魔剣の見せる夢~ダーラウ地方にて・3
「どうして……つけてきたのか?」
「当たり前ですよ。殿下ひとりで宿屋を抜け出してどこへ行くのかと思えば、こんな山奥の小屋に何の用ですか?」
感情を消した顔でティオがジェレルを見下ろす。
その後ろにはくすんだ緑色のローブを羽織ったユージーンが、興味津々《きょうみしんしん》の目で小屋の内部を覗いていた。
「住人は画家だったようだね。この画材の種類と量からすると、宮廷画家かもしれないな」
緊張感のない魔導士はティオの後ろからするりと小屋の中に入り、キャンバスを検分する。ティオもユージーンとともにキャンバスの絵に顔を近づけたり、キャンバスを持ち上げてサインが書かれていないか探し始めた。
その隙にジェレルはテーブルの上からデッサンの束を素早く手に取り、足元にあった屑かごへ静かに入れた。今、彼らに見られると面倒なことになる。
「師匠、ここはもう出ましょう」
ジェレルがそう声をかけると、首だけ振り向いたユージーンは冷たく突き放す。
「外に出たければ、ジェレルだけ出ていればいい。先に帰ってもいいぞ」
「そもそも、殿下はなぜここに来たのですか?」
怪訝な表情でティオはジェレルに向き直った。
「今朝見た夢に導かれてここに来た。この魔剣の見せる夢なので気になったからな」
ジェレルは正直に答えた。
ここに住む男のことは何度か夢で見ていた。
観察眼の鋭いユージーンの言葉どおり、かつて宮廷画家だった男は、落ちぶれてこの山小屋で暮らすようになったらしい。
家族ともいつの間にか疎遠になり、神域の山林の中で隠れるように生活していたある日、経緯はわからないが、まだ年端もいかぬ少女であった貴族の娘をここに連れてきたのだろう。
(昨晩、酒場の女性から聞いた話の真相がこの小屋にあるとしたら……全部繋がってしまう)
ジェレルはティオとユージーンを交互に見た。まだふたりにも話していない秘密はあるが、嘘はついていない。
ティオが観念したように表情を緩めた。
「殿下には魔剣もありますし、めったなことはないと信じています。ですが、ここ3ヶ月の間、邪神に関する動きが何もないのも不気味です。私たちの知らないところで何かが進行しているかもしれない。神話の再来が近いとしたら、殿下とルナリア様は真っ先に狙われるはずです」
「そんなことがわからぬジェレルでもないだろうし、わざわざこんなところへひとりで来るだけの理由があるんだろうね。ま、いいよ。とにかくこれ以上の収穫はなさそうだから出よう」
かび臭い室内の空気に耐えかね、3人は外へ出た。
木々の間から目を凝らすとダーラウの海のきらめきが見える。
この小屋を逃げ出した少女はどこへ向かったのだろうか。想像しただけでも息苦しい。
(ここにいた男はどこへ行った?)
少女が逃げ出した後、男もこの小屋には戻っていないようだ。
(死んだのか――?)
「魔剣のせいでよく眠れていないのでは?」
小屋から出てきたユージーンがジェレルの横に立ち、辺りを見回しながら言った。
ジェレルは脇に提げた剣の柄を触る。
「大丈夫です。夢は毎晩見るわけではないので」
「そうか。この小屋の住人は何年も戻っていないようだし、今回の疫病と直接的な関わりはないかもしれないな」
ジェレルも同感だった。
「そうですね」
「ではこのまま街へ向かいますか」
最後に小屋から出たティオがドアを閉めながら、会話に参加する。
ジェレルは黙って馬に乗る。
続いて馬に乗ったティオがジェレルを横目で見た。
「それにしてもここの住人はどこへ行ったのでしょうね」
それだけ言うと返事を待たずにティオは出発する。
ジェレルはティオの背中を見つめ、密かにギュッと唇を引き結んだ。
馬の背に揺られながら、ふと仮面舞踏会の夜を思い出す。
ルナリアは王宮を出る千載一遇のチャンスを逃すまいと必死だった。それが失敗したとわかったときの絶望はどれほどのものだっただろう。
(私がしていることも、あの小屋の男とたいして変わらない……いや、長く自由を奪っているという点では、あの男より罪深いのだろうな)
苦い気分がジェレルののどを滑り落ち、胸の奥に溜まっていく。
何が一番いい方法か、と考えに考えた末の結論であり行動だ。それに対する責任をすべて引き受ける覚悟もジェレルにはもちろんある。
しかしルナリアがそれを理解してくれるとは限らない。
この結婚に彼女の意思は少しも反映されていないし、結婚後も妻としての責務を果たせる機会を与えられずにいる。一方的にジェレルの都合を押しつけられたルナリアが、困惑しているのは顔を見なくてもわかっていた。
(こうするしかなかったと、わかってもらえる日は来るのだろうか)
そう考えた自分自身に、ジェレルは少し驚いた。
どうやら自分はルナリアに理解されたいと思っているらしい、と――。
本来ダーラウ地方はウィンスレイド王国の南端に位置するだけでなく、オーランティア大陸から西に突き出た半島の最南端であるため、貿易港としても、漁港としても非常に栄えていた。
気候も穏やかで安定しているため、老後をダーラウで過ごしたいと望む人も多かった。他国からの移住者も増えていたが、それに伴いトラブルも増加傾向にあり、ルナリアの父であるベレット子爵は法や居住区の整備に力を入れていた。
「あの美しい街が、まさかこのようになるとは……」
「半年前には誰も想像しなかったでしょうね」
ユージーンとティオは顔を布で何重にも覆い、目だけ出した状態で丘の上からダーラウの市街地を見下ろしていた。
ふたりに挟まれたジェレルも焼け野原になった街を見渡す。木造の壁が焼け落ち、火災の熱で窓ガラスが割れた家の外で、干してあった洗濯物の破片が風に揺れている。
灰に覆われ色彩を失った廃墟は、生き物の気配が感じられず、太陽の光が降り注いでいても不気味な空気に支配されていた。
「ジェレル、領主の館に行ってみるか?」
「そうですね」
ユージーンの提案でジェレル一行は市街地を抜け、堅牢な門扉のある領主の館の前に来た。扉に鍵はかかっていない。門をくぐった一行は広大な敷地を目の当たりにして感嘆の声を上げた。
「ルナリア様はずいぶん立派なお屋敷に住んでいたのですね」
「ダーラウはウィンスレイド王国の商業港で最も栄えているのだから当然だろう。でもルナリア嬢の父ベレット子爵は領地の繁栄のためにかなりの私財を投じていたらしい。人望のある領主で有名だった」
ユージーンとティオの会話を聞きながら屋敷の手前まで来たジェレルは、馬の足を止める。
「誰かいる」
全員静かに馬から降り、後方に控えていた護衛隊がジェレルの前へ進み出た。
隊長のティオは剣を握り、隊員に無言で目配せを送る。用心しながら静かに屋敷へ近づいていく。
微かに妖獣の独特なにおいを感じたジェレルは背負っていた弓を手に取り、ユージーンを庇うようにして進む。
領主の館も例外とはならず火を放たれたため、かなりの壁が焼け崩れ、部屋の内部が露出している箇所があちこちに見られた。
屋敷の奥のほうから部屋の内部を物色する派手な音が聞こえてくる。
「いるな。妖獣使いか?」
ユージーンが小声で言う。ジェレルは頷いた。




