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もしもあの時

作者: 雉白書屋

 その男は薄暗い部屋で、ただぼんやりとしていた。彼はもう何度目だろうか、ため息をついた後、ハッと気づいたように辺りを見回した。いつの間にか夕暮れ時になっていた。レースのカーテンの向こうから外灯と赤みを帯びた光が差し込んでいる。

 部屋の電気をつけた彼は時計を見た。時間を無駄にした……とは思わない。時間ならある。あったんだ。なのに、俺は……。と、彼はまた、ため息をついた。


『あ、よう。なあ、ちょっと話したいことがあってさ……その、打ち明けたいことが――』


『おいおい、こんな時間に突然来るなんてちょっと非常識じゃないか? 帰ってくれ。明日も仕事なんだ』


 数日前の記憶が甦る。夜中、友人が訪ねてきたのだが、疲れており、しかもちょうど眠りについたところをインターフォンで起こされたのでイライラし、玄関で追い返したのだ。『話なら今度時間がある時に聞くから』と言って。

 大学時代の友人だ。仲が良かった。もしかすると一番。仕事が忙しく、友人と疎遠になっている今は特にそう思う。そして、何よりも、死んでしまった後では……。

 同じく、大学時代からの付き合いである彼女からの電話により、友人の死を知った彼はひどく動揺した。

 こうなるならあの時、話を聞いてやればよかった。車に轢かれたらしい。それが自殺か事故かまではわからないが何か悩みがあって話を聞いてほしくて来たのだろう。だが、追い返されて一人で思い詰め、それでぼんやりしていたのかもしれない。車に……ああ、話を、話を聞いてやりさえすれば……。

 

 ――ピンポーン


 と、彼が後悔に苛まれていると、インターフォンが鳴った。現実に立ち返った彼は、ゆっくりと玄関へ向かう。しかし、ドアを開けた彼はここが現実ではなく夢の中だと思った。


「あ、よう……」


「え、お前、し、死んだんじゃ……」


 そこにいたのは死んだはずの友人だったのだ。ひとまず家に上がるよう友人に促した。


「それで……一体何がどうなって、あ、幽霊なのか……?」


 夢か? 夢なのか? と何度も自問し、体をつねってみたが、どうも違う感じだ。で、あれば幽霊。そう考えるのが自然。いや、自然ではない。幽霊なんているわけない。どうかしている。……そうか、おれはどうかしているのか。幻覚を見ているんだ。親友を亡くし、しかもそれを自分が原因だと後悔している。そんな精神状態に陥ってもおかしくないじゃないか……。

 と、彼が一人、納得できる結論を模索する中、友人は言った。


「いや、どうもタイムスリップしたみたいだ……」


「は……?」


 彼は空気が抜けたような返事をした。だが、確かに幽霊や幻覚にしては存在感がある。しかし、タイムスリップなどとはまた荒唐無稽な話だ。そう訝しがる彼に友人は説明を始めた。


「……つまりあの後、家に帰ろうと駅まで歩いていたが目眩がしてよろけたら、いつの間にか未来へ、この現在に飛んでいた、と」


「そうなんだよ。あの日はまあ体調も悪かったしさ、目眩がしたことは不思議じゃなかったんだけど、ちょっと明るくなったなって思って空を見上げたら、夜だったはずがなぜか夕方になってて、んで、今なら時間あるかなって思って引き返してきたんだよ。でもそうか、まさか未来とは思わなかったなぁ。ちょっと時間が逆戻りしただけと思ったよ。まあ、それもおかしな話だけどな!」


 と、友人は笑い、彼もつられて笑った。しかし、よかった。本当によかった。……何がだっけ? と彼はそこでハッと気づいた。

 そうだった。こいつはこれから死ぬんじゃないか!

 取り乱しつつ、今度は彼が友人に説明を始めた。


「……そうか、俺は車に轢かれるのか」


「ああ……その、事故か自殺かまではわからないけど……」


「自殺……? ああ、それはたぶん、しないんじゃないかな……」


「おお、そうか……」


 それを聞いた彼は安堵した。しかし、疑問は残る。


「それで、お前は過去に戻るのか、戻って事故を回避したとして、こっちでは死んだままなのか、それとも影響はあるのか。戻らずにここで暮らしていくとしても、お前は死んでいて、死体があるわけだから、うーん、いや葬式はまだだしなぁ。何とかなるかな……」


「なーんか、ややこしいな。まあ、とにかく戻ったら気を付けるよ。ありがとな」


「ああ、いいんだ。別に俺が何をどうしたって話じゃないしな。それより、話を聞いてやれなかったこと、ごめんな……」


「ははっ、いいんだよ。こっちこそ、さっきは夜遅くに訪ねて悪かったな」


「さっきはって、はははっ」


「ああ、変な話だよな! はははは!」


 二人は笑い合った。やがて、笑い声は彼一人だけのものになった。笑い、目を細めているうちに友人の姿は消えていた。

 彼は少し涙ぐんだ。今のは、やはり幻だったのだろうか。謝れたことで胸のつかえは取れた気がする。だから消えたのだろうか。

 ……と、彼が胸に手を当てた時、インターフォンが鳴った。まさかと思い、彼が急いで玄関に向かい、ドアを開けると


「よう」


「……おう!」


 二人はその場で抱き合った。そして、また家に上げ、今度はビールで乾杯した。


「今、携帯を見たんだが、彼女からの着信履歴が消えてたよ。お前が死んだって報せのな。つまり、この現在が改変されたってわけだ」


「どうもそうらしいな。過去に戻った後、外歩くときは常に警戒するようにしていたんだけどさ、なんと信号無視の上に猛スピードで走る車を見かけたよ。たぶん、俺はあれに轢かれたんだろうな」


 おかげで助かったよ、と友人が言うと彼はビールを差し出し、二人缶を合わせ、またグイっと喉へ流し込んだ。

 不思議なこともあるものだ。また死んだときは頼むな。そうそうあるかよこんなこと。などと軽口から始まり、話は大学時代の思い出話に移り変わっていった。


「楽しかったよなぁ、あの頃は……。あ、また三人でどっか行こうか。彼女もさあ、お前が死んだって電話をよこしたとき、泣いてたしさ……ん?」


「え、ど、どうした」


「いや、あれか。改変されたわけだから、彼女は別にお前が一度死んだってこと知らないか! ははははっ!」


「ははは……ふーっ、ちょっとトイレ借りるな」


「おう。あ、そうだ」


「ん?」


「ああ、いや、先トイレ行ってからでいいや」


「ん? そ、そうか」


 トイレに入った友人の背を見送る彼にはある疑問が芽生えていた。なぜ、彼女はあいつの死を知ってい――と、それを心の中で復唱しようとした時、インターフォンが鳴り、彼は玄関に向かった。


「あ、よ、よう」


「え、は? え?」


 そこにいたのは友人であった。


「いや、お前、今トイレに、え? いるよな? ジョボジョボ、音してるし……つーか、座ってしろよ。ションベンが跳ねるだろうが」


「いや、俺に言われても……いや、俺か。いや、そんなことより、あのさ、感覚的にたぶん、またすぐ戻っちゃうと思うんだ。だ、だから結論だけ言うからよく聞いてくれ。トイレから戻った俺にさ、こう言って欲しいんだ」


「俺が? お前に? てかまたタイムスリップって何が……」


「いいから。こう言ってくれ『全部許すよ』って。それでその通り、許してほしい」


「いや、何で……」


「とにかくさ、俺から何を聞いても絶対に怒らないでくれ。な? な? そうすればさ、誰も死ななくて済むから……」

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