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いつか捨てられるその日まで〜愛されない妃のはずなのに夫の過保護が止まりません  作者: 北館由麻
第三章 愛のない結婚の終わり

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光の届かない場所・1

 めそめそと長い時間泣いていたようだ。

 涙は枯れたが、目が腫れている。悲しいのか、悔しいのか、自分でもよくわからない。

 泣き疲れて何もかもがどうでもいい気分だった。

 

 周囲では女の子たちがひそひそと話す声がする。

 ルナリアはようやく顔を上げ、おそるおそる周囲を確認した。泣き腫らした目にはぼんやりとしかみえないが、曇天の下で人々が大きな通りの端に並び、期待に満ちた表情で同じ方向へ視線を向けている。


「もうすぐよ。あっ、見えた!」

「えっ、どこ? 見えないわ」

「ねぇ! トレヴァー様が先頭じゃないかしら」

「ええっ! 見えない」


「キャー! かっこいい!」

「トレヴァー様、髪を伸ばしていらっしゃるのね」

「王都で流行っているみたいよ。赤い髪が素敵よね」

「トレヴァー様ならどんな姿も素敵じゃない?」


 興奮気味に話す少女たちの中にいたはずのルナリアは、彼女たちの背後で完全に気後れしていた。


(夢……かしら?)


 頭の片隅でそう思う。前にも一度見た光景だ。


(確かトレヴァー様が少年騎士団を卒団する年のパレードだったわ。ちょうど婚約の話が出ていたから、友達からすごく羨ましがられたのよね)


 気がつけば少年騎士団の一行がすぐそばまで近づいてきていた。

 ルナリア以外の人々は熱狂に包まれていて、手を振ったり、大声で歓声を上げたり、少しでも近くで見ようと、前列との距離を詰める。


(困ったわ。私に気がつかず、通り過ぎてくれたらいいのに……)


 ルナリアのささやかだが切実な願いも虚しく、トレヴァーは馬上からめざとく彼女の姿をとらえると、「ルナリア!」と手を挙げて呼びかけた。

 途端に周囲の人々の視線がルナリアへ集中する。


(そうだったわ。あのときは誇らしく感じた出来事も、今になってみると胸が痛い。周りの人たちがうわさしているのは、私のことだとわかってしまうから……)


「あの絵のモデルの子ですって……」

「確かに大人びた子ね」

「トレヴァー様は面食いなんだな」

 

「ベレット子爵のところのお嬢さんか。トレヴァー様と結婚したら、ベレット子爵の爵位が上がったりするのかね」

「たぶんそうなるよ。一気に公爵になってもおかしくない」


 下世話な噂話など気にする必要はない。そう思っても胸が痛む。

 できるなら耳を塞いで、この場から逃げ出したい。

 

 こんなときジェレルだったら、ルナリアを見つけても声をかけないような気がする。それを冷たい仕打ちと思っていたこともあるが、それこそが彼の思いやりだと知ってしまった今は、彼の素っ気ない態度や簡潔すぎる言葉が懐かしくて恋しかった。


(ジェレル様……)


 ふと、手のひらに温かい感触を覚え、手元を見ると、いつの間にか布でできた人形がルナリアの手に握られていた。立派な服を着た男の子だ。

 それは子どもたちが人形遊びに使うもののひとつで、金の刺繍が施された紺青色の上着は王子の象徴である。


 ルナリアは合わせた両手のひら上に乗せ、よく観察してみる。すると胸から腹部にわたり裂けたような穴が空いていた。


「まぁ、大変! 穴を縫わなくては……」


 思わず声を上げると、背後からルナリアの肩越しに覗き込んでくる人の気配を感じた。

 一瞬で身を硬くするルナリアのことなどお構いなしに、その人物はのんきに言った。


「君は縫い物が苦手だろう。私に貸しなさい。きれいになおしてあげるよ」


 その声を聞いた途端、ルナリアの手が小刻みに震え出した。

 それを悟られないように、手のひらを閉じて人形を隠す。


「いいえ、結構です」

「なぜ? ああ、もうその人形は捨てるのか。穴が空いていると中の綿が出てきてしまう。見栄えもよくないから仕方がないね。では私が新しい人形を買ってあげるよ」


「この人形は私がなおします。誰にも渡しません。絶対に私がなおしてみせます!」


 ルナリアは人形を胸に押し抱き、後ろを振り返った。

 フッと背後にいた人物の気配が消える。


 目を大きく見開いたルナリアの視界の(はし)に、上下とも黒い服装の黒髪の男性がぼんやり映る。


(ジェレル様……?)


 少しずつ近づいてくるその男性は、姿形がジェレルによく似ていた。

 だが、顔が判別できる距離に来たとき、ルナリアは思わずため息をついた。

 それに気がついた男は悲しげに微笑む。


「がっかりさせたようだね」

「いいえ」


 その男が指を鳴らすと、周囲は急に砂浜と青い海に変わる。

 ルナリアにとっては見慣れた懐かしい風景だった。


「これは夢ですね。私の夢の中……」

「そうだ。驚かないところを見ると、君は私のことを知っているようだね」

「ジュヌ王……陛下ですよね」


 ルナリアがそう答えると、男は海のほうを見てフッと笑った。


「驚くほどよく似ているが、やはり君は彼女ではない。君の名は?」

「……ルナリアです」


「ほう。花の名前だね。名前も似ているが、全然違う。君のご両親は賢い方々なのだな」

「私が似ているのは……その、月の女神様に……でしょうか」

「そうだ。彼女は『ルナリス』と名乗っていた」


 ルナリアは何度か素早くまばたきをし、口の中で小さく「ルナリス」とつぶやいた。

 ジュヌが波打ち際に向かって歩き出す。

 それをルナリアも追いかけた。


「私は長い間ここで誰に会うこともなく、気が遠くなるほどの時間をひとりで過ごしてきた。あれからどれくらい経ったのだろう」

「ジュヌ王が生きた時代は三千年前……です」

「そうか。もうそんなに経ったのだな」


 ジュヌは足を止めて、ルナリアを振り返る。


「君に会ってみたかった」

「……私に? なぜ?」

「ルナリスが君を助けたからだ」


(月の女神が、私を……助けた?)


「私も君を助けたかった。しかしこの海は物理的に遠くて、アレもまだ子どもだった。できる限りのことをしたが、君を助けるまでには至らなかった」

「何のことか……わかりません」

「それでいい。君は人間だ。肉体と魂は分かちがたく結びついている。怖いと思えば体が震える。そういうものだ」


 それと月の女神がルナリアを助けたことにどんな関係があるのか、ルナリアには皆目見当がつかない。

 ジュヌは困ったように眉根を寄せて微笑んでいる。その表情がどこかジェレルに似ていて、胸がギュッと締めつけられた。


「トレヴァーのことは嫌いか?」


 ジュヌの唐突な質問に、ルナリアは困惑した。


「嫌いというわけではないのですが……」

「でも好きではない」

「なんだか……最近のトレヴァー様は、知らない人のようで怖いのです」

「そうか。トレヴァーは光の届かない場所にいるようだ」


 ジュヌの顔から笑みが消えた。

 その瞬間、取り返しのつかない事態が起きてしまったのだ、とルナリアは悟った。

 いてもたってもいられないほど、胸の中が騒がしくなる。


「ジェレル様は……どうなるのですか」

「わからない」

「命だけでも助けてもらえませんか」

「私にできることは何もない」


(そんな……!)

 

 ルナリアは腹が立った。ウィンスレイドを建国した英雄に対して腹を立てるのは恐れ多いことだが、そもそも魔剣の持ち主であるジェレルを刺し、重傷を負わせたのはなぜなのか。

 魔剣はジェレルの味方ではなかったのか――?

 

 さらに言えばジュヌにとってジェレルは、直系ではないにしろ自らの子孫なのだ。もう少し親身になってくれてもよいのではないか。

 

 その苛立ちが伝わったのか、ジュヌは残念そうな声で言った。


「剣は私の肉体ではない」


 彼は海に向き合うと、遠い地平線を見つめた。


「肉体はとうの昔に朽ち果て、魂だけがこの世に縫い止められた。私はもう人間ではない。だが神でもない。魔剣に封じられた化け物だ」

「そんな、化け物だなんて……」


「アレの血を吸って私は束の間解放されたのだ。味をしめた魔剣はさらに血を求めるだろう。しかしどれだけ魔剣が力を得たところで、私には誰かの夢に現れる以外に己の存在を示す方法がない。これが私に与えられた罰――」


 ルナリアはジュヌの揺れる黒髪を見ていた。濡れたように艶のある漆黒。この世のものとは思えない質感で、異質な美しさだ。

 こうして近くで見ると、ジュヌはまるで絵画の中から抜け出してきたかのように生気がない。


(夢の中だから生身じゃないのは当然だけど、私が見ているジュヌ王は絵と同じ……ということかしら)


 ルナリアの視線に気がついたのか、ジュヌはこちらを見た。


「そろそろ時間のようだ。短い時間だが、君と会えてよかった。すべてが終わったら……」


(「()()()()()()()()()」……?)


 ルナリアはジュヌの言葉を待った。

 しかし続きを聞く前にジュヌの像が薄れていく。周囲は暗くなり、ルナリアの思考も闇に溶けるように拡散していった。


いつもお読みいただき誠にありがとうございます!

ここから【終章・第三章】です。次話と2話連続更新の予定です。


2025年はこの連載を始めることができてよかった…としみじみ思っています。(年内に完結できなかったのが残念ですが…)

読んでくださった皆様、そしてリアクションくださった皆様、ありがとうございます。

皆様よいお年をお迎えください!!

また続きでお会いできますように!

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