彼らの日常
「弱装カートリッジだがある程度の痛みは覚悟しろ」
森と言うには、直線で数分あるけばすぐに円形に開けた空間が現れるそこは、訓練用に作られた林だ。その空間には急ごしらえ的にテントが建てられ、地面に『戦車』だとか『塹壕』などと描かれた領域がある。そしてそのテントというものが、弾薬庫であるらしい。
濃密な茂みが生い茂る森林。先ほどのアスレチックのフィールドほどの広さを持ち、丘があったり、池があったりなどまるで本物の自然だ。もちろん虫も多い。
「あのキャンプは敵軍前線から二○○キロ離れた指令本部。貴様はそれを掻い潜り見事接敵した軍曹殿は弾薬庫を爆破するべく潜入した。今は虫も眠る丑三つ時だ。哨戒兵を掻い潜り弾薬庫に爆薬を仕掛け、森林から離れて作動させる。これで貴様の任務は終了だ」
装備はサブマシンガンに、自動拳銃がそれぞれ一挺。予備弾倉は二つづつ。腰のハンドグレネードポーチには手榴弾が六つあるが、これは模型であり、安全装置を外して五秒後に爆発するという体で使用することになっている。
基本的な装備はそれだけで、制限時間は二十四時間。その時間を超えた時点でダンの敗北は決定するし、その時間以内でも、被弾箇所によっては死亡扱いになる。
つまりは完全な潜入任務であり、気付かれずにバックパックの爆薬を仕掛けて脱出しなければならないのだ。
そしてこの中には――凄腕というらしい狙撃兵が待ち伏せ中というらしいのが一番厄介だ。とはいえ、他に実体のある兵が居ないという事だから、一先ずは狙撃をかいくぐってテントに近づけばいいのだろう。
ハーガイムは一通り説明し終えた後、いやらしい笑みを浮かべてダンの肩に手をおいた。
「わたしの部下は手強いぞ」
呼吸を殺して、慎重に前へと進む。
昨日の今日というか、あのアスレチックでの訓練から数時間後の深夜帯が今だった。もっとも、夜が無いこの地下空間の空は未だ蒼く、偽物の太陽は鋭い日差しを降り注いでいるのだが。
全身の筋肉痛が思った以上に厳しいが、それでも動けないという程ではない。そしてなによりも、こんなに身体を動かしたのは久しぶりだったから心が弾んでいたのだ。楽しいという感情と、同時に血液に乗って全身に広がるような緊張が心地よかった。
こんな気持は高校時代の部活で、地区大会のメンバーに選抜された時以来だった。
「しかし……」
サブマシンガンを構え、音を立てぬように前へ進む。木々を障害物にして、次の木を目指して一歩一歩ゆっくり前進。程良い緊張が、全身を包んでいく。
「誰も居ない、よな?」
森林に侵入して数分。
念の為に正面突破はやめて適当に左方へと進んだが、やはり人の気配がない。
いくらギリースーツを装備して狙撃銃を迷彩柄にペイントしていたとしても、流石にこれほどまでというのは無いだろう。
一時期狙撃兵と任務を組んだ経験があれども、その脅威にさらされたことのない彼の発想はそんな風に呑気だった。緊張はある。気力も寝起きだから十分だ。深夜帯だから吐息が白く染まり上がるほど寒いが、集中力が高まっているお陰で気にならない。
そうしているとやがて、目の前の景色が開けてきた。
「あそこか……」
外周五○○メートル程の楕円形の空間。その中心からやや左方、つまり彼の正面にテントがあった。空間にあるのはそれだけで、あとは地面に刻まれた円の中に描かれる『戦車』だとかの文字が、それ相応の障害物としての役割を果たす。
狙うとすればここだ。
下手に何処を通過するかもわからない移動中を狙うわけがない。
ならば確実に――ここだ。
ダンは考えながら、バックパックから正方形の箱を取り出す。それをポケットに突っ込んで、勢い良く駆け出した。
そして発砲音。
衝撃が、テントへと向かった矢先に鋭い衝撃が胸を射ぬいた。触れた直後に弾けた銃弾が、真っ赤なペイントで胸を汚す。そして思い切り殴り飛ばされたような痛みが走り、彼は思わずその場で跪いた。
「くぅ……~ッ! いってぇ……」
右胸部を押さえ顎や頬に飛んだペイントを拭いながら顔を上げる。
すると、そのテントの下で、その大地と同色の布を頭からかぶっていて同化。さらにそこから突き出された狙撃銃の銃口は、見事に同色のペットボトルを装備して隠蔽。僅かに銃弾が通過する穴だけが開いていたのが唯一認識できていたであろう箇所だったが――今となってはもう遅かった。
「ま、最初だからちょっと手を抜いてみたけど……ありえないだろコレ。予行演習にもならないよ」
「と、灯台下暗し……」
「口からクソを吐く云々! 貴官は現時点でボクより格下が決定したからな! 訓練以外でもサーをつけろ」
「さ、サー」
「なら仕切りなおしな。五分したらまた来てね」
「サーノーサー」
跪きながら首を振る。
と、歩み寄ったヤコブはわずか数歩ばかりの至近距離にまで迫ると、直立したまま狙撃銃を構え、ダンに照準する。
「サーイエッサー」
力なく返事をして、ダンはそそくさと、己が出てきた林の中へと戻っていった。
「くっそ……おおおッ!」
サブマシンガンの反動が肩を連打する。だが、一掃する林の中、動きまわる影を捉えることは出来無い。
「ちくしょ……くっ!」
タタタ、と続いていた連射が不意に途切れる。引き金の手応えが消え失せた。
――弾切れだ。
脳裏にそれが過ぎり、ダンは思わず飛び退いた。弾倉を取り除こうとボタンを押して空のソレを引き抜き、腹回りのマガジンポーチから弾倉を取り出す。
その最中に接敵。巨体は思わぬ柔軟性を見せながら肉薄。濃密な茂みをかき分け、驚くほどの早さで近づいた。
さらに後退。土で、少しばかり不安定な大地を蹴り飛ばす。が、背中に強い衝撃が走る。
振り向かずとも分かる障害物。林の中だからこそ不規則に並ぶ樹木。それが彼の行動を遮った。
「――これで終わり、でふね」
呼吸を乱すヤコブが、その狙撃銃の銃口をダンの胸元に突き付けてそう告げる。
滝のような汗を流し、銃を下げる。全身を桃色のペイントまみれにするダンは、再度その激痛を浴びぬ事に少しばかりほっとしながらも、幾度となる敗北を突き付けられて、うんざりと肩を落とした。
「な、なんで……はぁ。単純な機動も負けるなんて……」
「機動で、というよりは単に経験不足だね。行動が単調すぎ。読みやすい」
「そんな。おれだって任務に出して貰えるくらいは強いぞ?」
「”能力”で誤魔化してんだろ。でもお陰で、いや本当に希望が見えたかもわからんね」
「ん……どういう事だ?」
「能力とか超常現象の方面では圧倒的に不利だけど、単純な兵隊の質なら勝ってる。この差だよ。単純に戦争を仕掛けたとして、その二つが戦えば確実に後者が勝てる。どうしてだかわかりまふ?」
押しつぶしたような鈍い声音で訊ねる。
しかし立ち回り、動き、選択、その全ては確かに戦闘に関しては一流と言えるものだった。これで痩せて、行動がさらに素早くなれば恐ろしいものだと彼は思う。なにせ、狙撃兵だというのに攻めに転じれば恐ろしく獣的に素早く狡猾に迫ってくるのだ。
追われるものの立場を味わったダンは、コレ以上無いというほどの恐怖をしっかりと刻まれたのは言うまでもない。
「でも能力持ってる方じゃないのか? コスパ半端ないだろ」
「ま、確かに。正直ボクにはわからないけど、それでもボクは後者が勝つと思う」
「それも分からなくない。言ってみればこういった戦闘の経験だとか、鍛え方が甘いってことだろ? おれレベルのヤツが殆どだけど、能力でごまかしてるってのだからな」
しかし、と樹木に背を預けて息を吐く。
ヤコブもくたびれたように肩を落とした。
「帰りてえ」
「禿げ上がるほど同意」
かくして彼らは林を辞した。
「随分とボロ負けしたな」
ダンの姿を見るなり、苦笑交じりにハーガイムがそう漏らす。
そして言葉通りに、見れば分かるほどダンはぼろぼろだった。全身、余すことなく蛍光色のピンクで汚れていて、新品の野戦服は加えてすり切れてボロボロだ。顔や手など露出している部分も軽い切創などが目立っているものの、その表情はどこか清々しい。
「ああ、ええ、まあ」
「全然、クソ弱いでふよマジで」
「しかしアレだな。良い参考になった。まあこれでも一部なんだけどな」
「い、一部……?」
死ぬほど走りまわって、寝起きに模擬戦闘。おそらくあそこで意識を失わなければ一つか二つほど、他の訓練が入っていたことだろう。
「まあな。衛士が起きたらシゴいてやれと言われてたから、その一部をお前で試してみた。貴様が希望すれば、一緒に参加させてやってもいいぞ? やつも独りじゃ寂しいだろうしな」
「え、遠慮しときます」
「気が向いたらいつでも来い。それでいつか任務に出る事になったらひと味違うお前を見せてみろ」
「遠慮願いたい」
「一ヶ月も鍛えれば見違えるぞ」
「割とマジですみません」
とても一ヶ月なんて続けられるはずがない。自分のペースで行けばいいのかも知れないが、そもそも初っ端から罵倒されながらアスレチックを何週も、なんてとても堪え切れるようには思えなかった。
今回のようにやる気満々だったのは、一回限りだと確信していたからだ。これ以降、鍛え抜くということが条件だったならばとても参加は出来無い精神状態にあったはず。
そう考えれば、今日一日を乗り切ったことさえ奇跡的だった。
「ま、そうでなくても気が向いたらいつでも来い。鍛えればソコソコいいトコまで行くと思う」
「でもここまでやってもらって、本当にありがたいです。気分も晴れましたし、前向きになれたような気もします」
「ああソレがいい」
「それじゃ、おれもいい加減疲れたんで帰ります」
「そうだな。寝る前にストレッチしとかないと明日辛いからな」
「んじゃ、ボクもいい気晴らしになったし良かったと思うよ。じゃね」
簡単なやりとりがあって、その場は解散となる。
大した思い入れもなく、大したコミュニケーションも無く、大した進展もない。ただ集まって過度な運動をしただけだった、が――。
それでも今日は丸一日潰れてしまったが、いい経験になった。
存在意義だとか何だとか、もはやどうでも良くなってきた。
おれはおれだ。自分のやるべき事をやればいい。それでいい。誰かが人の生き方に干渉する権利なんて無いのだから、自由に生きれば良い。しかし、それでもせめて生産的な生き方ができればいいのだが。
「マスター、いつもの」
それからややあって、ダンは一人で場末の酒場にやってきていた。
二度目の来訪だというのに、テンガロンハットをかぶる何かを勘違いしている店員は冷蔵庫からコーラを取り出し、カウンターに置いた。
「俺ぁマスターじゃないんだがな」
「そういやマスターどうしたんだ?」
「奥さんとデートだとよ」
「奥さん居たのかよ」
にしても、とランドが不意に話題を転換する。
「お前、良い事あったのか?」
「んー、ま。おれなりの生き方ってのが見つかったっていうのかな」
「……分かんねぇけど、おめでとさん」
「おう、なら祝い代わりにコレをおごりにしてくれ」
「お前が常連になるっつーのならな」
「常連ってどんくらい来ればいいんだ?」
「俺の場合は週五で来てたが」
「か、勘弁してくれ」
苦渋に満ちた表情で頭を下げれば、ランドは微笑んでそれを眺めた。
――彼らの日常はそうやって始まっていく。
協会を裏切り、機関へと所属したあの日。全てのやり方に疑問を抱いてから、既に何年もの月日が流れて連続して来た現在。
機関に属する付焼刃という異質でありながらも、個人としてはごく平凡な男達。
その日常は、かくして始まった。