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あれから何事もなく夏休みは過ぎた。
茉理は叔母の家から帰宅後、予定通り遠野家に行く。
斎は休み中やることがなくて退屈していたのか、とても喜んでくれた。
二人で魔法がらみの宿題を済ませ、時間のあるときは、あちこち遊びに行く。
これは帝にはまったく内緒の行動だったから、茉理はばれやしないかとひやひやしていた。
嫉妬深い彼のこと、もし茉理が自分ではない別な男子と遊びに行ったと知ったなら、いくらクリスティ一族の斎でもただでは済まないんじゃないかと思ったのだ。
でも意外なことに、帝とはあれからまったく会わなかった。
しつこく誘ってくるのかと思ったら、そんな気配は微塵もない。
斎に疑問をぶつけてみたら、帝は伊集院財閥がらみの仕事で忙しいらしいと教えられ、茉理は心底ほっとした。
『帝先輩に会えなくて寂しい? 後野さん』
斎に小さくからかわれ、彼女は真っ赤になる。
「ちっがーうっ。そんなこと全然ないってば」
『ふうん。顔が赤いけど』
「もう、遠野君。やめてよ」
茉理はばつが悪くなって、そっぽを向く。
(寂しい……のかな)
そうではないと思おうとしても、どこか空虚な心。
彼の存在が、否定しても自分の中でどんどん大きくなっている。
そのことを認めざるをえないのが、しゃくにさわってしょうがない。
(好きになっちゃ駄目だってわかってるけど……好き、なんだよね、たぶん)
Yパークで体験した出来事は、茉理に自分の気持ちを自覚させた。
時々思い出す、赤面物のダンスシーン。
そしてそのあと自分が帝そっくりの王子に叫んだ言葉ときたら――。
(うっわーっ、わたしのばかっ。なんであんなこと言っちゃったんだろう)
人形だったからまだ良かったけど――いや、やっぱり良くない。
突然黙り込んで顔を赤くしたり青ざめさせたりしている茉理を、斎は横を歩きながら怪訝そうに見守った。
(後野さん、なにか変だな)
自分の知らない変化が、彼女の中でおきている。
斎は不思議そうに首をかしげながら、薄い色の瞳で彼女をじっと見つめていた。
夏休み最後の日。
(うーっ、宿題、まだこんなに残ってる……)
計画性のない自分の性格を呪いながら、茉理は必死に机に向かっていた。
中学生になったというのに、小学校に通っていたときとほとんど変わったところはない。
ふうふう言いながら、なんとか数学の問題集を片付け終えたとき、久しぶりに声が響いてきた。
『茉理、聞こえるか』
(あ、帝先輩)
彼女ははっと顔をあげ、窓の方を見る。
声がしたので、つい外に目をやってしまったのだ。
(ってそんなわけないよね。思念会話は、どこにいても飛ばせるんだもん。すぐ外なんかにいるわけないか)
『おいっ、聞こえてるなら返事をしろ』
じれた声に苛立ちが混ざる。
茉理はあわてて返事を返した。
『聞こえてます。帝先輩、こんにちは』
『お前な。気付いてるなら、さっさと反応しろ』
それとも俺をじらしてるのか、といらいらした声が頭の中に響き、彼女は相変わらずだと溜め息をついた。
『すみませんね、反応遅くって。夏休み、全然会わなかったけど、お変わりないですか』
『彼氏に向かって言う言葉か、それが』
ますます彼の思念は機嫌を損ねていく。
茉理は、どう答えてよいかわからなくなって沈黙した。
(だってあんな事、言っちゃったし……って帝先輩は知らないんだけど)
黙ってしまった彼女に、小さな溜め息の気配が伝わる。
そしてまた言葉が送られてきた。
『今晩7時に迎えに行く。支度しておけ』
『は? 迎えって……』
歯切れの悪い返事に、帝はいらついた感情を込めて言葉を送り返す。
『夏休み最後の夜ぐらい一緒に過ごすぞ。ホテルのレストランを予約してある。夕食は食べずにいろ。いいな』
『って、えーっ、突然言われても……お母さんたちからどうやって許可もらおう』
気づかれないようぼそぼそつぶやいたつもりだったが、伝わっていたらしい。
更なる追加メッセージがやってきた。
『ご両親への対応ならあいつにやらせる。お前は何も心配せずに、家の前の通りで待ってろ。いいな』
そう言うなり、ぷっつりと思念は打ち切られた。
茉理は突然の決定にしばらく呆然としていたが、机の前を離れてベッドにドサッと倒れこむ。
(あーあ、もう。相変わらず強引なんだから。わたし、まだ行くよって返事してなかったんだけど)
枕を抱え、天井を見上げて茉理は軽く息を吐く。
でも全然嫌だと思っていない自分。
それを実感してしまい、尚更ばつが悪くなる。
(こういうの、本当に初めて……)
枕に顔をうずめ、茉理は思った。
大好きだったお兄ちゃんの時には、こんな感情は沸かなかった。
優しくて、いつも一緒にいたいと思う気持ちで一杯で、他の男の子のことなんて考えられなかったはずなのに――。
彼といると、すごく刺激的で感情が激しく揺れ動く。
辛くなったり哀しくなったり、側にいるのが嫌になったりもするけれど、胸の高鳴りや体温が一気に上昇するほどの熱い感情が沸きあがってくることの方が多く、正直最後は戸惑うばかりだ。
(あーもう、強引なところって本当に嫌いだったのに)
最近は慣れてしまって、それすらも許せてしまう。
斎には言えなかったけど、やっぱり少し寂しかったりしたのは事実だ。
彼と遊ぶのも楽しかったけど、帝とは違うから。
(お兄ちゃんとはまったく違うけど、やっぱりこれって恋なんだよね)
まだ心の中は複雑で曖昧だけど、たぶんきっとそうなのだろう。
茉理は多感な少女特有の瞳を揺らし、深い溜め息をついた。
結局悩みはそのままに、茉理は支度して通りに出る。
家を抜け出すのは、雅人に手伝ってもらった。
相変わらずの変身ぶりで、彼は茉理に化けると、すぐに彼女を瞬間移動の魔法で外に移動させてくれる。
「いってらっしゃーい。楽しんできてね」
そう言ってひらひら窓から手を振る自分そっくりの姿に、茉理は違和感しか感じられなかった。
(うーっ、変な感じ。自分に見送られるのって)
そのあとふっと嫌な記憶が甦り、茉理の顔は青くなる。
(あーっ、あれ、隠すの忘れてた)
雅人がお気に入りのフリフリレースとフリルのたっぷりついた、ピンクでイチゴ模様のお姫様ネグリジェ。
(雅人先輩、ぜったいアレ着るわよね。うわーっ、お父さんとお母さんに見られたくない。どうしよう)
そう思ったが、すでにあとのまつり。
黒塗り高級車がすっと茉理の前で止まり、運転手が下りて来て礼をした。
「後野茉理様ですね。帝様の命で、お迎えに参りました」
どうぞ、と後部座席のドアを開けてくれる。
身を硬くしながら、茉理は車に乗った。
(こういう対応って本当に疲れるわ。ううっ、緊張する)
お嬢様みたいな扱いは、いつものことだが慣れないものだ。
着ている白いワンピースの裾を直しながら、出来るだけ膝をそろえて淑やかに見えるよう、彼女なりに気を配る。
運転手は固い表情の茉理を乗せて、ゆっくりと車を出発させた。




