頼んでないけど、マネージャー爆誕
屋上のフェンスに寄りかかりながら、俺は深呼吸を繰り返していた。
渚が見せてくれた動画。画面の中で俺が、いや、『ヒナ』が歌って踊って、ウインクしていた。あの映像が、頭から離れない。
『君だけを見てるよ☆』
「……落ち着け。落ち着くんだ、俺」
でも落ち着けるわけがない。あんな恥ずかしい動画が、今も120万回再生され続けているなんて。
「少し、冷静になった?」
隣で俺を眺めていた渚が、静かに声をかけてきた。
「冷静には、なったけど……」
俺は壁に背中を預けて、ずるずると座り込んだ。
「まだ受け入れられない。俺が、あんな……」
「無理もないよな。記憶がないんだから、実感が湧かないのは当然だ」
渚は淡々と言う。
こいつ、冷静だな。そういう性格なのか、それとも俺の状況を知っているから落ち着いているのか。
「でも、尾張は『ヒナ』として、超大人気。それは消せない」
「いや、今すぐに動画を消したいんだけど……」
「パスワード、覚えてないだろ?」
「……覚えてない」
そもそも、動画を投稿する方法だって知らないのに、無茶を言うな。
「なら、諦めるしかないよな」
「諦められるか!」
「じゃあ、どうする?もう一度アイドル活動を始めるか?」
「はぁあ?!絶対嫌だ」
即答すると、渚は楽しそうに笑った。なんだ、こいつ、意外と人を茶化すタイプなのか。
その時、屋上のドアが勢いよく開いた。
「日向くーん!見つけたー!」
振り向くと、明里が息を切らして立っていた。
ぴょんぴょんと髪が揺れて、大きな瞳がこちらを捉えている。
「何だよ」
「探したんだよ?昼休み一緒に屋上に行こうって言ったのに!」
明里はぷんぷんと頬を膨らませながら、俺たちのところまで駆けてくる。
そして何の躊躇もなく、俺の腕をぎゅっと掴んだ。
「うわ、ちょっと、近い」
「えー、なんで?いつも通りじゃん」
「いつも通りって言われても、俺、記憶ないし……」
「あ、そっか」
明里は首を傾げた。でも腕は離さない。
「えっと、明里……」
「真白だよ!」
「そうか、真白、は、俺のこと……その、ネットアイドルだったこと、知ってたんだよな?」
真白の手が、ぴたりと止まった。そして、ゆっくりと頷いた。
「うん。知ってたよ。ていうか、みんな知ってるよ」
「そっか……みんな知ってるんだ……」
「でもね、日向」
真白は俺の腕から手を離して、真っ直ぐ俺を見つめてきた。
「真白はね、『ヒナ』の動画、ぜーんぶ見てたんだよ。第1回から今は非公開になってるのも全部!」
「全部……」
「だから真白は、超ファン!そこらのニワカとは違うの!勘違いしないで!」
「別に、そこは気にしてない」
「真白はね、辛い時とか悲しい時とか、ずっと日向の動画見てた」
真白の言葉に嘘はなさそうだ。本気で、俺の、『ヒナ』のファンだったんだ。
「でもさ」
真白は少しだけ笑顔を消した。
「知ってるよ……日向くん、今は記憶がないんだよね」
「……ああ」
「そしたら、真白のことも、忘れちゃった?」
真白は俺の目を見つめたまま、静かに聞いてきた。
心臓が、跳ねた。
「え……」
「真白と日向と……小さい頃からずっと一緒だったんだよ。幼馴染なの」
「へー……そ、そうなんだ……」
「真白の誕生日は?」
「……」
「真白が一番好きな食べ物は?」
「……」
「真白とヒナが初めて会った場所は?」
答えられない。何一つ、答えられない。真白の顔から、笑顔が消えた。
「そっか……」
真白は俯いた。肩が小さく震えている。
「やっぱり、何も覚えてないんだ」
「真白……」
「ううん、いいの。わかってたから……」
真白は顔を上げた。目には涙が溜まっていた。でも、必死に笑おうとしている。その笑顔が、痛々しかった。
「日向くん、記憶喪失なんだもん。仕方ないよね……」
「……ごめん」
「謝らないで……日向くんが悪いわけじゃないもん」
「でも、お前のこと、何も覚えてなくて……」
「いいの……大丈夫!」
真白は涙を拭いた。そして、急に立ち上がった。
「真白がね、日向くんのこと、全部教えてあげる」
「え?」
「日向くんが好きだったもの、嫌いだったもの、全部。それでね、真白、決めたの」
真白は拳を握りしめた。さっきまでの涙なんて嘘みたいに、目がキラキラと輝いている。
「真白が、日向くんをもう一度立派なネットアイドルにしてみせる!」
「は?」
「だって、日向くんは『ヒナ』だから!なら、もう一回歌えばいいじゃん!」
「いや、ちょっと待て……」
「待たない!真白、日向くんのマネージャーになる!」
「マネージャー!?」
「そう!真白が日向くんを特訓して、『ヒナ』を復活させるの!大丈夫大丈夫、真白に任せて!」
真白の目は本気だった。いや、むしろ怖いくらいに燃えている。
「真白、日向くんの歌が大好きなの。だから、もう一回聞きたい」
「でも、俺、歌なんて多分無理だと思……」
「大丈夫!真白がついてるから!」
真白は自信満々に胸を張る。根拠はどこにあるんだ。
「それに、日向くんが記憶を失ってても、真白はちゃんと覚えてるもん。日向くんがどんな人だったか、どんな歌を歌ってたか、全部」
真白は俺の手を握った。
「だから、一緒に思い出そう?」
そう言われても、返事ができない。
記憶が無い俺を心配して、励ましてくれているのはわかる。
でも俺は、ネットアイドルに復帰できないことは別に心配していない。
それよりも動画の消し方を教えてくれる方が助かる。
しかし、真白は俺が黙っているのを肯定だと勝手に解釈した。
「じゃあ、明日から特訓開始だね!」
「明日から?特訓?」
「当たり前でしょ!早速、明日の朝6時に日向くんの家の前集合!」
「6時!?」
「ランニングするの!基礎体力大事だから!あ、それと発声練習と、ダンスの基礎と、カメラワークの勉強と……」
「ちょ、ちょっと待て……」
「待たない!じゃあ、真白、教室戻るね!明日の準備しよーっと」
真白は手を振って、屋上から駆け出していった。
嵐のような女子だ。残された俺と渚は、しばらく沈黙していた。
「……なんか、すごいことになったな」
「明里さん、ああ見えて行動力はあるからな」
渚は相変わらず淡々としている。
「行動力、ありすぎだろ……」
「でも、まぁ、いいんじゃないか。一人で悩むよりはマシだろ」
渚は立ち上がって、屋上のドアに向かう。
「尾張、あまり考えすぎるなよ。って言っても、難しいだろうけど」
「……ああ、わかった」
一人になった屋上で、俺は空を見上げた。
青い空に、白い雲が流れている。記憶はない。過去も知らない。
でも、真白は過去の俺をよく知っているみたいだし、真白と一緒にいれば何か思い出せるかもしれない。
「『ヒナ』か……」
その名前を口にすると、不思議な感覚になる。
記憶にないはずなのに、どこか懐かしいような。
まあ、とりあえず明日の朝6時が心配だ。ランニングなんて、できるだろうか。




