サクラ、アンナの場合 ②
柔軟で、変幻自在に歪曲する刃。その切先の速度は衝撃時に音速を超える。その音速の打撃による傷は、抉られたような創傷となった。
「まったく、タチの悪い装備だな」
ベルトは先端に近づくにつれて細くなる。それ故に振るえそのまま鞭としての使用が可能となっていた。
そしてその威力は先述の通り。果てしなく重く鋭い打撃は、それ故に男を苦しめていた。
近づけない。そしてソレ以上に、受け流すことも出来ず、回避しか許されないのが痛かった。
――アンナが勢い良く腕を引く。
すると、男の頭上へと切迫していた弧を描くベルトが、その身を捻るようにして弾ける。瞬間的に加速する切先は瞬く間に男の肩口へとその身を肉薄させて、
「ちぃっ!」
吐き出す咆哮じみた言葉と共に、男の身体はその刹那だけ異常なまでに過敏な動きを可能とする。ゆえに大地を弾き、彼の身体はその鞭を容易に避けることが出来ていた。
そして虚空を切り裂き、大地を叩く。鞭はそれから跳ね上がるその際を見極められ、男の手に掴まれた。
「だがこれで使えんだろう――」
言葉も半ばで、先ほどまでは無かったもう一本の鞭が飛来する。
男の肉体を包むように青白い光がさらに増幅するが、その鞭の肉薄速度は圧倒的すぎた。
振り下ろされる斬撃。息を飲む暇もなく、ソレは男の左肩口に触れる。そして叩き付けられる瞬間に、その勢い、重量が衣服ごと彼の肉を抉るように切り裂いた。
血が弾けるように周囲に舞い、激痛と衝撃によって男は思わず跪く。そうして自由になる対のベルトは再びアンナの手元に戻ってきた。
「くっ……ほんとに、こいつ……!」
嵐のような手数だった。ただ二本のベルトが振り下ろされ、振り薙がれしただけなのに、触れることも出来無い彼はただ回避行動だけにしか集中できない。近接戦闘でも中距離に分類される程に距離を開けられているから、カウンター攻撃も不可能。どれほど身体能力を上げ、攻撃を見切って反応しても、その次に続けるためには時間が足りなかった。
これがまだ、最初の方のように純粋な肉弾戦ならまだ有利だったのだろうが。
驚くほどに劣勢に立たされた理由とすれば、やはり”相性が悪かった”というものだろう。
「いい加減諦めたらどうなの?」
その背後では、依然と銃口を向ける女性が居た。
血が染み出るように流れ出る肩を片手で抑えながら、男は短く息を吐く。
確かにそうしたいものだと思う。こちらが手負いだったのならまだ言い訳ができるが、万全の状態でこれなのだ。相性が悪いという言い訳は既に使ってしまっているが、そもそも大きな実力差があると考えてもいい。そもそも今回派遣された三人の中で、唯一仲間内で誰もが認める実力者は一人だけなのだ。
むしろ、こういった結果になることを予測してもらわないと、彼自身が困ってしまう。
「俺は諦めない」
だが――挫けていいというわけではない。
一度この敵を倒すと決めた以上、その結果が伴わずとも行動は貫かねばならない。
己を裏切る行為は、何よりも深く心を抉る所業だ。
「貴様らを、一人残さず――」
「無茶はよそうぜ、ブリッジスくん……だっけ?」
言葉を遮って、頭上からの気配は不意に強まった。
そしてまるで猿のような身軽さを以てアンナと、ブリッジスと呼ばれた青年との間に着地する。
気取るように黒のロングコートを羽織る、長い黒髪を後ろで括る、同年代らしき男はまた気取ったように立ち直り、ブリッジスの傍らへと移動する。
「敵さんに案内されるままに地下駐車場に行ったと思ったら、五分と経たずに北沢くんは敵に抱えられて出てきたよ」
「アイツが……どんな相手だった?」
警戒もそこそこに、ブリッジスは反射的に質問する。
彼は構わないといった様子で、手にしたアサルトライフルを構えながら応えてやった。
「でけぇおっさん。ありゃ勝てねーわ。んで刹那さんの方だけど……あっちは辛うじて押してる。だけどあっちもあっちで、結構手ごわそうだったぜ?」
「それで、ここも危ういからと、お前が手助けしてくれる訳か……」
情け無いことだと、ブリッジスは嘆息混じりに首を振る。そうするとその最中に、彼はポケットからブリッジスへと何かを放り投げた。すかさず受け取るそれは、四つの穴が開いた金属製の何か。いわゆるメリケンサックと呼ばれたそれだった。
「似合わねーって置いてったけど、やっぱ必要だったろ?」
ブリッジスは両手にソレを嵌める。
これで、わずか刹那の時間でも鞭を受け止め時間を稼ぐことも、そこからさらに先へと進むことも可能となったわけである。さらにこの男が手助けをしてくれるのならば、ただ居るだけで有利に事を運ぶことも可能だろう。
――そして不意な発砲音。
彼らの背後から鳴り響く乾いた射撃音は、闖入者を狙ったものだった。
が、当たらない。予測されていた行動は、それ故にすぐさま回避行動をとられて弾丸は彼を捉えられない。
「すっこんでろ。下手に死にたくないなら、そこの女の子に任せてろ」
「正直俺もそう思う。見る限り、射撃もそう慣れたものじゃなかったろう。動かなくても当たるかどうかというレベルだ。お前じゃ話にならない」
「ま、逆にあの女の子相手に大の男が二人がかりってのも、情けない話だけどな」
「同意だ。しかし俺たちはここで死ぬわけには行かない」
「そりゃそうだ。伝達係の俺が手を貸すくらいなんだから、誰にも殺させやしねーよ」
「ああ、行くぞ……間宮!」
「おう、ブリッジス!」
二人の呼応の直後、ブリッジスの青白い光は増幅し、彼は駆け出した。
発砲につぐ発砲。
駅にほど近い閑静な公園には似つかわしくない音だった。
アンナは即座に柱を、木々を壁にして避ける。が、その多くの障害物は彼女の手によって削られ、ボロボロになっていた。
「ったく、まじかよ?! ちょこまかと……」
間宮の悪態が耳に届く。
同時にアンナは、その一人の掃射の合間を縫ってきて迫るブリッジスに対応するために、素早くバンテージのようにベルトを腕に、拳に巻き直した。
下手に鞭のままでは、至近距離で戦えない。己の欠点をしっかりと認識しているためにその行動は素早いものだ。
「落ち着け間宮! 弾は有限だ!」
後方に指示を出しながら、ブリッジスは間もなく肉薄。身軽なステップから、物陰に隠れるアンナへと見事に詰め寄ることが出来ていた。
ただ一人が増えただけで――アンナは歯を食いしばり、力いっぱい樹木を殴り飛ばす。と同時に大地を蹴り飛ばし、勢いを付加して一気に後退した。
不意の行動にブリッジスは置いて行かれる。それを認識しながらアンナは階段の手前で左腕のベルトを展開し、勢い良く頭上へと投擲。そうして鳥居じみた門に巻きつけ、そしてまた跳ぶ。ターザンのように滑空したかと思うと、数段しか無い階段を超えた辺りで彼女は力いっぱい、左腕を引いた。
すると、引き寄せられるように門の上へと飛び上がっていき、
「本当に、ちょこまかと行くな……」
その眼下で、アンナを見上げるようにしたブリッジスは短く嘆息した。
門の上るアンナはそれから、両腕のベルトを解放する。
長く伸びる、良く腕に巻き付けられていたと思われる程に長いベルト。それは五から六メートルほどの距離ならば簡単に届いてしまうものだった。
そして振るわれる、一方的な攻撃。
それに応じるように、間宮がアンナへと射撃した。
――身体にまとわりつく電撃が、ブリッジスの体感時間を極限まで圧縮する。
振り薙がれる鞭がコンマ秒ごとに切り取られて移動する。彼の肉体は、それに応じた速度の可動が可能になっていて、それ故に、鞭のやや不規則気味な動きを視認して反応することが出来た。
頭上に落とされる一閃。
だが彼はその腕を振り上げ、メリケンサックで対応する。
やがて落ちてくる衝撃。全身に、真下へと撃ち落とすような重圧を付加する鞭。その腹に鋭い打撃を加えると、
「く……っ!」
左肩に電撃が走る。鋭利になったその精神は、それ故に肩の激痛を通常の倍以上の感度で覚えていた。
が、同時に僅か刹那の時間だが鞭の動きを停止させる。このまま触れていれば腕は敢え無く鞭の殴打に飲み込まれるが、即座に腕を切り離し、止めた時間を利用して前方へと力一杯、跳ぶ。
「俺は……」
門の柱に、勢い良く飛びついた。
その足裏が吸いつき、膝を折ってその側面に着地する。重力が彼の肉体をひきずりこむよりも早く、彼はその対面に力強く跳躍した。
さらに跳び、跳び、跳び――バッタのような恐るべきバネで、瞬く間にアンナの足元へと肉薄するブリッジスは、彼女の反応も待たずに手を伸ばす。
「……ッ!?」
見失いかけた男をどう対処すべきか思考する最中に、アンナはブリッジスの存在を再認識、捉えることが出来た。が、同時に右足首に息が詰まるほどの圧迫が加わる。骨がへし折れてしまいそうな馬鹿力が脚を掴み、
「さっさと降りてこいッ!」
宙に飛び上がったまま、ブリッジスは彼女の足を外へと放り投げる。するとアンナはまるで人形のように容易く体勢を崩し、鞭を虚空に投げ出したままで地面へと落下。吸い込まれて行く。
しかし彼らの攻撃はその瞬間にさらに続いた。
それは最早聞きなれた、乾いた発砲音。一秒間に幾発も吐き出す突撃銃による攻撃。
三点バーストが無限の射程を持つ槍の突き。予備動作も、それを対象から離すこと無く連続で飛来する無常な一撃。アンナは大地に向かうその最中で、為す術もなくその接近を感じていた。
何かできることはないか。まだ鞭は門に繋がっていないか。全てを確認するが、腕を引いても何の抵抗も無く引かれるだけ。宙に投げ飛ばされている以上、他に行動は出来無い。
被弾。
鋭い弾丸が、全身に巻き付く鞭の隙間を縫ってその柔肌を貫いた。左の太ももに激痛が走り、彼女は思わず顔を歪める。
被弾。
横腹を穿つ弾丸は、その勢い、運動エネルギーを全て体内にぶち撒ける。貫通すること無く、弾丸は血しぶきを蒔い散らしながらその体内に収まった。
被弾、被弾、被弾。
全身に、一発も外れること無く喰らいつく弾丸。全てが肉体を貫くというわけではなく、ただ掠って行くものも多かったが――ただそれだけで、アンナは受け身も取れずにそのまま、ボロ人形のように大地に叩き付けられた。
白昼。閑静な公園の入口付近に倒れる少女を中心に、その血だまりは徐々に範囲を広げていく。
「はぁ……終わった、のか」
ブリッジスは軽々と階段の上に着地して、アンナを見下ろす。
駆け付ける間宮は空になった弾倉を入れ替えながらその傍らに付いた。
「死んじゃいねーだろうが……これでまだ立つんなら、俺はもう勘弁だぜ。殺さずにってのは出来ねー。そんな器用なほうじゃないしな」
「俺だってこれ以上いたぶりたくはない。しかし本来の目的も、これで果たせるだろう?」
振り返る。全身に滾る蒼い光は既に失せていたが、サクラと視線が交錯した瞬間、彼女の肩は大きく弾み、怯えている様子がよくわかった。
――アンナは意識を手放したのか、その投げ出される四肢は、指先をピクリとも動かさない。顔に巻きつけるベルトが大きくズレて、目に入る横一閃の深い傷痕があらわになる。これほどまでしておいて彼らは他人の事を言えないが、思わず目を逸らしてしまうようなえげつない傷痕だった。
拷問にでもかけられたのか。そういった思いを馳せながら、間宮はブリッジスの後に続いた。
サクラは銃を構えたまま、その位置からでは決して見えないアンナの姿を想像しながら顔を引き攣らせる。階段の下に姿を消したその瞬間を見ていた彼女には、そのイメージはあまりにも容易すぎるものだった。が、先ほどまで楽しくすごしていた仲間の呆気無い惨劇に、本来あるべき戦場の空気を彼女は初めて味わうことになっていた。
「さあ、咎を重ねる機関の拠点地、その場所を教えてもらおうか」
顔面蒼白というのは、こういうものなのだろうか。
ブリッジスはそう考えながら徐々に彼女との距離を詰める。もう戦う必要はなく、アンナとて致命傷は負ってはいない。迅速に治療すべき事にはかわりないが。
「い、言うわけないでしょ」
「意地っ張りな女の子だな。だけど、気が強いってわけじゃー、なさそうだ」
既に薬室には弾丸が収まっている。引き金を弾くだけで、弾丸は簡単に彼女の命を奪えるのだ。
それを示すように間宮がアサルトライフルを構え続ける。されど、誤射が無いように引き金から指を離し、安全装置を三点バーストから単射へと変える。
「痛いのはイヤだよな? あの女の子だって早く治療しなくちゃ危険だ。傷は多分、被弾を見るに問題は無いが、出血量が尋常じゃない」
間宮が続け、そしてブリッジスが迫る。
やがて拳銃を掴んで捻り、サクラの小さな悲鳴を聞きながら手の中からソレを奪い取る。そしてその手で持ち直し、コートの上から左肩に突きつけた。
胸ぐらを掴み上げ、ただそれだけで一人の女性は身動きが出来なくなる。恐怖にひきつる顔は、まるで一般人のようだった。
「ただ場所を説明するだけでいい。自分の生きるか死ぬかという所だ。誰だって自分の命を優先する。これは仕方が無いことだ……そうだろう?」
言い聞かせるように、ブリッジスは極力声音を抑えて、優しく口にする。
小刻みに全身を震わせて、目にいっぱいの涙を浮かべるサクラには、それでも声は届いていないようだった。
――怖い。
そして彼女の脳裏に占める感情は、言葉はただ単一のそれだけである。
なぜこんな事になってしまったのか。
簡単に、ただひたすらに街を探って、遊んで、結局敵は見つからなかった……そう終わるはずだった。特に今日は平和的に夜を迎え、自室に帰って、今日の事を思い返しながらまたこんな機会があればいいと夢想して、気が付けば眠りに就いている。それで終わるべきだったのだ。
こんな機会は本当に無い。だからこそ、敵の襲来や血の臭いなんてものとは縁があってはいけなかった。
アンナがやられた。死んだとは思いたくないし、敵の言葉を信じれば生きている。
だがこの状況から巻き返せるか? 武器も奪われて。いくらブリッジスが左肩の激痛を耐えていようとも、ただ一人の女を痛めつけるくらいは簡単だ。
左肩に銃口が押し付けられる。それだけで痛いのに、胸ぐらを捕まれて首元が強く締まり始めていた。苦しいのだ。恐怖と、その苦しみで思考がまともではなくなる。涙が溜まるから、視界も酷く不鮮明。モザイクがかかっていた。
「この状況からならどう転んでもお前の責任にはならない。むしろ同情さえする。運が悪かった、と」
だから機関の所在地を教えろ。ブリッジスは優しく囁いた。
まるで甘い言葉のように聞こえるのは、そのかぶる帽子の下から見えた、優しげな表情も相まってなのだろう。
「そうそう、ブリッジスの言う通りだ。むしろ早く言っちまったほうが良いぜ」
間宮が、ちゃちゃを入れるかのように言う。が、ブリッジスが一睨みすると、彼は肩をすくめて黙り込んだ。
「まあ、アレだ。まだお前も心が落ち着かないんだろう――」
言葉を遮る、発砲音。
鋭い打撃がその直後に、間宮の背中を撃ちぬいた。弾丸はいとも容易く肉体に喰らいつく。が、黒のコート故にその出血具合や、被弾位置は判然としなかった。
間宮が思わず跪き、言葉にならぬ呻きを漏らす。ブリッジスはサクラを突き飛ばして、奪い取った拳銃をそのまま背後へと向けた。
「そりゃあ心も落ち着かねえだろうな。おっかねえお兄さん二人に詰め寄られちゃ、よ」
血まみれのアンナは、そう口にする大男に横抱きにされて居た。
彼が着る白のコートは既に赤く染まりつつあるが、船坂は気にした様子もなく彼らを睨みつける。その傍らには、銃を構えたミシェル。背後にはイリスが船坂を影に隠れていた。
「勝負を買った時点で可哀想なんて言えねえ筈だが、良い男が二人がかりなんつうのは――褒められたもんじゃねえな」
船坂は胸板に身体を預けるアンナを一瞥する。が、彼女の肉体を拾い上げてから反応はなかった。心臓も動いているし、被弾の場所からして下手な内臓は傷ついていないようだが、それでも出血はそう軽視できるものではない。呼吸も、その鼓動も安定しないし、やはり早急な処置が必要だ。
彼はそれから道の端に彼女を落ち着かせると、コートの下から拳銃を取り出し、投げ捨てる。
「拳銃は必要ねえ。だがてめえらには、死を垣間見せてやるよ」
「そうか。足掻くというのならば対応しよう。俺はそもそも、その為にここに居る」
「闘うために? 解せねえな」
だが、先ほどの血溜まりに捨ててきた男の様子を思い出せば彼とは共通点がある。
口ではなんと言っても、その行動や気迫はいかにも早く戦いたいというものだった。
既に手段が目的化しているのだ。
「まあいい」
「そうだな。さっさと終わらせよう」
船坂が腰を落とし、構える。
ブリッジスの肉体を包むように、再び青白く発光した。
「行くぞ」
「さっさと来いやッ!」
拳を腰の位置に引き込み、脇を締める。左腕は少し手前に出し、軽く握る。
ブリッジスはそういった緩慢な動作に構わず走りだし、ある一定の距離まで縮めると、勢い良く大地を蹴り飛ばし、横に跳んだ。それからまた少し進み、反対方向に跳ぶ。ジグザグに機動するというのはある程度の撹乱にもなり、そして同時に距離感を鈍くする効果を持つ。
そして船坂はそれにまんまと引っかかったようだ。ブリッジスが、既に彼の射程範囲内に幾度も踏み込んでいるというのに、攻撃を仕掛けることはおろか反応すらしない。ただ目で追い、手をこまねくばかりであった。
だからブリッジスは飛び込んだ。力強くステップし、彼の死角となる斜め後ろ方向からの深く踏み込んだ、振りかぶる一撃。
追撃も、敵の反撃も全ての手段を放棄した全身全霊を込めた最大限の一打。拳に意識を集中させ、腰を捻り、勢いを付加する。誰もがそうするであろう一撃は、同様に彼にとっての最高にして最大の一発だ。
吸い込まれるようにして、船坂の、人体の急所でもある腎臓に喰らいつく。コートの上からでもゆうに肉体に届き、そしてその肉を穿つ。貫き、メリケンサックで膨大に増加する威力をそのまま体内に叩き込んだ。
体重が、重心が船坂に偏って、彼の大きな背に倒れかける。
が、それと同時にその巨体はその巨体に相応しく緩慢に揺れる。かと思うと、巨躯は驚くほどに滑らかに、洗練された程に無駄が無い動作で振り向いた。
「やっぱ、この程度か」
少しばかり苦痛に表情を歪めながら、残念そうな言葉を漏らす。
もたれかかるブリッジスの、己が肉体に突き刺さる拳を腕ごと掴み上げると、そのまま持ちあげるように引っ張り上げた。
「格下だよ、お前」
されど、手に嵌めるメリケンサックは零れない。力強く握った拳はそれゆえに筋肉を硬直させ、無意識での解放を許さない。
無防備にあらわになるブリッジスの顔。頭に乗るだけだった帽子は、ただそれだけの動作で素直に地面へと落ちた。
肩の、露出する肉は血に濡れて陽に光る。鮮やかであるのに対して彼の顔はあまりにも不景気だった。
船坂は今までそうしたように腕を振りかぶる。ブリッジス同様に、次ぐ行動を全て放棄した捨て身の一撃。砲撃のような速度で迫る腕は、されど拳を形作らない。そして下方から打ち上げるのは見事な掌底だった。
やがて、衝撃。
船坂の巨大な手のひら、その掌底が華麗にブリッジスのあご先を打ち上げる。
そうしてさらに浮かび上がる彼の肉体を、掌底を叩き込んだあご先を視点に、今度は腕を下方向へと引っ張る。体勢はそのまま崩れ、さらに首を掴んで地面へと叩きつけた。
そして、衝撃。
大の字になって倒れるブリッジスは全身を小刻みに痙攣させ、白目を剥いて泡を吹いていた。
意識は無論無いだろう。そしてもう片方の男も――。
「さすが、船坂さん」
ミシェルは間宮の銃創に簡単な処置を施してから、彼のコートで肉体を拘束していた。イリスは相変わらず背後で、戦闘が始まってからは公園の端に寝かせたアンナの様子を見ている。
そして駆け寄ってくるサクラはそう言って、目尻の涙をコートの端で拭った。
「ああ、早速で悪いが薬局で応急処置に必要な道具を買ってきてくれないか?」
「うん、わかった」
暑苦しそうに血に濡れたコートを脱ぎ、額の汗を拭いながら階段を降りる。それからそのすぐ下に落ちている男を回収して、また元の場所に戻っていった。
さらにブリッジスの首根っこを掴んで間宮の元へ。そうしてから彼らを一纏めにするように、間宮が倒れるベンチ付近に投げ捨てた。
「エミリアたちと合流してえ所だが、今回は被害が大きすぎる。そして動けない」
その無骨な手のひらで、穿たれた腰をさする。細々と息を吐いてから、辛そうな表情を僅か一瞬だけ垣間見せた。その後には、なんでもなかったようにぎこちない笑顔でサクラに並んだミシェルに告げる。
「お前はまだ戦闘経験がある筈だ。ついていってやれ」
まだ何が在るか分からない。こうやって消耗した所を狙ってきてこその奇襲だが、今回に限ってはよく分からないのだ。
「了解しました」
また忙しなくイリスの元まで歩み寄り、堅いコンクリートでまた濃い血痕を、その身体の輪郭にそって作るアンナを抱き上げる。せっかく血糊一つ無い白の長袖シャツが汚れてしまったことにため息をつきながら、今度は彼女をベンチにそっと寝かせてやった。
「イリスと俺はここで待機」
「はいっ!」
「んじゃ、ふたりとも。頼んだ」
『了解!』
意気込むように彼女らは声を揃えて、駆け足で公園を後にした。