15
(ここは……)
痛む体を起こして、茉理は辺りを見回した。
薄暗い場所だった。
頭の上から、ぽたりと冷たい雫が落ちる。
(なんか洞窟みたいだけど――どうしてここに?)
一生懸命、記憶を探る。
確か自分は天の川翔太に捕まって、帝を呼ぶための人質にされそうになった。
風で作られた太い綱に体をぐるぐる巻きにされ、身動きとれずにもがいていたとき、突然足元に黒い穴が出現し、翔太と二人で吸い込まれてしまったのだ。
(どうみても城の中じゃなさそうだな。またどっかの異次元世界かしら)
以前、帝と一緒に異次元に飛ばされたときのことを思い出し、茉理は溜め息をつく。
不思議と不安はなかった。
これからどうしようかという気持ちはあったが、ここから出れないかもしれない、という悲しい思いは、茉理の中に沸いてこない。
(ま、たぶん助けに来てくれると思うんだけどね)
あの帝のことだ。
自分の女がこんな変な次元に囚われてしまったと知ったら、持てる魔力を総動員させて、どうにでもしてくれることだろう。
そこまで帝への信頼度が高まっている自分の気持ちを自覚して、茉理は顔を歪める。
(あーあ、こんなはずじゃなかったんだけどな)
さっきのシンデレラの場面を思い出し、自己嫌悪に陥ってしまう。
(認めたくなかったし、こうなる前に気持ちを止めたかった)
彼と出会って3ヶ月。
会った当初は、どうしようもなく嫌な男だと思っていた。
それなのに結局彼の心の奥に触れていくたび、惹かれていってしまった自分。
茉理は身を洞窟の冷たい壁に持たせかけた。
(思わず口にしちゃったけど、やっぱり好きなんだろうな、わたしは)
帝先輩の事が。
自分自身に嘘をついてもしょうがない。もう認めるしかないのだろうと、茉理は頭をめぐらせた。
(まあでも自覚したってどうしようもないよね。一年後に失恋決定だし)
現実の世界では絶対に気持ちは伝えない。
一旦そう心を整理した彼女は、一つ息を吐いて気持ちを整えた。
(そういえばあの人、どうしたかなあ)
帝との対戦を願い、むちゃくちゃな作戦でぶつかってきた天の川翔太。
なりふり構わずというのは、ああいうのを言うんだろうなあ、と茉理は頭の中で先ほどの彼とのやり取りを想い返した。
(あの人って、どうしてこんなにも帝先輩にこだわるんだろう)
周囲の人間を巻き込み、何年もあきらめることなく、好敵手魂を燃やしまくって。
(そこまで出来るって、よっぽどの思い入れがあるんじゃないかな、帝先輩に)
単にコオロギ踏み潰して反撃された――それだけでここまで執拗に帝を追いかけられるものだろうか。
(今度会ったら聞いてみようかなあ。でも、もう二度と会いたいとは思わないけど)
溜め息をつき、茉理はじっと壁にもたれて痛む体を休めた。
ポチャッ。
何度目かの上から落ちる雫を頬に受け、茉理は少し身動きした。
体は大分落ち着いたし、何よりこの暗がりに目が少しずつ慣れてくる。
辺りの様子が、おぼろげながらわかってきた。
(やっぱり洞窟だわ)
細長い岩の通路が、ずうっと延びている。
先は暗くてわからないが、ここが行き止まりだということだけは、背後にそびえる岩壁がしっかりと教えてくれた。
(歩いていくしかないわね)
遭難したらその場から動かないのが一般的な対処法だが、歩いていけばどこか日の当たる場所に出るかもしれない。
茉理は心を決め、壁に手をついて起き上がった。
一歩、足を踏み出そうとして、はっとする。
横の岩が少し出っ張った所から、人のうめき声のようなものが聞こえた。
首を向けてみると――。
赤い装束と、鋭い手裏剣。
(ああっ、やっぱりこのはた迷惑な人も、ここに飛ばされてたのね)
茉理は一気に力が抜ける。
まだ起き上がれないのか、天の川翔太は岩の陰で伸びたままだ。
(どうしようかな)
茉理は考え込む。
本音は、ここにそのまま置いておきたい気もしたが――。
(しょうがないよね)
彼も一応、外に出たいだろうし、魔法の一つや二つ使えるだろう。
茉理は決心して、そろそろと彼の側に寄り、声をかけてみた。
「あの、えーと――天の川先輩?」
背中についっと触れたとき、がばっと彼は起き上がった。
「捕まえたぞ」
「きゃああっ」
突然押し倒され、茉理は悲鳴をあげる。
「ふふふ……俺が気絶したとでも思ったのか。この天の川翔太、これしきのことで参る男ではない」
「……」
「さあ、観念して帝を呼べ、女」
茉理はきっと翔太をにらみつけた。
「こんな状況で、よくそんなこと言ってられるわね。ここがどこだかもわかんないのに」
「何?」
茉理の両腕をがっちり掴んだまま、翔太は辺りを見回す。
見たことの無い風景に顔が蒼白になり、体を震わせた。
「なっ、なっ、なっ……」
「少しは考えてものを言った方がいいと思いますよ」
驚きで手を緩めた彼を軽く突き飛ばして、茉理は拘束から逃れた。
翔太は、まだ絶句している。
「なんだ、ここはどこだ」
「わたしにわかるわけないんですけど」
茉理は溜め息をつき、起き上がった。
「どこかの洞窟みたいですね」
「そんなのは俺だってわかるっ」
翔太も立ち上がり、青筋を立てて怒鳴る。
「わたしに怒鳴ってもしょうがないでしょ。とにかくここがどこなのか、そしてどうしたら出られるのか考えないと」
「くそっ」
最悪だ、と舌打ちする翔太を、茉理はじっと見た。
彼は腹立ち紛れに横の岩に拳を叩きつける。
「くっ、また失敗か。帝の奴め」
「あの……天の川先輩」
茉理はためらいがちに口を開く。
「なんだ、女」
「その女っての、やめてください」
茉理は頬を膨らませた。
「後野茉理って、ちゃんとした名前がわたしにはあるんです。女じゃありません」
「あとのまつり?」
一瞬、呆けて聞きかえされ、茉理は顔が赤くなる。
(うっ……そうだ。わたしの名前って、ちゃんとしてるっていうか)
火照る顔を俯け、茉理は次の言葉が出なかった。
「本当に本名なのか、それ」
「悪かったですね」
「ふうん」
思いっきり馬鹿にすると思いきや、翔太は何も言わない。
茉理は不思議に思い、顔をあげた。
彼はじっと茉理を上から下まで眺めている。
「天の川先輩?」
「いや、ナイスな名前だと思ってさ」
「えっ」
「名付けたのは誰だ。けっこう良い名前じゃん」
真顔で言われ、今度は別な意味で茉理はうろたえた。
名前を茶化されなかったのは初めてだ。
(なんか調子狂うなあ)
小さな溜め息をつき、茉理は視線を彷徨わせる。
「なんだお前、自分の名前、嫌なのか」
「え、まあ」
「いいじゃないか。誰からも一発で覚えられる名前なんて滅多にないぞ」
「はあ」
「超大うけするし親しみやすい。どこが気に入らないんだ」
腕組みをして、うんうん、なかなかいいじゃないか、とつぶやいてる翔太に、茉理は驚きが止まらなかった。
(変わってるけど、そこまで悪人って感じじゃないなあ)
そう思い、はっと気を取り直す。
(そうだ、わたしの名前なんかどうでもよくって、今は……)
先ほど言いかけた言葉を、茉理は口に出した。
「あの、先輩、聞いてもいいですか」
「なんだ」
「どうして帝先輩と勝負したいんですか」
「奴に勝つ。負けっぱなしは俺のポリシーに反するからな」
びしっと親指を立て、ポーズまで決められ、茉理はげんなりしながら続けた。
「それだけですか」
「何だと?」
「どうして帝先輩に勝ちたいんですか。誰よりも強くなりたいから?」
「……」
「それとも、何か他に理由が……」
翔太は茉理の凝視に合い、そっぽを向いた。
「お前に関係ないだろう、そんなこと」
心なしか頬が赤らんでいる。
茉理は、彼の態度に首をかしげた。
(なんかアレよね。そこまで帝先輩を超嫌っているって感じじゃないわ。むしろ……)
翔太の明後日を向いてる仕草を眺め、彼女の中にふとある考えが浮かんだ。
(え? まさか……違うよね。うん、そんなことってありえないって)
一瞬、思いついたことを、あわてて否定する。
(本当は帝先輩のこと、けっこう好きで、かまってもらいたいとか、認めてもらいたいとか――ははっ、わたしったら何考えてるのかな。馬鹿みたい)
茉理は小さく笑うと、翔太に言った。
「じゃ、行きましょうか」
「どこへだ」
「とりあえず、ここにいてもしょうがないと思うし、あっちの方に行ってみませんか」
茉理の指差す洞窟の先を見て、翔太は顔をしかめた。
「むやみに突っ込んでどうする。敵の罠かもしれんぞ」
「敵って、ここにどんな敵がいるっていうんですか」
怪訝そうに首をかしげる茉理に、翔太はあきれたような声をあげる。
「お前なあ、俺達は――少なくとも俺は、あの眼鏡野郎に厄介払いされたんたぞ。ここは奴の用意した侵入者始末用の空間に決まってる」
「はあ……」
腕組みして真剣に眉を寄せ、考え込んでいる彼の横顔をみながら茉理は思った。
(なんかますます調子狂うなあ)
抜けてるようで、実はかなりしっかりしてたりして。
思考はむちゃくちゃだが、まったくの大馬鹿というわけでもないらしい。
顔だって生徒会メンバーにはちょっと劣るけれど、十分女の子の好み許容範囲に入るだろう。
そこまで思って、茉理はちょっと顔を赤くした。
(やだ、わたしってば何考えてんの)
こんな観察をする必要なんてないのに。
うろたえる茉理を、不思議そうに翔太はねめつけた。
「さっきからわけのわからん女だな。ころころと顔色変えやがって」
「え?」
「さっきまでは、なんかこう嫌そうな顔して近づいてきやがったのに、そうかと思えば真剣な目で俺に質問しかけたと思ったら、今度は不機嫌そうに顔をしかめ、更にまぬけな顔までする。どこまでこう顔が変化するんだか。今年の帝は、随分趣向が変わったものだな」
「悪かったですね、落ち着かない顔で」
茉理はぶすっと答える。
「ま、いいけどな。しかし見ていてあきない顔ってのもあるもんだ」
やたらと感心され、茉理は更に不機嫌になった。
(ぜっんぜん褒められてるって気がしない。てか、褒めてなんていないんだろうけどね)
どう答えてよいかわからず、沈黙している茉理に、翔太はにやりと笑う。
「おしゃべりはここまでだ。行くぞ」
「は? あの、行くって……」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、と言うからな。この天の川翔太様を虎穴に入れたことを後悔させてやるぞ。はっはっはっ」
高らかに笑いながら、彼は茉理より先にさっさと歩き出す。
(なんだかなあ。そっちこそ考えがころころ変わって、ついてけないよ、もう)
半分あきれて彼の背中を見たとたん、ずるっと水に滑る音がして、つぶれた蛙のような声があがった。
「ちくしょう。こんなとこに誰が泥だまりなんか作りやがった」
足元に溜まっていた水と土のぬかるみに足を取られて、翔太がはまってしまったのだ。
「敵の罠か。こんなもので俺様の行く手を阻めると思うなよ」
ガッツポーズを決めながら、彼はよいしょと起き上がる。
忍者の装束が泥を吸い込み、気持ち悪い色になっていた。
(この先輩も、口調は帝先輩と良い勝負かな。俺様って自尊心だけは帝先輩に負けないかもね)
そんなことを考えながら、茉理は翔太の後に続いて、気をつけながら洞窟を進んでいった。




