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いつか捨てられるその日まで〜愛されない妃のはずなのに夫の過保護が止まりません  作者: 北館由麻
第一章 愛のない結婚のはじまり

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愛のない結婚のはじまり・1

 王太子妃の朝は早い。

 鉛のように重い体を寝台から引きはがすようにして起こすと、侍女の手を借り、身支度を整える。3ヶ月前は体を縛るようなドレスを装うことに時間がかかってしまったが、それにも少し慣れた。

 

 朝食の席に急ぐと、すでに国王と王妃、そして夫である王太子は席についていた。

 

「おはようございます。遅くなり申し訳ございません」

 

 焦りながら着席すると、王妃が「気にしなくていいのよ」とよく通る声で慰めてくれる。

 

「ゆっくりでいいわ。朝の支度は何かと時間がかかるものね。それにあなたたちは若いのだから、夜更かしをすることもあるでしょう?」

 

 意味ありげな視線をよこす王妃に、王太子は冷たい声できっぱりと答えた。

 

「昨晩は早く就寝いたしました。母上にご心配をおかけするようなことは何もありません」

「そうかしら。私が何も知らないと思っているのですか?」

 

 王妃は目を大きく見開いて王太子を睨む。

 そこへ給仕係が緊張の面持ちでスープを運んできた。

 

 ようやく王が「お前たち」と口を開いた。

 

「皆揃ったのだし、そろそろ朝食を始めたいのだが」

「そうですわね」

 

 王妃も同意し、やっと食事の時間が始まった。

 隣に座る王太子は優雅な手つきでスープを口に運ぶ。それを目の端にとらえながらルナリアは小さくため息をついた。

 

 王妃が何を言いたいのかよくわかる。だからこそため息が漏れる。

 

「ルナリア」

 

 突然、王から声をかけられて、ルナリアは驚いた。

 

「はい、陛下」

「食事の後、少し話す時間はあるかな?」

 

 王は穏やかな表情で尋ねてきた。ルナリアは「もちろんです」と勢いよく答えた。

 

「おふたりだけでお話しされるのですか?」

 

 王太子が王に向かってそう尋ねるのをルナリアは妙な気分で聞き流す。

 

「そうだが、事前にお前の許可が必要だったかな」

 

 王は笑いながらルナリアに目配せをした。

 

「そうではありませんが……」

「ジェレル、私がお前の悪口を言う心配しているのなら、その通りだ。どうしても同席したいのなら、私はかまわぬが、どうする?」

 

 王太子は今日はじめてルナリアのほうを見た。

 

「君は?」

 

 ルナリアは驚いて何度か瞬きをする。

 

「わたくしはひとりで大丈夫です」

 

「あら、ジェレルのそんな顔を見るのははじめてじゃないかしら。ルナリアがかわいくて仕方ないのね」

 

 わざとらしく声を上げる王妃にルナリアは苦笑した。隣の王太子の態度がいっそう硬化したのを母親である王妃はまったく気に留めていない。母と息子とはこのようなものだろうか。

 

「ではルナリアは後ほど私の執務室に来なさい」

 

 笑みを浮かべた王が厳かにそう言った。





 ルナリアが王太子と結婚したのはちょうど3ヶ月前のことだ。

 

 王立学院高等部の卒業を目前にした冬、ルナリアの故郷で突然、未知の疫病がまん延し、領主であるルナリアの父はその疫病に苦しむ領民を救うために奔走したが、驚異的な伝染力の前になすすべもなく父も母も疫病に冒され亡くなってしまった。

 

 王都の宿舎でその知らせを聞いたルナリアはすぐに帰郷しようとしたが、支度をしている最中に王宮から遣わされた兵によって、攫われるように王宮へと連行された。

 

 それから1ヶ月、ルナリアは王宮の奥の一室を与えられ、故郷へ帰るどころか、外の空気を吸うことさえ許されぬ幽閉生活を強いられた。その間、状況を説明してくれる人間はひとりも訪ねてこず、彼女に与えられたのは、何不自由のない生活と同郷の出身だという年下の侍女サラだけだった。

 

 この生活がいつまで続くのか、と不安に苛まれていたが、それは突然終わりを迎えた。

 

 ルナリアの父の友人であるティンバレン大公が彼女の部屋にやって来た。

 彼はルナリアの両親のことを残念がり、疫病を鎮めるために故郷一体が焼かれたことを泣きながら伝えた。ルナリアも涙が伝うのを止められなかった。

 

 ティンバレン大公は一通り話し終わると、上着の内側から手紙を取り出した。そして言った。

 

「そなたに結婚の申し入れがあった」

 

 ルナリアはついにここから出ていけるのだと歓喜した。もちろん相手はかねてより結婚を約束しているティンバレン大公の息子トレヴァーだと少しも疑わなかった。

 

 頬が紅潮するルナリアとは対照的に、ティンバレン大公は暗く沈んだ表情で手紙をルナリアに差し出す。その指が震えていることにルナリアはようやく気がついた。

 

 突然、不安が胸いっぱいに広がった。

 

「そなたはこの結婚を断ることはできぬ。受け入れるか、死か――それがそなたの定めとなってしまった。両親も故郷もなくしたばかりのそなたにとって、後ろ盾を得ることは急務であろう。私がその後ろ盾になることには何の異論もない。だが……」

 

 嫌な予感がして、ティンバレン大公の言葉が終わらないうちにルナリアは手紙を開いた。

 

 高級な紙に、高級なインクの香り。力強いけれども優美な筆跡。

 王家のものしか使えない紋章入りの用紙だと気がつき、ルナリアは眉をひそめた。

 

 文面は紛れもなくルナリアへ向けた結婚の申し込みだった。

 しかし差出人は結婚を約束していたトレヴァーではない。

 

「なぜ……ですか」

 

 ルナリアは絞り出すように言った。

 ティンバレン大公は静かに小さく首を横に振った。

 

「そなたは私の養女として王家に輿入れする。何も心配はいらない」

 

「わかりません。なぜわたくしにこのようなお話が来るのでしょうか。王太子殿下のお相手選びは国の一大事のはず。名家の令嬢ならまだしも、領地が焼野になった地方領主の娘が王太子妃となるのは分不相応であること、幼子でもわかります。わたくしは……」

 

 急にこみ上げてきた大きな感情に飲み込まれそうになるのをじっと耐える。

 ティンバレン大公は慰めるようにルナリアの肩に手を置いた。

 

「そなたが驚き困惑するのは当然であろう。しかしながら私の知る限り、この求婚は王太子殿下自身の強い望みであり、国王陛下も許されたとのこと。そなたの父母と領地の悲劇と関係しているのかもしれぬ。それに、殿下はそなたのことを学生時代からご存知だったと聞いたが?」

 

「それは……わたくしが新聞局員として、自治会会長だった殿下にお話を伺ったことがあるというだけに過ぎません」

 

 ルナリアは早口で返答した。

 

「なるほど。そうであったか」

 

 ティンバレン大公はルナリアを宥めるようにゆっくり頷いた。

 その様子を見て、ルナリアはもう何を言っても覆ることのない現実がそこにあることを思い知らされる。

 

 せめて最後にトレヴァーに会うことはできないだろうか。

 叶わぬ願いとは思うが、口にせずにはいられなかった。

 

「トレヴァー様にお会いすることはできませんか?」

 

「ルナリア。我が息子トレヴァーは国王陛下より直々に北方警備隊長の任務を受け、すでに出発した。しばらく戻らない」

 

 ティンバレン大公の言葉が氷の矢のようにルナリアの心に鋭く突き刺さる。

 

 希望の光が消えた。

 すべてを失い、すべてを諦め、すべてを受け入れる――それがルナリアにできる唯一のことらしい。

 

 それでも可能性があるならそれに賭けるべきだ。彼女はティンバレン大公を正面から見つめた。

 

「ジェレル殿下にお目通りはかないますか?」

「そなたの返答次第であろう」

 

 ルナリアはティンバレン大公に少しだけ時間をもらい、彼女の持つ一番上等な便箋とペンとインクを机の上に並べ、深呼吸して紙の上にペンを走らせた。

 

 封蝋を施し、王太子への返信をティンバレン大公に託すと、ルナリアは窓の外へ目をやった。もうすぐ日が暮れる。眠れぬ長い夜が近づいてきていた。

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