十七音では足りなくて
一話完結の短編です。
分かりやすく、気軽に読める青春恋愛ものになっています。
よければ読んでいただけると嬉しいです。
――ガラガラ。
春の心地よい陽気が、部室の中では少し鬱陶しい熱気に変わる、そんな季節だった。
いつもと変わらない部室。
けれど僕にとっては、少しだけ特別な二人きりの空間。
僕には、好きな人がいる。
部室に入った瞬間、そんなことも知らない呑気な声が聞こえた。
「本日も 部活に来たな 少年よ」
この、どうしようもなく残念な一句を平然と詠んでみせる先輩こそ、僕の好きな人だ。
「部長、おはようございます」
「ちょっと! 部室に来たなら まず俳句!」
得意げな顔をしているが、俳句を詠んでいるというより、ただ言葉をそれらしく区切っているだけだ。
これで俳句部の部長を務めているのだから、困った人である。
「はあ……。
浮かれをる 句より声立つ 若葉風」
「うんうん。いいリズムの句だね! 悪くないよ!」
満足そうにうなずくと、部長はそのまま椅子の背にもたれかかった。
部長の詠む俳句より、浮かれた声のほうがよほど印象に残る――そんな皮肉を込めたつもりだったのだが、どうやらこの人には少しも伝わっていないらしい。
どうして僕は、こんな人を好きになってしまったのだろう。
「そういえばさ。部会で話題になったんだけど、文化祭で俳句部も何か出し物やる?」
「……部長は、どうしたいんですか」
「うーん……
部員二人しかいないし、面倒なら無理にやらなくてもいいかなって」
部長はボールペンを指先でくるくると回した。
「準備も大変そうだし、クラスの出し物もあるでしょ。
当日もずっと拘束されるかもしれないし……」
「部長は……その日、誰かと回る予定でもあるんですか」
口にした途端、自分でも露骨すぎたと思った。
それではまるで、部長の予定が気になって仕方ないと白状したようなものじゃないか。
じわじわと頬が熱くなる。
「ははーん。そういうことね」
――ぎくり。
もしかして、今ので気づかれたのか。
「い、いや……その」
誤魔化そうとしても、うまく言葉にならない。
けれど部長は、得意げに人差し指を立てた。
「本当は俳句、展示したいんでしょ?」
「……え?」
「やりたいけど、私に遠慮してるんだよね?
大丈夫だよ。私、別に何の予定もないから」
その言葉に、心の底から安堵してしまった。
そんな僕の表情を見て、部長はくすりと笑った。
「そんなに嬉しそうな顔して。
君はほんと、俳句馬鹿だね」
ああ、この笑顔だ。
無邪気に笑うこの人を見るたび、どうしようもなく胸が高鳴る。
「でも、やるならちゃんと俳句部の宣伝になる展示にしたいな」
「宣伝、ですか」
「うん。私も受験の準備したいから、夏を過ぎたらほとんど引退みたいなものになるし。
そうしたら、この部は君ひとりになっちゃうでしょ」
何気ない口調だった。
けれどその言葉は、胸の奥に小さく刺さる。
わかっていたことなのに、こうもあっさり口にされると、少しだけ苦しい。
「だから文化祭で、少しでも俳句部に興味を持ってくれる人がいたらいいなって思ってるの。
季節の句とか、学校っぽい句とか、何個か並べてさ」
「……いいと思います」
「でも、ただ並べるだけじゃ少しつまらないでしょ?
その中にひとつだけ、特別な句を入れない?」
「特別、ですか」
「私たちがお互いに向けて一句ずつ作るの。
それがどの句かをお互いが当てるっていうのはどう?」
部長は楽しそうににやりと笑って、僕を指さした。
「なんかゲームみたいですね」
「うん、そういうの!
あ、当たったらひとつだけお願いごとができるってことにしない?」
たぶん、部長にとってはいつもの思いつきにすぎない。
けれど僕にとっては、それは願ってもない機会だった。
文化祭の日。
部長への想いを一句にして、告白しよう。
「わかりました」
「決まりね!
先にわかっちゃったらつまんないから、文化祭当日までお互いの句は内緒ね!」
それから文化祭までのあいだ、僕は授業中も、自室にいるときも、何度もノートを開いては閉じた。
部長への想いのすべてを十七音に収めるには、あまりにも短すぎる。
僕が伝えたいのは、そんな一言で片づくものじゃない。
笑った顔も、呑気な声も、俳句の下手さも、僕を気にかけてくれる優しさも。
そのすべてを込めて、それでもちゃんと部長に届く一句にしたかった。
けれど同時に、この気持ちが伝わってしまうのが怖くもあった。
そうしているうちに、文化祭の当日を迎えてしまった。
◇◇◇◇◇
朝から校内はひどく賑やかだった。
廊下には各クラスの飾りつけが並び、あちこちから呼び込みの声が飛んでくる。
焼きそばの匂いや甘い匂いまで漂ってきて、普段の学校とはまるで別の場所みたいだった。
そんな喧騒から少し離れた空き教室の一つで、俳句部の展示はひっそりと行われていた。
教室の壁には、短冊がいくつも並んでいる。
季節の句。学校生活を切り取った句。文化祭の浮き立つ空気を詠んだ句。
派手さはないけれど、俳句らしい古風な飾り付けと、足を止めた人が一枚ずつ読めるようにと工夫された、俳句部らしい展示だった。
「どう? ちゃんと展示っぽくなってるでしょ」
入口で腕を組み、部長が得意げに笑う。
「大事なのは中身ですから」
「そっちはもっと自信あるんだけどな!」
胸を張る部長を横目に、僕は壁に並んだ短冊へ視線を向けた。
この中に、ある。
他の句に紛れて。
何気ない顔をして。
たった一つだけ、部長に向けて書いた僕の句が。
そして同じように、このどこかには、部長が僕に向けて書いた一句も混ざっている。
来場者は誰も知らない。
ただの俳句が並んでいるようにしか見えないはずだ。
これは、僕たち二人だけの秘密のゲームだった。
俳句部の展示はやはり学生にとっては地味なのか、人の出入りはほとんどない。
「例のゲームなんだけど……さ」
来場者が完全に途切れたタイミングで、部長がふいに視線を落とし、小さくつぶやいた。
「ちょうど今、人いないし。やっちゃわない?
わかったほうから順番に当てていくってことで」
「わかった方から、ですか?」
「うん。先に見つけたほうが先攻。で、そのあとは交互に」
いかにも部長らしい、思いつきのルールだった。
「まあ、君が私に向けて詠んだ句なんて、
すぐわかる気がするけど」
どくり、と心臓が鳴る。
鈍感な部長にそう簡単にわかるわけがない、とも思う。
けれど、本当にすぐ見抜かれたらと思うと、やけに喉が渇く。
「君のことだから、たぶん尊敬してるとか、憧れてるとか、頼もしいとか。そういう感じの句じゃない?」
「部長に一番似合わない言葉ばかりですね」
「言ったなあ。生意気だぞ、このこの!」
そう言って、部長は僕の頭をがしがしと撫で回した。
「やめてくださいよ」
そんな何気ないやり取りさえ、もう長くは続かないのかもしれない。
だから、このまま何も伝えられずに終わるのだけは嫌だった。
部長への想いを込めた僕の句は、このたくさんの短冊の中に紛れている。
見つけてほしい。
でも、見つけられるのは怖い。
そんな矛盾を抱えたまま、僕は壁に並んだ短冊を見つめた。
その中には、部長の句もいくつか混ざっている。
『短冊に 麦茶こぼして 駄目にした』
『かき氷 シロップ悩み 虹色に』
どれも相変わらずの出来だった。
けれど、その中に一枚だけ、目を引く短冊があった。
『夏ちかし 君との部室 のこしたい』
思わず、息を止める。
拙い句だった。
けれど、部長が何を伝えたいのかは、痛いほどわかってしまった。
俳句部は、部長にとっても大事な場所だったのだ。
僕とくだらないやり取りをして、ろくでもない句を詠んで、文化祭の展示まで一緒に作ったこの部室が。
そして部長は、自分がいなくなったあとも、この場所を残してほしいと思っている。
僕に、俳句部を存続させてほしいのだ。
そして、部長は僕に恋愛感情はない。
その気持ちもこの句から、なぜだか簡単に読み取れてしまった。
部長が見つめているのは、僕との時間が流れた俳句部であって、僕自身ではないのだ。
そう思った瞬間、自分の句がひどく身勝手なものに思えた。
部長は俳句部のことを考えているのに、僕の句だけは、部長への個人的な恋を詠んだラブレターみたいなものだ。
壁に紛れた自分の短冊が、急にひどく恥ずかしいものに見えた。
見つけてほしいと思っていたはずなのに、今はもう、見つからないでほしいとすら思う。
いっそ誰にも気づかれないまま、文化祭が終わってしまえばいい。
そんな臆病なことを、本気で考えていた。
「……あ」
不意に、部長が小さく声を漏らした。
びくりと肩が揺れる。
「わかったかも」
嫌な汗が背中をつたう。
部長は壁に並んだ短冊へ顔を寄せ、そのうちの一枚を指先で示した。
そこに書かれていたのは、
『炎天や 指に張り付く 白短冊』
だった。
「これでしょ?」
僕は、一瞬、言葉を失った。
まるで違う。
それは部長に向けて書いた句ではなく、部長へ向けた恋の俳句に行き詰まり、何も書けていない白い短冊が指に張り付いてくる焦りを詠んだだけの句だった。
「炎天下の中でもさ、ちゃんと毎日短冊に向かってる感じがするし。頑張ってる先輩を詠んだ句っぽい。これでしょ?」
部長らしい、見事なくらいずれた読み方だった。
けれど、そのずれ方が今の僕にはあまりにも都合がよすぎた。
「ねえ、どうなの?」
そう言って、部長が覗き込むように顔を寄せる。
その近さに、心臓が嫌になるほど高鳴った。
本当は違う。
本当に見つけてほしかった一句は、壁のどこかにまだ紛れたままだ。
それでも――
さっき部長の句を読んでしまった今、あの句を部長への想いだと差し出すのは、何か違う気がした。
部長は、僕を部活の後輩として見ている。
そんな相手に向かって、恋の句を突きつけるのは、ひどく場違いに思えた。
「……そうですね」
気づけば、そんな言葉が口をついていた。
「正解……です」
言ってしまった瞬間、胸の奥が鈍く痛んだ。
部長は一瞬だけ、驚いたように目を丸くした。
けれどすぐに、ぱっと明るくなる。
「やった! やっぱりね!」
小さく拳を握って笑う、その無邪気さが痛い。
「まさか一発で当てちゃうなんてね。ごめんね!」
部長はいつもより少しだけ大きな声で笑った。
「……いえ。さすがです」
違う。
そうじゃない。
そうじゃないのに。
否定する資格は、もう自分で手放してしまった。
部長は満足そうに短冊から手を離すと、得意げに胸を張った。
「じゃあ、私の勝ちね」
部長への想いを込めて詠んだ、見つけてほしかったはずの一句。
けれど今は、誰にも読まれないままでいてほしいと思ってしまう。
たぶんあれは今日ずっと、誰の目にも留まらず、ただの展示物の一枚として風に揺れているのだろう。
文化祭の終了を告げる校内放送が流れるころには、俳句部の展示を見に来る生徒もほとんどいなくなっていた。
「ねえ」
不意に、部長が手を止めた。
「ゲームの、勝ったほうのお願いごとなんだけど」
部長が頼むことは、たぶん俳句部のことだろう。
自分がいなくなったあとも、この部を続けてほしい。
きっと、そう言われる。
それはもう、あの句を読んだときからわかっていた。
「……はい」
僕は短冊をまとめる手を止めないまま答えた。
「君の書いた句で、ひとつだけ……どうしてもほしいのがあるんだけど。もらってもいい?」
思わず、顔を上げる。
「……別に、いいですよ」
「ありがと。じゃあ、これ持って帰るね」
部長はそう言って、一枚の短冊を素早く抜き取った。
どれを選んだのか、確認する前に。
それを大事そうに鞄へしまうと、部長は何事もなかったように片付けを再開した。
けれど、それからの部長はどこかぎこちなく、いつもより少しだけおとなしく感じた。
数日後。
文化祭で展示した短冊を整理していた僕は、ふと手を止めた。
「……ない」
部長に向けて詠んだ、あの句がなかった。
胸の奥が、ひどくざわつく。
「あのときのお願いって……まさか」
そこまで考えて、僕は首を振った。
都合よく考えすぎだ。
そう自分に言い聞かせながら、残った短冊を箱にしまう。
◇◇◇◇◇
「……いくじなし」
部長は持ち帰った短冊を自室の机にそっと立てかけて、小さくそうつぶやいていた。




