その後
機関の人間が街から消え去った頃。
負傷者三名を後部座席に乗せたワゴン車は、加えてその助手席にセツナを乗せて都内を走っていた。新宿に背を向け、都内であるものの遠く離れた県境へ。
その運転手は既に見慣れた――およそこの場に居るべき人間ではない、協会の創設者。ホロウ・ナガレと呼ばれる日系人だ。
半径数メートルという領域を作り出し、その内部にある無機物ならば動きを止め空間に固定する事ができるという特異能力を有する、いわゆる『特異点』だ。機関から抜け出し、この付焼刃推進協会という組織を創りだしたのは、その道の人間ならば知らぬ者が居ないほどに有名な話である。
「エミリア……俺の教え子はどうだった?」
ワゴン車は赤信号で止まる。ナガレはドリンクホルダーから水のペットボトルを抜いて、口へと運ぶ。セツナはいくらか疲れた様子で、つけていたことも忘れた仮面を外して膝の上に置いた。
「良いんじゃないか? 二十歳でアレなら上出来だと思うが」
全身を包む戦闘服。腰にスカートのようにして巻いていた抜き身の短刀は、足元で一括りにされて落ち着いている。日本の忍刀も同様だ。
対してナガレは、ミリタリージャケットにジーンズという簡単な姿で、一切の武装もない。
彼はハンドルを握りなおして、肘置きに左腕をついて気怠げに運転を再開した。
「だが今回は何のための戦闘なのだ? 一向に理解ができん」
「だーかーら、言ってんだろ。様子見だ。そろそろこっちも本気だぞと言う態度を見せるためでもある」
「だとしてもだ。この人選はなんだ」
「下手に殺戮されても困るからな。基本的に敵は機関だと考えてもらいたい。能力を手に入れて無闇に暴走する馬鹿はいらねーのよ。ま、そいつもどっかの南アフリカで殺されたけどな」
時衛士が任務で赴いた先で接触し、そして謀反を起こしたスコール・マンティアに喉を切り裂かれて殺害された。その前に衛士との戦闘でビルの崩壊に巻き込まれ、そこからの救出の際に片腕を失っていたが、仮に両腕があったとしてもその結果には変わりがなかっただろう。
その実力ゆえにある程度の人望がある男だった。だがその、強引過ぎる自己主張の強さを疎ましく思う者も多かった。かくいうナガレは、その自己中心的な態度が何よりも気に食わなかったのだ。
そして彼の言うとおり、能力を得たから、自分が最強になったと勘違いする人間が多くなりつつある。
能力には相性があり、またその熟練度によって同種の能力でも程度が大きく異なることもある。下手をすれば、能力を有さない人間に敗北することさえもある。
だから、特異能力というものは己の一つの強み、技であると同時にある意味での弱点にもなりうるから、基本的には奥の手として使ってもらいたいというのが、ホロウ・ナガレの本心だった。
が、その心を知るものはごく僅かである。
言わないのではなく、言っても聞かないものが過半数を超えているが為だった。
「力の無い人間は死ぬ。自然の摂理だ」
「その通りだ。そして仮にこの協会に次世代というモノがあるのなら、完全実力主義にしたいなーと思ったりもする」
「無い方が良いだろう。私的な考えだが、機関も潰さずに方向を反らすだけで、それが出来れば良いと思う」
「ほう、”あいつ”の息子にしては随分とマトモな考えじゃねーの」
闇に溶ける黒髪は、陽の下では深い蒼色に映る。彼はまだ若いその顔を居心地の悪そうな表情に歪めながら、子供のように窓の外を眺めてそっぽを向いた。
「父の話は止めろ」
「ははっ、曰く”全ての過ち”だもんな。俺も若かったさ」
「ッ、だから……!」
「あー悪かったよ。もうしない」
親しげな笑みを浮かべるナガレは、実際にセツナとは深い仲である。
セツナの出生にはいくつかの秘密があり、そしていくつもの特異能力を持つ理由はそこに通ずる。そして父と呼ぶその男は――協会創設にあたるきっかけとなった人物。米国の国防長官だ。
「それで、今日はもう帰るのか?」
「んん、ま、後ろの連中も負傷してるしな。お前だって失いたくないんだろ?」
「ああ、奴らには信念があるからな。わざわざ殺さず連れ帰った理由はそこにある」
車はそのまま車道を走り、首都高速へと侵入する。
料金所を素通りして、加速し、本車線道へ。
セツナは退屈そうに、だがそれを表に出すわけでもなく、代わり映えがなくなったつまらない光景を流し見る。彼自身が加速すれば瞬間的にはこの程度をゆうに超える速度に流されていく景色は、どこかつまらなく、されど何もせずに過ぎていくというものに新鮮さを感じた。
彼とて自動車に乗った事がないというわけではないが、それでもあまり利用しないがゆえである。
「しかし、何故お前まで本国に戻らないのだ? わざわざ日本に居る理由はないだろう」
ふと思いつく疑問。
本拠地である米国に帰らず、機関の拠点を見つけるために作った日本の活動拠点に居座るナガレには違和感があった。そもそも、機関の活動を阻止する、拠点を発見するという目的以外、現在は他に仕事が無い。給金だってしっかり払っているが、その収入源は未だ不明だし、ナガレがするべき仕事はセツナにすら不鮮明だ。
だから日本に居る理由がわからないと同時に、協会ではない、彼自身の目的というものが分からなかった。
「そうさな……ぶっちゃけた話だ」
問われて、言うか言わずか手を拱いて。
それから彼は、ぽつりと漏らすように口にした。
「協会は俺が居なくても勝手に動き出す。部隊を編成した時点で、各々には俺じゃない頂点があるからな。そしてそのリーダーが判断し行動する。資金は活動拠点、本拠地に行けばそこの事務係がくれるし、問題ないんだ」
己が創りだした巨大な力を上手く分割して、それぞれ自主的に動けるようにした。しかしその代わりにその力は回収不可能になっていて、設定した目的を、それぞれの判断で徐々に歪曲させながら活動する。
ほんの僅かな融通すら聞かぬ頑固さで、各々の狡いやり方で敵を攻め続ける。
流石にこれを予想できなかったというわけではないが、コレほどまでに程度が膨れ上がるとはナガレ自身、思わなかった。
だからそんな未熟な己に嘲笑めいた笑いを漏らして、首を振る。
「機関を止める……あの”時間操作”の技術はこの世の為にはならない。だが俺の判断は間違っていたのかも知れないな」
「人は間違いながら成長するものだ」
「そいつは成長できる人間への言葉さ。俺はいつでも、現状の力だけで何とかしようとして、出来なくて、その場で地団駄を踏む。その間にまた他の考えが浮かんで……そうやって繰り返してきたんだよ」
そこまで言って彼は身震いする。
大きく息を吐いてから、暖房を少しだけ強めた。
「だが、これは俺の責任だ。何が起ころうとも、俺の望んだ結果にならなければ俺が全てを止める。時間停止って能力なら、もっと恰好が付いたのかもしれねーがな?」
「ふん、お前はいつでも格好いいさ」
「ありがとよエセ忍者。感謝ついでに一つ頼みごとをきいてくれ」
「断りたいが、断る理由がないからな。話してみろ」
「ああ、実はな――」
協会の力は、ホロウ・ナガレの思惑とは別の方向で集結してきている。
そして機関の内部も、それに対応すべく力の粋を集めに来ている。
ナガレはそこで、終わりが近づいているのを理解した。
理屈ではなく、殆ど直感的に。その曖昧な判断は、されど彼の中で一番信頼性に長ける材料だった。
――十二月もまだ上旬。
枯れ枝が目立つ殺風景な街には、イルミネーションが目立ち始めていた。
「なるほど。お前らしい」
「だろ? 良く考えといてくれよ」
「了解した。しかしまあ……いや、言いたいことは帰ってからにしよう」
「そうだな。あんま褒められて、動揺して事故なんて起こしたくねーからな」
彼らは和気あいあいと表情を綻ばせながら、車を走らせて向かう。
都内から遠く離れた活動拠点へ。
そしていい加減に弛んだ協会を引き締めるために。
「っとまあ、期待してたわけじゃないんだが……いい加減、こいつも起きねえな」
とある病室。
そこは機関が存在する広大な地下空間の病院だった。
味気ない殺風景な部屋には寝台と、そこに横たわる患者。そして枕元に唯一生存を知らせる心電図が置かれるのみだ。
ついで言えば栄養を点滴として体内に流す点滴棒やらがあるが、特に挙げて述べるようなものでもなかった。
その部屋の中に居るのは船坂、そしてミシェル。エミリアとサクラ、アイリンは研究所に泊まりこみのため外出すら許されぬほどの多忙を極めていた。イリスは変わらず、たまに見舞いに来る程度だが――現在の時刻は深夜の二時だ。今は夢の中であるのだろう。
彼らとて暫くの間ここに居たというわけでもない。
研究施設に軟禁されて報告書を記入し、それから少し休んでからまたそれぞれの自室へ。
この病室に来たのは理由など無く気まぐれと言うしか無いのだが、だからこそミシェルと出会ったのは偶然である。
「早く目覚めて欲しいのですけど……でも、アイリンさんの話が正しければ」
「また今回のような、これまでのような大事が起こる。その頻度が高くなるっつうワケだ」
「なんの因果があってこうなるのでしょう。……それまで普通の学生でしたのに」
「それを言えば俺だって、ここに来るまでは一般人だったさ。ミシェル、お前だってそうだろう」
「そ、そうですけど……」
「こいつが特別っつうのは否定しない。なにせ特異点だしな。だがソレ以外は何の変わりもねえよ。ただ運が悪いだけだ」
時衛士はかれこれ一ヶ月以上眠り続けている。
それでも命に別状はなく、肉体に埋め込まれた人工臓器、特に人工的に作られた心臓は力強く鼓動し続け主人を生かしている。そしてそれまでよりも、その肉体はより強固になっていた。
致命傷を受けても、その高い自己修復機能のために致命傷たりえない。出血量を抑える事もでき、およそ人間では堪え切れぬほどの運動が、人工心臓のお陰で可能になっている。
まるで人造人間のようだが、本人がどう思うか。許可無くそういった施術をしたが、未だ彼が目覚めない為にその感想は望めない。
もっとも、どう文句を吐かれたとしても、この現状がどうにか覆るわけがなかった。
彼の肉体は数多の人工臓器を認知していて、不具合無く働いている。それだけで贅沢というものだった。
船坂は言ってから心電図へと目を向ける。一定の間隔での鼓動を捉え、写す機械は変わらない。
「そもそも心臓が動いてたって、他の機能が死んでて仮死状態とか、いや、植物状態だってありえるよなあ?」
窓を背にしてパイプ椅子に座り込む彼は立ち上がり、それから無作法に衛士の額に手を当てる。鼻筋にから右眼へ入る一閃の傷を塞ぐ包帯以外は、いつもと変わらぬ血色の良い顔立ちであり、触れて見る限り体温も高くも低くもなく、およそ平熱。
口元を隠すように手を移動させれば、安定した穏やかな呼吸が確認できる。
しかし、医者が大丈夫だと言うのだからやはりいずれは目覚めるし、それを待つしかないのだろう。
船坂はまた腰を落とし、寝台の向こう側で、両手を前で組んで心配そうに彼を見下ろすミシェルを一瞥する。
「肉体はそのままで生きている。だけど、精神は……信じたくはありませんが、可能性の一つとして存在します」
「ん……確かにそうだな。こいつは心臓を射抜かれてこうなった。自分でその死を見て理解したんだからな」
「ですが……トキさんに限ってそんな事……」
「並大抵の精神力じゃないからなあ。一理あるっつう事で」
特異点に導かれる人間の精神は普通ではない。その存在を知る人間は、それ故に特異点能力を持つ彼らにある種の畏敬の念を抱く。それは、特異点へと進化する為には、心が崩壊してしまう程の出来事を経なければならないからだ。
そしてこの少年、時衛士も例に漏れない。
齢十七にして手に入れた特異能力は五秒ほど未来の『予知』と、頭上五メートルほどから半径十メートルを自在に移動する『遠隔視』。加えて、彼に干渉して行われた攻撃ならば『透視』したものを『透過』させる事が出来る。
付焼刃は一度与えられた能力はそれが最大にして最高故に成長はしないが、特異点は大きく異なり成長するし、その能力の傾向が変わる事もあり得る。しかし、彼で言う『視覚』や、ナガレの『領域』など、それぞれが根底とする能力が変わる事は決して無いというのが、これまでの研究による見解だった。
「それじゃ、俺はそろそろ帰るかな。明日の予定はないが、流石に昨日の今日だ。くたびれた」
「そう、ですね。いつまでもここにいても、看護師さんに迷惑ですし」
船坂は気怠げに立ち上がり、そしてミシェルはその病室を後にする彼の後をついていく。
廊下へと出るその際にまた振り返って衛士を見ると――やはり変わらず眠る姿があった。
すぐにでも目を覚ましそうな雰囲気。されど、そういった形で永遠に眠ったままで居るようなイメージがついてまわる。もしそうなったら、この機関にとってどれだけの損害になるのだろうか。あるいはこれまでのように、何一つ影響のないまま事が進んで代わり映えのない毎日が続くのだろうか。
考えると、物悲しくなる。
誰がいても、居なくても変わらない世界――それが当たり前なのに。
「それでは、また、です。エイジさん」
彼女は最後に別れの言葉を告げて、病室を後にした。
全て世はことも無し。
世界はまだ表面的な平和を保ったまま、毎日を過ごしていった。