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――やっぱり来なきゃ良かった。
Yパークの門の前で、茉理はとても後悔していた。
YパークはY町中心部から少し郊外にあり、規模はそんなに大きくないが、スリル満点のジェットコースターや多彩なアトラクション、そして今年はなんと特設プールがオープンした。
特設プールは日本一の長さを誇るジェットストリームなる名前の滑り台が設置され、今年はかなり盛況である。
夏休みのこととでカップルや家族連れが平日でもひしめき合い、なかなかの人数だった。
今もチケット売り場には、かなりの行列が出来ている。
(あーあ、どうして行くなんて言ったんだろう)
茉理は居心地が悪くて、ため息をついた。
彼女は今、ぽつんと一人で立っている。
もちろん側にはさやかや朱鷺ちゃん、梓の姿があるけれど、それぞれ彼氏が横にいて、なんか話しかけるのもはばかられた。
待ち合わせの門に着いた茉理に、閉口一番さやかが言う。
「ごっめーん、茉理。それがさあ。彼氏に探してもらったんだけど、バレー部の男子で今、彼女募集してる人いなくって」
「あ……そう」
「ま、そうしょげなくても大丈夫。プールに入れば、かっこいい人いるかもよ。あたしたちも探してあげるからさ」
(別にいいんですけど)
茉理は、心の中で思いっきり膨れた。
(わたしは彼氏募集なんてしてないし)
どうせ最初からそのつもりだったんだろう。
ちょっと申し訳なさそうにしながら、朱鷺ちゃんと梓も自分の彼氏と一緒にいる。
さやか自慢の緑川先輩は、すらりとしたさわやかな少年で、かなりかっこよかった。
梓の彼は同じく眼鏡をかけて小柄で、顔はいまいちだったけど、梓の側で嬉しそうにしている。
朱鷺ちゃんの彼は、いわゆる普通の男子って感じの特に目立たない少年だった。
(まあ、みんな、まともそうよね)
茉理は紹介された彼氏たちをちらりと見ながら、そう思う。
でもやはり容姿においては、クリスティ中等部生徒会メンバーにかなう男子はいなかった。
(さやかなんて帝先輩とか雅人先輩とか見たら、どんな反応するかしら)
密かにそう考えて、茉理は一人な自分を慰めていた。
門をくぐるとマスコットの像が立っており、みんな記念撮影をしている。
「私達も撮ろうよ」
さやかが彼氏の手を引いて、マスコット像の前に立った。
「まつりーっ、撮ってーっ」
「はいはい」
茉理は、さやかと彼氏のツーショットを撮る。
次に梓、朱鷺ちゃんと、それぞれ彼氏とのツーショットを撮ってあげた。
「茉理も撮る?」
そう言われて、首を横に振る。
マスコットの前で一人の写真なんて、あまり嬉しくなかった。
「じゃ、早く泳ぎに行こうよ」
緑川先輩の言葉で、7人はいそいそ右に進む。
「うわっ、すごい人」
「今日がジェットストリームのお披露目なんだ」
緑川先輩が説明してくれた。
「そうなんですか」
「うん。だから遊園地オーナーの記念イベントがあるんだって」
「それでこんなに人が多いんだ」
茉理は納得する。
「早く行こうよ、先輩」
茉理と緑川先輩が会話したのが気に入らなかったのか、さやかはぐいっと先輩の腕を引いた。
(あーあ、別にそこまで警戒しなくても)
茉理は心の中であきれてしまう。
悪いが、緑川先輩に対して何の気持ちもわかない。
帝に比べたら平凡な男子の一人に過ぎない気がして、茉理は関心もなかった。
(ま、いいか。泳ぐのは嫌いじゃないし)
さっさと更衣室に行きながら、茉理はふうっとため息をついた。
特設プールは肉眼で見ても十分に広い。
しかしその分、人も多かった。
「泳げるかなあ」
茉理はプールにすし詰め、泳ぐどころか動くこともままならない、人の詰まった状態を見て、うーんと思う。
さやかたちは人がたくさんいようがおかまいなしに、プールサイドで彼氏とはしゃいでいる。
(もう勝手にやっててよ)
茉理はそれでも人の少なそうな場所を見つけて、なんとかプールに浸かった。
プールサイド前方には、巨大な赤い滑り台が見えている。
(あれがジェットストリームかあ)
くねくねと曲がりくねり、最後まで滑りきるには相当時間がかかりそうだ。
滑り台の筒の中には勢い良く水流が走り、プールの中に流れ込んでいる。
(面白そうといえば、面白そうだけど……並ぶのが面倒ね)
すでにジェットストリームの脇は、長打の列だ。
茉理はぷかぷかと水に浮きながら、ゆっくりと泳ぎだす。
ついこないだカラスになったことを思い出し、くすっと笑った。
(なんか本当にあったことだったなんて思えないな)
突然、ジャジャーンと派手な音楽が流れ、茉理はびっくりした。
見るとジェットストリームの前に小さな舞台が作られて、イベントが始まろうとしている。
でもその前にはもう人が集っていて、茉理は何をやってるのか全然見えなかった。
(別にいいや。たいしたことしてないだろうし)
彼女はそう思い、もっと人のいない方へとばしゃばしゃ泳いでいった。
しばらく一人泳ぎを楽しんでいると、さやかと彼氏がプールの中で泳いでいるのが見えた。
緑川先輩にべったりくっついて、さやかは得意そうに泳いでいる。
対する緑川先輩は、何故かさやかから距離をおきたいかのようにぐんぐん進んでいた。
「もう、早いよ。先輩、待ってーっ」
きゃあきゃあ言いながら、さやかは先輩の後を追っかけていく。
茉理は突然一人身がむなしくなって、泳ぐのをやめて水の中に立った。
(ちょっと疲れたかも)
端によって、コンクリートのプールに持たれ、少し息を整える。
「おーい、茉理」
さやかが彼女を見つけ、寄ってきた。
「こんなとこにいたのね。誰かかっこいい人、見つかった?」
「別に」
茉理はさやかをじろっと見て、そっけなくつぶやく。
「そうよねえ。ま、がんばりなよ」
さやかは嫌味なほどにっこりしながら言った。
「あ、先輩、今度、あれ行こうよ」
「ジェットストリーム?」
「そうそう、茉理、じゃあね」
手を振り、さやかは先輩と腕を組みながらプールサイドに上がっていく。
茉理も泳ぐ気が無くなり、プールから上がった。
置いておいたタオルを肩にかけ、膝を抱えてうずくまる。
プールサイドは燃え上がるように暑いのに、何故か彼女はとっても冷え冷えとしていた。
(泳ぎすぎたのよね、きっとそう)
茉理はぬるいプールの水のせいにして、しばらく膝に顔をうずめていた。
すっと彼女の髪に、誰かが手を触れた。
「どうした、茉理。具合でも悪いのか」
「別に悪くありませんけど」
「なら、なんで泣いてる?」
茉理はほっといてくださいっと言いかけて、はっとした。
(この声!)
顔を上げると、そこには見知った黒髪と黒い瞳――。
「み……帝先輩!?」
茉理は驚いて飛び上がった。
「ど、ど、どどうしてここに?」
「今日はここでイベントがあってな」
帝は、何でそんなことを聞く、と不思議そうな顔をした。
「いべんと?」
「さっきやったろう。あの悪趣味ジェットのお披露目だ」
つまらなさそうに帝は答える。
「で、どうして帝先輩がイベントに?」
「お前な。ここは伊集院グループ系列のテーマパークだぞ」
そんなことも知らんのか、と呆れ顔で言い返され、茉理は顔が赤くなった。
帝は、茉理を引き寄せて肩を抱く。
「会いたかったぞ。なんで連絡してこない」
「別に……帝先輩こそ忙しそうじゃないですか」
「まあな。でもお前との予定は最優先させてやる。遠慮するな」
会いたいときはさっさと思念を送れ、とささやかれ、茉理はさっきまでの冷えた心が一気にかあっと熱くなった。
(もう、こういうのは駄目だってば)
彼女は、あわてて帝から身を引く。
そんな茉理の反応に、帝はぶすっとして言った。
「イベントの最中、プールを泳ぐお前が目に入った。俺の視線はいつもお前を見つけるのに、お前は俺を見てくれないのな」
「そんな……別に避けてるわけじゃないですけど」
茉理は戸惑いながら、ぼそぼそつぶやく。
「いーや、避けてる。夏休みの宿題だって、斎と一緒にやるそうじゃないか。何故だ、茉理。俺にもっと頼ってこいよ」
強引に顔を向かされ、茉理はどきっとした。
帝の綺麗な顔が目の前に来ていて、心臓に悪いことこのうえない。
顔を赤らめながら、茉理は帝を見つめた。
その目線が彼の心を騒がせる。
目が離せないとはこのことだ。
二人が寄り添って見詰め合っていると――。
「茉理-っ」
(げーっ、あの声はさやか!)
茉理は顔色を変え、帝から離れた。
「おいっ、茉理?」
「先輩、ちょっと離れて。他人のフリ、しててくださいっ」
「何故だ。どうしたんだ、茉理」
突然の彼女の反応についていけず、帝は茉理の手をつかむ。
「ちょっと知り合いがいるんですっ。お願いですから離してくださいってば」
茉理のあせる顔を見て、帝はいぶかしんだ。
「知り合い?」
「小学校のときの友達です。今日は一緒に遊びにきたんですけど……って、うわっ、見つかった」
ぼそぼそと最後の方は小声でつぶやき、茉理はあきらめて、さやかの方を向いた。
緑川先輩と一緒に歩いていたさやかは、茉理と横に立つ帝を怪訝そうに見る。
「ちょっと茉理、この人だあれ?」
さやかの帝をなめるように見る視線に閉口しながら、茉理はしぶしぶ紹介した。
「え……と、その、この人は同じ学校の先輩で、偶然ここで会ったの」
「ふーん、偶然なんだ、そう」
疑わしそうな目で帝を値踏みするさやかに、茉理は内心ため息をつく。
もう腹を括るしかない。
さやかの視線が、どんどん帝に向いていくのがわかる。
(そりゃそうよね、悪いけど帝先輩の方が、数段緑川先輩より上だって)
「ねえ、もっとちゃんと紹介してよ、茉理」
さやかの口調が変わった。
するりと緑川先輩と組んでいた腕をはずすと、彼女は帝の前に来る。
「初めまして、春日さやかです。茉理とは小学校のときの同級生で親友なんです。あの、良かったら名前を」
「伊集院帝。クリスティ学園中等部二年だ」
帝はぶすっとした顔で答えた。
「うわあっ、帝先輩ですかあ」
甘えた女の子特有の声で、さやかははしゃぐ。
(さやかってば、なれなれしすぎ)
茉理は不愉快そうに眉をしかめた。
緑川先輩の方をこそっと見ると、心なしか顔が白くなっている。
(しょうがないな、もう)
茉理は覚悟を決めて言った。
「あのね、さやか。帝先輩は、うちの学校の生徒会長なんだ」
「え? 生徒会長――ってことは、まさかあーっ」
さやかの声が上ずる。
何度も帝と茉理を交互に見返し、信じられないとつぶやいた。
「嘘でしょ。じゃ、貴方が今、茉理と付き合ってる人なんですか」
「そうだが」
帝は仏頂面で応じる。
彼のクールな反応に、さやかは思わず息を飲んだ。
(超かっこいいじゃん。茉理ってば信じられない)
彼ならば、なんでも許せてしまう気がする。
ゲームで彼女を決めているとか言っていたが、それはおそらくありきたりな告白や付き合いにあきてしまい、そんなことを思いついたに違いない。
(茉理なんかにもったいないわ)
彼女の目線がどんどん怪しくなっていくのを見て、帝は不快そうに目を細めた。
茉理も内心緑川先輩の表情が変わるのを、ひやひやしながら見守っている。‘
(まずいよ、さやかの浮気者。ちょっとどうしよう)
あせっていると――。
「ここにいたのか、帝」
「そうだよ、帝。客人の相手を全部、僕に押し付けて消えるなんて、ひどいじゃない」
(うーっ、もしかしてと思ったけど、やっぱりこの人たちもいたんだ)
茉理は、背後からかけられた声にげんなりした。
直樹と英司が、プールサイドを歩いてくる。
その場の空気が一気に変わった。
「お前ら、イベントの後始末は終わったか」
「終わったよ。ゲストへの挨拶とお礼、お見送り。こういうのは、伊集院財閥マスコット帝先輩のお仕事でしょ」
「俺は遊園地のぬいぐるみになるつもりはないが」
「だーっ、そうじゃなくて。今後の財閥発展のために、ちょっとでも顔、売っとかないといけないの。もう」
関心ないなんて言わないこと、ぶつぶつ英司がつぶやいた。
「あれ? 茉理姫もいたんだ。そうか、それで――」
英司はにやりと笑う。
「どうりで帝がすべての雑務を放棄して飛んでいったわけだよね。運命のいたずらか、偶然とはなんと驚く甘い罠を仕掛けてくることだろう。君と帝は運命の赤い糸で結ばれている。たとえどんな試練が来ようとも、この糸を断ち切ることは誰にも出来ない。なんて感動的な運命の再会なんだ! 僕の心は今、感激ではちきれそうだよ」
(……なんか、この山下先輩、変)
茉理ははっとした。
(そうか。中身は雅人先輩ね。でも外見変えても、あいかわらずだわ)
帝率いるクリスティ学園中等部生徒会には、副会長に伊集院雅人という3年の先輩がいる。
雅人は輝く金の髪と貴公子のような美しい容姿を持っているが、とある事情により、表に出る時は巣の顔で出ることは出来なくなった。
そのため得意分野の変身魔法を駆使して、別人に化けて外を歩くことにしている。
そしてまさに今、目の前にいるのが生徒会書記の山下英司に変化した雅人というわけだ。
さやかと緑川先輩の目が、別な意味であらぬ方に飛んでいる。
あわてて茉理は紹介した。
「あ、あのね、さやか、緑川先輩。こちらは帝先輩と同じくうちの学校の生徒会の人で、山下英司先輩と、森崎直樹先輩なの。先輩たち、こっちはわたしの小学校のときの友達で、春日さやかさん、横にいる人は緑川先輩で、さやかの彼氏なんです」
「よろしく、可憐なお嬢さん」
英司(中身は雅人)はにっこりと微笑むと、すっと薔薇の花を差し出した。
「お近づきの印に、この一輪をどうぞ」
「あ……ど、ど、どうも」
さやかは顔を赤らめ、うっとりしながら薔薇を受け取る。
外見は中身とは違うけど、英司も十分にかっこいい部類に入る顔立ちだから、それなりに格好がつく。
(雅人先輩、また余計なことを)
彼女の瞳がハートに染まっているのを見て、茉理はうめいた。
「あ、あの、みなさん、そろって遊びに来たんですか。よかったら、わたしたちと一緒に泳ぎません?」
さやかが弾んだ声で誘う。
3人はちょっと目配せをした。
英司(中身は雅人)が代表で答える。
「ごめんよ、そうしたいのは山々だけど、俺達には用事があってね」
「用事ですか」
「このあとテーマパークの責任者とスポンサー関係の人たちとの会食が入ってる。それから次は、新しく建設予定のアトラクションについての企画発表と、雑誌のインタビュー。夕方にはホテルに戻って、Y町の下請け企業との挨拶を兼ねた夕食会。就寝前までに明日の予定を組んでおくから、それにも目を通してもらわないとな」
マネージャーよろしく、直樹がずらずらっとこれからの予定を並べ立てた。
「はあ……」
茉理もさやかも目が点になる。
(とにかくよくわからないけど、忙しいってことだけはわかったわ)
茉理はとてもほっとした。
このまま一緒に泳ぐなんてことになったら大変だ。
英司(中身は雅人)が、にこやかに微笑みながら付け加える。
「せっかくのお誘いなのに、ご一緒出来なくてごめんよ、姫たち。そうだ、かわりと言ってはなんだけど、昼食をご馳走させてもらおうかな。メインストリートの一番右にあるレストラン、わかる?」
「あ、はいっ、あのおしゃれな噴水のあるとこですよね」
「そこを予約しておくから、プールのあとで、ゆっくりランチを楽しんでくれたまえ。じゃ、帝、行こうか」
「お前らで、あとの予定はなんとかしろ」
帝はすっと茉理の腕をつかんだ。
「行くぞ」
「って、駄目ですよ、帝先輩。ちゃんとお仕事してください」
みんな、困るじゃないですか、と茉理はあわてて腕を振り解く。
「仕事などいつでも出来る。俺にはお前との時間の方が大事だ。さっさと来い」
(真顔で言わないでよ、そんなこと)
茉理は思いっきり頬を染めた。
「駄目だよ、帝。君は今日はもう予約済みなの」
「さっさと済ませれば、後野さんとのデートを夜の予定に入れてやる。二人の時間が欲しければ、ノルマをきっちりこなすことだな」
直樹のとどめの一言に、帝はちっと舌打ちした。
茉理を引き寄せると、おでこをこつんとぶつける。
「すまないな。でも早く片付けてお前と遊んでやるから、待ってろ」
「あ……いいです。わたしのことは気にしないで、がんばってください」
茉理は心臓を高鳴らせながら答えた。
目の前に迫る黒い瞳の揺らめきに、心がぐっとせつなくなる。
帝はそんな彼女の反応に満足げに微笑むと、行くぞ、と踵を返し、2人と去っていった。




