憶を取り戻してしまったセシリアへの戒めにも見えた。

 幸せな夢を見ているセシリアは、時折悲愴な場面も夢に出てきた。カミラの心情や痛みを考えるだけで胸が苦しくなる。特にカミラが息を引き取る前の記憶は、思い出すだけで胸が苦しくなり、涙がこみ上げてくるのだ。自分のことを自分で泣いているのが滑稽に感じることが出来なくなるくらい、カミラは壮絶な最期を迎える。

 ベッドの上から起き上がることも困難になるカミラ。ゆっくりとだが食事をしなくなり衰弱していく体に、カミラは死期を悟りはじめていた。愛されていたライアンが顔を見せることなく、誰にも心配もされず、傷を治すことも許されず、ベッドの上で朽ちていくだけの自分が簡単に想像でき、カミラの心がどんどん病んでいく。ライアンが顔を出さない理由を考慮すれば当然のことだとセシリアは夢を見て知っていても、それでもそれが許されることではない。

 抱きしめてくれた腕を二度と取り戻せないのならば、こうして一人で死にゆく運命を作り出してしまったことが最大の後悔。死ぬ前にカミラが願ったことは、二度と男性を好きにはならない――と。それを思い出すために、そしてクレイグの姿を目にしてあの誓いを忘れるなと教えてくれたのかもしれないとも思うようになった。

 どちらにしても、ライアンの生まれ変わりがクレイグであるとは限らないのだから、深く考える必要はないのだろう。ただ悲しいくらいにセシリアは誰かを恋しく思う感情を強く思えないことが、少しだけ寂しく感じる。ライアンを愛した記憶はあくまでカミラのものなのだ、肉親とは違う恋情を誰かに抱いてみたかったと、乙女心に思うのも仕方のないことだと思う。物語のように愛されてみたいと思いながら、カミラの最後を思い出すとその気持ちもしぼんでいってしまう。過去の記憶など、本当に不必要だとセシリアは思ってしまった。


 舞踏会に行くことを決めてしまえば、次は当日の対策を考えればいい。クレイグの顔を一目見れば、夢で見るライアンとは微妙に顔立ちが違うと気付くだろう。そうすればセシリアはライアンと間違うこともなく、惑わされる可能性は低い。極力クレイグの視界に入らないように気をつければ、一夜は短いのだから何事も起きることはなく終わるだろう。無理やり感は否めないけれど、セシリアはそう結論をつけてしまうと希望だけを抱くことにした。

 善は急げと、セシリアは子爵に舞踏会に行く旨を伝える。心配そうに見つめてくる両親に、大丈夫だと微笑んで見せた。

 部屋に戻り、目立たなくするために何か方法はないかと思案し始める。壁の花や、クレイグに興味を持たないことをするのは、逆に目立つような気がする。

 かといって、取り巻きのようにクレイグの傍にまとわりつくのも、何となく嫌。

「でも、そうね」

 よくよく考えてみれば、クレイグはきっと大勢の女性に囲まれることだろう。その中に隠れてしまえば、決して見つからないかもしれない。他の令嬢たちと似たような派手なドレスに身を包み、それなりに派手な化粧をし、後ろにずっとついていけば逆に目立たない。

 名案が浮かんだとセシリアは口元が上がる。

 そうよ、取り巻きたちに隠してもらえばいいのよ。下手な小細工を考えるよりも楽だし、何よりも簡単だ。邪魔にならないよう後ろのほうでついて回れば、きっとクレイグは視界にも入れないだろう。クレイグの兄である皇太子も、自分に群がる取り巻きではなく、まったく自分に興味を持たない令嬢を選んだと新聞で書いてあった。

 そうと決まれば、明日にでも仕立て屋を呼びだし、派手なドレスを手に入れなくてはいけない。普段から愛用しているドレスは派手なものはなく、セシリアに似てつつましいドレスばかりが衣装部屋にしまわれている。

 きっとうまくいく。だから大丈夫。

 会いに行くと決意を固めた瞬間、なぜか胸に甘い痛みが走った。夢の中のカミラの感覚を思い出したかもように、セシリアに甘い一時を与えてくる。

 だからかもしれない、一瞬だけ視界に入らないようにと願いながら、きっとセシリアはそれだけでは物足りなくなるような気がしてしまった。

 けれど。

 それと同時に微かに痛んだ下腹部が、かつての過去を思い出される。男性の視線を感じるだけで固まる体、小刻みに震えセシリアを支配するのは例えようのない恐怖感。どんなに落ち着こうとしても止まることのない畏怖の気持ちを、消すことはきっとできないだろう。

 上質な紙で作られた招待状をもう一度目に通したのち、セシリアはそれを他の手紙と一緒にしまった。

















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