第74話 女装男、恐れられる。
「会長が、桜丘理沙と双子だったとは……考えもしなかったな……」
桜丘櫻子生徒会長を自宅へと届け終え、オレは一人、高級住宅街の街路を静かに歩いて行く。
『――――良いですか、お姉ちゃん! この男は、人間の皮を被った、芸術の権化ともいうべき……悪魔のような男です!! 常人が傍にいれば、たちまち、彼に飲み込まれて行き精神が壊されていく…!! 普通の人間が絶対に近付いてはいけない人間なのですわよ!!』
『え? え? で、でも理沙、わたくしは、柳沢さんはそんなに悪い人ではないと思いますわよ? 具合が悪くなったわたくしを、助けてくださったわけですし……』
『騙されちゃいけません!! この男は……人間ではありません!! 柳沢楓馬!! 即刻、我が桜丘家の前から立ち去りなさい!! 良いですわね!!』
そう言って、桜丘理沙は会長を連れて、屋敷の中へと入って行った。
回想を終え、オレは空に浮かぶ満月を見つめながら、ふぅと、短くため息を吐く。
「………何か、知らんが、めっちゃ桜丘理沙に嫌われていたな、オレ……」
まぁ、子役時代の柳沢楓馬を見た者の反応というは、大抵二つだ。
怪物と罵り嫌悪するか、金になるとすり寄って来るかのどちらかだけ。
茜のように、正面からガツンと挑んでくる者など、早々いない。
桜丘理沙のあの反応こそが……当時の同業者がオレに抱いていた感情そのものだろう。
「悪魔のような男、か……」
如月楓の演技は、恐らく、『悪魔』と呼ぶものはいないだろう。
彼女の演技は、子役時代のオレの演技とはそもそも、質が違うからな。
観客の目を楽しませるのが如月楓の演技。
観客を圧倒させ、黙らせるのが、柳沢楓馬の演技。
どちらが役者としてより良い演技なのかは分からないが…もう、あんな風に同業者から悪魔などとは、言われたくはないものだな……。
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《黒獅木アキラ視点》
――――――あの男の、光のない、深海のような深い青い瞳を…未だに俺は覚えている。
あんな冷たい目をした人間を、俺は今まで一度も見たことがなかった。
最初あいつを楽屋で見た時、奴は、感情が無いのかと思った。
常に無表情で、口数も少なく、ただ静かに台本に目を通している。
同じ二世俳優として、俺は勝手にあの男をライバルとして見ていたが…その時は、こんなガキに俺が敗けるわけはないと、そう、思っていた。
だが……舞台の上に立つと、一変。
あの男は――――柳沢楓馬は、その身に魂を宿した。
まるで、心の無かった人形に魂が宿ったかのように、柳沢楓馬は感情を爆発させ、舞台の上を色鮮やかに彩っていく。
その演技には、”魔”が宿っているようにしか思えなかった。
奴は、舞台の上に『偽物』ではなく、『本物』を造り出していく。
観客を黙らせ、圧倒させる、有無を言わせない暴力的な演技力。
その演技を見て、俺は……ただひたすらに、恐ろしいと、そう思った。
あれは、芸術というものの深淵をその身に宿した、悪魔のような演技だ。
人が為せる技では、けっしてない。
『――――あぁ、黒獅木くんか。すまないが、この前の、月ドラに出る話だけど…無しになったよ』
『え…?』
『スポンサーがどうしても柳沢楓馬を取りたいと、頑なでねぇ。悪いね』
『そう…です、か…』
子役をやっていて、あいつの名前を聞かない日は、なかった。
『ねーねー、黒獅木くんって、子役やってるんだよね? 柳沢楓馬に会ったことある?』
中学校でも、あいつの名前を聞かれるのなんて、日常茶飯事。
『やっぱり、柳沢楓馬ってすごいよねー。流石は柳沢恭一郎の息子って感じ』
『だよねー。同じ二世俳優の黒獅木アキラなんて、あんま、有名じゃないもんね。楓馬くんてやっぱり天才だわ』
街を歩いていても、そんな会話が聴こえてくる。
……どいつもこいつも、楓馬、楓馬、楓馬、楓馬。
俺だって、才能が無いわけじゃない。あの化け物がいなければ、日の目を見ていたのは間違いなく俺だ。
だが……真の天才の前では、才人など、見向きもされない。
あの男は、柳沢楓馬は、俺が好きだった演技の世界を、黒く、塗りつぶして行く。
………それでも、俺は、役者として、柳沢楓馬を尊敬していたんだ。
『―――――あんたも…あの男に心壊されたのですの…?』
『桜丘理沙、か』
事務所のソファーで顔を俯かせていると、同じプロダクション所属の子役、桜丘理沙が俺にそう話しかけてくる。
彼女は、目の下がクマで黒くなっており、とても疲弊している様子が見て取れた。
『……私、もう、役者を辞めようかと思っていますの』
『そうか。奇遇だな、俺もだよ』
珍しいことではない。柳沢楓馬の出現で、多くの子役は辞めていった。
才能のある者も、凡人も、総じて全て。
『私、役者を辞める前に、あの人…柳沢楓馬に会いに行こうと思うんですの。貴方も来ます?』
『……そう、だな…。あぁ、勿論、俺も行くよ……』
席を立ち、桜丘理沙と共に、俺は事務所を後にした。
そして俺たちはバラエティー番組の収録を終えた柳沢楓馬をスタジオで待ち伏せ、休憩に入った彼に声を掛ける。
『――――――楓馬くん、どうか今から、俺たちの話を聞いてくれないか……?』
『……話?』
いつもの無表情な顔で俺たち二人を見つめると、彼は「来なよ」と一言呟き、スタジオの外へと出て行った。
『………それで、話って何?』
『俺たち…役者を辞めようと思っているんだ……』
『そうなんだ。それで?』
『最後に……君に問いたい。どうすれば俺たちは、君に近付けるのだろうか? 俺は…君のような役者に、なりたい……っ』
そう言って、俺は床に手と膝を付き、深く頭を下げた。
『頼む!! 少しでも良いから、俺に、君の演技を教えてくれないだろうか!! 俺は…まだ役者の世界に居たいんだ!! 父のいるこの世界で、演技を続けていきたいんだ!!』
三歳年下の小学生に土下座をする…何とも屈辱的な行為だろう。
だが、彼はただの小学生などではない。彼は……いずれ芸能界の頂点に立つだろう、天才子役だ。
『ちょ、ちょっと、黒獅木!? 何をしているんですの!?』
『頼む、頼む……!! 俺を君の弟子にしてくれないか……っ!! 何でもする!! 金も払う!! だから……っ!!』
俺のその言葉に…目の前の怪物は、呆れたようにため息を吐いた。
『――――――お前らじゃ、僕に勝つことは絶対にできない』
『え…?』
顔を上げ、見上げる。
そこにあるのは……影の中に浮かぶ、青い二つの瞳。
その光景は、芸術という悪魔が人の姿を取って目の前に現れた…そんな風に感じられた。
悪魔は、怯える俺たちの顔を静かに見つめると、そのまま踵を返し、何も言わずに――スタジオへと戻って行った。
怖い。あの目が、ただひたすらに、怖い。
深淵の底にいる得体の知れない化け物が、こちらを覗いているような……そんな感覚がした。
まさしく、魔性の怪物。俺には奴のあの姿が、恐ろしくて、恐ろしくて、仕方が無かった。
「―――――うわぁぁぁぁ!!!!!!」
ベッドから飛び起き、俺は、ゼェゼェと荒く息を吐き出す。
額からは玉のような汗が吹き出し、まるで滝のように、汗の雫がボタボタと布団の上に落ちていく。
「何? どうしたの、アキラ?」
隣で寝ていた素っ裸の女…新人女優の槙原早苗がそう声を掛けてくるが、俺はその言葉を無視して、額に手を張り、ギリッと奥歯を噛みしめる。
……今でも時折思い出すのが、あの時の…柳沢楓馬の、恐ろしい眼光だ。
もう、あの男は芸能界には居ないというのに。
俺は、日本アカデミー賞主演男優賞を取った、若手の中ではトップレベルの役者だというのに。
何故、あの男の姿を、俺は、忘れられないんだ……っ!!
何故、未だに、柳沢楓馬がトラウマになっているままなんだ、俺は……っ!!
「畜生、畜生がっ!! 俺様は頂点に立った俳優だぞ!! 何で、未だに子役時代のあの化け物に恐れているんだ!! クソがっ!! クソがぁぁっ!!」
「ど、どうしたの、アキラ!? だ、大丈夫!? どこか痛いの!?」
「うるせぇ、雑魚女優!! てめぇはもう用済みだ!! とっとと失せろ!!」
「は、はぁ!? わ、私たち、付き合うんじゃ…朝チュンした後は、そういう流れなんじゃないの!?」
「消えろ!! 殺されてぇか!!」
「ひぅっ!?」
俺の恫喝に、槙原早苗はベッドから飛び降り、床に落ちていた衣服と下着を手に取って、部屋から出て行った。
俺はその姿を睨みつけながら見送った後、テーブルの上にある空の酒瓶を手に取り、それを床へと叩きつけた。
「クソがっ!! 柳沢楓馬!! てめぇさえいなければ、こんなことには……!! 俺は、俺には、もっと力がいる…!! あいつが再び現れても、絶対に敗けないような、圧倒的力が……!!」
大きく息を吐いた後、俺は床に落ちたスマホを拾い上げ、電源を付ける。
「……如月楓。そのためには、てめぇの力、何としてでも盗んでみせるぜ……」
そう一言呟き、俺は笑みを浮かべた。
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「ぶぇっくしょん!!」
「うわっ、汚っ! ちょっと、おにぃ!! ルリカの朝ごはんにおにぃの唾飛んで来たんだけど!?」
「ずびっ、ごめん、ルリカちゃん。はい、お兄ちゃんのと交換してあげるから」
「むぅぅ~…」
大天使ルリカエルはどうやら朝からとてもご立腹の様子です。
今日は雨だけではなく、雷も降ってくるかもしれません。
「そういえば、昨日、お友達とカラオケ行ったんだよね? 良いな~、ルリカもアニソン歌いにカラオケ行きたいなぁ~」
「……お兄ちゃんには地獄のようなカラオケだったけどね、ルリカちゃん」
前の高校の友人と女子高の友人が鉢合わせるなんて、もう、生きた心地がしなかった。
いつ正体がバレるのかと、冷や冷やして仕方がなかったよ、お兄ちゃんは。
「はぁ…」
大きなため息を吐くつつ、オレは、皿の上にあるソーセージをフォークで突き刺し、そのまま口へと運んで行った。
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第74話を読んでくださって、ありがとうございました!
みなさまのおかげでこの作品は続けられております!!
本当に本当に、ありがとうございました!!




