対決! 凶悪テロ組織 ②
スコール・マンティアが駆けつけた頃には、既に戦闘は終了していた。
濃厚過ぎる血の匂い。近寄っただけでそれらが鼻についた。
『諸君、聞こえるか』
腕を、あるいは足を抑えて呻くもの。既に動かなくなっている者はそう多くは居なかった。
敵は全てで五十人以上いたはずなのに、その数は半分にさえなっていなかった。
誰かが誰かの首をナイフで切っている。ノコギリを使うように押したりひいたり、力技で肉を切断し骨をへし折っていた。
集団は少数にすらなっていない。
被害は甚大では決してなく、歓喜の笑いが、所々から漏れていたようにも思う。
『我々は嵌められた。敵は山岳から来たのではない、”陽動”だった。敵は既に市街地に居た。繰り返す、敵は同等の中隊規模で市街地に潜伏していた。我々は鼠として猫の前でかくれんぼしていたに過ぎなかった……生きている者は撤退しろ。我々は――』
震える声が、それでも威厳を孕んで告げていた。しかし言葉は最期まで続くことなく不意に途切れる。スイッチを切るようなものではなく、インカム自体が踏み潰されたような音だった。
四十人近くいる敵の一人が、ようやく切り取れた頭を掲げた。
月明かりに浮かぶ、血に濡れた顔。随分と残酷なことをする猟奇的なテロ組織が、その一人が持ち上げたその頭は――つい先ほど、この身を心配してくれた班長のものだった。
「……っ!」
思考が失せる。白く染まる。息が止まる。
やがて、一つだけ、言葉が頭の中でぐるぐると廻り始めた。
わたしのせいだ。
わたしが先回りをしろと言ったから。わたしが彼らを無自覚に死に追いやった。
調子づいて、いい所を見せたいからと命令したからだ。
なんということだ。まさか、囮役だけが生き残るなんて。
全身粟立つ。
羽毛があれば完全にトリになっていたであろう程の鳥肌だ。
――考える間に、彼の手は気がつくとポーチの中に突っ込んであった。掴むのは手榴弾。M67破片手榴弾だ。
彼はレバーを引いて安全ピンを引き抜き、空中に放り投げる。他の二つも同様にして放り投げた。
そして意識する。
吹き飛べと強く祈る。
敵を殺せと懇願した。
そうするとこの願いが神に通じたのか、その三つの手榴弾は急に引き寄せられるようにして、その集団へと高速度で肉薄していった。
手榴弾が飛来。常識はずれの、頭上から投擲されるという形で。
それらはやがて、集団の中央辺り、そして等間隔で左右の路上に叩き付けられる。彼らが手榴弾の存在を認識したのはその時が初めてだった。
爆発。
狼狽する暇もなく爆炎が膨れ上がる。
まず初めにそれらが彼らを飲み込んで、ついで衝撃が波紋となって広がった。全身を嬲る攻撃力を持った疾風と共にやってきたのは鋭い破片だ。
全身に深々と突き刺さり、焼け爛れた肌から鮮血を流す。
悲鳴が上がる。ちらほらと散らばるそれらは、非常に少ないものだった。
燃え移った炎がバチバチと小さな火を立てて衣服を燃やす。そこに居た数十人は、その全てを死傷者と変えて大地に横たわっていた。
「総ては排除……そうでしたよね、班長」
既にどこかへと言ってしまった彼の顔を思い浮かべて言ってみた。
スコールはそれから、静かな口調でインカムを繋いだ。もう分隊長は居ないだろう。多くの者も息絶えたか、逃亡しているはずだ。だがもしかしたら、敵の誰かが拾って情報収集をしているかも知れない。
いや、しているはずだ。
なら宣戦布告といこうじゃ無いか。言わば報復戦だ。怨みが怨みを呼んでも構わない。こんな所で逃げるなんて、何よりも自分自身が許さなかった。
「この声を聞いているテログループの愚かな諸君に告げます」
大きく息を吸い込んだ。
もうマップには、自分しかマーカーが存在していない。もうこれは要らない、とバイザーを上げた。
「明日の日を拝めると思ったら大間違いですよ。今日の満月を見納めてくださいね」
血の匂いは、気分が悪くなるほど様々な臭いに混じって最低だった。
スコールは生きている者も死んでいる者も、その全てを無視して、前へと進んでいった。
ヘルメットの暗視装置がなければ何も見えないと思っていたが、外は月明かりのお陰で存外に明るかった。
「PMCが破綻しました。敵に待ち伏せされて……市街地に入れないように戦闘する作戦だったのですが、既に市街地に潜伏していて……」
機関に連絡を入れると、対応してくれる女性は少し考えた後、誰かを呼んだようだった。
『撤退しろ』
男の野太い声が聞こえてくる。
それだけで、彼の体格が容易に想像できた。
ハーガイムに近い頑強でゴツい体躯だ。筋骨隆々とした、三十前後の男性。彼も衛士の事を良く知っている一人で、『船坂』と呼ばれる男だった。
「できません」
『転送する』
「許可しません」
『だよなァ……ったく。衛士関連はみんなこーゆーヤツだ。冗談じゃあねえよ……。現在、お前の援護に行ける人間は居ない。割ける人員が無いんじゃなく、その状況から巻き返せるような奴が居ない。数送ればいいんだろうが……そこまで優先度の高い任務じゃないから、飽くまでお前を生かして帰る任務に移行する事になる』
なんだかんだ言いながら、船坂はそう言って状況を理解し説明し始める。
現状はまず物理的に突破不可能であること。市街地に向かう前にまず陽動で使用された部隊に殺されてしまうこと。おそらくPMCは殆ど死んでいるし、生きていたとしても残党を煽るためのカカシに使われるだろうという事。
現実は非情だということを、彼は良く教えてくれた。
たった一つの選択で、僅か数分が経過しただけで多くの命が失われた。
にわかに理解し切れないのは、精神が堪え切れないからそうさせてくれない為であろう。
『だが唯一の希望がお前自身だ。その特異点たる特異能力……神通力って言ったか? そいつがあればまだ分からない。誰がどう見ても負けるって未来が決した勝敗を、完全に不鮮明にしちまうのがいつでもお前等のような存在だ』
「……トキさんの事ですね」
『ああ。その衛士が認めたお前なら、できないはずがない。帰る気が無く敵を殲滅するつもりなら、おれは全力で応援する』
「強制的に転送でもすればいいんじゃないですか?」
『ほう、そうして良いならおれが許可を出すが……?』
「ふふ、分かりました。どうしようも無くダメな時に、考えてみます」
『おう、がんばれよ』
激励というには簡単過ぎる言葉で、通信は途切れた。
「……ふう、くたびれました」
息を吐く。腰に手をやって、歩きどおしでやや疲れた脚を休ませるために立ち止まってみた。
そうして眼前に広がる光景に、思わず嘆息してしまう。
まず初めに、灰色の上に塗りたくられる深紅が目に入った。
そしてそこには肉塊が無数に散らばっていた。
空薬莢が数十、数百と転がっていた。
死体は片付けられていたが、その後片付けはあまりにも雑であったように、腕や、内臓などがそこらじゅうに落ちていた。
血は未だ鮮血のまま、踏めばブーツの裏に張り付いた。
そして道路の左右から木々が失せて建造物が広がる前方は、例の”山に囲まれた街”であった。
凄惨な光景。惨劇がつい十数分前にあった場所。
目の前の街は狂気に満ちている。住人は果たして居るだろうか。それすらも不安だった。
いや、そもそもこの街がテロ組織の居城であるのかも知れない。住人が居たとして、それらは全て凶悪なテログループに統治されているのかも知れない。
PMCが完全に死滅しているとすれば、この入口はまさに鬼門。絶好の狙撃ポイントだ。
いくら気が立って我を忘れていたとしても、さすがに挑発はいけなかった。まったく、偉ぶっても全く学んでいない。
M4のアサルト・カービンと、敵から奪ったM16のアサルトライフルをそれぞれ両手に構えて前に進む。
彼が持つ『神通力』は特殊な状態であれば弾丸を止めることができる。現に彼は、至近距離からの狙撃銃の弾丸を止めた経験があるが――残念なことに、それは覚醒状態だった。
今はそうではない。
悲しいくらいに冷静だった。
だからこそ、理解できたのかも知れない。
某国が軍や警察を下手に動かせない理由。これほどの大きな集団は、おそらく何らかの商談を行っているに違いない。薬物か、人身売買か、金の密輸などの犯罪行為だ。それが巡り巡って国に利益を出しているのかも知れない。だから政府は、それを丸々横取りしたいのかも知れなかった。
その行為を、殲滅作戦と称してPMCに委託した……その背後に『付焼刃推進協会』が居るということを理解しての行動なのかもしれないが。
――通りには人っ子ひとり居なかった。引きずられるような血痕が無数に伸びる大通りは酷く静寂で、どこかピリピリとした緊迫感さえある。
スコールはまず、そこに出てみた。
踏ん張って、跳躍。己の能力でその背中を突風でも吹かせたように突き飛ばせば、その肉体はオリンピック選手なんて目じゃないほどの速度で滑空した。
不意の出現。
それに応じるように田舎じみた民家の、商店の中から扉を蹴破って武装した連中がぞろぞろとやってきた。
掃射。
誰が合図するわけでもなく、その銃口は迷わずスコールを追っていた。射線はしなって、やがて大地に触れ始めるただ一人の敵である彼へと無数に迫っていた。
タタタタ……やかましくがなりたてる射撃音が止まらない。
やがて勢いが失せ始め、足裏が大地に触れる。自転車をトバしてる最中に足で地面を蹴るように、触れた部分が勢い良く後方へ吹き飛ばされそうになった。
体を捻り、飛び出してきた敵へと向き直る。おそらくこの瞬間はアクションスターも度肝を抜かすことだろうと思いながら、ストックを両肩に当てて、引き金を引いた。
アリの大群のように群れていたと思っていた彼らは、されど良く訓練されていたようだ。武装集団はスコールが振り向くと同時に、勢い良く建物の中へと退避した。
彼が肩に衝撃を受けながら吐き出した数十発は、ものの見事に虚空を撃ちぬいて無駄になったわけである。スコールはやがて背中を地面に擦ってブレーキを掛けると、仰向けまま反動をつけて飛び上がるように、弓なりに身体を弾いて立ち上がる。
途端に、また彼らは現れた。
まるで西部劇だ。
――だがこのアクションは明らかなまでにジョン・ウー譲りのソレだった。
発砲する。が、弾丸は一向に当たらない。代わりにこちらに向かってくる鉛弾は体中を掠めていた。
直撃する前に、彼はまた背中と突き飛ばす。
凄まじい衝撃に意識が吹き飛びそうになる。自分の能力なのに、自分を痛めつけることしかできないのが酷く情けなかったが――射撃音が迫る。敵は無数に、そして左右に張り付いていた。
両手を広げると、カービン銃とアサルトライフルは対になって敵を捕捉した。
敵と銃口が交差する。
発砲。
敵が仰け反る。額を撃ちぬくことが成功した、その証拠だった。
引き金を弾き続ける。彼へと向く無数の男達が、声もなく倒れていくのを彼は見ていた。弾丸が入り交じり、肩を弾く。胸を撃つ。額を砕く。その全てが致命傷と相なっていた。
火花が散り、硝煙が辺りを包み、全てが混沌と化す。
ただ一人を相手にする場合に於いて混戦は防がねばならぬ筈だったが――スコール・マンティアが敵陣へと突っ込んだ瞬間から、集団が撃ち放つ弾丸は敵味方の区別を付けずに飛び交っていた。
悲鳴が響く。
うめき声が響く。
弾丸が切れて、スコールは立ち止まった。
彼は街を背にして、その路上の真ん中で立ち尽くしていた。
弾倉を入れ替える。空になった弾倉をタクティカルベストのダンプポーチと呼ばれる使用済み弾倉を入れる容器へと放り込んだ。
――発砲音の余韻を残す街から、先ほどの喧騒は失せていた。
パラパラと、身体から鉛弾が落ちる。十発近くもの弾丸は気がつくと体中に突き刺さっていたようだった。胸に腹に、足に腕。確かに意識してみれば強打されたような感じはある。
だがソレは、”あの時”の拳に比べれば屁でもない威力だった。
全てははこの重ね着したコートやら戦闘服やらのお陰だろう。伊達に近未来SFを意識していないわけだ。これで対ビーム兵装にさえなっていれば完璧だろう。
それにしても、まったくもって呆気無い。
くだらない。
この程度の実力でわめいていたのならば、目も当てられない。
たかだか一ヶ月の訓練課程を修了したばかりの一人の男に、退役軍人や、少なくともこのスコール・マンティアよりも長く銃を触っていたであろう彼らは数分のうちに殺されたのだ。
弱い。
弱すぎる。
こんな奴らが班長を殺したのか。
許せない。
「排除する。神が作りし出来損ないを」
それまでのクセのように、彼はコートを翻した。
胸の前で十字を切る所作は、彼がまだ神父の肩書きを捨てていないことを示していた。
別に、何を信仰しているわけでもない。聖書だってそれほど読んだ覚えもない。悪魔の払い方さえ知らないのだが。ならば何故、と聞かれれば、何も全てを失ってから神の存在を否定したくなかったからだ。
――第二ステージだ、と言わんばかりに、街の奥からぞろぞろと、また武装集団が現れた。
今度は数少ないビルの屋上から狙撃兵まで現れた。
なんのつもりだ。
試しているのか。
まさか、PMCが殲滅され、わたしがここに来るまでが予定調和だったのだろうか。
そんな、まさか――なら彼らはなぜ、己等が排除される事を予測できて尚、立ち向かえるのだろう?
勝気に鼻を鳴らして、彼は改めて訊ねてみた。
覚悟も慣れも、何も無い。だが、
「わたしに立派な殺しはできない。だけれど、周りを散らすっていうだけなら、これで良いんですよね? 班長?」
問いに答えは帰ってこない。
されど、彼は返答を貰ったように頷いた。
聞こえた気がしたのだ。お前の思うようにやってみろ、と。
どれほど大事に思っていた衛士の存在はもう頭の中から消えている。今は完全に、つい先ほどまで仲間だった者たちへの報復を行い、手向けにテログループの血を捧げようと思っているだけだった。
「現場指揮官の命に従い、わたしはこれより修羅と化す」