21
直樹の予感は的中した。
屋上へ上がった二人の目に映ったものは――。
「茉理っ、茉理、目をあけろ」
必死で少女をゆさぶる帝の姿。
彼の顔は今までにないほどあせりと緊迫感に満ちていた。
「どうした、まだ彼女は意識が戻らないのか」
あわてて帝の側に駈け寄り、直樹は少女の手首を取る。
「脈は別に正常だが――」
「本格的に眠り姫になってしまったようだね。ねえ、帝、キスはしてみた?」
雅人の茶化した口調に、帝はきっと彼を睨む。
「冗談を言ってる場合か。あの男はなんともなかったのに、こいつだけどうして……」
辛そうに顔をゆがめる帝を見て、雅人も顔を引締めた。
茉理の側により、額に手を当てる。
触れた手のひらから、自分の魔力をふきこんでみる。
「……反応なしか」
直樹は黒眼鏡をきらりとさせ、雅人と交代した。
同じように手を彼女に額にあて、意識を探る。
直樹の手から水の清浄な癒しの魔力が、茉理の体内を駆け巡った。
難しい顔をして、直樹は体内の液体――血を通して神経系統や脳波を探る。
しばらくして、溜め息と共に手を離した。
「彼女の意識は今体内から失われている。どこか別の空間を彷徨っているようだ」
「なんだって」
「俺にも理由はわからないが、なんらかの強い力が働いて、彼女の精神をどこかへ飛ばしてしまったんだと思う」
「そんな……この変な魔道装置は直樹、お前の作じゃないか。人の精神を奪って移動させるなんて、そんな恐ろしい機能をつけていたのか」
「俺はそんな仕掛けは作っていないぞ。現に天の川翔太は、無事に帰還している」
「じゃ、どうして姫だけこんな風になってしまったんだろう」
「まったくわからん。俺はずっと彼女と天の川翔太の状態をモニターでチェックしていたんだが」
直樹は言葉を捜すように、腕組みをして考え込んだ。
「外部から働きかける力など感知しなかった。これは内部にあったものによる作用だろう」
「でも内部の仕掛けは君が勢作したんだろう? 他に誰か手を加えた者がいるとでもいうのか」
「いない。一から十まで俺のオリジナルだ」
「じゃ、一体原因は何だ」
「わからん」
直樹はそう言うと、両手を胸の前でかざして口の中で呪を唱える。
両手の間から、四角いコンピューターのモニターのようなものが現れた。
「これがこのドリームライト城の全システムを管理している」
そう言いながら、彼はモニターに現れた画面をいくつか指でタッチする。
するとうつりかわる画面の中に、茉理と翔太の姿が出てきた。
「これが最後のシーンだな」
白い霧に包まれ、移動魔法が働き始める。
二人は船から現実世界へと移ろうとしていた。
その時。
「ええええええっ」
茉理の驚く声が、モニターを凝視する帝と直樹、雅人の耳に響く。
三人も目を丸くして、モニターに注目した。
茉理と翔太の手が重なったとき、彼女の胸からもっと強い光があふれて、画面を完全に覆いつくす。
「これは……」
帝は口の中でつぶやいた。
(まさかこれは、聖魔巫女の力?)
画面が真っ白になり、次の瞬間テレビの壊れたブラウン管のようにブーッと変な音を出して、いく筋も嫌な横線を走らせる。
三人は無言で、それぞれ視線を彷徨わせた。
「これは……俺たちの力では、どうしようもないな」
数分の沈黙の後、直樹が肩を落としてつぶやく。
「だね。これは僕たちには未知の力だもの。姫にしかあやつれない聖なる輝き――どうして発動したのかはわからないけれど」
瞳を伏せ、薔薇の花の香気を吸い込みながら雅人もうなずいた。
「待つしかないということか」
帝は苦々しげに言葉を吐くと、茉理の側による。
自分のゴタゴタした人間関係に彼女を巻き込んでしまっただけでなく、意識まで失わせてしまった。
彼はそっと茉理の手を握ると、まだ白い顔を覗き込み、心の中で思念を送る。
(茉理……どこにいる。早く戻ってこい)
意識がはっきりしたとき、そこは色のない世界だった。
茉理は自分が空に浮いていることにも驚いたが、すべてがセピア色の光景に目をしばたたかせる。
(ここって一体どこ?)
ここもまた直樹の作った不思議ワールドの一部なのだろうか。
それにしては、嫌に感覚がなかった。
自分自身がとても軽く、その場に当たり前のように存在する空気にでもなった気分である。
茉理はフワフワと漂いながら、眼下に広がる景色をじっくり眺める。
(この建物、見たことあるな。確か……そう、クリスティ学園だ)
自分の通う中等部の校舎を過ぎ、初等部、そして付属幼稚園。
幼稚園の園庭の上空で、茉理の体は留まった。
園庭からは、子どもの甲高い叫び声が聞こえてくる。
(なんだろ、あれ)
茉理は意識を集中し、もっと側に寄りたいと思う。
すると体はその思いの通りにすうっと降下し、園庭の片隅にある砂場の前に着地した。
園児二人を、困ったように先生が引き分けている。
どうやらけんかしたようだ。
一人はちょっと体が大きくて、見るからにがき大将のような男の子。
拳を振り上げ、目の前にいる女の子を殴ろうとしているが、そこを先生によって押さえつけらていた。
『駄目よ、翔太君。帝様にそんな態度は』
『うるさいっ、おいっ、お前、俺にあやまれよ』
『いけません。翔太君』
(えっ、帝様? 翔太君って……)
茉理は目を疑った。
目の前で真っ赤な顔をし、怒りまくっている少年をよく見ると、なんとなく面影がある。
(もしかしてあれって天の川先輩?)
そして彼の目の前には、唇を噛み締め、何かを我慢しているような様子のいたいけな女の子。
黒い髪、黒い瞳の小さくて可愛いとしかいいようのない存在。
(まさか、あれが帝先輩?)
茉理は頭が混乱した。
そう考えてみれば、確かに面影がないでもない。
でも短い髪には小さな赤いリボンをつけ、いでたちもスカートだったりするのだ。
(帝先輩って男のはずなんだけど、なんであんな格好を?)
何か理由があるのだろうか。
(もしかしてあれも先祖代々のしきたりとかそんなのだったりしてね。小さい時は女の子の格好をして生活すること、とか)
無理矢理そう自分を納得させ、茉理は二人の少年をじいっと見守る。
まさに一触即発の状態を、先生たちが必死に押さえつけていた。
幼い翔太は、真っ赤な顔で帝に怒鳴る。
『お前、本当は俺にあやまりたいんだろう。さっさとあやまれよ』
『……』
『俺に電撃ぶつけといて、その態度は何だよ。いつもミミズにだって、ふんじゃってごめんねってあやまるのに、どうして俺には言わないんだよ』
帝は悲しそうな瞳で翔太を見つめた。
『言わない』
『なんだと』
『僕は言っちゃいけないんだ。もう二度とごめんなさいって言ったらいけない』
『そんなのありかよ。俺、痛かったんだぜ。お前、俺に悪いことしたんだぞ。あやまれよ』
『……ごめ……』
言いかけて、帝はあわてて小さな口に手を当てる。
瞳を潤ませ、身を震わせながら、それでも絶対に謝罪の言葉を口にしなかった。
『翔太君。帝様はね、あなたと違うのよ』
先生が諭すように話しかける。
『帝様はね、とってもエライ人になるの。魔法使いの王様になるのよ』
『王様? こいつが?』
『そうよ。だからね、王様は簡単にごめんなさいって言わないものなの。今からその練習をしているのよ。あなたも王様にそんな態度をとってはいけないわ。翔太君も帝様の家来になる練習をしないとね』
先生の声が翔太の耳に入る。
それは更なる怒りを、男の子の心から呼び覚ました。
『何だよそれ。俺はこいつの家来じゃない。友達だ』
『……』
『こいつは王様じゃない。俺よりえらくなんかならない。こいつがえらくなるなら、俺はもっとえらくなってやる』
『まあ、なんてことを言うの、翔太君』
『俺、決めた。こいつより強くなる。こいつがごめんなさいって言えるようにしてやる』
帝は大きく目を見開いて、翔太を見た。
『翔太君』
『ふんっ、お前、本当は王様になんてなりたくないんだろ。だっていつも弱虫の泣き虫で、XXレンジャーごっこだって出来ないくせに。お前が王様なら、俺はもっと偉い大王様になってやる。そしてお前に必ずごめんなさいって言わせてみせる』
帝は息巻く翔太に瞳を潤ませる。
『でも僕……負けない』
『なにぃ』
『負けちゃ駄目なんだって、僕は誰にも負けないくらい強くならなくちゃいけないんだって』
哀しそうに小さな声で、そうつぶやく帝。
その唇は震え、声は今にも泣きそうだ。
でも瞳から涙は流さない。
ぎゅっと拳を握り、俯いて必死に我慢している姿は、見ているこっちが痛々しくて叫びたくなるほどだ。
(これって、帝先輩と天の川先輩の過去……)
茉理は目を赤くしながら、可哀相な姿の帝と彼を思う真っ直ぐ瞳の翔太を、じっと見つめる。
これが二人の諍いの始まりなのだと、彼女は胸の内で理解した。
(天の川先輩が帝先輩に執念深く突っかかっていくわけが、わかった気がする)
帝を嫌っているわけではなく、本当は誰よりも友達だと思っているから。
屈折しているけど、これも一つの友情なのかもしれない。
いつのまにか少女の頬を、熱い雫が伝って落ちる。
それが地面に吸い込まれた瞬間――。
その一点からまた白い輝きが溢れ、すべてを眩しいくらいの光で包み込んだ。
「ああーっ」
茉理は足元から広がる光に目を覆う。
セピア色の光景は白い光の中に淡く溶け、見えなくなった。
そして彼女自身も――。
瞼がなんだか重い気がする。
茉理は頭の片隅で、そんなことを考えた。
ゆっくりとだるい瞼を持ち上げると、目の前に今度はまた白が映る。
(今度は何……)
意識がゆるゆると全身に戻り、彼女は自分の上にあるものは白い天井だと悟った。
瞬きを何度かして辺りを見ると、今度は黒いものが目に入る。
黒い真っ直ぐな髪。
それに縁取られた端整な寝顔は、何故か子どものようにあどけなかった。
あまりにも無防備な彼の寝顔に、茉理はまたこれも夢の中のような気がしてしまう。
でも今度は夢でも魔法で作られた幻の世界でもなかった。
(帝先輩?)
身を起こして、茉理はもう一度辺りを確認する。
白く高い天井にはやたらと重そうな装飾をつけたシャンデリアが下がっており、彼女が寝ているベッドは大きくて、どう見ても一人用ではなかった。
枕元にはおしゃれなライトがついて、ふかふかの枕と羽根布団が彼女をしっかり包んでいる。
(すごいな。どこかの高級ホテルみたい)
そしてベッドの横にある椅子に、よく知っている彼が座っていた。
座っているというより、深く眠っている。
両手を枕にし、頭をベッドの脇にもたせて、彼は瞼を閉じていた。
(帝先輩がどうしてここに?)
状況がよくつかめないまま、茉理はそっと彼の黒髪に触れる。
寝顔は、さっきまで見た夢の中の小さな男の子のようだ。
(こうしてみると本当に綺麗な顔してるわよね。女の子の園服が似合ってたのもうなずけるわ)
そんなことを考えて、くすっと笑みをこぼしたその時――。
帝がゆっくりと瞼を開いた。
「茉理……」
「あ、あの、お早うございます」
黒い瞳に凝視され、茉理はばつが悪くなって手を引っ込める。
羽根布団の中でもじもじしていると、帝ははっと我に返り、身をがばっと起こして彼女に飛びついた。
「お前、起きたのかっ。具合はどうだ」
「え……あ、別に今はどこも大丈夫なようですけど」
彼の勢いに驚きながら、茉理は返事を返す。
「何が大丈夫だ、この馬鹿。人を散々心配させやがって……」
そう叫ぶと、帝はしっかりと茉理を抱きしめた。
「本当に良かった。もう目覚めないのかと思ったぞ」
「ええーっ、それはちょっと大げさかも……」
「何が大げさだ。お前、半日も眠ってたんだぞ」
「半日?」
茉理は一瞬何がなんだかわからなかったが、その言葉の意味を悟ると、顔が真っ青になってしまった。
「ええええーっ、半日? 半日ですかあっ」
「そうだ。XXランドでお前と別れてから、一晩明けて、今は昼だ」
溜め息をついて、帝は説明する。
「無茶しやがって――お前はいつもそうだ。これにこりたら少しは自重しろ」
「自重って……そういえば、さやかたちは?」
茉理の問いに、帝はふうっとまた息を吐く。
「人のこと心配してる場合か、まったく。お前の友達は無事だ。あの時天の川翔太によって捕らえられた人たちは、すべて解放されている。ついでに直樹の魔法で記憶を操作させてもらった。遊園地でぬいぐるみどもに襲われたなんてややこしい記憶は、日常生活に必要ないからな。消させてもらったよ」
「はあ」
「だからお前の友達も、すべて忘れているはずだ。遊園地にお前と来たことは覚えているが、パレードの時にはぐれたことになっているから、そのつもりでいろ」
「そうなんだ」
茉理は、まあ、その方がいいか、と深くうなずいた。
「夜は雅人をお前の身代わりに叔母の家に行かせておいた。だからお前のことは、全然ばれていない。安心しろ」
「そうですか、良かったあ」
茉理はほっとしたが、ふとあることに気付いて複雑な顔になる。
「って雅人先輩、変なことしてないですよね」
「大丈夫だとは思うが」
帝も顔をしかめ、曖昧につぶやいた。
(怪しい……)
その表情から茉理は一抹の不安を感じてしまう。
だがそれよりもっと気になることを思い出した。
「それであの、天の川先輩はどうなりました?」
「……」
彼のことを口にした瞬間、帝は瞬時に険しい目をして茉理を見る。
「あんな奴のことなんて気にする必要ない。忘れろ」
「え? でも」
「俺の女に手を出しておいて、ただで済むわけないだろう。ドリームライト城の最上階から突き落としてやった」
「えええーっ」
茉理の顔が瞬時に青ざめた。
「ま……まさか無事ですよね」
「無事でなかったら、何かまずいことでもあるのか」
「だって、そんなあ」
帝の容赦ない返事に、茉理は声をあげる。
(だって本当は天の川先輩、帝先輩のことを――)
先ほどの幻を思い出し、彼女は複雑な気持ちになった。
(帝先輩だって、わかってると思うんだけどな)
ちらりと彼を見ると、すごく不機嫌そうな顔で見つめ返される。
何も言えなくなって、茉理は溜め息をつき、羽根布団の中にもぐりこんだ。
(なんか疲れちゃったな。少し休もう)
もう一度全身の力を抜いて、彼女は目を閉じる。
身を横たえた少女の髪を、帝の手が優しく撫でた。
「お前は何も心配するな。俺が側についててやる」
温かい手の感触、ぶっきらぼうだけどいつもより柔らかな声。
そのどれもが彼女の心を静め、安心させてくれる。
ゆっくりと茉理の瞼は自然に下がり、また深い眠りに入った。
彼女の寝顔に小さな笑みが浮かんでいる。
帝は茉理が気息正しい寝息を立てるのを確認し、顔を近づけた。
「俺の個人的な厄介事にお前を巻き込んでしまった。次は絶対にこんな失態はしない。約束しする」
耳元に強気でささやいたあと、彼の瞳は小さく揺らぐ。
身をかがめ、帝はそっと茉理の頬にキスをした。
「……守りきれなくて、すまない」
かすかな謝罪の言葉は、声になるかならないかのつぶやき。
先ほどの発言とは全然違う、少し弱くて暖かい音。
彼女が目覚めたら一番に言いたかった言葉は、風に溶けて一瞬で霧散した。
せつなくて哀しそうな表情も――。
帝は身を起こすと、いつもの不敵な顔に戻り、茉理の布団を掛け直すと、足音も立てずに部屋から出て行った。




