柊穂乃果ルート 第6話 お団子少女、本当の妹と出逢う。
「…………空が、綺麗だな」
香恋と別れた後。
オレは屋上でひとり横になって、入道雲を眺めていた。
青い空にゆっくりと流れていく、大きな雲。
そして、涼しげな風がふわりと優しく頬を撫でていく。
そんな初夏の風景の中。暖かな陽光に包まれながら――――オレはゆっくりと、瞼を閉じた。
すると、決まってそこに浮かぶのは、可愛らしい笑みを浮かべるお団子頭の少女の姿だった。
いつもオレに優しい声を掛けてくれる、暖かな、太陽のような少女、柊穂乃果。
あの子はこの学校に入ってから、どんな時でも、オレの傍にいてくれた。
オレが弱っている時には決まって背中を支えてくれて……父のことで泣いてしまったオレを優しく、抱きしめてくれたりもした。
誰よりも優しくて、可愛い、小柄な女の子。
………自分でも気が付いていなかった。
まさかオレが、いつの間にかこんなにも……あの少女にメロメロになってしまっていたなんて。
そうだな……まず、穂乃果は、顔が良いだろ?
小動物的な可愛らしさのある、クリッとした大きな眼と、小さな鼻と口がとっても可愛いらしい。
あと、身体が……こう、顔に見合わず、とっても成熟していて、すご……ゴホン、何でもない。
とにかく穂乃果は、とっても可愛くて、優しい女の子だ。
あの誰に対しても優しい性格は、今時の人間には見られない、とても素敵なものだと思う。
オレのような日陰の人間には、彼女の在り方はとても眩しく思えるものだ。
彼女はオレを尊敬してくれているらしいが、オレにとっては、穂乃果の方が百倍すごい人間に思える。
あの子は、困っている人がいたら、けっして誰であろうとも見捨てようとはしない。
きっと、苦手な男性であろうとも、倒れていたりしたら……見過ごすことなどしないのだろう。
あの子のあの性格は、暖かな、柊家の家庭で育ったからならでは、なのだろうな。
悪い言い方をすれば、お人好し。良い言い方をすれば、純粋無垢な少女。
オレのような……幼少期、父に捨てられ、花ノ宮家という悪鬼たちに囲まれて育った荒んだ人間には、本来、関わり合いになるはずのない、正道を歩むまっすぐな女の子。
あんな、可愛らしい女の子の微笑みを、傍でずっと見つめられていたら……それよりも幸せなことなど、きっと他にないのだろうな。
将来、あの子の心を射止め、恋人になる男性が……羨ましくて仕方がない。
「………あっ、いた! お姉さま! こんなところで、何をしてらっしゃるのですか!」
目を開くと、そこには……今しがた想像していた、お団子少女の姿があった。
彼女は呆れた様子でこちらを見下ろすと、手にもっていたペットボトルをオレの頬に押し付けてくる。
「冷たいですよ、穂乃果さん……」
「こんなところで寝ていたら、熱中症になってしまいますよ、お姉さま」
「少し、考えたいことがあって。日向ぼっこしていたんですよ」
「考えたいこと?」
「ええ」
そう言って上体を起こすと、穂乃果はオレの隣に座り、ギュッと、手を握ってくる。
「えへへ。また、手、握っちゃいました」
「ほ、穂乃果さん……!?」
「今、ここには、誰もいないですし……手、握っていても……良いですよね? お姉さま……」
「か、構いませんが……私、手汗すごいですよ?」
「お姉さまの手汗は女神様の手汗です。汚くなんてないです」
「何ですか、それ……」
クスリと微笑みを浮かべて、笑い合う。
すると穂乃果は空を見上げて、ポツリと、呟いた。
「私、何だか今日、変なんです。花子ちゃんがお姉さまとお話しているのを見た時、その……とても嫌な子になっちゃったんです」
「嫌な子、ですか?」
「はいです。お姉さまとそんなに近くでお話しないで欲しい……お姉さまから離れて欲しい、って。そう、思っちゃったんです」
そう口にして穂乃果はチラリとオレの横顔を見つめると、困ったように笑みを浮かべた。
「それだけじゃないんです。今日、お姉さまが月代さんと仲良さげに話しているのを見て、こう、胸の奥辺りがムカムカ……してしまいました。月代さんなんてどっか行っちゃえば良いのにとか、そう、思ってしまいました………。どうやら穂乃果は、とっても嫌な子になってしまったみたいなんです、お姉さま」
「……」
「月代さんは、きっと、お姉さまにとって必要な存在……お互いに肩を並べて前へと進んでいける唯一の存在なのだと思います。私、ロミオとジュリエットの舞台を見た時、ただただ月代さんが羨ましくて仕方がなかったんです。あの人は、お姉さまの信念を守り、舞台の上で貴方様を懸命に支え続けた。それなのに、私は……辛そうなお姉さまを見て、舞台の下に降ろそうとしてしまいました。ダメダメな子です」
「そんなことはありませんよ。穂乃果さんは倒れそうな私を心配して、助けようとしてくださっただけです。だからあの時、穂乃果さんは茜さんに怒ってくれたんです。貴方はとても、優しい方なだけですよ」
「………違います。私は、ただただ悔しくて、月代さんに当たってしまっただけです」
「え……?」
「私は、お姉さまが思う程、優しい人間ではありませんよ。本当の私は……憧れの人を独り占めしたい、すごく嫌な子なんです。花子ちゃんと秘密のお話をするお姉さまなんて見たくないし、私がけっして並ぶことができない、月代さんとお姉さまの固い絆なんか、視界に入れたくもありません。お姉さまを口説こうとする銀城先輩なんて……もっと嫌いです。みんな、どっか見えないところに行って、いなくなってほしいです……」
そう毒を吐き、穂乃果は空を見上げながら眉を八の字にして、ふぅと短く息を吐いた。
そして、こちらに顔を向けると、悲しそうに目を細める。
「穂乃果は、こんなに嫌な子なんです。お姉さまも、流石に嫌いになりますよね?」
この子は、本当に………可愛らしい女の子だな。
普通の人にとっては面倒に感じるだろうその独占欲も、オレにとっては愛らしくて仕方がないものだ。
「……穂乃果さんは、嫌な子ではありませんよ。私だって、穂乃果さんが他の男性とお話していたら……嫌だと思います。普通なことです」
「え……?」
「あっ、いや、その……」
思わず思っていた本音を口から溢してしまい、オレは目を逸らして、そっぽを向いてしまう。
するとそんなオレを見つめて、穂乃果は……心底驚いたように目を見開き、ボッと、頬をリンゴのように赤く染めていた。
「お、おおお、お姉さま……? い、今のは、そ、その……」
「………」
無言でそっぽを向くオレの手を、穂乃果はギュッと握り返してくる。
そして彼女も、オレとは逆方向にそっぽを向く。
夏の心地よい風が吹く中。オレたちはお互いに顔を逸らし続けながらも、強く手を握りしめ続けていた。
普通、お互いに無言だったら、気まずいはずなのに。
この空気は、何故だかとても心地よかった。
ずっとこのまま二人だけの世界にいたい……そう、思ってしまう程に。
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放課後。いつものように陽菜、花子、穂乃果と共に雑談を交わしながら下校していく。
他愛ない会話をしながら歩いていると、隣にいる穂乃果がチラチラと何か言いたげにこちらに視線を向けている姿があった。
そんな彼女の様子に微笑みを浮かべながら、歩くこと数十分。
仙台駅の改札前へと辿り着いたオレたちは、毎度のように、ここで別れの挨拶を交わし、バラバラに他の路線へと乗って別れて行く。
「それじゃあねー! 二人とも!」
「では、さらばです、青き瞳の者、巨乳女」
そう言って、陽菜と花子は改札の奥へと消えて行った。
残されたのは、改札前で立ち尽くす、同じ路線…仙山線組みのオレと穂乃果のみ。
穂乃果は隣に立つオレの顔を盗み見ると、両手の人差し指をくっつけ、動揺した様子を見せ始める。
「あ、あああ、あの、お姉さま、ど、どうして……お帰りになられないのですか?」
「フフッ。先ほどから、穂乃果さんが私に何かを言いたげな様子でしたので。穂乃果さんが何か言ってくれるのを、待つことにしたんです」
「あぅぅぅ……全部、バレバレなんですねぇ……」
そう言って彼女はさらに頬を真っ赤にさせると、上目遣いで、オレのことを見つめてくる。
「あの……ご迷惑だとは思うのですが、その……き、今日も、私のおうちに、泊まっていってはくださらないでしょうか……お姉さまっ!!」
祈るようにして手を組み、不安そうな顔で、穂乃果はオレにそう言葉を放ってくる。
もう少し黙っていて、この不安で押しつぶされそうな可愛い顔を眺めていたいところだが……それは流石に可哀想だな。
オレは首を傾げ、穂乃果へと笑みを見せた。
「元より、そのつもりでしたよ。今日も穂乃果さんに深夜に起こされては敵わないですからね」
「うぅぅぅ~。昨晩は本当にごめんなさいですぅ~、お姉さまぁ~……」
「フフフッ、冗談ですよ。では……行きましょうか?」
「はいですっ!」
そう言って穂乃果は真っ赤になりながらも、オレに近寄り……ギュッと、手を握ってくる。
そして、えへへへと、可愛いらしく笑みを見せてきた。
「何だか、最近、私、我儘になっちゃったかもです。お姉さまの許可を求めずに、勝手に身体が動いて……手を繋いでしまいます」
「わ、我儘、ですか……」
「えへへ。お姉さまのお手々、あったかくて、大好きです」
その言葉に、オレは頬を紅く染めつつ、コホンと咳払いをする。
そして、気を取り直して、開口した。
「その、穂乃果さん、一度着替えを取りに行きたいので……一旦、私の家の方に向かってもよろしいでしょうか?」
「楓お姉さまのおうち、ですか? 勿論ですよ!! 穂乃果、前からお姉さまのおうちがどんな感じなのか、見てみたかったのですよぉう!!」
謎にテンションを上げ始める穂乃果。
オレはそんな彼女に呆れた笑みを浮かべつつ、穂乃果と手を繋ぎながら……自宅へと向かって歩き出した。
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「ただいま~」
「お、お邪魔しますですぅ~」
家へと入ると、廊下の奥からバタバタと足音が聴こえてくる。
そして、目の前に……愛しの我が妹君、大天使ルリカエルが降臨なされた。
「おかえり、おにぃ…………え? 待って、誰、その人?」
「あ、っと……この方は、花ノ宮女学院の友人の、柊穂乃果さんです」
「花ノ宮女学院の、お友達……? ちょっと、おに―――じゃなかった、ちょっと楓ちゃん、正気なの……?」
そう口にして、こちらにジト目を向けてくる大天使様。
まぁ……我が神が言わんとしていることは分かる。
オレの正体を知らない同級生を、わざわざ自分の家に連れてくるなんて、迂闊にも程があるからな。
とはいっても、まぁ……気を付けていれば、多分、大丈夫だろう。
有栖に狙われている以上、穂乃果を一人にしておくわけにもいかないしな。
「穂乃果さん、こちらの、地雷系ファンションのピンクメッシュの美少女は、私の妹のルリカです」
「は、初めまして……お姉さんのお友達の、柊穂乃果と申しますぅ……」
「……どうも」
人見知りの気があるルリカは、初対面の人間に対して態度が悪くなるのは、いつものことだ。
だから、彼女のことを敵意のある目で見つめてしまうのは仕方のないこと。
………ん? それにしても、ルリカさん、穂乃果の胸ばかりを凝視してはいないかい?
自分の小ぶりの胸と彼女の胸を交互に見て……さらに敵意を込めて穂乃果の胸を見ていないかい? ん?
「…………でっか」
「え?」
「何でもないです」
「フフフッ、ルリカちゃん、大丈夫ですよ。おに……お姉ちゃんは、ルリカちゃんの小さな胸は唯一無二のとても可愛いらしいものだと思っていますから。それに、まだ中学生なのですから、望みを捨てるには時期尚早ではないでしょうか。毎日、牛乳をたくさん飲んで努力していることを、私は知って―――」
「マジでうざい!! それ以上喋ったら本気で怒るよ!! おにぃ!!!!」
「お、にぃ……?」
「あっ……素で間違えた……お、お姉ちゃん!! わ、私は、自分の部屋で、フランチェスカちゃんの配信見るから!! 隣の部屋で変なことしないでよね!! それじゃあ!!」
「あっ、ちょっと待ってください、ルリカちゃん。お姉ちゃん、今日は、穂乃果さんのおうちに泊まって行くので、ご飯はレトルトのものを食べて貰っても良いでしょうか?」
「あー、はいはい、分かっ……は? 泊ま、る……?」
目をパチパチとさせて、驚き、固まる、大天使ルリカエル。
その後、我が神を説得するのに―――数十分程の時間を割いてしまった。
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「何だか、今日は知らないお姉さまのお顔を見れたような気がします。妹さんと、とっても仲良しなのですね」
穂乃果は手を繋ぎながら、そう、隣から声を掛けてきた。
オレは夕焼けに包まれた田園風景を眺めながら、静かに口を開く。
「そうですね……。私にとって、家族と呼べる存在は、ルリカしかいないので。ついつい、妹に対しては過保護気味になってしまうんですよね……」
「そう、だったのですか……。その、つかぬ事をお聞きしてしまいますが、ご両親は……?」
「母は五年前に病で亡くなりました。父は、私たち姉妹を親戚に預け、消えました」
「その、親戚の方たちは……家族とは、呼べないのですか……?」
「ええ。私の親戚は、ろくでもない方たちばかりですので」
「そうなのですか……」
そう言って穂乃果は、沈痛そうな様子で顔を俯かせる。
そして、顔を上げると、オレへニコリと笑みを浮かべた。
「でも、ルリカちゃんがいて良かったですね。あの子は本当に、お姉さまのことが大好きなのだと思いますよ」
「いつも、過干渉ぶりをウザがられていますけどね」
「ふふっ、そうなのですね。それにしても……ルリカちゃんはあまり、お姉さまには似ていないですよね……。あぁ、悪い意味では無くて、何か、雰囲気? 可愛さの種類? とでも言うのでしょうか?」
「そう、ですね……。確かに、ルリカは、私とは違って日本人の血が強いみたいですからね。もしかしたら、外国の血が混じる父の血統ではなく、母親の方の血が強いのかもしれませんね」
とはいっても、ルリカは母さんには全然似ていないんだけどな。
母親似はどちらかというと、オレの方だ。
だからといって、我が愛しの神があのクソ親父に似てるとも思えないし……ルリカはいったい誰に似たんだろうか。
まだ会ったことのない、父方の祖父だろうか? それとも、法十郎の亡き妻、とかか?
そう、首を傾げて静かに思考を巡らせていると、穂乃果がポソリと小さく呟いた。
「彼女は……多分、本気で、お姉さまのことを……」
「え?」
「な、何でもありませんですぅ、お姉さま! さ、さぁて、今日の御夕飯のメニュー、どうしましょうかぁ~。思い切って、難しい料理にでもチャレンジ―――――」
突如、穂乃果は会話を止め、立ち止まり、呆然と立ち尽くし始める。
どうしたのだろうかと、首を傾げつつ、オレも、穂乃果の視線の先を追う。
すると、そこには―――――有刺鉄線が巻かれた、巨大なバリケードフェンスの姿があった。
柊家を囲うようにして建てられたそのフェンスには、プラスチックプレートの看板が、無造作に張り付けられている。
『借りていたものは返せ』『この家の人間は、不法に土地を占拠している』『さっさと出て行け』
そんな文字が書かれている看板が、ありとあらゆるところに貼り付けられていた。
そして、そのフェンスの下には……嫌がらせのように置かれた大量の家庭ごみの袋が、投棄されているのが、見て取れた。
第6話を読んでくださって、ありがとうございました。
よろしければ継続のために、評価、ブクマ、いいね、お願いいたします。




