仮面舞踏会の夜・3
「師匠、古代文字は読めますか?」
「まぁ、それなりには」
「これは王家に伝わる古い歴史書ですが、ある時代の学者がこの書物の内容はデタラメだと評価したため、長い間価値のないものとされてきました」
「いわくつきの歴史書か!」
魔導士は歴史書をジェレルの手から取り上げると、パラパラとめくった。「ほう」「へぇ」と嬉しそうな声を上げながら、本を開いて検分する。
「かなり古い本だが、長い間手つかずだったのが幸いして状態がいい。少し借りてもいいか?」
「ええ、もちろん」
「もし、伝説が繰り返されるなら――紅の秘宝が出現したということは、邪神が復活する予兆だ。勇者は紅の秘宝を守り、邪神を再び封じなければならない」
「邪神を封じられなかったら、どうなるのですか?」
4人の中で一番年下のティオが不安そうな声を出す。他の3人は厳しい顔つきになった。
口を開いたのは王太子ジェレルだった。
「ダーラウのように死がこの国を支配し、邪神が世界を作り変える――と神話には書かれている」
急にティオの目が見開かれた。
「じゃあ、ダーラウの疫病は邪神の仕業なのですか?」
「それはまだわからない」
「あの妖獣使いも邪神の手下なのか?」
ウェイロンが疑問を口にした。
「その可能性は高い。ヤツはルナリア嬢を『主に献上する』と言っていた」
本を閉じて、魔導士が目を上げる。前髪をかき上げると賢そうな広い額があらわになった。
山小屋を重苦しい沈黙が支配する。
「邪神とは――神なのか?」
グラスの酒を一気にのどへ流し込んだウェイロンがやり切れないようにつぶやいた。
その様子を眺めていたジェレルは静かに言う。
「神とて聖も邪も併せ持つ存在なのかもしれない。――我々、人がそうであるように」
「確かにな。人が神の創造物であるなら、神もそれぞれ個性的かもしれん。しかしその邪神と月の女神の因縁が何百年に一度繰り返されるとしたら、俺は『神だけで勝手にやってくれ』と思うがな」
ウェイロンの言葉にティオも賛同した。
「そうですよ。勇者も紅の秘宝も――神のために人が命を懸けるなんておかしな話です」
「おいおい、ジェレルを前にそんなことを言うな」
「だって師匠……これでは殿下があまりにも……」
「今までジェレルがどんな覚悟で過ごしてきたか、知っているだろう。それを見てきた僕たちがここで愚痴を言って何になる。それより考えなければならないことがある」
腕を組んだ魔導士は深刻な表情でティオとウェイロンを交互に見た。
「考えなければならないこと……ですか?」
「そうさ、ティオ。たとえば今夜、ルナリア嬢を王宮に置いておけば安心――ではなくなった件。これはお前が真剣に考えなければならない問題だろう」
魔導士に痛いところを突かれたティオの顔が蒼白になる。
「まずいですね。ヤツらは王宮の結界内にも自在に入り込めるとしたら、ルナリア嬢はいつ攫われてもおかしくない」
いても立ってもいられない様子で立ち上がったティオは、山小屋内をうろうろと歩き回る。
それを見て、ジェレルがフッと笑った。弟をたしなめるような表情で口を開く。
「今夜は特別だろう。仮面舞踏会で大勢の人間が出入りしたから結界に綻びができた。それに彼女の持つ紅の秘宝の力を目にした妖獣使いの生き残りは、今夜と同じ方法はもう使わない」
「そうですよね! 王宮からルナリア嬢を連れ去るのは簡単じゃない」
「しかし、相手も策を練ってくるだろう。今夜のような絶好のチャンスを逃さない連中だ」
魔導士がそう答えると、ティオは人差し指を立てて左右に振る。
「いやいや、ルナリア嬢に触れたら例の白い光で強制的に昇天させられてしまいますよ」
「その光とやらが発動する条件は? その力を使ったルナリア嬢は気絶してしまったらしいが、彼女の体に影響はないのか?」
ウェイロンの言葉に魔導士が唸る。
「影響はあるだろうな。魔法だって無限に使えるわけではない。使えば体は消耗する。あれだけの莫大な力が紅の秘宝から発せられたのだ。ルナリア嬢の眼球に宿っている状態では、確実に彼女の体にも何らかの作用がある。神話でも紅の秘宝を持つ者は邪神と対峙した後、命を落とすことになっている」
「えっ、そうなのですか?」
「だから我々は早急に紅の秘宝をルナリア嬢の目から取り出さねばならない。しかし安全に取り出す方法がわからない。そもそも紅の秘宝が『見える』のは今のところジェレルだけだ」
魔導士が王太子ジェレルを見る。ジェレルは自らのグラスにワインを注いだ。
「その前に邪神側の準備が整いそうですよ。ダーラウを狙ったのは紅の秘宝があの地にあることを以前から知っていたのでしょう。妖獣使いを筆頭に、邪神側に与する人間がいるのは間違いない」
「邪神を信奉する教団があるという噂を聞いたことがあります」
歩き回っていたティオが急に近くの椅子に腰かけ、テーブルに身を乗り出す。内緒話をするかのように声を潜めた。
「どうやらここ5年くらいで王都の貴族層にもじわじわと広まっているそうです」
「貴族層に? どうやって?」
ウェイロンは貴族層に顧客が多い武器商人だ。険しい顔つきでティオを見る。
ティオは悪そうな笑みを浮かべた。
「美容ですよ。美しくなる方法を伝授するサロンを開くのです」
「そんなの、ずっと昔からあるだろう。痩せる茶だの、顔に塗ったら肌が若返るだの、持っているだけで魅力が増して意中の相手を振り向かせるお守りだの……いや、待てよ。そうか。昔からあるから、受け入れられやすい!」
呆れたような笑いを漏らしたのは魔導士だった。
「君たちは敵に感心している場合か? 『美しくなる方法』と聞いて、何かピンと来なかったか?」
「えっ、女性なら誰でも気になる話題か、と……」
「いや、ティオ。俺はピンと来たぞ。ここ5年くらいの間に『当代随一』と言われる……」
「魔導士ユージーン様のことですか?」
「師匠と美しさに何の関係があるんだ!?」
「話がそれたぞ」
笑いをこらえながらジェレルが口を挟んだ。
魔導士ユージーンがわざとらしく咳払いをする。
「ティオは黙っていろ。ウェイロン、続けて」
「おう。『当代随一の美女』と呼ばれる女が彗星の如くこのウィンスレイド王国に現れただろう」
急に椅子をガタッと鳴らしてティオが勢いよく立ち上がった。
「あああああ! あの女――トレヴァー様を骨抜きにしたと言われる――絶世の美女ファンヌ‼︎」
興奮気味に語るティオと対照的に、他の3人は押し黙った。
「今回のトレヴァー様の北方警備隊遠征にもファンヌが付き従っているという噂です。女連れで遠征に行くなんて、国内最高の剣士も所詮……」
「やめろ」
ジェレルが怒気を含む声で制止した。
「それ以上は侮辱に当たる。憶測でものを言うな」
「殿下、これは婚約者であるルナリア嬢を侮辱する行為です。非難されて当然です!」
「ティオ、落ち着け。そしてよく聞け」
「……はい」
「トレヴァー卿とルナリア嬢は、正式には婚約していない」
「……はい?」
「……ん?」
「……えっ?」
ジェレル以外の3人がそれぞれに驚きの声を上げる。さらにジェレルが続けた。
「そして今回のダーラウ領主死亡の報を受け、ティンバレン大公がルナリア嬢と弟フォルシアンの養父となる見込みだ」
「ティンバレン大公が養父……ということは、トレヴァー卿とルナリア嬢は義理の兄妹になるということか!」
「えっ、じゃあ、トレヴァー様はルナリア嬢とは結婚できないんですか?」
「そうではない。あくまで養女だ。婚姻関係を結ぶことに問題はない。……トレヴァー卿が望めば、の話だが」
ジェレルは静かに言った。
ウェイロンが口を尖らせて、不満そうな顔で意見を言う。
「ルナリア嬢は俺たちの2つ下だから、今は18歳か。近頃は婚期が20歳というのも当たり前になったが、トレヴァー卿にその気があれば、ルナリア嬢が王立学院高等部に入った時点で結婚することもできたってことだな。しかしそれ以前に婚約もしていなかったというのは……驚いた」
「師匠はトレヴァー様と仲がよかったのでは?」
「昔は、な。学生時代のことだ。あの頃はルナリア嬢を元気でかわいらしい少女だと言っていた。本人から彼女が婚約者だと聞いたが……ジェレル、本当なのか?」
魔導士ユージーンから視線を向けられたジェレルは、困ったように眉根を寄せる。
「私がティンバレン大公から直接聞いた話です。婚約の日に予期せぬ出来事が起きて叶わなかった、と――」
「そうだったのか。トレヴァーが急に人を寄せつけなくなったのも、何か関係してるかもしれないな。そしてその男の隣には絶世の美女ファンヌ――か」
「ファンヌ嬢は俺たちと同じ学年でしたね、殿下」
急に思い出したようにウェイロンが言った。
ジェレルが軽く頷くと、ウェイロンはためらいがちに口を開く。
「俺はずっと不思議だったんだ。ファンヌ嬢は他の女性陣とは違い、殿下に近づこうともしなかった。最初は控えめな女性なのかと思ったが、ある日図書館でトレヴァー卿とファンヌ嬢が向き合って座っているのを見かけた。そのときなんだか嫌な胸騒ぎがしたんだ。トレヴァー卿らしくない。……だけど、絵になるふたりだった」
「そうか。ファンヌ嬢については、少し調べてみる必要があるな」
ウェイロンの言葉を注意深く聞いていた魔導士ユージーンが、顎を撫でながらつぶやいた。
「それは俺が引き受けよう。ティオがルナリア嬢の警護、師匠が歴史書解読、そして俺がファンヌ嬢と邪神を信奉する影の教団組織を調べるってことで――」
「ルナリア嬢については、私が引き受けよう。――私に考えがある」
王太子ジェレルが力強く宣言した。3人は「御意」と声をそろえた。




