本家の女(ひと)
かなこさんの後を歩き、俺たちは村の中ほどまで上がってきた。
起伏がなく、起伏の度合いで言えば一番穏やかな場所だった。
道は分かれていて、そこから先はまた急な坂になって、村はさらに上まで続いているようだった。
我々は分岐を上らず、いくつか家が並んでいる中で、最も大きな敷地を持つ家の前へとやってきた。
「ここが、本家じゃ」
「火流矢さんの家?」
「そんな名前は聞いたことがないと申したが」
妹が口を開いた。
「本家とはなんと言うお名前なのでしょう」
「そら、本家なんじゃから『蛭子』にきまっとろうが」
「蛭子さんですね」
俺は嫌な予感がしていた。
そして、その通りのことが起こった。
「なんですか、あなたたち」
声のする方を振り返った。
先に予感があったため、俺は驚かなかった。
ひろこは、少なからず驚いたようだった。
そこには大柄の女性が立っていた。
問題はそこではない。
まるで近づいている気配を感じないのだ。
まるでその足元の『影』がら生えてきたように、突然現れる。
かなこさんも、しず子さんもそうだった。
俺はそうしたことに気づいていたため、今回もそうではないか、と予測が立てられた。
だが、かなこは気づいていないのか、気づいていても、あまりにありえないことだからか、いずれにせよ、驚きの反応を示したのだった。
「佐藤と申します。火流矢さんを探しにこの村に来たのですが……」
俺の言葉を遮って、かなこさんが言った。
「存外に村がおおきゅうて難儀しておるところじゃ」
かなこが何かを見せたのか、本家の大柄な女性は急に笑顔を作った。
「そうか。そうか。村のことならば、当家に任せておけば良い。すぐにも探させよう!」
本家の人は、そう言うと家に入って行った。
「……」
俺と妹は顔を見合わせてから、かなこの方を見た。
かなこは、家の玄関の方を手で指し示した。
「入ったら?」
家からさっきの人が戻ってくると言った。
「どうぞお上りになって」
俺と妹は頭を下げると、玄関から家に入った。
後ろを振り向くと、かなこが扉を閉めてしまった。
「……」
玄関を入ると、まっすぐ奥へと続く廊下があり、本家の人の姿は見えなくなっていた。
どこに行ったのだろうと思いながらも、靴を脱ぎ、家に上がった。
「ごめんください……」
ゆっくりと廊下を奥に進んでいく。
妹は俺の腕を掴んで警戒するようについてくる。
「早く行かないで」
「ゆっくり歩いてるだろ」
床板が軋むようになると、ひろこは俺の腕を強く引いた。
「床が鳴っただけだ」
「わかってる」
「引っ張るなよ」
知らない家の雰囲気が怖く感じているだけだ。
この状況のどこにも怖がる要素はない。
「名前だけでも聞いておくべきだったな」
「苗字は蛭子さん、ってそれはわかってるでしょ」
「そうか」
俺は『えびすさん』と声をかけながら、廊下を奥へと進んだ。
ゆっくりと進むと、廊下は突き当たりになり右と左に分かれていた。
「ここで分かれて、別々に探すか?」
「無理」
妹が腕を引くので、俺たちは突き当たりを左に曲がった。
俺たちの歩き方に合わせ、小さく、小刻みに床は軋んで音を立てる。
廊下は程なく角についた。
ここまで部屋はあったが、障子の先には明かりがついていなかった。
「戻ろう?」
妹が言った。
戻りたいというニュアンスの疑問形だ。
「おい、あれ」
少し障子が開いていて、中が見えていた。
「あっ、いるかのかな」
「待て」
俺は妹の手を引いて抑えた。
「よく見ろ」
部屋の奥に、角材で格子状に組んだ仕切りがあった。
時代劇などで見る牢のようだ。
いや、横溝正史などに出てくる座敷牢というべきだろうか。
私宅監置という制度があった頃、このような牢に許可を得て監禁していたとも聞く。
本当にそこにあるのを見たのは初めてで、俺はゾッとした。
「な、何あれ」
「座敷牢かな」
「そうじゃなくて……」
俺たち以外の廊下が軋む音が聞こえた。
妹と二人、元来た方へ慌てて戻った。
玄関から続く廊下に出て、玄関の方へ戻ると、後ろから声をかけられた。
「どこにいらしていたので?」
俺たちはゆっくり振り返った。
「急に姿が見えなくなったので、おトイレを探していました」
「トイレはこちらになります」
「あ、あたしも」
俺たちが本家の方の脇を通り過ぎる時、
「お探しになっている人については、知っている者がいないか、村に指示をしましたので、じきに分かりますよ」
と言われた。
「ありがとうございます」
俺たちは突き当たりを右に曲がり、木の扉で仕切ってある小部屋を見つけた。
「和式じゃない……」
「これ、どうやって使おう」
妹と俺はどっちが先にトイレに入るか悩んでいると、
「くれぐれも落ちないでくださいね」
「蛭子さん、お名前をお聞きしても」
妹が訊ねると、女性は言った。
「ゆき子と申します。佐藤さんはご兄妹でしたか?」
「私が妹のひろこで、兄は基樹といいます」
「そうですか…… お探しの方の事、すぐわかると思いますから」
ゆき子さんは頭を下げると、扉を閉めた。
結局、俺が先に入ることになり、用を済ませた。
妹が入る前、音を聞かれたくないという理由で、俺は廊下に出された。
廊下にゆき子さんがいるものと思っていたが、誰もいなかった。
ゆき子さんの柔らかな態度のおかげか、俺の漠然とした不安感は無くなっていた。
妹がトイレから出てくると、俺たちは廊下を戻ってT字の場所を、玄関の方へ進んだ。
俺たちは、また後ろから声をかけられた。
「ああ、ゆき子さん」
「……」
何か反応がおかしい、と思った。
声をかけてきた女性は、しばらくこっちを見ていたが、口を開いた。
「しばらくお休みください。お部屋はこちらを」
彼女は障子を開いて、俺たちを部屋に案内してくれた。
「外は暑かったでしょう? 今、お水を持ってきますから」
妹もゆき子さんの様子がおかしいと思ったのか、俺の方を見てきた。
疑念を言葉にした。
「あの、ゆき子さん…… ですよね?」
「ああ、だから変な目で私を見ていたのね。私は『華子』です」
「ぜ、全然見かけで区別がつかないです」
華子さんは笑った。
「ゆき子お姉さん、何の説明もしていないのしら。私たちは三つ子なのです。服も同じものを着てしまうので、よく知る人しか区別はつかないでしょうね」
「声が少し違うようですが」
「あっ、それは、よくお気づきになりましたわ」
華子さんは座卓と、座布団を二つ、並べて用意した。
「すぐ結果はわかると思います。お座りになってお待ちください」
俺たちが座るのを見ると、華子さんは部屋を出て行った。
三つ子は初めて出会ったと俺がいうと、妹は学年に双子がいたことすらないと言った。
俺たちがそんな話をしていると、水を持って戻ってきた。
水のコップをそれぞれの前に置きながら、
「街は『水道水』何でしょう? 村では井戸水を飲んでいます。冷えすぎないから体にはいいですよ」
俺は出されるなり、コップを手に取り、ぐっと飲み切ってしまった。
妹は少し飲むと、座卓にコップを置いた。
「もう一杯、持ってきましようね」
「ええ、お願いします」
彼女は俺が飲んだコップを持って、部屋から出ていった。
「よく飲めるわね」
「別に普通の水だろ?」
「変に温くて」
俺はそうだったかな、と思い返した。
外気とは違って適度に冷えていて、俺にとっては水を飲むのにはちょうどよかった。
妹はもう一度水を口に含み、それを飲み込むと、言った。
「お水で思い出した。彼、水道水を飲むとお腹を壊すって言ってた。村の水に慣れていたせいかなって、言ってた」
「お腹を壊すかどうかはわからないが、確かに、少しクセはあるな」
水に酸味があるというのか、しょっぱい感じがある。
話していると、すぐにコップを持って戻ってきた。
「はい。どうぞ。おかわりがいるなら、すぐに言ってくだされば、持ってきますね」
俺はコップを手に取りながら、頷いた。
妹が訊ねた。
「そろそろ、結果はわかりませんか?」
「ああ、全部わかってから教えようと思っていたのよ。今のところ、どこの家からも『火流矢』さんの話は出ていないわね。あと一軒から連絡が来れば、おしまいなのだけど……」
俺にはその声が、遠くの屋外スピーカーから流れる行政の放送のように、音がうねってしまい。ハッキリ聞こえなかった。
感覚も弱くなったり強くなったりしているせいで、妹の声も、理解しづらくなっていた。
「その連絡が来ていないお家というのは?」
「坂下の端にあるお家で、何か、数日前からお客様が来ている話がありました。その方が火流矢さんかは存じませんけど…… 何か重大な話に来たとかで……」
女性はそこまで言ってから立ち上がり、部屋を出て行こうとする。
妹は立ち上がった。
俺は思考すらぼやけてきていて、立ち上がることも、声も出なかった。
「待ってください。その人の話を教えてください」
二人は部屋を出ていく。
「何でもその男の人、今度、首都圏で結婚するとか言ってたんですが、急に体の具合が悪くなったらしくて」
「その坂下の端にある家ってどれでしょうか? 私、直接訪ねてみます」
俺は、体が保てず畳の上に倒れてしまった。