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BLACK WORLD  作者: 天津MIO
1/5

曇天の世界・壺中の天①


※この作品は「カクヨム」にも掲載しています。

 


 重い雲が覆っている空。砂塵と化している地面。砂埃が舞う視界で、それでもはっきりと見える、荒廃した自分の街。




 そこで、あり得ないはずの光景を見た。


「何故…」


 吹く風にあわせて靡く髪。見覚えがある。

 しかしあれは、ここにいる筈のない人物の筈だ。


「何故お前がここに」


 こちらを見つめる瞳は鋭かった。

 間違いない。あれは間違いなく、自分がなによりも××たかった――――











 ***






 光井直人(みついなおと)の朝は、悪夢から目覚めるところから始まる。


 どんなに疲れた状態で自分の寝床に入っても、ほとんどの朝は、セットしたアラームよりも早くに意識が浮上し瞼が開く。今日も同じだった。

 枕元で充電器につないでいたスマホを起動させ、画面の時間を確認すると「6:00」と表示されている。セットしていた時間は7:00だ。


 通っている澤杜高校(さわもりこうこう)から直人の自宅は、割かし近い距離にある。

 予定通り7:00に起床し、徒歩で登校しても、大幅に時間が余る。こんなに早く起きたところで暇を持て余すだけで、疲れが取れているわけでも、睡眠欲が満たされたわけでもない直人からすれば、何の得にもならない。


 うんざりしながら直人はそのまま指を画面に滑らせ、そのままアラームをオフにした。時間を潰すため、動画でも見るかと布団の上に横たわったまま画面を眺める。

 このまま二度寝してしまっても構わなかったが、多分もう一度目を閉じても、悪夢の続きを見るだけだろうなと直人はぼんやり思った。





 悪夢を見始めたのはいつからだったか。

 直人の記憶では、7歳くらいの頃だったと記憶している。

 建物が燃え、地面に大勢の人間が倒れている。

 あたり一面の炎と飛び散った赤い飛沫によって視界はいつも真っ赤。そんな夢だ。

 なぜなのかそこに自分は立っていて、後ろを振り返ると、そこに誰かいる。

 おそらく女だろうと思う、誰か。

 そして次の瞬間に、どん、と衝撃を感じて―――そこで、夢はいつも終わる。




 悪夢を初めて見たとき、幼い直人はひどく狼狽え、しばらく眠るのを怖がった。

 唯一の肉親である母親は、睡眠障害を診てくれる医者と病院を片端から探し、その結果、直人と母は、井原木市(いはらぎし)東区(ひがしく)に落ち着くこととなった。

 週に1回、直人は都心である井原木市(いはらぎし)中央区(ちゅうおうく)の病院に通っている。


 けれど未だに、問題は解消される様子はない。





「あー、くそ…顔洗うか…」


 起床してから30分40分と時間が経ってきたところで、直人は気だるげに体を起こした。

 向かった洗面台の鏡に映る自分の顔を見ると、案の定顔色が悪い。寝不足に比例して、目つきも鋭くなっているような気がした。

 眉間に皺が寄った直人の顔は、父方の血筋の影響で目鼻立ちが割とくっきりしている。

 が、もはやデフォルトになった不機嫌な表情と、苛立ちと拒絶を常に纏う雰囲気により、整った顔立ちは他者を威圧する材料となっていた。


 水で顔を洗い、歯を磨き、寝ぐせで逆立った明るい髪―――これもまた父方の血筋の影響で赤毛に近い色をしている―――を無理やり整える。


 数分後に出来上がったのは、身なりが整っただけで顔色は悪いままの姿。

 いつも通り過ぎて鼻で笑いそうになるが、笑う気力など勿論ない。

 代わりに、直人の口からは、盛大に欠伸が漏れた。


「あ゛ーだっる…さぼりてえ」


 口だけでそう言い、直人は観念したように洗面台を離れた。

 今日は1限目から数学である。教室に着いたら、机に突っ伏して二度と起き上がらないでおこうと直人は心に決めた。








 ***








 澤杜高校は、井原木市東区にある公立高校である。偏差値は55〜58ほどで、落ち着いた雰囲気と適度に緩い校則、豊富な部活動の数を特徴としている。

 …といっても、悪夢のこともあり部活動に入る余裕などない直人には関係のない話だが。



 通学路に、学生服姿が徐々に増えていく。

 登校時間にして20分ほどの通学路を、直人は断続的に欠伸をしながら歩いた。

 歩きながら、特に中身の入っていないスクールバッグを肩にかけ直すと、その拍子に直人のバッグと、直人の後ろから歩いてきていた男子高校生の肩がぶつかった。


 ぶつかる、というより当たった衝撃をわずかに感じた、という方が正しいが、それに対して直人は、後ろの高校生が通れるようにと道の端に寄った。

 これが明らかに相手の不注意によってぶつかった場合であれば舌打ちの一つでもしただろうが、そうではないので直人は穏やかな対応をしようと思ったのだ。


 直人が横目で相手を確認すると、相手は数人連れの高校生だった。先ほどまで友人同士で会話に花を咲かせていただろうに、直人と接触したと分かった瞬間に会話は止まり、数人の高校生達は直人に頭を軽く下げそこから離れるように急ぎ足で先へと歩いていく。

 何mか離れたところで高校生達が会話を再開させたのを、直人は遠目に見届けた。




(…中学の時なら今ので喧嘩に発展してたな)




 まだ記憶に新しい、中学時代の出来事を思い返す。


 あまり寝つけていないことから、直人は日頃から苛立ちを抱えた状態でいることが多く、それに加えて目つきや表情が険のあるものになりがちで、中学時代は些細なことで周囲と軋轢を生んだり、諍いを起こしたりすることが多々あった。

 今でこそ喧嘩騒ぎを起こすことはなくなったが、過去の直人の行為を知っている者や噂している者は多い。

 事実、学校内で直人は明らかに周りから距離を置かれている。

 先ほどの高校生たちも直人の噂を耳にしたことがあるからこそ、直人と関わるまいと距離をとったのだろう。


 直人自身は、それに関しては割とどうでもいいと思っている。

 遠巻きにしようが、怯えようが、絡んでこないなら良いと思って現状を受け入れていた。

 平々凡々な日々を送れることが変わらないうちは、自ら他者を進んで傷つけるつもりなどない。




(向こうも俺に近づかれるのはごめんだと思ってるだろうしな)

(……あぁいや、例外はいるか)




『光井直人に触れるべからず』と言わんばかりの環境下。それでも例外と呼べる人物は1、2名存在した。

 一人は直人が若干辟易としている人物だが――もう一人は、直人と当然のように接してくる。




『初めまして!席、ご近所さんだね。これからよろしく、えっと…光井君!』




 律儀に頭を下げて挨拶してきた、金髪の()()を思い出す。

 直人の今までの人生であまり関わったことのない、珍しいタイプだった。




(――――変わった奴だよ、本当)




 自分と同じく、彼女も家系の血筋の影響で人目を引く容姿をしている。

 例えば、こんな通学路でも遠目にすぐ見つけられるほどには目立ちやすい。




「…いや、何考えてんだよ」




 直人は道行く学生服の中から、彼女を探そうとしている自分に気づいた。

 思わず自分に突っ込んで、首を振る。

 気を取り直すように校門へと歩を進めた。






 澤杜高校の生徒達は、正門・北門・西門から学内に入ることができる。西門はどちらかというと教師陣や部活の朝練をする生徒達が主に使用し、正門は電車で通学する者達が使用している門だ。直人は自宅から近いため北門からの通学を常としている。


 澤杜高校北門前に続く道は緩い坂となっており、車も自転車も通る道なので、時折後ろを確認して注意しながら、坂を上がらなければならない。


 直人は、後方から聞こえたエンジン音に足を止め、振り向いた。

 案の定、坂を登る車がきている。直人は振り返った状態で立ち止まり、車が過ぎるのを待とうとした。

 直人の視界に坂から見える井原木市の街並みがうつる。高いビルや大きな病院、最近出来たばかりのショッピングモールなどが見える中、何気なく目を向けたテナントビルの屋上に、誰かがいるのが見えた。


「…?」


 直人は、改めてビルを凝視してみる。




 人影だ。

 見間違いではない。閑散とした屋上に、人影がいる。…その人影は、屋上の柵に向かって歩いている。




「…マジか?」


 咄嗟に直人はスマホを取り出した。カメラの望遠撮影機能で場所をズームして確認する。カメラレンズをテナントビルの屋上に向け、可能な限り画面をズームすると、ぼんやりとビルの屋上の様子が写った。

 その間にも人影は、とうとう柵を乗り越えてしまう。


「おいおい待て、嘘だろ?」


 直人は自分の顔の血の気が引いたのを感じた。




 それだけではない。

 屋上の人物は澤杜高校の制服を身に着けている。   

 金髪を二つに結っている。 

 最悪なことに、直人にはそれらの特徴を持っている人物の心当たりがあった。


 屋上にいるのは――――おそらく『彼女』だ。




「くそ!」




 直人はたまらず通学路を逆走する。


 警察に連絡しようにも、正確な場所まではわからない。それ以前に、色々と問題を起こしていたことがある自分の話をまともに取り合う警官がいるとは思っていない。ゆえに、直人は駆け出した。


(ショッピングモール、スーパーなら、表目通り辺りかもしれねえ!)


 直人は脳内に近辺の地図を描きながら、坂道を駆け下りた。






 ***






「はぁっ、はぁっ、はぁっ…」


 自宅のある住宅街を通り過ぎ、学校から約1駅分ほど離れた距離に、東区・杜もりの丘おかの表目通おもてめどおりは存在する。

 平日でも、大学生や家族連れで賑わいを見せるそこに、直人は息を切らしながら到着した。



「どこだ…クソ…!」



 心臓の鼓動が耳元で鳴っているかのようにうるさい。嫌な予感なのか、胸騒ぎなのか、ざわめき始めた胸中と、どうしようもない焦燥感が直人を蝕んでいた。



「間に合わなかったか…!?」



 スーパーやゲームセンター、ショッピングモールが内蔵された大型プラザに始まり、ショッピングビルや百貨店のデパートなどの建物が並んでいる中、直人は件のテナントビルを探し回る。


 あちこちの建物の屋上に目をやり続け―――




「ッ!!」




 見つけた。


 百貨店のデパートに隠れるような位置にある、少し錆びれたテナントビル。その屋上の手すりに後ろ手で捕まる姿勢で、『彼女』はまだそこにいた。その姿を目にして思わず、直人の口から彼女の名前がついて出る。




「原川…!!」




 原川(はらかわ)冬璃(ふゆり)


 今まさに飛び降りんとしている女生徒は、直人と同学年のクラスメイトで、数少ない直人と関わりを持つ人物だ。


 先ほどの坂道より近距離であるため、今度はしっかりと肉眼で視認できた。

 金髪のゆるくパーマのかかったツインテール。学校指定の薄手のカーディガンにスラックスの出で立ち。間違いなく、原川冬璃その人だった。


 見間違いであってほしかった。

 彼女が何故。よりにもよって、自分の知っている人間がどうして。



「原川…!!」



 感情が溢れ出したかの如く、直人は真っ直ぐテナントビルまで走った。彼女の目に留まるように、ビルの真下まで走り寄る。

 今からビルの中に入り屋上に向かっても間に合わないだろう。直人は地上から屋上の冬璃を見上げたまま、スマホのメッセージアプリ〈CALLIN'〉から冬璃の連絡先に通話をかけた。


 高校に入学して間もない頃、クラス全体のメッセージチャットグループに登録されたことが功を奏した。グループから『原川冬璃』のアイコンをタップし、個人通話をかける。




 プルルルルルルルルル…


 プルルルルルルルルルルル…



「…!」



 屋上の冬璃が、制服のポケットから、恐る恐るといった様子でスマホを取り出すのが見えた。直人は僅かに安堵する。冬璃がもしスマホを手元に持っていなかったら望みは消えていた。




 プルルルルルルルルルルルルル。


 プルルルルルルルルルルルルル。




「…………」


 冬璃は電話をとろうとしない。

 コール音が直人の耳元で無機質に続いて、果たしてどれほど経ったのだろうか。

 屋上にいるとはいえ、冬璃の目にも直人の姿は視認できているはずであった。

 コール音はまだ続いている。



「原川…!」



 プルルルルルルルルルルル。


 プルルルルルルルルルルル。



「…………あ…?」



 直人の目に、冬璃が口を動かしたのが見えた。



「何だ?なんて…」



 冬璃は動かしていた口を閉じ、




「はら――――」




 プルルルルルルルルルル。


 プルルルルルルルルルルル、ぶつり。




「あ、」


 通話が切られる。


 冬璃が屋上の縁を蹴った。


 冬璃の体が宙に投げ出された。




 冬璃が、ビルから落ちていくのが見えた。













 その瞬間、直人の視界がかすんだ。





 【―――ジジジジジジ、ジジジジッ―――】


 瞬きを繰り返す。

 瞬きをするたびに冬璃の体が地上へ近づいていく。


 【――ジジジジジジジッッ――――】


 直人は、どうにもできないと頭で理解しながら、どうにかしたくて冬璃の方へと腕を伸ばした。


 【ジジジジジッ――――】


 あのビルの高さから飛び降りたら、直人が冬璃のもとへ駆け寄っても落下時の衝撃で二人とも問答無用で死ぬ。

 冬璃が飛び降りた時点で詰みだった。

 それでも、直人は冬璃のもとへ駆け寄らずにはいられなかった。





 【―――――ジジジジジジッ!―――】


 【―――――ジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジッッッッ】





「…………………!!!」


 直人の視界のかすみが、歪みになった瞬間。


 冬璃と直人の距離は、あと少しで触れられそうなほどのものになった瞬間に。




 直人の視界が暗転した。










 ***











 しばらく目を閉じたままでいると、視界の歪みが徐々に回復していくのが分かった。

 何故か、細かく肌を打つ感触がある。風が先ほどより強く吹いている気がする。


 直人はゆっくりと瞼を持ち上げた。






「…………………………は?」






 目を開けば、直人の周囲には別世界が広がっていた。


 重い雲が覆っている空。砂塵と化している地面。砂埃が舞う視界で、それでもはっきりと見える、荒廃した街の景色。




「……は?あ?」




 情報が何も頭に入ってこない。

 直人は間抜けな声を上げるが、勿論それに反応する存在はいなかった。

 景色は無情に直人の視界に広がる。

 肌を砂埃が叩き、砂塵の地面に足が沈む確かな感触に、直人は「これは夢ではない」と否が応でも思い知らされた。


 がらがら、と何かが崩れ落ちる音がして直人は弾かれたようにそちらに顔を向ける。どうやら、元はビルだったのだろう建物が、風化した影響で朽ち、一部が崩れ落ちたらしい。


 直人は、朽ちたビルだったものを見て違和感を覚え――否、既視感を覚え、驚愕した。




「これ…さっきのテナントビルじゃねぇか…」




 直人の記憶にある筈のビルとは思えないほど劣化していたが、間違いなく、先ほどまで直人が見上げていたビルそのものだった。

 よくよく辺りを見回せば、見覚えある建物の残骸がちらほらと確認できる。

 大型プラザ、ショッピングビル、百貨店のデパート。………それら全ての、瓦礫と残骸がそこら中にある。 




「何だよこれ…!どういうことだ…!?」




 荒廃とした世界、何もかもが崩れ去った景色。

 この場所はどうやら、自分の住む井原木市の変わり果てた姿らしい。

 それを理解し始めた直人は、辺りを見回しながら狼狽した。


 何故、突然こんなふうに?

 まるで災害にでも見舞われたようだ。

 しかし、何故自分の住んでいる街が?


 疑問が増えていくうちに、直人の頭の中は「何故こんな現状になってしまっているのか」という考えから「ここが自分の街の残骸であるなら自分以外の人間はどうなったのか」という考えへシフトしていく。


 誰かいないのか?

 誰か……




「原川…そうだ、原川は…」




 何もまとまらない頭で、それでもここまで来た目的を思い出して、直人は未開の地に足を一步一步踏み出した。

 ざり、ざり、と砂で満たされた地面を踏み潰す音が響く。

 人の気配どころか、生き物の気配すらしない。一步足を進めるごとに直人の胸中に焦りと不安が広がるが、足を止めるわけにはいかなかった。




 ざく、ざく、ざり、ざり、ざり。

 しばらく経っても、直人の足音と、呼吸音しか聞こえるものはない。


 どれほどそうして歩いていたのか、瓦礫が少なく、開けた場所に出た。ギリギリ原型を残している建物の隙間から、砂が流水のように地面へと流れている。さらさらとした音しかしない、耳が痛くなるほどの静かな場所に、直人の探し人はいた。



「…!原川!」



 地面に流れる砂によって出来上がったのだろう、砂の小山にもたれかかるようにして、冬璃は倒れていた。砂に足をとられながら、直人は急いで冬璃に駆け寄る。


「原川、原川!おい、大丈夫か!」


 冬璃の傍まで近寄り、しゃがみこんで彼女の肩を叩く。冬璃の意識はないようだ。だが、見たところ冬璃の体に外傷は見当たらない。

 直人は冬璃の肩を掴んで仰向けにし、彼女の口元に手をやって呼吸をしているかを確認する。……どうやら、呼吸に問題はない様だった。

 そこまで確認して、直人はずっと力が入りっぱなしだった肩の力をようやく抜く事ができた。


「無事か……」


 突然見知らぬ場所へ来てからはじめて、自分以外の誰かを見つけたことによる安堵も加わり、直人の体全体から力が抜けそうになる。


 良かった、と口にしようとしたその時、直人は次の問題にぶち当たったことに思い至り、



「いや、良くはねえよ……どうすりゃいいんだこの状況…」



 とひとりごちた。冬璃が目覚めたらこの状況をどう説明したらいいものか、と直人は頭を悩ませる。

 そうこうしているうちに、冬璃の口から僅かに呻く声が漏れた。

 冬璃の睫毛とまぶたが震え、うっすらと開く。




「ぅ……ん…」


「…よ、よう。原川、分かるか?俺、光井だけど。…これ見えるか?」




「まだ何も考えついてねえのに!」と直人は頭を抱えたくなったが、直人はそんな心中をおくびにも出さず、冬璃の意識が明確かを確認するのが先決だと考え彼女の眼前に手や指をかざして話しかけた。 



「…………」



 覚醒したばかりだからか、冬璃からの反応は薄い。



(…まだぼんやりしてるみたいだな…。こういう時はむやみに動かさねえ方がいいんだったっけか)



 と直人は思い、かざしていた手を引っ込めようとした。




 ガッ!


「…?!」




 ―――引っ込めようとした瞬間、冬璃の白い手が直人の手首を強く掴んだ。


「………」


 冬璃は未だ何も言葉を発さない。ただただ掴んだ直人の手首を握りしめている。手首を握る力は振り払えないほど強く、次第にぎしぎしと音を立て始めた。



「は、原川?どうした…」



 異様な雰囲気を感じ取り始めた直人は、再度冬璃に声をかける。

 しかし、冬璃の方からは小さく呟く声しか聞こえず、直人は返事を聞き取ることが出来ない。



「おい、お前大丈夫か、―――!?」



 直人が思わず、そう続けようとした時。

 物凄い力によって直人の体が傾き、直人はそれ以上二の句を告げることができなかった。

 手首を掴まれたまま、相手に地面に引きずり倒されたのだ。


 ずしゃあ、と思い切り地面に倒されて、直人の顔や服は一瞬にして砂まみれになる。倒された際に咄嗟に目をつぶり、幸い目に砂は入らなかったが、顔中に砂が降り注いだため、直人は口に入った砂をペッペッと吐き出した。



「うぐッ、ぅえっ…ペッ!…何すんだ、いきなり!」



 さすがに体中砂だらけにされては黙っておけない。掴まれた手は解放されていないので、掴まれていない手で顔の砂を払いつつ、直人は相手を睨もうと目を開けた。


 倒れたままの状態で直人は相手を見上げると、片膝を立てた姿勢で相手は直人を見下ろしている。




「…何故」

「……あぁ…?」

「何故、お前がここにいる」




 ようやく発された相手の言葉に、直人は怪訝な顔をした。相手の表情は前髪に隠れて、近い距離の筈なのによく見えない。


 …彼女は、原川冬璃はこんな振る舞いをするような人間だったろうか?こんな喋り方をしただろうか。


 直人の眉間の皺が深くなる。

 目の前の彼女の様子は、明らかに通常のそれではない。


「何故…」と目の前の相手は、先ほどと同じ言葉を繰り返し、強くこぶしを握っている。そのこぶしはみしみしと音が鳴るほど強く握りしめられている。

 同様に、直人の手首を掴んでいる力も強くなり始め、直人は痛みに顔を歪めた。


「いっ…、うぉ!」


 離せ、と抵抗を試みるが、手首は微動だにせず離れない。

 さらに、ざあ、と風が吹きつけ、辺りの砂が舞い上がる。目を開けていられなくなり、直人は再び目をつぶりながら叫んだ。




「何なんだよ、くそ!いい加減にしろ!離れろって言ってんじゃねーか!!」




 風は、依然と吹きつけている。

 ざあぁぁ、と砂が巻き上がり、直人の声を掻き消さんとする。

 けれどそんな中で、相手の声は鮮明に聞こえた。




「これも定めか。再び相まみえるなぞ」




 発せられたその声音は、冬璃よりも低いものだ。

 言葉遣いと雰囲気から、改めて直人は目の前の人間に対する疑念を確信に変えた。

 こいつは原川冬璃じゃない。

 何故かは分からないが、直人は直感的にそう理解した。


 お前は誰だ。何を言って。原川はどこに。


 目を閉ざしたまま、口だけはどうにか開こうと、言葉を続けようとして、




「だが、たとえそのような定めでも」




 しかし、言葉は直人の口から出なかった。

 言葉を紡げない。

 なぜか、声が出ない。




「わたしは、それを否定する」




 別の何かが口から零れ出た。

 ごぶり。ごぽり。


 …………?


 ざあざあと、砂の音以外に耳に届いた音に、直人はゆっくり、目を開けた。




「こんなことは望まない」




 直人の目の前にいる、相手を見た。

 長い金髪の女だ。

 さっきまで、原川冬璃のように二つに結っていたのが解けたのか。髪が風で靡いて広がっている。


 顔が少し見えた。

 頬に、赤い液体が飛び散っていた。




「―――わたしは、お前を、生かしてはおかない」




 直人は目線を、ゆっくり、自分の体に落とした。




「わたしは、お前を許さない」




 直人の胸を、何かが貫いていた。

 そこからも音がする。


 ずぶ、と肉に何かが沈むような音もして。


 べき、と肉の内側の骨が割れるような音もした。


 びゅう、とそこから、細く血が噴き出す音もする。





 直人は、目の前の金髪の女に刺されていた。





「わたしは―――お前を、なんどでも」




 ごぼり。ごぼり。ごほっ。

 直人の視界が赤く滲み始めた。

 血を吐き、咳き込んだ拍子に、自分の目に血が飛んだのだ。






「ころしてやる」





 女のその言葉を最後に、直人の視界は真っ暗に染まった。

 何もかもが黒くなる前に、直人は女の瞳を、ようやく見ることができた。

 こちらを見下ろす瞳は非常に鋭く、しかし、それは冷たいものなどではなかった。


 色んな感情が、混じりに交じった瞳。




(―――あぁ、そうだ)




 直人は、その瞳を見て、あることを思い出した。




(―――あの目を、見たことがある)




 怒りと、哀しみと、動揺と、混乱と、不信と、苦しみと、憎悪が混じった、女の瞳。

 直人はあれを、自分が今日まで繰り返し見てきた悪夢で見たことがあるのを思い出した。




(―――あの夢で、俺を刺したのは、あいつだ。)




 建物が燃え、地面に大勢の人間が倒れている。

 あたり一面の炎と飛び散った赤い飛沫によって視界はいつも真っ赤。

 なぜなのかそこに自分は立っていて、後ろを振り返ると、そこに誰かいる。




 ――あそこに立っていたのは、あの金髪の女だと、直人はそこではじめて理解し、



 ……そのまま、意識を手放した。




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