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BLACK WORLD  作者: 天津MIO
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黒衣(くろご)③

「…本当に、あんな場所から繋がってるなんてな…」


 直人は、砂と瓦礫を踏みしめて呟いた。


 ここは砂埃は舞っていない。周りの風景がよく観察できた。といっても、相変わらず砂と瓦礫ばかりの地と、曇天の空しか見受けられないが。


 …否、よく見れば枯れ木がいくらか砂に埋もれるようにあるのが分かる。


 直人は澤杜高校の周辺を頭の中で思い描いた。校内には桜の木が幾本かあるし、近辺にも森林がある。




(この世界にあるモンって、やっぱ『入った場所にあったもの』を反映してるよな…)




 この世界の地理がどうなっているのかはよく分からないが、「こちらの世界」に足を運ぶのが3度目となった直人は、現実の世界と「こちらの世界」が繋がっていることを改めて実感した。


 自分たちの生きている世界の、まさしく隣……冬璃の言を借りるなら『ベール一枚向こう』にこの世界は存在している。




(自分の生きてる世界と、別の世界を「行き来」できるのが異能持ち…か)


「…あッ、てか、行き来!俺帰る方法とか知らねえぞ…!」




 直人は思わず後ろを振り返るが、何もない。


 数十センチ開いた空間もどこにも見当たらず、直人は溜息を吐いた。


 この世界に入る直前に送ったメッセージを、冬璃が確認してくれていると信じて待つしかない。


「もしくは、出口を探すか……いや途方もねえな」


 冬璃曰く、入口の場所は日によって変わるとのことだ。ランダムに現れるというソレを探すのは、あまりにも手がかりが少なすぎる上に、見つからない可能性の方が高いと思い却下した。


 こういう時は、やはり動かない方が吉だろうか。…そう考えたのも束の間、視界の端に黒い影がチラつき、直人の意識が自然とそれに向けられた。


 そこには、先ほど見たものと相違ない、長い触角。




「アイツさっきの…!」




 残骸(デブリ)は傷を負った体をそのままに体液を垂れ流している。残骸(デブリ)の姿を見たことで、直人の腹にふつふつと先程食らった攻撃への苛立ちが蘇った。


(…アレ一匹だけなら、今ならどうにかできるな)


 周囲をざっと見渡し、直人はそう思った。


 今朝のような、集団で襲い掛かってくる残骸(デブリ)達相手では分が悪かったが、個体であるなら一人でもどうにかなるやもしれない。先ほど散々残骸(デブリ)を殴りつけることができた経験が、直人の気を大きくさせていた。




 拳を強く握る。炎は出ない。


 まぁ分かってたさ、と特に落胆することもなく、直人は地面に転がる瓦礫の中から手頃なサイズの瓦礫の欠片を手にし残骸(デブリ)へと近づいた。


 そして、瓦礫の欠片を思い切り残骸(デブリ)へ振り下ろそうとしたその時。





【ギチチチチチチチ、】【ギチギチギチギチ】【ギリギリギリギリギチチチ】


 ――――直人は頭上の鳴き声に気が付き、自身の真上を見上げた。






「…ッッ!!」






 遥か上空。一度見まわしただけでは視界に入ることも気づくことも出来ないほどの高さ。そこに、長い触覚を生やした大量の残骸(デブリ)達が集まり、一斉に動いて渦の形をつくっていた。


 地上にいる直人の耳に鳴き声が届くほどである、おそらく目に見えている以上の数が上空にひしめいている。


 そのおぞましさに直人は息をのんだ。




(やばい。まずい)




 同時に、『誘われた』と頭の中で理解する。


 理解した瞬間、上空で渦を巻く大量の残骸(デブリ)達が一斉に直人に向って襲い掛かってきた。「くそ!!」と直人は即座にその場から駆け出す。


 が。




 ギチギチギチ……!


「テッッメェ…!この、離れろ!!」




 直人が手傷を負わせた残骸(デブリ)が、逃がすまいと直人の足に絡みつく。


 ゴッ!ゴッ!グチュッ!と、直人は手の中の瓦礫を必死に叩きつけ、残骸(デブリ)の頭部あたりをどうにか潰して振りほどいた。


 ――――振りほどいたが、直人の足止めには充分効果的だった。


 上空から迫る残骸(デブリ)の群れが、もうすぐそこまで近づいてきている。


 前へ前へと駆けずりながら、瓦礫の山がある方へ移動し身を潜めるか、と考える直人だったが、襲い来る尋常ではない数の残骸(デブリ)の姿を見て、その考えは愚策だと判断した。


 障害物だらけの狭い場所に逃げ込めば、逆に袋の鼠になる。


 かといって、他に逃げ込める場所もない。




「くっっっ…そォッ…!!」




 ギチギチ、という鳴き声が、何重にも合わさって直人の背後で聞こえる。


 逃げ切れない、という文字が直人の頭に浮かんだのと、残骸(デブリ)が直人の体にとびかかったのは、ほぼ同時だった。




「ぐアアッああああああああぁぁ!!!」




 ギチギチギチギチギチギチギチギチッッッ!!


 砂糖に群がる蟻のように、残骸(デブリ)は直人に次々とかじりついた。


 頭に、肩に、腕に、首に、腰に、足にかじりつかれ、言い表せないおぞましさが駆け巡る。耐え切れず直人は叫んだ。


 あの不快感が全身を支配し、何体も残骸(デブリ)が体にひっついていることで動きを制限され、どんどん体が重くなる。


 その状態になっても直人は前へと足を進ませていたが、残骸(デブリ)が全身に纏わりついた辺りで、とうとう直人は膝を折った。砂に倒れこむ直人を、びちびちと跳ね回りながら残骸(デブリ)達が覆い尽くし、囲みこむ。


 保健室で食らった時より何倍にも濃縮された『なにかの声』が、直人の意識を容易く塗りつぶした。


 欲しい。欲しい。なにがほしい何が欲しい何が欲しいなにがなにがなにかなにがなにかなにかなにかなにがほしいかごがほしいほしいほっするよくするかつぼうするかつぼうするかつぼうするかつぼうするかつぼうするかつぼう


「う、る、せぇ」


 かつぼうする。


「くそが、」


 かつぼう。


 かつぼう。


 かつぼう。


 かつぼう。


 がんぼう。


「だまれッ――――」


 頭の中でわめくな。


 怒鳴り散らしたい感情が、1秒ごとに残骸(デブリ)に貪られるたび直人の中に降り積もる。


 それが10秒を超えたあたりで、直人の頭と視界は真っ赤になる。


 それと同時に、直人は凄まじい熱を感じとった。自分か、周りか、とにかく熱い。


 のどが痛んだ。叫んでいたからかもしれないが、直人にはもう自分がどうなっているのか分からなかった。


 ――――ここで死ぬかもしれない。


 熱の中、直人の視界は機能しなかった。


 遠のく意識の中で、まさか1日に2度も、文字通り死ぬような目に遭うとは思わなかった、と直人はどこか冷静に思う。


 何かのアニメか映画かで、大量の虫に群がられて人が死ぬシーンを思い出す。こんな死に方は一番嫌だなと思ったものだが、そんな現実離れした死に方を自分がすることになるとは昔の自分は想像もつかないだろう、と直人は自嘲した。


 直人の世界は、まだ熱に支配されている。そのおかげか、残骸(デブリ)に群がられている感触がもうあまり感じられないのが救いだった。


 直人の意識が、どんどん塗りつぶされる。


 視界が黒く、暗くなっていった。


 暗くなり、暗くなり、暗くなり、暗くなり――――突然、白くなる。


 まばたきすると、赤くなった。


 もう一度まばたきすると、周りの景色が見えてくるようになった。


 あれ、と思った時には,、直人の目の前には見覚えのある景色が広がっていた。




 ――――建物が燃えている。地面に大勢の人間が倒れている。あたり一面の炎と、飛び散った赤い飛沫。


 いつも見る悪夢の光景だった。




(なんで、今これが…?……!)




 はたと気付く。


 目の前に、ローゼが立っている。


 金髪が炎に照らされて真っ赤な空間の中でもよく見える。砂塵の世界で見たような黒衣ではなく、薄手のドレスのような恰好をしている。髪にも服にも、赤い飛沫が飛び散っていた。


 直人はおい、とか、ローゼ、とか声を出そうとしたが、声は出なかった。


 夢の中だからだろうかと思った次の瞬間、どん、と身体に衝撃を感じ、直人の視点が天井を向いた。


 直後、視点が下に―――自分の胸に向く。


 胸から鈍色の刃物が生えていた。痛みはない。痛みどころか感触すらない。


 刺されたというのに、直人は何も感じなかった。刺された状態で、ローゼに押し倒されているということだけ分かる。


(これ、夢の続きか)


 直人はそう理解した。


 いつも見る夢では、どん、と衝撃を感じたところで夢から覚める。しかし何故、今ここで、悪夢の続きを見ているのか分からなかった。


 すると直人の視界いっぱいに、ローゼの顔がうつる。


 彼女は、鋭い瞳を大きく見開いて泣いていた。


 涙を流しながら何かを叫び、瞳に憎しみを灯して激昂している。


 直人は周囲の音が聞こえないことに気が付いた。ローゼが何を叫んでいるのか、何故泣いているのか状況が全く分からない。


 何かに怒り、叫ぶままに、ローゼは何度も、何度も、刃を突き刺している。ローゼが腕を振り上げるたびに、ウェーブのかかった金髪が彼女の肩から滑り落ちた。




(なんて言ってる。なんで泣いてるんだ)




 こいつも泣くのか、と直人は感情を露わにしている様子のローゼを見てそう思った。


 自分を殺そうとした、冬璃のもう一つの人格としてしか存在しないローゼに対し、直人は「人から外れたものではないか」という疑惑を持っていたが、ここで初めて、彼女に対し人間味を感じていた。


 そうしているうちに、また直人の視界が狭まる。


 どうやら夢の中でも、死ぬときは視界が暗くなるのは同じらしかった。








 ***








「…………………………あれっ」


 ぱちりと直人は目を開ける。




「死んでねえ…」




 砂の上に身体を横たえたまま、うわごとのように言葉が漏れた。


 確実に死んだと思い、死を覚悟――――はしていなかったが、助かるとは微塵も思っていなかったため、直人は数秒ほど茫然と曇天の空を見上げた。


残骸(デブリ)に食われて…それで俺は…?何があった…?」


 直人は記憶を遡るも、視界が暗くなったり白くなったり真っ赤になったり忙しなかったということくらいしか思い出せない。そしてそのあと、いつも見る悪夢を何故か見て……


「どうなってたんだ…?」


 直人は自身の身に起こったことを把握できず首をひねる。


 今現在、直人の感覚や視界には異常はないようだった。体は動くかと確かめると、問題なく手も足も頭も動けていて、一体何があったのかと直人は体を起こす。


 がばっと起き上がり、自分の体と辺りを見回そうとすると、




「うわ!」




 体の上に、炭のようになった残骸(デブリ)が乗っていた。驚いた直人が手で払い除けると、残骸(デブリ)はバラバラと崩れて消える。


 その様子を目で追って、直人は周囲の状況をようやく理解した。


 周りには、チリチリと火の粉が舞い、残骸(デブリ)は一匹残らず、跡形もなく塵になっている。


 直人の眼前にも火の粉が舞う。直人は能力が発現した時を思い出し、自分の手や腕に触れると、やはり腕はいつもより熱を持っていた。どうやら『能力』を出すことに成功したらしい。


 …肝心の「どうやって出したのか」という部分が、全く不明瞭なままだが。




「…また、俺がやったのか?能力、いつ出したんだ…」


『――――死に際に放出していた』


「え、…ぅおッ!?」




 自身の腕を触って首を捻っていた直人の疑問に、後ろから答えが返ってくる。


 直人が振り向くと、そこにはいつの間にかローゼが立っていて、直人は驚愕して後ずさった。咄嗟に距離をとり身構えた直人に対して、ローゼは特に反応することはなく、至極冷静に言葉を続ける。




『意識を失う直前に異能のトリガーを引いて、炎を加減なしに放出していた。それによりあたりの残骸(デブリ)は一掃された。わずかに残った残党は既に私が対処している』




 あまりにも淡々と告げるローゼの言葉に、直人は気圧され「お、おう…」と曖昧に相槌を打つ。


 ローゼは、現在の状況を告げ終わっても一切微動だにしない。


 直人は口を開いていいのか動いていいのか分からず口を噤んだ。


 気まずいどころではない状況に立たされ、直人は命の危機を感じた時とは別種の嫌な汗をかく。




「……た、助かったぜ。原川も、メッセージ見てくれたんだな、礼を…っ!?」




 このまま気まずさの極致のような時間を過ごすのはごめんだと、直人は思い切って口を開いた。


 そして、ローゼを刺激しないように静かに立ち上が――――ろうとした瞬間、直人の身体は大きくぐらつき、そのまま直人は再び地面へと倒れ込んだ。「ぶへっ!」と思い切り顔から倒れてしまい、直人はペッペッと顔と口についた砂を吐く。


 倒れた直人を見て『加減なしに放出するからそうなる』とローゼが言った。




『貴様の代償は、身体機能と結びついた類のもののようだな』


「だ……代償?」


『…アレと関わって多少、命の保証があるとはいえ。…無知とは、簡単に人を死に追いやる』


「お、おい、待て……代償ってなんだよ」




 初めて聞く不穏な単語に、直人はローゼを見上げて問うた。ローゼは相変わらず表情を変えることなく、直人に視線を一つ寄越して告げる。




『己の器を度外視し能力を使った異能持ちに起こるもの。…身体を酷使し続ければ体が悲鳴をあげるのと同じように、己の力を己の支配下に置けていない者は、誰であれ能力の反動によって命を削る。それが代償だ』


「能力を支配下に置くって……つまり、コントロールってことか…?それが出来てないから、俺は今、反動を食らって、倒れてるって?」


『お前の炎は、お前の怒りをトリガーに、お前の体温を奪って放出されている。だから今、動けなくなっている』




 突然言われたローゼの言葉にポカンとしながらも、直人は「そういえば」と今朝階段の踊り場で動けなくなった時のことを思い出した。


 体が冷えて、頭もぐらぐらとしていて、意識も朦朧としていて、どうやって保健室までたどり着いたか、正直覚えていない。


(…『体温を使って炎を出してる』のが本当なら……確かに、言われてみると、低体温症に陥った時の症状に似てる、ような…)


 直人は気づかぬうちに命の危機と隣り合わせでいたことにぞっとした。殺されかけた時とはまた違う恐怖を感じる。


 そして、『怒りをトリガーに』という点にも心当たりがあった。


 つい先程、残骸(デブリ)に群がられた時、自分の中に沸いた目の前が真っ赤になるような怒りを感じていたような気がする。


 初めて能力を発動した時も、冬璃ローゼが危機に瀕しているのを見て――――自分でも信じられないくらいに、『怒り』と『敵を排除したい』という感情に駆られたような記憶がある。


 けれど、と直人はそこで気付いた疑問を口に出した。




「代償とか、原川はそんなこと一言も言及しなかったぞ…アイツも異能持ちなら、知っているんじゃねえのか?」




 生まれた時からそうだと言っていた彼女が、代償なるものの存在を知らないとは思えない。しかし知っていたのであれば、メッセージで少しでもそれに関して触れるはずだ。一言も言及しなかったことに違和感がある。


 そう疑問視する直人に、『あれは知らない』とローゼが短く告げた。




「原川は、知らないのか?」


『そも能力を使い闘うのは私の役割。あれが能力を使うことは稀だ。能力も節度を理解して使う。反動を食らうことなどない』




 言うだけ言うと、ローゼは右手をかざし、そこに黒い液体で剣を形作った。手を覆うように現れた長い刃の黒剣が、今朝と同じく、すぐそばの空間をスッパリと切り裂く。


 そして、ローゼは直人にずんずんと近寄り、首根っこをむんずと掴むと、空間の裂け目――元の井原木市へ繋がる出口へと直人を押し込んだ。


「はッ?おい、ちょっ、ちょっと待て、何しやがる!」


『手負いの者を戦線から下げるのは当然だ。私は先を急ぐ。長話が過ぎた』


「あ…?」


 ぴしゃりと言い放たれたもっともな言葉に頷きそうになったが、ローゼの「先を急ぐ」という言葉がひっかかった直人は首を傾げた。しかし、


「ちょ、ま、オイ!」


 ローゼは、話は終わったとばかりに、ぐいぐいと直人を空間の裂け目に押し込む。




『時間がない。つべこべ言わずに貴様は戻れ』


「は!?」


『連れ去られた者を取り返さなければならない。貴様は邪魔だ』




 ローゼのその発言に、直人は目を見開く。どういうことだ、と言葉を発しようとしたのも束の間、直人の身体が、がくんと後ろへ傾く。


 ローゼの姿が視界から一気に遠のき、気づけば直人は、硬い地面に強かに背中を打ちつけていた。


「うがっ…!」


 放り出されたのは、ウッドデッキ材で出来た地面だった。


 どこだここはと直人が辺りを見回すと、小規模の軽食店や簡易的な遊具、ベンチやテラス席、観賞用にカットされた木々などが目に入る。どこかの建物―――複合商業施設だろうか、そこの屋上空間と思われる場所だ。


「くそ…強引に戻しやがって…」


 直人は小さく舌を打つ。


 平日といえども商業施設の屋上空間には、まばらに人の姿が見えた。


 倒れたままでは注目を集めてしまうと思い、直人はどうにかよろよろと身体を起こす。そこで直人は、カチカチと己の歯が鳴っていのに気がついた。


「まずい…体温を、上げねえと……日の当たるところ…」


 直人は、低体温に陥った時はどうすればいいのか必死に思い出し、体をさすりながら日の当たるテラス席へと移動する。


 半ば倒れ込むように座ったテラス席は、ずっと日光が当たり続けていたのか心地よい温かさを保っていた。


 テラス席に突っ伏して、しばらく大人しく体調回復に努めていること30分。


 身体にぬくもりが僅かに戻ってきたが、手足にまだ震えが残っていた。


「確か、あとは…飲み物……」


 辺りを見回し、自動販売機があるのを見つけると、直人はふらつきながら、ホットコーヒーを購入し、すぐさま喉奥へと流し込んだ。


 焼けるような熱さが喉を襲うのも構わず飲みこむと、じわじわと体温が少しずつ戻っていくのを感じる。


(どうにかなった……意識を失うなんてことにならなくて良かったぜ。救急搬送されでもしたら面倒だ。さて、)


 当面の危機が去り、一息ついた直人は、ローゼの言葉を思い返す。




『連れ去られた者を取り返さなければならない』。


「……あれって、つまり誰か攫われてるってことだよな…」




 直人は缶に残ったコーヒーを飲み干すと、おもむろにリョウの個人チャットを開く。言い知れない胸騒ぎがして、嫌な予感がした。


 リョウのトークアイコンをタップし、通話を試みる。


 が、コール音が鳴るだけで、リョウには一向に繋がらない。


 直人は時間を確認した。時刻は13時30分。保健室でのあれこれからもうじき2時間経とうとしている。


「2時間か…」


 さすがにそこまで時間が経てば、保健室に倒れたままのリョウが放置されることはないだろう。彼女のことだから、クラスメイトやら教師やらに探されて介抱されている真っ最中やもしれない。


 直人の胸騒ぎがまったくの杞憂である可能性は、あり得る。


 しかし、それらの可能性を考えついても、直人の胸中は晴れなかった。


 直人は、リョウを人質にとろうとし、自分に襲い掛かってきた残骸(デブリ)を、そして、「残骸(デブリ)はどこにでもいる」という冬璃の言を思い出す。




(杞憂かもしれねえ……考えすぎだ。だけど…あの時、俺が窓から『向こう』に行ったあと、倒れてたリョウを連れ去った残骸(デブリ)がいた可能性だって、まったくのゼロじゃねえ)




 残骸(やつら)には個体を囮にして獲物を襲うくらいの知恵があり、種類によっては人を操れるモノが存在し、そして何より、とんでもない数で行動できる。


 自分が思っていた以上に、残骸(デブリ)という存在モノは危険だ。


 冬璃やローゼ、そして自分の能力で対処できたから、あまり脅威として捉えきれていなかったが、それこそ間違いだったのだろう。


 その認識の甘さゆえに深追いし、結果死の淵に追いやられるという事態に陥ったのだ。


 自分の身に降りかかった最悪の記憶が蘇り、直人は無意識に腕をさする。


(捕まったら、残骸(あいつら)にみんな食われちまう。もし、さらわれたのが、リョウだったなら――――…)


 繋がらない電話が、直人の嫌な予感を増幅させ、保健室に倒れたままのリョウの姿が脳裏をよぎった時には、もう耐えられなかった。


 こうなれば、勘違いでもなんでもいい、自分の目で確かめたい。




「あーークッソ!やっぱりもう一回行くしかねえ…!」




 コーヒーの缶をゴミ箱に投げ捨て、直人はその場から走り出した。










 ***











 ざああ、と砂が隆起する。


 一つの山かと思われるほどの大きさになったそれは、急斜面を作るたびに豪雨のように地面へ砂粒を降らせた。


 ざああああああ、と隆起し続けるその砂山は、まるで大波のように動き続ける。


 波のように動く砂、その頂上にローゼはいた。




 【ギチチチッッ!】――――ザシュッッッ!


 【ギイィイ!】――――ザシュッッ!




 動く砂の流れを利用しながら、空中に飛び交う残骸(デブリ)を切り捨てていく。切り捨てた残骸(デブリ)を吸収し、右手の黒剣をさらに鋭くさせて、ローゼは目の前の砂埃ごと追撃を続ける残骸(デブリ)を薙ぎ払った。


『ちっ…!』


 その視線はある一点に注がれている。


 飛行体の残骸(デブリ)が飛び交う宙を、複数の残骸(デブリ)がある個体を囲うように飛んでいる場所。…正確には、その囲われている個体をローゼは見失うまいと目線を切らずにいた。




 複数の中心にいる残骸(デブリ)は、人間えものを抱えて飛んでいた。


『昔に比べて、厄介なことを覚えたものだな…!』 




 人間――篠原リョウと澤森高校の養護教諭を抱えた残骸(デブリ)は、周囲をガードする残骸(デブリ)に常に隠れるように飛行している。


 周囲の残骸(デブリ)を剥がそうとしても、手加減無しの攻撃を加えれば、間違いなくリョウ達を抱えた残骸デブリに当たる。


 厄介なことこの上ない、とローゼは未だに攻めあぐねていた。


 力無き無辜の民を傷つけるわけにも、見殺しにするわけにもいかない。この状況では、自身の力を十全に振るうことができない。




「―――――……ぅおおわアッ!?」


『!?』




 歯噛みするローゼの耳に、聞き覚えのある声が聞こえたのはその時だった。


 声とともに誰かが、ローゼの斜め後方あたりの砂にドサッと落ちてくる。


「ぶはっっ!んだコレ!?」


 大きく蠢く砂の波に半分埋もれそうになりながら、直人が驚愕の声をあげていた。


「砂が勝手に動いて…うおぉ!?」


 蠢き続ける砂の波から落ちないよう、どうにか体勢を整えたらしい直人に、ローゼは振り向かないまま舌打ちする。


 あれほどの目に遭っておいて、何故来たのか。


『チッ……何故来た。邪魔だと言ったのが聞こえなかったのか』


「あっ?確かめたいことがあったんだよ…!」


 直人は上空の残骸(デブリ)――リョウ達を抱えて飛行する個体を見つけ「やっぱあそこにいるのは…クソ…!」と漏らす。




「あそこにいるのは俺の馴染みだ!人任せにできねえ!」


『貴様には何もできない』




 断定するローゼに直人は一瞬言葉を詰まらせるも、「だからって、ハイそうですかって全部お前と原川にぶん投げられるか!」と直人は言い募った。




「それに、最低限の状況把握くらいできる!あの周りの奴らが邪魔なんだろ!」




 そう言って、砂の波から落ちないようバランスを取りながら、直人は辺りを見回した。そんな直人に向かって、ローゼはただひたすらに冷たく言い放つ。




『だからどうだと言う。貴様に空中にいるものを掌握できる術はない。さきほど放出したおかげで炎の出力も底が知れている。もう一度言う、貴様にできることは無い』




 ローゼが右手を伸ばした。ローゼの手に作り出された剣の切っ先が、まっすぐ直人の喉元へ向く。ローゼの瞳には、苛立ちと、その奥に燻っている殺意が灯っており、ここで直人が引かなければ今すぐにでも喉を刺し貫こうとしている勢いだった。




『権能を使ってまで死から引きずり上げたことに、何か意味があるかと思い生かしておいたが…やはり、貴様は』


「――――あった!」




 突然直人が声をあげる。


「へっ…この辺り、見覚えあったんだよな…!」


 喉元に突きつけられている剣には目もくれず、直人はその場で立ち上がり、そして砂の波の上を歩き始めた。


 ローゼを通り過ぎ、ひたすら前へ、足を取られながらもどうにか砂の上を歩いていく直人の視線の先。


 直人の様子を怪訝に思ったローゼも同じように目を向けると、そこには、砂に埋もれながらも存在感を放つ、巨大な鉄塔があった。


「お前は残骸(デブリ)の方、見といてくれ!」


 上下に盛り上がっては重力に従って大量に砂が落ちていく不安定な足場を進み、波の端まで辿り着いた直人は、ローゼにそれだけ叫ぶと、砂が大きく盛り上がったタイミングで、鉄塔へと飛び移った。


「ぐぅ、ァッ、ぶね…!」


『何を…』


 ローゼは、そこではっとして陣形を組んで飛ぶ残骸(デブリ)を見た。


 鉄塔は風化によって酷く錆びれ、本来あるべき姿より斜角になりながらも、倒壊しきってはいない。


 直人は鉄塔の高い位置に陣取り、残骸(デブリ)を待ち構えていた。


 リョウ達を抱えて飛ぶ残骸(デブリ)と周りに固まる個体は、他の飛び回る残骸(デブリ)と比べて、蛇行するように飛んでいる。


 …よく見れば、少しずつだが、残骸(デブリ)の飛行高度が下がっていた。




「――――おらあッ!」




 リョウ達を抱え飛ぶ残骸(デブリ)が鉄塔を超えようとしたその瞬間、直人はその長い触手に飛びつく。


 周りをガードする複数匹の残骸(デブリ)の触手も、いっしょくたにして直人が握りこむと、残骸デブリの陣形が大きく傾き崩れた。


 触手を引っ張られる痛みと重みにもがいて、ビチビチと蠢く残骸(デブリ)に、しばらく揺らされるがままの直人だったが、段々リョウ達を抱える触手に力がなくなっていくのを見て、その口元にニヤリと笑みを浮かべた。




【ギチギチ!】【ギチギチギチギチ…!】


「フラフラ飛びやがって、これ以上は重量オーバーってとこか!?」




 大きくふらついた残骸(デブリ)の陣形が、とうとう完全に崩れ去る。


 触手からずり落ちていくリョウ達の体に、残骸(デブリ)達は、我先にと触手を絡めようと伸ばす。


 が、その前に直人の手がそれらを掴み取り、引きちぎらんばかりの強さで握りしめたことで、それは叶わなかった。




【ギギィィッ!】




 怒り心頭、といった様子で直人に攻撃しようとした残骸(デブリ)は、




 ザシュッッッ――!!


【――――ギッ】




 遠くから放たれた漆黒の斬撃に真っ二つにされた。




「ありがとよ…!」


 ローゼへの礼を言ってから、直人はさらに強く触手を握り引っ張って、手の届く距離にまできたリョウの腕へと片手を伸ばした。


「よ、いしょっ…と!」


 だらりと垂れた細い腕をしっかりと掴む。


 そのまま直人がリョウの腕を引っ張ったのと、残骸(デブリ)の触手からリョウと養護教諭の身体が滑り落ちたのは同時だった。




『――――無茶をする』




 鋭さを増した剣を構え直す。


 直人達が残骸(デブリ)から離れたのを視認したローゼは、両脚に力を籠めると、『ふっ――!』と一息で30mは離れた残骸(デブリ)達の元へと突貫した。




『オオオォッッ――――!!』




 気合いとともに、黒剣を横薙ぎ、一閃。


 そのたった一太刀で、上空に滞在していた残骸(デブリ)は、一匹残らず刈り取られた。








 宙に残るは、落ちていく直人達だけである。




「うおぉぉぉ…!!着地できる場所がねえッ!!」








 砂の波の上に着地できるかと思いきや、ローゼが残骸(デブリ)達を殲滅したのとほぼ同時に、波はただの砂漠へと姿を戻そうとしていた。


 着地の衝撃を和らげるクッションがない。直人は軽く絶望した。


 このあとのことを考えてなかった、まずいどうする、ローゼ間に合うか、いや無理か、などの思考が直人の頭を一瞬で駆け巡り、直人は強く目を閉じる。


 目を閉じた数瞬後には、衝撃が身体を襲う――――と思われたのだが、




「……あ?」




 衝撃がいつまでたっても来ない。不審に思った直人が目を開けると、なんと自分たちの身体が地面すれすれの空中に浮いていた。


「な……あでッ!」


 が、それも一瞬のことで、空中の停滞が解けて直人達は地面にどしゃりと倒れる。


「いってて…」


「ぅ、う…」


「!リョウ!」


 うめき声を聞き、直人はすぐさまリョウを助け起こす。顔色こそ優れないが、外傷は見当たらない。呼吸も脈も念の為確かめたが、問題ないようだ。


 直人はどっと脱力する。


「ハァーー…………」


 良かった、と空を仰いだ。すると、すぐ側にローゼが来ていることに気づく。ローゼはぐったりした養護教諭の身体を横抱きにして運ぼうとしていた。


 直人を放置し、さっさと歩いていく彼女に「ローゼ!」と咄嗟に直人は呼びかけた。


 ローゼが足を止め、怪訝そうに振り返る。


「あ、えっと」


 じとりとした視線を受け、咄嗟に呼び止めてしまっただけの直人は言葉を詰まらせた。まさか足を止めて振り返るとは思わなかったのだ。


「………ええ、と……あ、さ、さっきの、攻撃。サンキューな。助かった」


 どうにか直近の出来事に関しての感謝を絞り出す。


 が、当然の如くローゼからの反応はなかった。


 眉間に皺をよせ、直人を睨むように見つめるのみで、直人はつい数時間前に味わった気まずい空気に再び放り出される。


 この空気になるなら呼び止めなければよかった、と直人が内心で後悔し始めたところで、






『…………次はない』






 ローゼが、しばらく続くかと思われた沈黙を破った。


 ただその一言だけ告げると、ローゼは養護教諭の身体を抱えて歩き出す。しばらくその背中を見つめていた直人だが、「……なお…」と腕の中のリョウが呻いたのを聞き、はっとしてリョウを背中におぶさった。


「リョウ。もう大丈夫だぞ」


「ぅ………ん…」


「ごめんな。巻き込んで」


 自分の背中で、静かに呼吸をしだしたリョウに、ほっと胸を撫でおろして直人はローゼの後をついていく。


 数m前で風に揺れる金髪を見つめながら、直人は静かに歩を進めた。












『………………』


 ざく、ざく、と砂を踏みしめる音だけが響く中。ローゼは自分の感知できる範囲で、周囲にある気配を探る。


 ――――もう居なくなったか。


 空間に切れ目を入れ、元の世界への入口を作る。その際も周囲の様子を伺い続けるが、変わらず気配はないと悟ると、ローゼは小さく嘆息して気配を探るのをやめた。


『自力で出る方法を身に着けているのか…』


 冬璃(もう一人の自分)に伝えていかねばならない、と世界の境界を越えて、遠のいていく意識の中でローゼは考える。






 残骸デブリ達の気配で隠れ分かりづらかったが、ローゼが感じ取ったのは間違いでも錯覚でもないだろう。


 あの流砂。そして直人達の身体を一瞬浮かせた、あの瞬間。


 その時確かに、ローゼは――――自身と直人以外の、異能持ちの気配を感じ取っていた。



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