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「気がついたかい?」
「あ……わたし……」
茉理は起き上がり、当たりを見回した。
お化け屋敷の側にある、小さなベンチ。
彼女はそこに横たわり、側には雅人(素顔を隠すサングラス付き)が心配そうについている。
「先輩……戻ったんですか」
「1時間、経ったからね」
雅人はそう言うと、優しく微笑んで薔薇の花を一輪差し出した。
「香りを楽しんでご覧。少し気分が落ち着くはずだ」
「はい」
茉理は素直に花を受け取る。
雅人の薔薇には魔法がかけてあり、神経を鎮める効果があることを彼女は知っていた。
「驚いたよ。突然倒れてしまうなんて」
「すみません」
「臨場感があったってことかな。それは発案者として嬉しいけどね」
雅人は、まだ震えている少女の肩をそっと抱き寄せた。
「それだけじゃない。そうだね、姫」
甘く深い声が、茉理の耳をくすぐる。
真剣な目をして、雅人は茉理を伺った。
彼女は俯き、まだ身を震わせている。
「は……い……」
少女の唇から肯定の返事が出た。
雅人は痛ましげに茉理の髪を撫でると、あっちに行こうか、と彼女を立ち上がらせて、観覧車の方に歩いていった。
ゆっくり、ゆっくり、観覧車は上昇していく。
観覧車に乗って、茉理はやっと震えが収まった。
向かい側に座る雅人は、彼女が落ち着くまで黙って見守る。
しばらくして中ほどまで上がったとき、茉理はぽつんと言った。
「さっきの人形……」
「僕がこの世で一番嫌いな男をモデルに作らせた傑作さ。あいつがまだ一度もこの遊園地に足を踏み入れてないのが、残念でならないよ。見たらさぞや面白がるだろうからね」
皮肉を込めた雅人の言葉に、茉理は顔をあげる。
「やっぱりモデルって大和さんですね」
「姫は彼に会ったんだね」
雅人の質問に、茉理は、はい、とうなずいた。
唇を噛みしめ、それ以上言葉が出ない彼女に、雅人は静かに語りかける。
「彼はクリスティ一族に忠誠を誓う古い魔族の家の出だ。彼の忠誠心は、一族の誰もかなわないほどで、現総帥たる伊集院雷導様の信頼を得てしまった」
「忠誠心?」
「クリスティの家のためなら、彼はどんな犯罪でも厭わずに成し遂げる。己の魔力を十二分に駆使し、進んで自らの手を汚してきたんだ。それゆえクリスティ一族を影で支える功労者としてあがめられ、現総帥の片腕として、今は絶大の権力を持っている。帝と僕の教師だったことは前に話したよね」
「あ、はい、覚えてます」
「彼の言葉は総帥の意思として伝えられ、クリスティ一族の誰もが無視出来ない。たとえ帝であろうとも、現総帥の意向に逆らうことは許されないんだ」
「そうやって先輩たちを縛っているんですね、あの人が」
茉理の言葉に、雅人は驚いた。
「縛っている?」
「そんな感じがしました。先輩たちは、あの人のために自由になれない。そうじゃないですか」
「うまいこと言うね。その通りだよ」
雅人は薄く笑う。
「でも僕と直樹は違うかな。大和を恐れてはいない。むしろあいつが僕達を敵視し、向かってくることを望んでいる。そうすれば正当防衛で奴を倒せるからね」
「怖くないんですか」
「怖くないってわけじゃない。でも彼は、僕と直樹が大切にしているものを踏みにじろうとするんだ。それを守るためならば、僕達はどんなことでも出来るよ」
「大切なものですか」
「大切な仲間、アルツール・クリスティから受け継いだ魔族としての誇り。それを踏みにじられることは、体を切り裂かれるより痛いんだよ」
雅人の表情が、少し優しくなる。
己の心に宿る強い想いを話すとき、彼の瞳は静かに燃え上がった。
「雅人先輩」
「なんだい」
「あの人――大和さんが言ってたんです。わたしが一族を滅ぼす巫女だって。どういう意味なんでしょう」
「君が一族を滅ぼす巫女?」
「帝先輩をたぶらかしてるって言われました。わたし、別にそんなつもりはないんですけど」
しゅんとしてしまった茉理に、雅人はくすくす笑ってみせた。
「そんなことを言われたの? へえ、大和の奴、相当あせってるね」
「え?」
「姫、さっきも言ったけど、大和が帝を教育したんだよ。びしびしスパルタでね。そのおかげで彼は自らの持つ繊細で優しい心を、すべて封じ込めて軽視するようになってしまった。幼い頃受けた教育ってものは潜在意識に深く食い込む。それが誤ったものであったとしても、なかなかそこから抜け出すことは出来ない」
「うーん、何がなんだか」
「簡単に言えば、三つ子の魂百まで、かな」
「ことわざですか」
「意味はわかる?」
「はい。えーと、小さい頃に習ったことは、そう簡単には忘れないっていうことですよね」
「そうそう、帝は大和に受けた教育方針から抜け出すことが出来ないでいるわけ。それで今でも人格が二つのままだ」
「あ、でも最近、なんか二つの心がちょっとずつ合わさった帝先輩になってきてる気がするんですけど」
茉理は考えながら言った。
(そういえば、ここしばらくB君の方には会ってないわね)
「姫の言う通りだよ。君がイベント通過を果たした時に、帝の中でもう一つの人格を大切にする気持ちが芽生えた。最近の彼は、以前とは見違えるようになってきたよ。でも」
雅人は外を見下ろし、軽くため息を漏らす。
「大和にとって、そんな帝は認められないんだ。彼の理想とする主君は、強さこそすべての男に成長しないといけない。大和自身がそういう価値観の奴でね。多少の汚い手を使うことも、強い力を持つためには厭わない。彼が願う理想の主たれと、帝をしっかり教育したんだ。何故なら力こそすべての主君でなければ自分は認められず、たちまち地位と信頼を失ってしまうからね」
「なんかひどいですね」
「そう思うだろう? とても巧妙な感情の仕組みだよ。クリスティ家のためだと称し、彼があまたの犯罪を成し遂げて己の欲望を満たしていることに、僕と直樹は気付いてしまった。一見忠誠心熱い男に見えるかもしれないが、中身は自分のことしか考えてない愚か者。出来ればそんな奴は、帝が総帥になる前に掃除してしまいたいんだけどね」
「掃除って……」
容赦のない雅人の言葉に、茉理は驚いた。
「だから姫、君の力は大きいんだ。帝は君と付き合うことで、少しずつ本当の自分を取り戻してきている。大和はそんな帝を認められないから、君が帝をたぶらかしてるなんて言ったんだ。それだけのことさ。どっちが本当にたぶらかそうとしてるのかを考えれば、頭にくるけどね」
「そうかも。わたし、そんな気ないのにそう言われて、とても悲しくなりました」
茉理は素直に自分の気持ちを打ち明ける。
手を伸ばし、雅人は茉理の手をぎゅっと握った。
「こないだも言ったけど、帝を見捨てないでやって欲しいんだ。彼が大和の呪縛を自ら打ち破るためには、君が必要だと思う。帝だけじゃない、僕も直樹も、英司も斎も――あんな変な奴に目をつけられるなんて姫には酷なことだけど、どうしても君の温かい心が必要なんだ」
「わたし、そんな力なんてないですよ。横にいることぐらいしか出来ないと思うんですけど」
茉理はどきどきしながら答える。
「それで十分さ。そのかわり大和がもし姫に何かしたら、必ず僕達が守るよ。僕と直樹が君を助けるから安心しておくれ」
「はあ……」
茉理は、思わずぞくっとして身を震わせた。
(そっか。そういえば力をもらうとかなんとか言ってたっけ)
自分は帝に余計な感情を植えつける存在として、大和から始末されてしまうかもしれない。
そんな現実に思い当たり、茉理は背筋にすうっと冷たいものが走った。
雅人と会話をしている間に、観覧車は地上に着く。
「さあ、姫、お手を」
ポーズを決めながら、雅人は茉理の手を取って観覧車から降りた。
「ありがとうございました。えーと、雅人先輩、これからどうします?」
「僕は一旦、帝たちの所に行った方が良さそうだね。姫も来るかい?」
「……遠慮します」
「そうした方がいいかもね。帝が君を見たら、仕事なんて放棄しそうだ」
雅人はくすくす笑うと、じゃ、と片手をあげて踵を返す。
茉理も反対側の噴水に歩いていこうとした、その時――。
(へっ?)
一瞬、目の前を何かが通り過ぎた。
彼女は目を瞬かせる。
(何、今の黒いの……)
目をこすり、錯覚かな、とまた歩き出した。
だがまた目の前を、シュッと黒いものが通りすぎた。
「何?」
茉理は立ち止まり、辺りを見回す。
茉理だけではない。その場にいる通行人はほとんどすべて足を止め、怪訝そうに空を見上げていた。
「姫っ、危ないっ」
「え?」
突然背後から誰かに押し倒される。
彼女の体に、大きな体が覆いかぶさった。
(いたたた……何なの)
茉理は目を上げ、金色の髪を見て驚く。
「雅人先輩?」
「ふう、どうやら過ぎ去ったみたいだ」
苦笑しながら、雅人は茉理を離す。
(なんだっていうの?)
身を起こし、茉理は周囲を見て絶句した。
「なっ、何よ、これーっ」
遊園地の中を、こうもりとゴーストが超加速をつけて飛び回っている。
それだけではない。
あちこちでレジャー客の悲鳴があがる。
「わあっ、助けて」
「フランケンシュタインがあっ」
「オオカミ男だわ。生きてるわよ」
「吸血鬼が、どうして昼間に……」
(どうなってんの)
茉理は、口をあんぐりと開けてしまった。
先ほど見たお化け屋敷のモンスターたちが、遊園地を右往左往している。
しかも凶暴そうに見える顔を突き出し、中には腕を伸ばして人のリュックや鞄、みやげ物の入った紙袋を奪っていた。
アイスクリームやポップコーンの屋台は打ち倒され、従業員は魔女の箒の殴打に合い、逃げていく。
ベンチは投げ飛ばされ、中央のお城からは奇妙なドラゴンが出現して火を噴いた。
「あーららー。こりゃ、大変」
のほほーんとつぶやく雅人に、茉理はあわてて駆け寄って服の裾を引っ張る。
「ちょっとっ、そんなこと言ってる場合? なんとかしないと」
「なんとかと言われてもね。原因がわからないし」
「装置の故障とか、そんなんじゃないんですか」
「違うね、これは――魔法だ」
雅人にきっぱりそう言われ、茉理は驚いた。
「魔法? 誰かが魔法で、このモンスターたちを操っているの?」
「そういうことだね。操ってる奴がどこにいるのか、何が目的なのかわからないと、対処の仕様がないってことさ」
「はあ……」
雅人はにっこりすると、薔薇の花を空中に投げた。
「我が内に宿りし幻惑の光よ。命ある者を安らかな眠りをへと誘え」
彼が投げた金色の薔薇は空高く舞い上がり、空中にて留まる。
そして花びらから高貴な香りと金粉を撒き散らし、辺りを包んだ。
(綺麗……)
茉理は金色の美しい雨と甘い香りに包まれて、なんだか和やかな気持ちになる。
まわりを逃げ惑っていた人たちは、すべてその場に倒れて動かなくなった。
「大丈夫。みんな眠っているだけだ」
雅人はそう言うと、今度は胸の前で両手を結んで呪を唱え、地面に両手をついて声をあげる。
「魔獣償還。いでよ、影のオオカミ シャドウウルフ」
彼の足元に魔方陣が出来、その中から光と共に黒いオオカミが何百体も現れた。
(うげーっ、オオカミの集団だわ)
茉理は、あまりの数の多さと迫力にしりもちをついてしまう。
どのオオカミも黒く透けていて、陽炎のようにぼんやりした体をしていた。
「すぐに眠っている人たちを遊園地の外に運べ。一人たりとも残すんじゃないぞ」
雅人の命令に、オオカミたちはすぐさま散らばる。
一匹ずつ背に人を担ぎ上げ、門の方に駆けていった。
「避難対策は、これでO.Kと」
雅人は満足そうに笑むと、さて次は――と辺りをじっと睨む。
(どうなっちゃうんだろう、これから)
彼の背後で茉理は先行きの不安を感じ、あーあ、とため息をついた。




