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仮面舞踏会の夜・1

 満月の夜だった。

 今宵の月は普段よりも大きい。しかも燃えるような紅色の輝きを放っている。

 

 ルナリアは口元まで覆う白い仮面をつけ、王宮の中庭へと足を踏み入れた。

 

 すれ違う人々もそれぞれに趣向を凝らした仮面で素顔を隠し、素性を明かさずに会話を楽しんでいるが、ルナリアは声をかけてくる男性たちに目もくれず、大広間へ向かって進んでいく。

 軽快な音楽に合わせて踊る男女の合間をすり抜け、目立たぬよう壁際に移動した。

 

「私と踊りませんか?」

 

 手を差し伸べてくる男性を、ダンスのステップを踏むような足取りでひらりとかわし、バルコニーへ出た。

 ルナリアは外の空気を吸い、一息つく。

 月が近い。手を伸ばせば触れることができるような気がする。

 

 目指すのは王宮の出口。

 しかし出口がどこにあるのかわからない。

 

「今夜は月の美しい夜だ」

 

 不意に背後から声がした。

 ルナリアは驚いたことを悟られないようにゆっくりと振り向いた。

 

 黒い仮面が顔の半分を覆っているが、見えている白い肌と顎の形のよさからおそらく美形の男性だろうと想像がつく。背が高く、ほっそりとした印象だが、太い首や肩周りの厚みを見ると、鍛え抜かれた体躯の持ち主のようだ。


(しかも身分の高い人ではないかしら)

 

 張りのある声で威圧的ではないにしろ自信に満ちた断定的な口調。しかもルナリアに話しかけたのか、それともひとりごとだったのか――それすらもわからない。

 ルナリアは一言も発することなく立ち去ることもできるし、彼の言葉に答えて会話を始めることもできる。

 彼の周りには誰もいない。もしかしたらこれはチャンスではないか。

 ルナリアは逡巡した後、大きく息を吸った。

 

「ここから王宮の外へ出るのは難しいでしょうか」

 

 黒い仮面の男性は少しだけ首をかしげた。それから形のよい唇の端を上げる。

 

「あなたはずいぶん大胆な女性だな」

 

 その言葉でルナリアはハッとした。王宮から脱出することばかり考えていたせいで、自らの発した言葉が初対面の男性を誘う意味を持つことになるとは思わなかったのだ。

 

「あの……誤解なさらないで。わたくしはただ……」

「外に出たいのか。この王宮の外へ」

「ええ。今夜どうしても王宮(ここ)から出なくてはならないのです」

「なるほど」

 

 黒い仮面の男性は思案しながら顎を撫でる。


「難しいか、(やさ)しいか、ということなら――難しくはない」

「本当ですか!?」

 

 興奮気味に返事をしたルナリアに、黒い仮面の男性はクスッと笑って応じた。

 

「あの木々の向こうには使用人たちが出入りする門がある。今の時間なら出入りする者も少なく、監視兵には『迷った』と言えばいい。出ていくものには親切に門を開けるだろう」

「ありがとうございます!」

 

 ルナリアはスカートを少し持ち上げ膝を折って挨拶すると、バルコニーから身を乗り出すようにして、黒い仮面の男性の示した木立へ向かう道を探す。

 木立までの広い庭にはテーブルと椅子が設置されていて、月明りの下で談笑しながらくつろぐ人々が見えた。

 

(庭を横切ると近いけど、人目についてしまうわね)

 

 そうなると、使用人たちが出入りする通路へ向かうのが最善のようだ。

 

(私が閉じ込められていたあの部屋と逆の方向へ進めばきっと……)

 

 ルナリアはひと月前に王立学院の寄宿舎から王宮へと連行され、今日まで王宮の一室に軟禁されていた。

 地方領主の娘として育ったルナリアにとって、王宮の片隅にある客間で生活すること自体は夢のような体験だ。部屋の調度品は十分に整っており、食事も贅沢すぎるほどだった。

 しかし待遇はあくまでも軟禁である。部屋から一歩も出ることが許されず、外の世界の情報も入ってこない。

 

(お父さま、お母さま……本当に……本当に死んでしまったの?)


 王宮へ連行されたその日にルナリアは故郷の両親が疫病で亡くなったという知らせを受けていた。彼女の故郷ダーラウに突然、未知の疫病が発生し、短期間で爆発的に感染が広まったのだ。

 

 感染したダーラウの領民たちは、発熱や倦怠感に加え、身体中の皮膚が腫れ上がり、急速に衰弱していった。そして7日前後で死に至る。患者と生活を共にする者も翌日には発症するので空気感染の可能性が濃厚だった。

 感染者が出るとその家の者が玄関に白い旗を立てた。白旗はまたたく間にダーラウ全域に掲げられることになってしまった。

 

 知らせを受けた王都の疫病対策隊がダーラウに到着した頃には、街全体が死の静けさに包まれ、生きている人を見つけることはできなかった。彼らは感染症の拡大阻止のため、街を焼いた。


 ルナリアが聞いたのはここまでだった。


 彼女の連行を主導した兵士が、事実だけを淡々と述べた。彼はルナリアと同年代に見えるが、年齢のわりに階級が高いらしく、短い指示と目配せだけで付き従っている兵士たちを統率していた。

 ルナリアを王宮にて保護することは「王命である」と彼から告げられた。国王からの書簡も提示されたので、ルナリアはおとなしく従うほかなかった。

 

 このときのルナリアには隙を見計らって逃げ出すだけの元気がなかった。

 両親がもう生きてはいないのだと俄かには信じがたい。嘘だ、と思いたい。しかし、そう思ったところで事実が変わるわけではない。

 頭の中は激しく混乱し、心は難破しそうなほど動揺していた。どうしていいのかわからない。だからとりあえず王命に従うしかなかったのだ。


 とはいえ、突如やみくもに走り出したくなる衝動を抑えられなくなり、一晩中「ここから出して」とドアの外にいる兵士に懇願したり、考えることを放棄して着替えもせずに一日中ベッドの上に突っ伏していたこともあった。

 

 突然両親を亡くした18歳のルナリアが、故郷の状況もわからぬまま縁者のいない王宮に軟禁され、心の均衡を保っていられるはずがない。

 

 だが、わめいても、拗ねても、何も変わらないことがわかり、ルナリアは無駄な抵抗をやめた。

 その代わりにわずかな情報も取りこぼさず、何ができるか、何をすべきかを、よく見て、よく考えることにした。


 ほどなくルナリアは王宮で仮面舞踏会が催されるのを知り、この軟禁生活から脱け出す絶好のチャンスと考えた。

 いつも食事や着替えを運んでくる侍女のサラがルナリアに同情し、準備を手伝ってくれた。ドレスと仮面は侍女がどこからか見繕ってきたものをありがたく使わせてもらうことにした。


 そうしてルナリアは仮面舞踏会に堂々と参加し、王宮の出口へと向かっている。


(あの通路の奥だわ、きっと)


 飲み物やフルーツを運ぶ給仕たちとすれ違うが、仮面をつけたルナリアを見咎める者はいない。

 難なく使用人専用の出入口へたどり着く。周囲に人影がないことを確かめ、ルナリアは静かにドアを開けた。

 

 外気は思ったより乾いていて、妙なにおいがした。厩舎が近くにあるのかと思い、辺りを見回すが、どうやら違う。


(動物のにおいじゃないわ。腐敗臭に似ている?)


 警戒しながら一歩ずつ進む。

 兵士の姿が見当たらないのはありがたいが、まったくいないのも妙だ。変だと思いつつも、哀れな境遇に天が味方したのだとルナリアは考えた。

 

 両脇の木立に目を凝らし、薄暗い小道に入ったところで駆け出した。スピードを上げて駆け抜けようとドレスのスカートを持ち上げた。

 その途端、木の陰から複数の影が飛び出して来て、ルナリアを取り囲む。


「きゃっ!」


 のどの奥から短い悲鳴が出た。

 慌てたせいで、スカートにつまづいてしまう。前のめりになったルナリアをとっさに抱き留めたのは狼のような面をつけた男性だった。


「ずいぶん急いでどこへ行くつもりだ?」


 貴族のような服装に身を包んでいるが、その男の爪が鋭く長いことに驚いて上体を退く。その爪がルナリアの腕に食い込んだ。

 

「あなたは……踊りに来たのではないのですか?」


 腕をつかむ男に「誰だ?」と聞きたかったが、仮面舞踏会で相手の素性を尋ねることは禁忌事項だ。一瞬ためらったのを男は見逃さなかった。

 

「しつけのいい真面目なお嬢さんだ。そんなお嬢さんこそどこへ行くつもりだ?」

「会わねばならない人がいるのです」


 ルナリアがそう言うと、男は仮面の下で笑ったようだ。


「アンタが会いたい男のところへ連れて行ってやろうか」

「いいえ、遠慮します」

「冷たいな。遠慮しなくていい。すぐに会えるぞ」

「私の何を知っているというの?」

「フッ、全部知っているさ。だからお迎えに来てやったんだ。アンタの愛しい婚約者殿に、俺が会わせてやるよ」



 男がルナリアの腕をぐいと引き寄せた。

 ルナリアは仮面ごしに睨む。それで男が怯んでくれたらよかったのだが、彼はむしろ嬉しそうにのどを鳴らした。


「だがその前に……アンタは主が好きそうな、いいにおいがする。俺も少しくらいおこぼれにあずかってもいいよな」

「バズ様、おこぼれではなく毒見ですよ」

「お前は頭がいいな。そうだ、主に献上する前に毒見が必要だ」


 ルナリアを取り囲む一味の中に道化師のような仮面をつけた男がいる。その男が狼仮面の男をバズと呼んだ。

 

(「主に献上」? どういうこと? 私を……?)


 バズと呼ばれた男は、ルナリアを抱き寄せると耳元に口を寄せる。

 ルナリアは身を固くして顔を伏せた。


「動くなよ」


 バズがルナリアの左肩に手をかけたその瞬間、ルナリアは最小限の動作でバズの腕にナイフを突き立てた。袖の内側に隠し持っていた食事用のナイフだ。


「キェェェーッ!」


 獣のような声が響いた。

 この声を聞いて誰かが駆けつけてくれるかもしれないが、そうなるとルナリアは王宮へ連れ戻され、脱出は失敗に終わる。

 だが、この男にいいようにされるわけにもいかない。王宮から出る前に得体の知れない男たちの餌食になるなんて、まっぴらごめんだ。

 

 ナイフで反撃したことで、バズの仲間たちが一斉にルナリアに飛びかかった。その勢いでルナリアの肩から背中にかけてドレス生地が引き裂かれる。

 布地が引き攣れる不快な鈍い音と同時に、ルナリアの体内でパリンとガラスが破裂するような衝撃が走った。


(やめ……て!)


 心の声が脳内に反響した。

 同時にルナリアの視界は白い光に包まれる。光は急速に輝度を増し、目の奥を刺すような痛みがルナリアを襲った。

 ここで倒れるわけにはいかない。

 ルナリアは目から血が流れたとしても、目を閉じないでいようと必死にこらえた。

 

 しかし光はますます輝きを強くするばかりだ。


 まばゆい光の洪水がルナリアの視界に押し寄せる。世界のすべてが白い光に塗りつぶされ、支配されていくかのような勢いだった。

 両の瞳に光の矢が突き刺さる。その矢に脳天まで貫かれ、ルナリアの意識はまるで焼き切れるようにプツリと途切れた。

お読みいただきありがとうございます。

拙いところの多い物語ではありますが、お時間のあるときにお付き合いいただけると嬉しく思います。

どうぞよろしくお願いいたします。


【更新予定】

第1話~第3話「仮面舞踏会の夜」、第4話~第8話「愛のない結婚のはじまり」まで、4月29日から5月6日まで毎日20:20頃更新。

第9話以降は毎週火曜と金曜の週2回20:20頃の更新でお送りいたします。

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