第79話 女装男、バレーで無双する。
―――――試合開始のホイッスルが、体育館に鳴り響く。
先制のサーブ権は、ハンデとして、女優科クラスに譲られることとなった。
ネットの向こう側に視線を向けてみると、そこには、普通科のバレー部員たちがこちらを馬鹿にしたようにニヤニヤとした笑みを浮かべている姿が見て取れる。
その様子からして、余程、彼女たちは自分の力量に自信があるのだろう。
オレはその光景を確認した後、手のひらにボールを乗せて、ふぅと短く息を吐いた。
――その時。ふいに、役者を目指し始めた幼い頃に言われた…柳沢恭一郎との会話が脳裏に蘇ってきた。
『……楓馬。柳沢の姓を名乗って役者をやりたいというのなら、肝に銘じておけ。三流の役者は、舞台の上に虚像を産み出す。だが、一流は違う。一流の役者は、舞台の上に本物に近い虚像を産み出すんだ。本当の詐欺師は、観客の日常を忘れさせる。舞台の上を、本物の世界に塗り替えるのさ』
『……本物の…世界?』
『そうだ。良い役者というものはリアリティを追求するものだ。だから、これからお前には、色々な経験を積んでもらう。スポーツ、音楽、料理、絵画、格闘技、などをな。無論、全ての分野で一流になることは求めていないし、そんな時間をお前に与えるつもりは毛頭ない。何故ならお前が目指すのは一流の役者だからだ。故に、お前には…大体のことがこなせる、【二流の天才】になってもらう』
『二流の、天才…』
『睡眠時間は毎日、きっかり四時間に制限させてもらう。寝食以外は、全ての時間を学習へと費やせ。あらゆる分野で二流の経験を得ることができたその時は、このオレが直接お前の演技指導をしてやるとしよう。もし、途中で投げ出すようなことがあったのなら―――その時は、潔く役者になることを諦めろ、楓馬』
……8歳の頃、そう指示されたオレは、地獄のような二年間の修練の日々を何とか耐え抜いて…10歳の時、【二流の天才】となることができた。
色々なことを学んで、分かったことがある。それは、人間には向き不向きがあるということだ。
どうやらオレには料理や絵画の才能が一定以上あったようだが、こと運動分野に関しては、あまり才能がないみたいだった。
過去に、恭一郎の伝手で雇われた…元メダリストなどのプロのコーチから指導を受けたことがあったが、どのコーチからも「楓馬くんは運動系にはあまり向いていないね」と、そう言われた記憶がある。
幼少の頃のオレは、死ぬほど運動が苦手だった。
喘息持ちだったから体力もあまり無く、走ればすぐに息が切れたし、加えて、筋肉があまり付かない体質故に、筋力も脚力も殆ど無かった。
身体が女子のように華奢だったから、造りからして、そもそもスポーツに向いているタイプの人間ではなかったんだ。
だが、それでも、オレは……諦めなかった。
死ぬ気の思いで努力して、努力して、努力して…一流の役者になりたい一心で、苦手分野であるスポーツを、ある一定の実力にまで引き上げることに成功したのだ。
「……とはいっても、所詮は二流。一つのことを真に極めた本物の実力者には、到底勝てはしない」
そう小さく呟いた後。オレはトスをして、ふわりとボールを空中に舞い上がらせる。
そして、オレは……跳躍し、眼前にいるバレー部員たちを静かに見据えた。
「クスクス…。さぁ、みんな! あの女の商売道具の綺麗なお顔を、潰してあげましょう! でも、まずは…そうね。軽く遊んであげて、あとは、さっきの声優科みたいに油断した隙を付いて―――――」
オレは、打ち上げたボールを、全力を込めて……ニヤけ面を浮かべている女子生徒の足元へと打ち放っていった。
バレーボールは宙を切り、まるで弾丸のように勢いよく、軌跡を描きながら女子生徒へと向かって飛んでいく。
「え?―――――――――きゃぁああああぁぁぁぁぁぁっ!?!?」
バレー部員のリーダー格と思しき女子生徒は、そのボールを受け止めようと、即座にレシーブの構えを取ろうとするが……寸前で恐怖心が勝ったのか。
身体を横によろめかせて、尻もちを付いてしまっていた。
そんな彼女の足元にボールは当たり、バウンドして、後方へと勢いよく飛んでいく。
ボールは強烈な音を立てて体育館の壁へとぶつかり、その横に立っていた香恋が、驚いたような顔でオレを見つめている姿が見て取れた。
「……………これで、先制の得点はいただきました。バレーは本当に久しぶりにプレイしたのですが……まぁ、見たところ、技能に関してはそこまでレベルが落ちては無さそうで安心、ですかね」
「は? え……え?」
バレー部員の女子生徒たちは先程の光景に理解が追い付かないようで、唖然とした様子で、オレの顔をジッと見つめていた。
オレはそんな彼女たちを一瞥した後、短く息を吐いた。
――想定通りの結果だ。この場にいるのは、三流のプレイヤーしかいない。
全国大会にでも出場している選手がいたのなら話は変わっていただろうが、ただの経験者相手に、このオレが敗けるわけがない。
あの程度の速さにまったく反応ができない様子なら、オレ一人でも十分、戦況を支配することができる。
「……ったく。あんたってば、どんだけ凄いのよ…」
前方から、呆れた顔で茜がそう声を掛けてくる。
オレはそんな彼女に、困ったように笑みを浮かべ、口を開いた。
「私は、そんなに凄い人間ではありませんよ、茜さん」
「それ、嫌味にしか聞こえないわよ。周り、見てみなさいよ」
「周り……?」
チラリと、茜以外のチームメンバーの顔を見てみる。
すると、そこには、潤んだ瞳でこちらを見つめる、信奉者たちの姿があった。
「お、お姉さま……な、何と、お美しい……っ!!」
「か、かっこよすぎて鼻血が出そう…! うぅぅ……この場にカメラがないのがもどかしいっ!!」
根本恵と島野千秋はそう言って、お互いの手を合わせて、感極まっている様子を見せる。
宮内は関しては…普通に泣いていた。
ボロボロと涙を流し、試合中にも関わらずハンカチで目元を拭いている。
穂乃果はというと、何故か祈るようにして手を組み、眉を八の字にさせてこちらを静かに見つめていたのだった。
…そ、尊敬してもらうのは、別に勝手にしてもらって良いんだけど…ちょっと最近、この子たちの過剰な反応に恐怖心を感じざるを得ないな……。
新興宗教の信者みたいな雰囲気が出てて、最近の如月楓ファンクラブの会員の様子がちょっと怖いです、はい……。
「………ボ、ボールイン! 先取点! 女優科クラス!」
そう言って、慌てたように鈴鳴先生がピーッとホイッスルを鳴らす。
その瞬間、背後で固まっていた女優科クラスと声優科クラスの生徒たちが、ワーッと、大きく歓声の声を上げたのだった。
まるで、普通科は芸能科の敵、そのような空気感に辺りは包まれていき……バレー部員の女子生徒たちは、苦虫を嚙み潰したよう顔をして、悔しそうに下唇噛んだ。
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《佐藤花子 視点》
「………うわぁ…まさか、こんなに腫れているとは…。まったく、初心者相手に随分と容赦しないんですね、あの人たちは」
そう言って私は女子トイレの鏡に映る自分の顔を見て、大きくため息を吐く。
不格好ではあるけれど、一応、鼻の中にティッシュを詰めて、鼻血に対する応急処置は施し終えた。
あとは、右手首と頬にできた青痣への対処だが…流石に、今から別棟にある保健室に行く気にもなれない。
どうせこの四限目が終われば昼休みだし、その時に保健室でガーゼでも張ってもらうとしよう。
私はそう決めて、女子トイレから出て、再び体育館へと向かって歩みを進めて行った。
「…………私は、どうにも、理不尽な暴力というものには、過剰に反応してしまうみたいですね」
先ほどの一件。意固地になった私は、選手交代をすることをしなかった。
私は幼い頃に、母親によって日常的に暴力を振るわれ、虐待によって心を支配されてきた。
だから…幼少の頃のように一方的な力に屈服することだけは、したくなかったのだと思う。
「………もう、忘れたと思っていたのに…未だ、私の心の奥には、あの地獄の日々が刻み込まれているみたいですね…」
震える右手を、左手でそっと押さえつける。
……私の母は、私が赤ん坊の頃に、父と離婚したそうだ。
父はどうやら、由緒正しい医者の家系の人間だったらしいのだが…私を身ごもっている間に父は母とは別の女性と浮気をし、結局、その女性と結ばれてしまったそうだ。
その影響なのかは知らないが、母は精神を病み―――娘である私を、父への復讐の道具にしようと、そう考えるようになっていってしまった。
『…良い、花子。貴方は将来、あの男より良い学歴を手に入れて、あの男よりもずっと立派なお医者さんになるの。私たちを捨てたあのクソ男を見返すためにも、精一杯頑張りなさい』
私は、子供のころからアニメが好きだった。だから…声優になりたかった。
でも、そのことを母に言えるわけがなかった。そんなことを口にすれば、母は間違いなく、私に平手打ちしてくると分かっていたから。
母の意から逸れる発言をすれば、暴力を振るわれる。だから、常に言葉には気を付けなければならない。
『………何なの、この成績は!! お母さん、90点以上は認めないって言ったわよね!! 72点って…あなた、私をバカにしてるの!?』
『ごめんなさい、お母さん、本当にごめんなさい…っ』
『ごめんなさい、じゃないわよぉ!! あぁぁっ、もうっ!! 明日は一日ご飯抜きよ! 反省なさい! この出来損ないがっっ!!!!』
そう言って、母は、私の腕に火の付いた煙草を押し付けて来た。
……私の身体には、母によって刻まれてきた、消えない傷が未だにいくつも残っている。
だから、夏でも人の視線を気にして、長袖しか着れない。
もし、今後好きな人ができても、こんな汚い身体を、けっして男の子に見せることは出来ないだろう。
本当に……あの頃は地獄だったと思う。自殺という選択肢が脳に浮かんでくるくらいには。
でも……。
『―――魔法少女、ミラクルキュアは、悪を打ち滅ぼす~☆ 次回も、お楽しみにっ!』
毎朝日曜日にやっていた幼児向けアニメに、私の心は支えられていた。
アニメを見ている時だけは、辛い現実を忘れられた。とても、楽しかった。
だから、私は――――声優という職業に憧れを抱いたんだ。
正直、高校生が一人で生きていくには、この世界はとてつもなく厳しいものだと思う。
生きていくには、必然的にお金がいる。夢を追いかけるのにも、お金がいる。
今はアンダーグラウンドな声優業をしてはいるが、私の一番の夢は、テレビアニメの声優だ。
あの地獄のような幼少期の私の支えになっていた時、私は、あのアニメに救われた。だから、私もいつか必ず、アニメ声優になりたかった。
そのために、私は、この学校に入学したんだ。
「……そう。だから私は、この程度のことで、へこんでいるわけには……ん?」
連絡通路を歩いていると、体育館の方から、大きな歓声が聴こえてくる。
普通科が女優科をボコボコにしているにしては……様子が変だ。
誰もが分かるような一方的な試合の状況に対して、あんな黄色い声は普通、上げないだろう。
「? いったい、何が……?」
急いで体育館の中へと入る。
すると、そこに広がっていたのは―――――――。
「もらいっ! 楓、いくわよ!!」
「はい、来てください、茜さん!!」
月代茜が相手から放たれたボールをトスし、楓の頭上へと高く舞い上がらせる。
そのボールを青い瞳で見据えると、如月楓は高く跳躍し――――強烈なスパイクを、相手のコートのラインギリギリへとお見舞いしていった。
バレー部の部員たちは、その弾丸のようなスピードのボールに誰も反応することが出来ず。
ボールは見事相手コートの内側へと入り、女優科クラスの得点にポイントが入ったのだった。
その光景に、普通科の生徒は皆、信じられないと言った顔で、楓の顔を静かに見つめていた。
「―――――これで、思い知りましたか? 花子さんの痛みを……」
「え……?」
如月楓…もとい、柳沢楓馬は、バレー部員たちへと鋭い眼光を向けそう口にする。
そして、再び、口を開いた。
「貴方たちは、バレーの技術においても、精神性においても、幼稚な三流です。そんな程度の低い人間が、何かを成し遂げられるわけがない。真剣に女優や声優を目指している芸能科を、あまり舐めないことです」
「ッ!! ふざけてんじゃないわよ!! 偉そうに説教してんじゃ――――」
「黙りなさい!! 貴方が先ほど痛めつけていたのは、私の大切な友人なんです!! 友人を傷付けられて、怒らない人間が何処にいますかっ!!!!」
その気迫に、普通科の生徒たちは怯み、黙り込む。
そんな彼女たちに、楓は目を細めて、静かに口を開く。
「私は、貴方たちのように他人の価値観を一方的に決めつけ、見下すような人間が本当に嫌いです。確かに、花子さんはスポーツが苦手かもしれない。ですが、私は花子さんの良いところをたくさん知っています。彼女は、とても優しい人です。こんな私の本当の姿を知っても尚、花子さんは私を変わらずに友人として接してくれた。あの御方は……誰よりも優しく、綺麗な心を持った女の子です」
「ぇ?」
「これ以上、私の友人を愚弄する気ならば、容赦はしません。その覚悟が、あなた方にはあるのですか!!」
「………ッ!」
………何故だろう。柳沢楓馬の姿から、目が離せない。
胸がトクントクンと、脈を打っているのが分かる。頬が赤く蒸気しているのも、分かる。
……何ですか、これ。意味が分からない、意味が分からない……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
先ほどの言葉で、戦意を喪失したのか。
普通科の生徒たちは、完全に意気消沈した様子を見せていた。
まぁ……声優科と女優科の大きな声援のせいで、体育館の中は、普通科の生徒にとっては随分と居心地が悪いものに変化してしまっていただろうからな。
士気が下がるのも、仕方がないところだ。
「……さて。あとは、もう一回サーブを打って、さっさとこの試合を終わりにするとしま――――」
「……フフフフ。面白いわね。楓、ひとつ、私と勝負をしないかしら。選手交代よ」
長い黒髪をファサッと揺らめかせ、こちらへと、ゆっくりとした動作で香恋が近付いて来る。
そんな彼女の姿に、突如、普通科の生徒たちは動揺した気配を見せ始めた。
「か、香恋、さん……」
「情けないわね、貴方たち。そんな中途半端な成果しか残せないなら、部活など辞めて、勉強にでも打ち込んだら? 無為なことに時間を費やすことほど、時間の無駄なことは無いと思うのだけれど」
「……ッ! すい、ません……!」
怯えた表情を浮かべるバレー部の生徒たちを一瞥すると、その中の一人に選手交代するように告げ、香恋がコートの中に入る。
……現状、こちらがマッチポイントを取っているから、女優科が一点でも獲得することができれば、オレたちの勝利は確定する。
だが………あの香恋のことだ。
あの自信満々な様子からして、恐らく、バレーの経験があるのだろう。
ラスボスのような雰囲気を漂わせ、強者然とした様子を見せる香恋。
そんな彼女の姿を、茜はジッと見つめると…ぼそりと、静かに呟いた。
「あいつって……確か以前、フーマの家に居た女、よね? 従姉妹とかだって言っていた…」
そう言うと、彼女は鋭く香恋を睨みつけ…闘志を燃やし始める。
そんな茜の様子に首を傾げつつ、オレは再び香恋へと視線を向ける。
両手にボールを持ち、不敵な笑みを浮かべてオレを見つめる香恋。
……あいつのことは、未だに知らないことが多い。
桜丘会長は、香恋のことを、天才だと言っていた。
だとするならば、努力によって創り上げた張りぼての天才…【二流の天才】であるオレじゃあ、本物の天才には太刀打ちできはしないだろう。
油断してはならない、最大級の敵とみなした方が良い。
「それじゃあ……いくわよ、如月楓」
香恋はボールを空中に上げ、トスをする。
そして、サーブを放つために――――空中へと高く跳躍した。
「えい! ………あら?」
そのままボールは…香恋の足元へとバウンドして跳ね、コロコロと後方へと転がって行く。
その光景を見て、香恋はふむと、顎に手を当て頷いた。
「意外に難しいのね。見るのとやるのとじゃ、全然違うみたいね」
「…………えぇ……」
――――――こうして、バレーボールの試合はホイッスルの音と共に終わりを告げ、女優科クラスの勝利が確定したのだった。
みなさま、第79話を読んでくださってありがとうございました!
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