協会から機関へ
「マスター、いつもの」
場末の酒場。そのカウンターに座る男は慣れたように注文する。
無言で頷くマスターと呼ばれた男は、ひょろ長で頼り無い体躯を清潔なワイシャツに包んでいた。
そうして背後の数多の種類の酒が収まる棚の――左方下。壁際の業務用冷蔵庫から、キンキンに冷えた500mlペットボトルのコーラを取り出し、男の前に差し出した。
その人相の悪い顔の上は坊主頭。ワイシャツに、黒のサスペンダーでスラックスを吊り上げる。上着は腰までの低い背もたれにかかっていた。
そんな彼の隣に座るのは、相棒たるもう一人の男。ベージュ色のテンガロンハットに、クリーム色の分厚いロングコートを羽織る彼はどこか胡散臭い優男だった。
彼らは協会から離れ機会を得て機関へと来た、いわゆる”裏切り者”のレッテルを貼られる二人だった。
「マスター、おれもいつもの」
「君は今日が初めてだろう?」
妙に重い雰囲気の中で、それでも気圧されずに店主は冷静に答えてみせる。
そう広くはない店内には、カウンターの他に二つほど円卓があるだけであり――白昼から訪れる客は、ここの所前者の男以外には居なかった。
「それじゃあ、そうだな。昼間っから酒ってのもダメな大人っぽいし……同じので」
「ああ、あいよ」
そこは地下空間にある酒場。そのままの意味で街の端、東、西、南、北、中央という区画で分かれる内の北の、さらに端っこにある場所だ。関東圏程の広さ故にそこに来るまで一苦労というものだが、交通機関替わりに置かれる公共施設には、移動のために利用できる転送装置が置かれている。
装置がある施設にしか移動できないが、点々と適当な位置に存在しているから、移動面で困ることはない。無論、使用料金は無料である。
――ちなみに区画では中央が一番人が多く、活発的である。主な研究施設や訓練場、訓練学校や、戦闘員の住居もそこに集中している。その他の東西南北は殆どがその支部などが存在するばかりで、だからといって寂れているわけではないが、かといって中央ほどに活発があるわけでもなかった。
つまりはどこにでもありそうな街である。
ならば、なぜ彼らはわざわざこんな所に来ているのかと言えば――ただ、ひたすらに純粋に、人気のない寂れたような酒場に入り浸る自分に酔いしれているからだった。
「なあランド。お前も暇人だな」
「テメ、人の事言えねぇだろ」
嘲笑するように声を掛けると、怒りを孕んだ声音で返される。
そんな二人は、かつて協会で能力者として戦い生死を共にした仲間である。
今では窮地で協会を裏切り、今では能力者として機関で立派に働くことができている。が、未だ戦闘任務は託されない。
定期的に研究施設に通い、その謝礼で生きているのが現状だ。
そう考えれば、”立派に”なんて言葉はあまりに恥ずかしすぎて口にはできないし、世を忍ぶ生き方を選ぶべきなのだが……。
「でもお前はすごいふてぶてしいよな」
「おいダン、てめぇいい加減にしろ。なんで突っかかってくるんだよ」
「ヘンに恰好つけてるのがハナについてさ。ね、マスター?」
「フラないでくれ」
ランドがペットボトルの蓋をひねると、途端に炭酸が隙間から吹き出て小気味良い音を鳴らす。
ダンもソレに倣い、コーラを一口含んで、炭酸に舌を痺れさせながら飲み下した。
「エイジくんの見舞いに行こうっつっても行かないしさー。正直、彼が居なけりゃおれたち、ずっと協会にコキ使われてたんだぜ?」
「俺は別にそれでいい」
「ったく。まあおれは個人で見舞いに行ったから良いけどさ。なんか、ミシェルとかいう女の人もいたし」
「ミシェル? アンナじゃなくて?」
「ああ。なんか、胸が大きくて可愛らしい女性だった」
「……スケコマシ野郎だな」
「モテないおれらよりは立派だよ……」
そう漏らす言葉は、どこか脱力するようなものだった。
容姿は割合に優秀な方だと自負するダンである。そして、足しげく通う研究施設には、女性研究員も割合に多くいる。が、それに見向きもされないとなれば男としての自信がなくなってしまうものであった。
ランドの方はと言えば、この調子だから両者とも総スルーだ。
「他にも、褐色の女の子とか、中学生くらいの子とかも居たよ」
「最早犯罪なんじゃないのか?」
「真実は闇の中ってね。おれとしてはどっちでも良いけど。エイジくんにそれくらいの器量があればね」
「まあそれは良いとして――わざわざ着いて来た理由を教えろ」
コーラを半分ほど飲み干して、ランドは乱暴にペットボトルをカウンターに叩きつける。
店主はあまりにも暇を持て余しすぎて、椅子に座り、足を組んで漫画雑誌を読みふけっていた。一切の介入を許さぬという程の雰囲気を醸し出し、その表情は真剣そのものである。
「作戦を立てようと思って」
「作戦?」
「うん。せっかく機関に入ってきたんだ。ランドだってその心は、まだ……」
「そういう事か。聞こう。ただの気晴らしでは終わらないかも知れないがな」
彼らの能力を強制的に使用不可に封じ込める技術は未だないし、何故そういった特異能力というものが発現し個人の望むがままに扱えるのか、判然としていない。だが取り決めとして、原則的に研究以外での能力発現は禁止とされていた。
少しでも使えばその反応が、彼らに手渡されている通信端末を通して伝達され、謝礼の大幅な削減が実行される。
知り合いも大しておらず、頼れる人間が限りなく居ない二人にとっては、それは非常に痛い厳罰であった。だからこそ、彼らはいくら反発的な態度を取ることがあろうとも、それだけはしてはならないと心に決めていた。
それが例え、
「おい、お前ら付焼刃なんだってな?」
ガラの悪い連中に囲まれた状況だとしても。
――大男、なんて形容するにはあまりにもヒョロい男達が数名。ざっと見て五名ほどだ。
中央に比べて人通りの少ないそこで、グレーの市街地迷彩の戦闘服を着こむ男達は、自動小銃こそ手にしていないものの、それぞれのレッグホルスターには立派な自動拳銃が収まっていた。
おそらくは一般戦闘員なのだろう。この白昼に、この変哲もない往来を歩いている理由はわからないが。
「そうだけど。だったらなんだっての?」
ダンが答える。面倒そうに、されどどこか緊張に表情を引き攣らせたままで。
「俺はな、ダチをお前らのお仲間さんに殺されてんだよ」
「ああそう、ご愁傷さま。こっちも随分殺されてるけど。というかお互い様って言葉知らない? 普通、こっちが極力友好的な態度取ってんだから大人になれよ。どこに所属してんの? お前」
どこぞの特殊部隊のように緑色のベレー帽をかぶる男。それが彼らの前に立ちふさがっていた。
見るからに三十過ぎのいい男だ。おそらくこの集団の中でのリーダーなのだろう。周囲も下手に手も口も出さずに、ただ彼の出方を見守っていた。
「なんでお前にそんな事を言わにゃイケねぇんだ?」
「イキナリ因縁ふっかけられてドタマ来ねえ人は居ないだろうよ? 妥協すべき点を見つけてやろうってんだよ」
――せっかく話がまとまって、この際だから見舞いに行こうと気分も朗らかに、上機嫌で酒場を出た矢先にコレである。
ランドが真っ先につっかかって手を出しそうなモノだが、こういった場合に真っ先に食い下がって逆に挑発し返すのはいつもダンの役目だった。
「なんだ? お前……やろうってのかよ?」
「何を? おれ、大富豪しかできないけど」
「何で勝手にキレてるか知らねぇが、俺たちゃ、お前ら付焼刃を恨んでんだ。機関に来るっていう時点でこうなることくらい、予想できてたろうが」
「さあな。おれたちを引き込んでくれた人たちはみんな優しかったから。まさかこんな時代遅れの原人が居るとは思いもよらなんだ」
彼が言う内に、男の拳が振りかぶられる。ダンはそれに応じようと身体を沈ませようとするが――。
「ダン!」
ランドの叫びが、唯一あった不安要因を脳裏に蘇らせた。
能力を使用せずとも、その謝礼の額が大幅に減ったりしないか、という事だ。
いい歳をしてこんな事を考えるのも情けないことだと思うが、それでも付焼刃という存在を、単に研究材料としてだけでも受け入れ、さらに生かしてくれていることはありがたいことなのだ。そこで下手に問題でも起こしてしまえばすぐに消されるかもしれない。
なにも、実験体なんてものは捕まえてくれば良い。違いはただ友好的か否かしかないのだから。
だから身体が硬直した。
思わず、関節が関節では無くなってしまったかのように、腕が、膝が動かなくなった。
そして振り流れる強打。
無遠慮の一撃が顔面を穿つ。
無防備なその顔に放たれた一撃に、ダンは視界を白に染め上げる。何も出来ぬその中で、他の男がランドの腹部にも痛烈な打撃を与えていた。
「なんだ、さっきの威勢の良さはなんだったんだ? ああ!?」
よろけるダンの水月に、鋭い拳が食いついた。
先ほどのコーラが胃から逆流する。顔から地面へと向かうその中で、顔面を打ち上げる膝が狡猾に突き刺さった。
脳髄へと透き通る衝撃が、瞬く間に彼の意識を奪っていく。
血にまみれ、口から炭酸の泡を吹き出して――間もなく大地に伏せる。
ランドも同様に、そう時間を置かずにボロ雑巾のように崩れていった。
「はっは! 男前が台無しだな!」
歓喜とも恐怖ともつかぬ複雑な表情で、彼らはさらに倒れ呻く両者を蹴飛ばす。
小さな悲鳴の反響がやがて消えた頃に、そんな五人組は周囲の目を気にしながらそうそうとその場を後にする。
残されたのは、地べたをはいずり血反吐を吐く、妙に気取った恰好を汚した二人組だけだった。
「とりあえず彼らには厳重注意をしておきましたが……あの状況で挑発に乗りますか? 普通」
相変わらずの、その胸に白い十字が入る黒いロングコートを着こむスコール・マンティアは、呆れたように口にする。
中央区の適当な喫茶店で、身体のあちこちに湿布や、顔のあちこちにガーゼを貼る二人は反省したように、まるで親に怒られている子供のように縮こまっていた。
「気持ちはわからないでもないですけど……」
昼下がり。
昼休みに訪れていた客の殆どは失せ、喫茶店の客は殆ど彼らだけになっている。
「だがよぉ神父。付焼刃だからって因縁つけられてちゃ、とてもじゃないが生きていけねぇぞ」
「そうだよ神父さん。神父さんの権威でなんとかしてくれよ」
「神父神父と言いましてもですね、わたしもそれほど信仰に熱心というわけでもありませんよ。今では聖書の一節すら覚えていない有様ですし」
「人を殺しまくってますし」
「……し、仕事ですから」
突っ込まれた一言に、スコールは思わず動揺する。
神父という立場を捨てようと考えていた彼だが、その性格自体に神父の要素が入り込んでしまっている時点で、神父というものが破綻しても尚、その立場で居続けるしかなかったのだ。
ならば服装でも変えねばと行動しようとするのだが、連日の任務で服さえ買いにいけない始末。なんとか衣食住を用意してもらっては居るが、それだけで精一杯だった。
「にしてもだよ。ここ最近、特に一般兵の態度が悪い」
「嫉妬、じゃないでしょうか。それに、やはり恨み辛みなんてモノもありますし。こちらから望んでここに来たのはよろしいのですが、向こうからしてみれば、親の仇がノコノコと居候しに来たようなものです」
「そうは言ってもだな……」
「その考え方は、彼ら自身がダメだと分かっていても、中々変えられるものではありませんよ」
それを変えるためには、ひとえにこちらの努力が必要となる。
二人の注目を得て、弁舌を振るう。
「どれほどの暴力が振るわれようとも、こちらが断固として友好の態度を見せれば次第に向こうも、気持ちを改めて来るはず。後はそのきっかけを与えれば良いのです」
「餌を撒けばいいって事?」
「野生の動物かよ。いいか、ダン。お前の低脳具合は今に始まった事じゃないがな、話を聞くことは割と重要なんだぞ」
「おい人を馬鹿にするなよ。ニュアンスだけでもちゃんと伝わっているさ」
「なんで目を見て話を聞いてて理解できてねぇんだか、俺にはわからない」
次第に、二人を助けたは良いが段々この場から離れたくなってくる自分に気づいて、スコールはそれを誤魔化すように水が入ったコップを口に運んだ。
「まあ何にせよ時間のかかる事です。わたしだって同じようなものですから。……と、すみません、今日はこれで」
彼は席を立ち、財布から千円札を取り出しテーブルに置く。今日はおごりという意思表明だったが、席についてからまだ十分と経過していないし、誰一人として注文をとっていなかった。
「あ、神父逃げるなよ!」
「神父さーん!」
そんな懇願、というよりも浅はかな他力本願を望む声が背中に突き刺さるのを理解しながら、彼は無情にその喫茶店を辞した。
残された二人は意気消沈としながら、テーブルに置かれた千円札を眺めながらため息を漏らす。
「いい歳して、なんなんだろうな。おれたち」
「こっちが聞きてぇよ。なんか、情けねぇ」
「傍から見ると社会不適合者だもんなぁー。いい歳してヤンキーだぜ? 殆ど生活保護みたいなもんだし」
自分のダメな所。
まともな職についてない。
手に職(能力)を持っているのに仕事が無い。
研究所で僅か二、三時間程度の検査でおよそ十万円ほどの謝礼が貰える。
それで豪遊する。
衣食住を与えてもらっているが、基本的に検査の前後日以外で部屋に居ることはない。
かといって特に何をやっているわけでもない。
普通にアルバイトも考えたが、プライドが許さない。
友達がいない。
挑発されるとケンカをふっかける。
友達がいない。
――ダメすぎる。
指折り数えて、いよいよ指が無くなって、心にも致命的なほどに亀裂が入った所でダンはうなだれた。
「……なあランド、だめだ致命的だ。おれたちダメ人間に大決定かもしれないぞ。スカしてる場合じゃねえ!」
「……ダン。今までずっと黙ってた事があるんだ」
「ん、どうした。打開策でも見つけたのか?」
「さっきの酒場。あったろ、北区の」
神妙な顔つきは珍しい。ランドがぽつりとつぶやくように漏らす言葉を、その唐突な何らかの告白を、ダンは真剣に、一言一句逃さず聞いていた。
「俺、あそこで任務が始まるまで働くことになったから」
コートの内ポケットから抜き身の葉巻を取り出し、咥える。オイルライターをポケットから出すと、小気味良い音を鳴らして蓋を開け、慣れた手つきで葉巻に火を付けた。
ライターをテーブルに置き、胸いっぱいに煙を吸い込む。いかにも旨げに煙を味わい、鼻や口から、その紫煙を吐き出した。
「そういう事だから」
ポケットから無造作にしわくちゃの壱萬円札を取り出し、千円札の上に重ねる。
ランドはそれから席を立ち、葉巻を咥え、コートのポケットに両手を突っ込んだまま喫茶店を後にした。
「ど、どういうことだよぉぉぉぉっ!?」
瞼から零れそうになる涙を手で抑えながら、テーブルの上に残る一万千円を握りしめ、彼はそこから逃げ出すように喫茶店から飛び出した。