柊穂乃果ルート 第9話 柳沢恭一郎 ①
《柳沢恭一郎 視点》
『ピピピ、ピピピ、ピピピ―――』
「………誰だ、こんな時間に」
早朝、午前五時半。
スマホの着信で目を覚ましたオレは、ベッドの上から飛び起きた。
そして、無造作にスマホを手に取ると、通話ボタンを押して、耳へと当てる。
「こんな非常識な時間に電話掛けてきやがって! 誰だ、テメェ! ぶっ飛ばすぞ!」
『………』
「聴こえてんのか、あぁ!?」
『………はぁ。開口一番それかよ。変わってないんだな、あんたは』
「はぁ!?」
『久しぶり、父さん。楓馬です』
「…………………は? ふう……ま……?」
頭から冷や水を掛けられたかのように……一気に眠気が冷めていく。
オレに連絡を取ってくることなど、まずあり得ない相手からの電話。
オレは動揺しながらも、ゴクリと唾を飲み込み、何とか口を開く。
「な……何で、この電話に、楓馬が……? と、というか、何で、お前が、オレに電話を……?」
『へぇ? あんたでも動揺することがあるんだな。それには少し、驚いた』
「良いから、答えろ、楓馬! お前は愛莉によって、オレとの接触の一切を禁じられているはずだ! 何故、この電話番号が分かった!」
『一応、あんたの娘とは知り合いなんでな。彼女から聞いたんだよ』
「オレの……娘……?」
『銀城遥希だよ』
その言葉に、思わず、舌打ちを放ってしまう。
確かに遥希には、花ノ宮家の騒動、ひいては、実の子である楓馬とルリカのことは今まで黙っていた。
だから、遥希がどこかで楓馬と知り合い、オレの存在に勘づくのは……あり得る話だとは前々から思ってはいた。
だが、そんな偶然、起こる確率も早々ないだろうと、高を括って、今までその可能性には目を向けてこなかった。
これは……完全に、オレのミスだな。
オレは、ふぅと深く息を吐き出し、柳沢恭一郎としての……父としての、仮面を被る。
「それで、いったい今更オレに何の用だ、楓馬。まさか、お前たちを捨てて、勝手に娘を作ったオレのことを恨んで……電話を掛けてきたわけじゃないよな? だとしたら、お前は子供の頃から何の成長もしていないな。まだ、父親の影を追い続けるだけの……クソガキ、甘ちゃんだ」
オレの知る、過去の楓馬だったら、この言葉で完全に怒り狂い、通話を切断するはず。
だが、オレはさらに、楓馬に対して追い打ちをかけることを決めた。
楓馬が……もう、オレに電話を掛けるだなんて、馬鹿な真似をさせないために。
父親なんていなかったと、吹っ切れるように。
「良いか、楓馬。お前は結局、役者の世界に戻らなかった、クズだ。だが、遥希は違う。お前と違って、あの娘には才能がある。無能な人間がいくら羨んでも、才能のある人間に勝てはしない。だからオレはお前たちを捨て、遥希を選んだ。あいつこそが、オレの後継者に相応しかったからな」
『……』
「オレを恨むなら好きに恨め、楓馬。お前たち兄妹を捨てたのは、紛れもない事実だからな。……ククッ、もしかして、オレに、子供を捨てなければならない何かやむを得ない事情があったのではないのかと、そんなことを考えて電話を掛けてきたんじゃないだろうな? だったらそれは、お前の勘違―――」
『悪いけど、もうそんなことはどうでも良いんだよ、父さん』
「……は?」
怒声を放たれると思っていたら、何故か楓馬は……至って冷静な様子だった。
そんな予期しない楓馬の様子に思わず瞠目して驚いていると、楓馬はため息を吐き、続けて開口する。
『オレは確かに、もう、役者じゃない。銀城遥希がオレよりも才能があると、あんたがそう言うのなら……それはそうなのだろう。別にそれに対して、何の怒りも悲しみもないさ。今のオレにはどうでも良いことだ』
「楓、馬……?」
『父さん、オレは息子として、あんたに頼みたいことがあって、電話を掛けたんだ。父さんが母さんを花ノ宮家から救ったように、オレも、大事な人を救いたいんだ。どうか、真剣に話を聞いてくれ。頼む』
電話の向こうで、楓馬が真剣に頭を下げている姿が、何故だか想像できる。
そして、楓馬が……ある一線を越えてしまったことが、その言葉から、用意に推察できた。
「楓馬……お前、まさか、本気で……」
思わず、声が震えてしまった。
それは当初からオレが楓馬に対して、強く望んでいたことなのに。
それなのに……風馬が本当に『役者』ではなくなったことを目の前にして、オレは……思わず、酷く、動揺してしまった。
「………考え直せ、楓馬」
『え?』
「本気で役者を辞めようとすんじゃねぇッッ!! てめぇは、このオレ様が認めた唯一の、本当の、天才だッッ!! なのに、どうでも良い、だぁ!? ふざけてんじゃねぇぞ、この野郎!!!!」
『い、いきなり何言ってんだよ、父さん? さっきはオレのことを、才能の無いクズだって言っていたじゃないか……』
「うるせぇ!!!! 花ノ宮家の縛りがなくなったら、もう一度オレがお前を鍛え直してやる!! もう一度、オレがお前を、舞台の上に立つことができるようにしてやる!! だから……だから、怒れよ、楓馬……っ!! 役者としての自分を貶されて、当たり前のように受け入れてんじゃねぇよ……オレにキレろよ、舐めんじゃねぇって、憤慨しろよぉ……!!」
『父、さん……?』
瞳から涙が零れ落ちる。
オレは、誰よりも息子が……柳沢楓馬が才能のある人物だということを知っている。
だが、役者の世界は、残酷だ。才能の枯れた者にとってはあそこは、地獄でしかない。
だから普通の男子高校生になり、普通の人間としての幸せを、楓馬には掴んで欲しかった。
あいつを苛烈な稽古で追い詰めたオレのような糞親父のことなど忘れて、一般人として、平穏に暮らして欲しかった。
今まではそう、思ってはいたのだが……いざ、楓馬が役者というものに一切の未練が無くなった姿を見せつけられると、たまらなく、悔しかった。
自分の心の奥底では、楓馬がいつの日かイップスを克服し、また、舞台の上でオレと邂逅することを……強く、切望してしまっていたのだ。
『……父さん、今、あんたは仙台市内にいるのか?』
「……」
『いるのなら、今から外に出てこれないかな。大事な話があるんだ』
「グスッ……なんだよ、大事な話って……」
『オレの秘密を、父さんに全て打ち明けるよ。だから……手を貸して欲しい』
「手を貸せ、だ?」
『花ノ宮樹に、会わせて欲しい』
「………は?」
その言葉にオレは思わず、目を瞬かせてしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
朝焼けの空を眺めながら、静かに家を出る。
ふと、家の前に駐まっている漆黒バイク……Vストローム250に視線を向ける。
二人乗りが可能な中型バイクで、オレが古くから乗っていたものを、以前、遥希の奴にくれてやったものだ。
そのバイクを見つめた後、オレは前を振り向き、トボトボと閑静な住宅街を歩いて行く。
そして……今は懐かしき、過去のことを、ゆっくりと思い返して行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
◇回想◇
「…………柳沢さんって、いつもつまらなそうに授業を受けていますよね。何でですか?」
大学の講義が終わり、大きく欠伸をしていると……隣の席に座る長い黒髪の少女が、そう、オレに声を掛けて来た。
今まで何度か隣の席になることはあったが、一切の関わりの無かった少女。
故に、この無表情の少女が、まさかオレに声を掛けてくるとは思わなかった。
なので、オレは思わずキョトンとした顔を、彼女に対して向けてしまう。
「へぇ……? 花ノ宮って……喋れたんだな。びっくりだ」
「……私のことをいったい何だと思っているのですか、貴方は」
「いや、悪い。いっつも無表情だったからよ。感情、無いのかと思っていた……」
「失礼な人ですね。感情くらいありますよ。……ほら、今、私、すっごく怒った表情をしているでしょう? どうですか?」
「悪い、全然分からねぇ……」
「むーっ……」
そう言って、お隣さん……花ノ宮由紀は、不機嫌そうにジト目をこちらに向けてきた。
オレはそんな彼女の姿に、思わず、クスリと笑みを溢してしまう。
「あんた、思ったよりも面白い人なんだな」
「面白い人とは、心外な言葉ですね。それで、私の質問にはいつ、答えてくださるのでしょうか?」
「あ、あぁ、悪い。何でいつもつまらなそうに授業を受けているか、だったな。それは……オレにとって、この講義は足しにならないからだよ」
「足しに、ならない……?」
「オレはこう見えても、新人役者の端くれだ。役者は、あらゆるものを経験し、吸収することで、その経験を演技へと昇華することのできる生き物だ。だが、オレは、知識というものは知ったからどうこうできるものではないと思っている」
「? 仰っている意味が分かりません。知識とは、学んで吸収するものではないのでしょうか?」
「その通りだ。学びは、重要だ。だが、だからといってたった一人の教授のオッサンの教義を記憶したところで、それは経験にはならない。それはただ、知っているだけにすぎない」
「やはり、意味が分かりません。知っているということも、学びではないのですか?」
「大いに違う。教授のオッサンの話を聞いているだけの講義は、ただ、ラジオを垂れ流しにして聞いているようなものと何ら変わらない。実践のない授業など、クソの役にも立たない。話を聞いて板書するだけなど、誰にだってできることだ。それは、学びではない」
「………実践のない授業はクソ、ですか……」
「あぁ。もし、オレに子供ができて、そいつが才能のある人物だったのなら……オレは徹底的にあらゆる分野を学ばせ、経験と実践を繰り返させることだろう。人間の時間は有限だからな。天才を産み出せるとしたら、その時間は限られている」
「………貴方の子供として生まれてくる人は、可哀想ですね。親の都合で教育方針を定められるなど、それは虐待に近いものだと思いますよ」
「例えばの話だ。オレがそんな教育を施そうと思うのは、自分より上だと思った奴にしかしない。だからそれは、在り得ない空想の話。……ククッ、オレ様はいずれ役者の世界の頂点に立つ男だからな。生半可なレベルの奴に指導するほど、暇じゃないのさ」
「………随分と、上から目線で、随分と、自信過剰な方なのですね」
「上を目指すには、常に、自信過剰な馬鹿じゃねぇといけねぇのさ。後、重要なのはプライドだ。プライドが無い奴は、役者……ひいては、芸術家じゃねぇ。自分が作り出したものに自信がない奴は、クリエイターではない。只の人だ」
そう言ってカラカラと笑うと、由紀は呆れたようにため息を吐く。
「芸術家、というものは私には分からないものですが……何となく、そういった人種は面倒臭いということは分かりました。貴方という人間を直に見て」
「お褒めの御言葉、感謝するぜ、お姫様」
「誰も、褒めてはいま――」
「由紀ー、講義終わったー? お昼行こー?」
その時。オレたちの元に栗毛色の髪の胸のでかい女が姿を現した。
その女は、オレの顔を見るなり、げんなりとした表情を浮かべる。
「ゲッ、柳沢恭一郎……」
「ゲッとは何だ、ゲッとは。人の顔を見て失礼だぞ」
「まさか、あんたが、こんなところにいるとはね……。というか、由紀と話してたみたいだけど、何なの? あんたら知り合いだったの?」
「いや? 今、知り合いになったばかりだ」
「ええ。そうですね」
「ふーん……?」
そう言って栗毛色の少女――オレが所属している演劇同好会の会長、柊恵理子は、由紀の身体を抱きしめると、オレを鋭く睨みつけてきた。
「由紀、この男、イケメンだからって惑わされないようにね。こいつ、ただの変人だから」
「うん、それは、何となく……もう分かってる」
「勝手に変人呼ばわりしてんじゃねーよ! ムカつく女どもだな!」
そう言ってオレは席を立ち、鞄を肩に背負い、はぁと大きくため息を吐いた。
「じゃあな、花ノ宮。あ、あと、気を付けた方が良いぞ。柊は、男も女もイケる、両刀だからな」
「え゛?」
「よ……余計なこと言ってんじゃないわよ、恭一郎!! ぶっ飛ばすわよ!!」
背中に蹴りを入れられつつ、オレはそのまま教室を出て行こうと歩みを進める。
そして一瞬、肩越しにチラリと、柊と談笑するお隣さんに視線を向けた。
―――花ノ宮由紀。
日本屈指の富豪、花ノ宮財閥のご令嬢で、その経歴から、滅多に誰も声を掛けようとはしない、孤高の少女。
オレも、何となく、常に無表情だったから、その雰囲気からして会話するのを避けていたのだが……話してみると、案外普通の女の子だな、あいつ。
顔も良いし、もっと笑えば、友達もできると思うのにな……勿体ない。
オレはそう心の中で呟き、教室を後にした。




