サクラ、アンナの場合
サクラとアンナは、みんなと同じ西口で別れてから、特に目的もなくぶらぶらと歩いていた。
特筆すべきほど優秀な外見は持ちあわせておらず、特にサクラは平凡な女性である。この日本で生まれそだったから、他の仲間のように外人だのなんだのと、異質な美しさをもてはやされるわけでもなく、またこの日本の中でも特に美人だ美少女だというわけではない。
探せばどこにでも居そうな容姿だ。
アンナはといえば、映画にでも出てきそうなマフィアの首領のように濃い黒色のサングラスをつけていた。またサクラは袖と襟元にチェック柄の入るベージュ色の、アンナはサングラスと同色のダッフルコートを着こみ、それぞれ紅いチェック柄のフレアスカートに、チノパンを装備していた。
銃は同様に脇の下、ショルダーホルスターに備えてある。
サクラとしては全盲であるアンナとふたりきりというのは些か不安なものがあった。個人での任務も易々とこなしてくれる彼女だから、わざわざ手を引いて、なんて事はしなくても大丈夫だとは分かっているし、無論、そんなことを不安に思っているわけではない。
簡単に言えばコミュニケーションの図り方である。
言葉は一方的に通じる。向こうもそれに応えてくれるが、その多くはサクラが言いたいことを察する形であり、視覚的要素なくして伝わるものではない。ふとよそ見していればその反応を見逃すこともあり得るのだ。
一応、開発技術部部長の部下である。直属の、と言いふらしているのはただ単に訓練兵時代にアイリンが教官だっただけの話を肉付けしたからであって、彼女自身もそれを気にした様子がないからサクラが増長した、その結果だった。
「ふう、人混みって疲れるなァ」
平日だというのに、そう道幅も広くないこの往来には立ち止まればすぐに人とぶつかってしまう程に密集していた。ただ歩くだけでも疲労するのは単に体力が無いというわけではないようだ。
精神的に疲れる。前を歩くという行動に対して、周囲への注意だとか、距離感だとか、歩く速さだとか、そういったものを考えねばならぬのは面倒だった。今までデスクに張り付くばかりで外を歩くこともあまりなかったから、とことん、戦場に行くのは自分には無理だと悟った。
「ねえ、アンナも疲れる……わけないよね」
ついこの間も極秘任務に選ばれるような彼女だ。女だから、男だからという性差無しに、その実力は評価に値する。だからこそ『上位互換』と呼ばれる、ある一定以上の適性と戦闘能力を持つ集団の仲間入りをしているのだ。
そして機関が産み出した、特殊能力を有する道具『副産物』の扱いに長けても居る。ソレに対する適正も、一際高い方だと言うことは、開発技術部とは言いつつも戦闘員を統括する位置にいるアイリンの部下だからこそ知っていた。
ちらりと傍らの彼女を一瞥すると、口を横一閃に強く閉めた彼女は息切れをするはずもなく、落ち着いた様子で着いて来ている。
もし彼女と同じ状況になったとして――サクラは考えて首を振る。
あまりにも暇だったからとはいえ、そう言ったふうに考える相手では無かった。同情などするだけ失礼というものだ。
勝手にしんみりとしていると、アンナは不意にサクラの手をとった。ただ手を繋ぐのではなく、指を絡めるような、簡単には離せない拘束じみたソレだ。
「な、どうしたの?」
が、理由は分かっている。おそらくサクラの心情の変化を機微に捉えて、彼女なりに励ましてくれているのだろう。目が見えても、五体満足でもソレが出来ぬ男も居るというのに随分と立派な女性だとサクラは改めて認識した。
サクラの問いに、アンナはただ首を振る。
どちらにせよ理由は分かっているから、サクラもサクラでまあいいか、なんて頷いた。
――しかし、本当にどこに行ったら良いのだろうか。
目的なく散歩なんて柄じゃない。ただダラダラと徘徊するのはネット上で十分だった。
毎日自宅と職場の行き来だけで数年を過ごしてきたし、仕事も楽しかったから、彼女はいまどきの女性がする遊びというものに詳しくない。アンナとて同様だろう。
だから、せめてここが渋谷だとか吉祥寺、秋葉原、原宿などの若者が集う街なら、周囲に倣うことが出来たのだが……残念ながらここはオフィス街だ。高層ビルが立ち並ぶ、街という街。ここを親しんでいれば遊ぶ場所も容易に見つかるのだろうが、初心者にはいくらか難易度の高い場所だった。
「んー、アンナはゲームとかやる?」
そう尋ねたのは、視界内でゲームセンターを捉えたからだ。
彼女は首を振る。
まあ、だろうな。そう思いながら、別の店を探した。
本屋は……ダウト。なら他にどこがあるだろう。
程なくして、サクラは公園を発見した。
「それじゃ、あそこ行こっか」
そこまで続いていたフェンスが途切れたかと思うと、それは公園へと誘うように折れ曲がって入り口を作っていた。公園の中へ続く道はそう長くは無く、十歩も満たぬ内に数段の階段があった。そして重なるように鳥居じみた門があり、そこには公園の名前が記されていたのだが、サクラは対して興味がなさそうに中へと侵入する。
空間はホールのように切り抜かれていた。
周囲にはまばらに木々が、そして公園の中央付近にもそういった自然が散らばっている。
街灯がその空間の端にそびえ、その近くにベンチが片手で数えられるほどしか無い、狭い公園。
遊具はなく、静かで、安息できるように思えた。
サクラは早速アンナをベンチへと誘い、その道中で購入した飲料を手渡す。
彼女は温かいコーヒーの缶のプルタブを起こし、口を開ける。それをそのまま口元へと運んだ。
それを見て、倣うようにサクラもそうする。
暖かく、その甘ったるい味を舌でゆっくり感じながら、ほっと息を吐く。
――平和だ。
空を仰ぐと、深い蒼がひたすらに広がっている。雲ひとつ無いその晴れ間は、まさに日本晴れというものだろうか。
平日だからか、こどもの姿はない。時間も絶妙に昼に近い頃合いだから、通りの人も先ほどより減っていた。
そもそもこんな所に協会の人間なんて居るわけがないのだ。
しかしまあ、ひとまず状況報告でもしてみようか。
彼女はそう思って、ポケットから手のひら大の通信端末を取り出す。地上での携帯電話をイメージした作りになっているそれは、全面がモニタになるタッチパネルを採用したものだ。音声入力から機能を呼び出すこともできるし、機関からの転送の目標地点となってくれる。外で活動するには無くてはならない一品である。
「ん……えっ?」
待ち受け画面には、携帯電話同様に通信状態が表示される。わかりやすくアンテナのように最大で五本が立つ仕組みだが、機関と繋がっている以上どこに居ても五本から減るはずなど無かった。
だから――圏外なんてことは考えたこともなかったし、
「アンナ」
それ故にこの状況が、危機的なものだとはすぐに悟れた。
「敵だわ」
告げると、彼女は一気にコーヒーを飲み干した。場所などわからない筈のゴミ箱へと投擲し、見事に空き缶を入れてみせる。ホールインワンといった様子で、ゴミ箱の中で暴れる缶の乾いた金属音が小さく響いた。
アンナが立ち上がる。
飽くまでなんでもないといった風に。まるでこれからちょっとトイレ、なんて言う自然な所作で。
手馴れた、こんな状況は飽きるほどに経験したという戦士の様相は一切なかった。
それは単に、サクラに戦闘経験が無かったからかもしれない。おそらく近くに居るであろう協会の人間が見ていれば、既に気付かれたと理解しても良い行動なのかも知れない。
サクラも彼女の隣についた。
だが、戦闘をするのならばこの公園内が一番いい。
何よりも人が居ないのがいいし、適度に障害物がある。ありすぎるのは、アンナの特性から見てかえって邪魔になるからこれくらいがちょうどいい。下手に街に出て被害を出すことはあまり推奨されない選択だった。
そう考えていると、不意にアンナがサクラを手で制するようにして前に出る。ボタンを締めないコートの内側から拳銃を引き抜き、それをサクラへと押し付けた。
「ほうほう、流石に気付かれたか」
どこからともなく、男の声が聞こえる。方向は、左右にも存在する入り口の、右側からだった。
「しかし無人の公園か……街中で戦闘をするつもりだったが、上手く誘い出されたということか?」
くくく……不敵に笑う男に、アンナが対峙する。
たった一人の男は、トレンチコートを翻して、それと同色の白いニューヨークハットを目深に被った。
そしてサクラはそれと同時に、その男の肉体の周囲が淡く、青白く光るのを見た。
「無差別に発展途上国を壊滅に追い込む無情な機関とは思えない程、良心的な選択だな。まあいい……その咎、俺が裁く」
アンナが脱ぎ捨てたコートは、重力に引き寄せられて地面に落ちた。
そしてあらわになるその肢体。細いとは言えないが、だが戦士というのはあまりにも華奢な女性の腕。青白い、寒さに粟立つその肌にはやや太めの、革のベルトが巻きつけられていた。
両腕両足。そして腹に――サングラスを投げ捨て、鼻筋から額までを巻きつける。
チノパンに、上半身は身体のラインをそのまま浮き立たせる黒いレオタード。右脇からバストにかけて黄色のラインが三本入るだけの、落ち着いた彩色。だがやはり目立つのはそのベルトの存在だった。
そしてそれが彼女の武器でもある。
名前はないが、その総称は『耐時スーツ』。世界抑圧機関、通称『リリス』が制作した、肉体強化の装備だ。装備者の数だけ存在すると言われているために、その外観は多種多様。また形が違うために、その活用方法も大きく異なってくる。
彼女のベルトの場合、巻きつけた箇所が強制的に強化。筋力が、力の伝達が通常の二倍から四倍にかけて強化される使用であり、その着脱はベルトであるのを見るに容易。ネックはそこにあった。
「行くぞッ!」
男が咆哮ぶ。
アンナは腰を低く、拳を構える。
両者の装備を見る限り、肉弾戦になるのは必至だった。
大地を蹴り、二人はほぼ同時に前方へと飛び出した。
間もなく肉薄。構えからそのままノーモーションで、アンナは拳を抜き撃った。
しかし相手も流石、単独行動を行う能力者だ。ゆうにその攻撃に反応した。
同じタイミングで、男も拳を振り抜く。切迫速度はほぼ同じ。そして間もおかず、その鉄拳は吸い込まれるようにそれぞれの顔面を撃ちぬいた。
衝撃、反動。
両者は身体を仰け反るも、足が地面に張り付いたかのように動かない。そしてその反りをバネにするように、二人はまた勢い良く腕を振りかぶった。
軽快な打撃音が力強く響き渡る。今度は拳と拳が衝突し、反発するように離れる。次いでもう片方の腕は同様に肉薄するが、男の方はそれに応じなかった。
身体を捻る。
アンナの腕は、易く男が先ほどまで居た空間――今彼が居るすぐ脇の虚空を貫いた。
見事に生み出される間隙。卑劣でもなんでもない、彼の戦闘体勢だ。
彼女は咄嗟に右脇を締めてボディーを守る。が、攻撃は思わぬ方向からやってきた。
脇にいたその影すら失せて、やがてくる後頭部への強打。
痛烈な打撃、不意打ちにアンナは思わず前方に突き飛ばされる。
容赦のない一撃だ。ベルトがなければ、おそらく意識を失っていたであろう威力はあった。
振り返りながら、見失った敵の姿を探す。が、アンナがそうする間に、光がバチバチと電撃のようにほとばしる男は、およそ彼女では反応できぬ高速度でその背後へと回り込んでいた。
猿臂が背肉を抉る。同時に強い勢いが叩きこまれ、アンナは為す術もなくエビ反りになって吹き飛んだ。
僅かに浮き上がり、そして地面に抵触。全身をすりきりながらゴロゴロと横転し、やがて入り口にあった僅か五段ほどの階段の手前で停止した。
外傷が多くなる。だが、受けた攻撃の全ては体内でダメージとなって蓄積されていた。
アンナは四つん這いになるように、その勢いを殺して体勢を維持していた。獣のように歯を剥き、食いしばる姿はうめき声を出さねども、苦しんでいるように見えたが――それをどこか楽しんでいるようにも見えた。正確には、喜んでいるというものだろうか。
以前、極秘任務に選ばれたことがある彼女は、それでもその任務内での活躍は殆どなかった。そもそも活躍はおろか、活動さえ満足に行えないほどであったのだ。理由は、他の仲間が全てをしてしまったから。
それを残念がっていた彼女は、それ故に己の力を、この機関での存在意義を示せる場所を与えられた今、全てをさらけ出す勢いで挑もうと決意した。
(敵が能力者なのは確定……おそらく、あの発光は電気で、それを使って反応速度などを高めてる……)
サクラはその経験則から考え、推測する。
電気を扱う部類でも、それを己に使用して身体能力を強化するタイプ。
この戦力では中々作戦も立て難く、辛い相手だった。
「いい表情だ。俺も戦い甲斐がある!」
殆ど表情の見えない男は愉快気に言った。
アンナは煩わしそうに右腕に巻いていたベルトを解く。すると、それはだらしなく肘あたりから長く伸びて地面にとぐろを巻いた。およそ五メートル程のそれは、この公園内で振り回すのならば適度な長さだった。
「鞭か。はは、特異能力よりタチが悪いな……ったく呆れる。貴様のような奴が、なぜ機関なんぞに居るんだ、なんて」
男の漏らす言葉は、されどアンナには届いていないだろう。
サクラは握る自動拳銃をコッキング。弾丸を薬室に送り込み、ベンチの前で待機する。
「貴様のようなヤツに出会うと良く、わからなくなることがある」
腰を落とし、右腕を眼前やや上に、そして左腕を脇腹に構える。
男は続けた。
「協会が正義なのか、機関が正義なのか……。俺は子供の頃、正義の味方に憧れたモンだが……果たして、なれたのか……とな」
その呟きは、彼自身への問い掛けだったのかもしれない。
どちらが正義なのか――この世界では、戦争がそうであるように、正義の定義なんてものは曖昧だ。強いて言うのならば強いものが正義。
だからこそ、彼は思ったのだ。幼少期に覚えた正義というものは絶対的なものだった。強く、絶対的に弱者を守る。多くの人民の命を、そして大切な者を、その圧倒的な力で。
悪者は手段を選ばず無関係な人間を殺して回る。正義の味方はそれを守った。
力さえあればどちらに回ることもできる。そして彼は今、その力を持ったが――果たして、自分はこの己の手すら見ることのできない闇の中で、どちらに歩み寄ってしまったのだろうか。
できれば正義がいい。
幼い夢を持ち続けることは幼稚ではない。その信念を貫き通すことができてこそ、その夢は叶う。
男はその口元に仄かな笑みを浮かべて、アンナの攻撃を待った。
「まあいい。俺は俺を貫くぜ」
悪でもいい。正義でもいい。誰かのために戦えているのなら、それで――。