自分と向き合う
カウンセリングに行った後はいつもとても疲れる。
自分と向き合い、人に本心を打ち明けるという、苦手な事をしないといけないから。
人と向き合うこともとても怖いけど、自分と向き合うこともとても勇気がいる。
弱い自分。汚い感情。要らないプライド…
全部を認めて話さないといけない。
逆に全部を認めればすぐに答えがでてくるから、体の奥底から絞り出すように言葉を紡ぐ。
一昨年の秋に出会い、今日が3回目だったが、だいぶ慣れてきた気がする。
発した言葉を、カウンセラーさんは絶対に否定しない。
そういう職業だと分かっているが、それでも凄い。
カウンセリングの内容は家族や知っている人にはあまり話さない。
その人たちが渦中に居る場合があるから。
でも、言葉にして整理しないと腑に落ちないので、この場を借りる。
「そんな人もいるんだな」くらいに思ってもらえると嬉しい。
今回カウンセリングを受けたのは、前にここで書いた「緊張」の正体。
結論から言うと、それは「指摘されることへの恐怖」だった。
同じ人でも、プライベートの空間や雑談なら肩肘張らずに等身大の自分でモノが言えるのに、
仕事となると、全てにおいて構える。全身に力が入る。
他人に気づかれるほどに。
「そんなに構えなくていいんじゃない?」
と、よく他の人から言われていたが、おびえていたモノが
「指摘される恐怖」だとは思わなかった。
しかし、今は、それ以外の原因が考えられないほど腑に落ちていることが不思議でならない。
「あれ、どうなってる?」や、「明日のあれ、どこまで進んでる?」といったちょっとした確認をされることが結構ストレスになってたと気づいた。
…いや、どこまで完璧主義なん??
全て自分でやってたらキリが無いし、自分そんなに有能じゃないじゃん。
私は、どう頑張っても、何か抜けてしまうことがある。
その自覚はある。
自覚があるのに、その一部分を見ただけで全てがダメだと思ってしまっていた。
「そんな自分を許せていないんだね。」
カウンセラーさんは言う。
そうだ。仕事が出来る人間として見られたい。優秀だと思われた。優秀な人材だと思われたい。
そんなことばかりで、ずっと窮屈だった。
「許せそう?」
カウンセラーさんは言う。
わからない。でも、許したい。苦しい。
「一部分ができなかっただけで、全てを否定することはしなくて良いと思うよ。
どうしても”抜けてしまう”のは、微風さんの気質だから、そこは変えられない。
だから、そこを他の人に支えてもらうのはどう?
指摘してくれるのは、微風さんがいつも仕事に真面目に向き合っているから、
気遣って言ってくれているんだと思うよ。本当にどうでもいい人には何も言わないよ。
”抜けることもあるけど、頑張りやだよね。”って、他で信頼を積み重ねれば、
”抜ける”ということはある意味、あなたの魅力にもなる。かわいいじゃん。
気質はどうしても変えられないんだから、周りに
”いつも抜けてしまうので、(何時何時)私に確認してもらってもいいですか?”
って言っちゃうのも手だよね。相手もきっと悪い気はしないと思う。
仕事は、それぞれの良いところを活かして、苦手な事はカバーして行うものだよ。」
そういえば、こんな私だけど、いつも支えてもらってた。
支えてもらえないとできない。上司の言っていた
”人は本当に大切”という言葉がまた、違った意味で意味を持った。
でもね。とカウンセラーさんは言う。
「中には、自分のことを絶対に受け入れられない人もいる。
そういう人は、周りに怒りとして発散するしか方法を知らないの。
だから、そういう人が居て、怒られているときは考えている暇ないと思うけど、
後々、”ああ。あの人は自分を許せていないから私に怒ったんだな。”って思えばいいのよ。」
…
指摘されるということに、負けず嫌いが作用して、「悔しい」と思ってしまうと言うと、
「”悔しい”という感情は、努力している人しか感じない。だから、あなたはとても頑張っている。
でも、それが度を超えると苦しくなってしまう。そこはどう?」
苦しい。
「”悔しい”と思うことは素敵なことだけど、”苦しい”は自分を責めているから、
そこまで追い込まなくていいのよ。」
ずっと、1つ指摘されると全て無力に感じていた。
今まで積み上げたものは揺るぎないのに。
私は、私を許せるんだろうか。
でも、こんな私でも好いてくれる友達や、かわいがってくれる上司がいることも事実。
その人たちの気持ちを大切にするために、許してみる。それもありかもしれない。
そういえば、
旅行で帰りの方法を間違えて調べて帰れなくなりかけても、
思い違いで旅館の滞在時間が延びて、延長料金が掛かっても、
私の運転でレンタカーを傷つけて、最悪、修理費を負担するかもしれなくなったとしても、
(結局そこまでには至らなかったが…)
未だに、懲りずに一緒に旅行に行ってくれる友達がいる。
「次は帰りたいときに帰れる場所に行こうね…」と言いながら。ありがとう。
確かに、そんなに大きなことではないのかもしれない。
今まででも一部のことで信頼を失ったこともあるじゃないか。
でも今は、そんなこともあったね。で済んでいる。
過大に見過ぎだろうか。いち平社員が抱えすぎだろうか。
でも、それでいいのだろうか。良いのかもしれない。
今以上に楽しく、伸び伸びと仕事が出来れば、きっともっとステップアップできる。
そうなりたい。許したい。
…
まだ、この職は日が浅いが、
上司たちに相談したとき、その回答がだいぶ分かるようになってきた。
”その答えなら、分かっていたのに。”
それを悔しいと上司に言った。上司は
「それは悔しいと思わなくていいんじゃない?何も気づかないことは問題外だけど、
気づいているなら”問題あり”なだけ。そこをどうするかだよ。
私はそれが聞けて嬉しい。」
カウンセラーさんに言った。
「さっきの”悔しい”ことと似ているね。まだ日が浅い中で、そこまで思うことができるのは、
とても素晴らしいこと。あなたは素敵な仕事の仕方をしているよ。
”石の上にも三年”というでしょう?今は、今までの積み重ねから、答えを探す時期。
もちろん失敗もあるけど、まだまだ失敗して大丈夫。」
…
意外と、世界は優しいかもしれない。
無理ゲーにしてる色眼鏡を許したら、どう変わるだろうか。
自分にも人にも優しく、寛大に生きていきたい。自分のために、大好きな人たちのために。