第64話 女装男、肩の荷が下りる。
《柳沢 恭一郎 視点》
「よっと」
控室に辿り着いたオレは、如月をソファーの上に寝かせた後‥‥彼女の手首を掴み、指を当てる。
少し早めではあるが、脈拍は正常。
恐らくは疲労の限界に達し、その場で意識を失ったと思える。
数時間ぐっすりと眠りさえすれば、体調は回復するとは思えるが‥‥汗の量が尋常ではないな。
「‥‥とりあえず、汗を拭ってやるとするか」
ポケットからハンカチを取り出し、額に浮かんだ汗をポンポンと拭い取ってやる。
次に、オレは、その暑苦しそうなドレスを見て‥‥思わず顔をしかめてしまった。
「流石に、服の中は流石にどうしようもないよな‥‥」
男性教師であるオレが女子生徒の服を脱がすなど、緊急事態とはいえ、絶対にやってはいけない行為だ。
だが、このままではドレスの中の温度が上昇し、最悪、熱中症になってしまう恐れもある。
そうなれば‥‥事態がより深刻な状況へと進んでしまうこともあり得るだろう。
畜生、こんなことなら、女子生徒のひとりを連れてくるべきだったぜ‥‥!!
「‥‥クソッたれ! 今更後悔したってしょうがねぇだろうが! とりあえず、念のために救急車を呼んで、その後は‥‥状況を見て、如月のドレスを脱がしてやるとしよう。妻と同じ顔の女を、このまま放置できるか!!」
オレは胸ポケットからスマホを取り出し、119の番号を押そうと、急いで画面をタップしていく。
だが‥‥その時。
突如、オレのスマホは、背後から現れた何者かによって奪われてしまったのだった。
「!? 誰だ!? 何しやがる!?」
「フフフッ‥‥。久しぶりねぇ‥‥柳沢 恭一郎‥‥」
背後に視線を向けると、そこには‥‥深紅のドレスを身に纏った、黒髪の美女がいた。
予期していなかったその人物の登場に、オレは思わず瞠目して驚いてしまう。
「花ノ宮‥‥愛莉、だと‥‥? 何故、お前がここにいる‥‥?」
「何故ここにいる、ですってぇ? 馬鹿じゃないのぉ、貴方? 花ノ宮女学院は、我が花ノ宮家の所有物。よって、花ノ宮家の息女たるこの私が、この学院の演劇を見に来るのに、何かおかしいところがあって?」
そう言って愛莉は目を細めると、手に持っていたオレのスマホを床に落し‥‥ハイヒールの先で、強く踏みつけた。
そして、首を傾げ、眉を八の字にすると、こちらを馬鹿にするような微笑みを見せてくる。
「まさか、由紀お姉様を奪ったお前を樹の奴が教師として雇い入れ、この学校に足を踏み入れさせるとは思いもしなかったわぁ。柳沢恭一郎という汚点を、この学園に引き入れ、花ノ宮の地を歩かせるだなんて‥‥あの甥はいったい何を考えているのかしら?」
「ゴチャゴチャとうるせぇんだよ、クソ女! てめぇの嫌味は後で好きなだけ聞いてやる! だから、今はそこをどけ、愛莉! オレは、自分の教え子を早く病院に連れてかなきゃならねぇんだよ!」
「自分の教え子‥‥ね‥‥。ウフッ、フフフフフフッ!!」
「あ? 何が可笑しい?」
「いいえ、なんでもないわぁ。とにかく‥‥お前は早くここから立ち去りなさい、恭一郎。その少女は、如月楓は、我が花ノ宮家の所有物なの。故に、この私自らが、手厚く保護してやるとするわぁ。だから、関係のないお前は即刻‥‥この場から消え失せると良い。分かったかしら?」
「‥‥‥‥薄々、気が付いてはいたが、やはり如月は‥‥お前たち花ノ宮と関係のある者なのか‥‥? 由紀にこれだけ似ているのだから、察するに、お前の親父の隠し子か何か―――――」
「汚らわしい簒奪者めがっ!!!!! その薄汚い口で、お姉様の名を口にするな!!!!!! お前さえいなければ、由紀姉様は死ぬことはなかったんだッッ!!!! お前が、外国に連れ出して、姉さまを苦労させたから‥‥だから、だから姉さまは死んだんだッ!! このクソにも劣る蛆虫が!! 恭一郎、私は絶対にお前を許さないッッ!!!!」
ゼェゼェと荒く息を吐いた後、愛莉は落ち着きを取り戻し、長い前髪を耳に掛けて、フフッと、邪悪な笑みを浮かべる。
「その娘、如月楓を私に引き渡さなければ‥‥恭一郎、お前をこの場で殺してやっても良いのよぉ? 我が花ノ宮家が、裏社会と通じていること、まさかお前も忘れたわけではないでしょう?」
そう言って愛莉がパチンと指を鳴らした後、背後の扉からゾロゾロと黒服の男たちが姿を現し始める。
その光景を見て、オレは大きく息を吐いた後、両手を上げた。
「分かったよ。如月はお前に任せる。その代わり、そいつをちゃんとした医者に見せてやれよ? 分かったな?」
「あら、意外ねぇ。過去、私たち相手に一人で立ち向かって、姉さまを攫っていった、暴力男とは思えない潔さねぇ? 貴方の腕ならば、この数の男たち相手だったら‥‥造作も無いはずでしょう?」
「何年前の話言ってんだ、てめぇは。オレはもう四十そこらのジジィだぞ? それに‥‥あの時は由紀の将来が掛かってたからな。如月を保護するんだってなら、お前たちに歯向かう気なんざさらさらねぇよ」
「そう。じゃあ‥‥お前たち、如月楓を連れていきなさい」
そう号令をかけた後、黒服の男たちは如月を抱えて、颯爽とその場を去って行った。
オレはその後ろ姿を最後まで見つめた後、煙草を取り出し、咥え、ライターで火を点けた。
「‥‥‥‥今日の演目である、ロミオとジュリエットを見て‥‥恭一郎、お前には少なからず想うところがあったんじゃないかしらぁ?」
「オレと由紀がロミオとジュリエットと同じだって言いたいのか? いやいや、全然違うだろ。由紀は確かに名家のお嬢様だったが、オレはただの一般家庭産まれのしがない役者だ。ロミジュリとは全然当てはまらない」
「ロミオとジュリエットは互いに敵対していた家に産まれ、その悲運な運命によって、悲恋の結末を迎えてしまった。貴方と由紀姉さまも一緒じゃない? 花ノ宮家から逃げて、結果、待っていたのは悲惨な結末。貴方は私たちに子供を奪われ、借金を返済するために、役者として各地を放浪せざるを得なくなくなった」
「‥‥‥‥なぁ、愛莉、楓馬と瑠理香はどうしている? あいつら、ちゃんとメシ食ってるか?」
「あのドブネズミたちが今どうしているかなど、貴方が知る由はないわぁ。お前の子供は、我が花ノ宮家の外交の道具として、他家に嫁ぐことが既に定められている。柳沢楓馬はフランスの旧家シャトラール家の令嬢と婚姻し、柳沢瑠理香は、桜岡財閥の社長との婚姻が決まっている。お前がこの先、一生関わることのない上流階級としての生を、あの子たちは進んで行くのよぉ。羨ましいでしょう? フフッ、フフフフフフッ」
「奴らが成人する前に、金は全て返済してみせるさ。だから、そんなことには絶対にならない」
「アハッ! アハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!! せいぜい、我が花ノ宮家に奴隷のように金を注ぎ込むことねぇ!! 鬼才の名俳優、柳沢恭一郎!!」
そう高らかに笑い声を上げながら‥‥亡き妻の妹、花ノ宮 愛莉は、その場から優雅な所作で去って行った。
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《柳沢 楓馬 視点》
「‥‥‥‥知らない天井だ」
「まったく‥‥目が覚めて開口一番がそれ? 貴方、意外にアニメオタクなの?」
声が聴こえてきた方向へと視線を向けると、そこには、香恋の姿があった。
ベッド脇に置かれたパイプ椅子に座り、彼女は腕を組みながらこちらにジト目を向けている。
オレはそんな彼女に微笑を向けた後、上体を起こし、後頭部をボリボリと掻いた。
「その元ネタを知っている時点で、お前もアニメオタクだろ、香恋」
「はぁ‥‥。貴方、舞台の上で体力を使い果たして倒れたというのに、随分と元気そうね? こっちはこっちで色々と大変だったというのに‥‥」
「大変だった?」
「あのねぇ‥‥考えてもみなさいよ? 普通、女装した男が病院に担ぎ込まれたら‥‥どうなると思う? しかも、身元が、花ノ宮女学院の生徒だとしたら。貴方、今頃、変態男として巷でニュースになってしまっているわよ?」
「あ‥‥」
「少しは後先のことも考えなさい。あの場に私と愛莉叔母様がいなかったら、どうなっていたことか‥‥。こうして、花ノ宮家の系列病院に運ばれたことを感謝しなさいよね」
「え? 愛莉叔母様‥‥? 叔母さんがどうかしたのか?」
「柳沢恭一郎に貴方の正体がバレそうになっていたところを、愛莉叔母様が間一髪で助けてくださったのよ」
その言葉に、オレは理解が追い付かずに‥‥思わず目を白黒させてしまった。
「――――――なる、ほど‥‥。あの後オレは親父に担がれて、控室へと連れていかれた、と。そこで、救急車を呼ばれそうになったが、叔母さんが助けてくれた、と。‥‥‥‥いや、何でそこで叔母さんが登場するんだ? 何であの人、市民センターにいるの? 劇、見に来てたの?」
「どうやらそうみたいね。まぁ‥‥一応、叔母さんも貴方をこの学校に送り出した一人ではあるからね。貴方が上手くやれているかどうか、心配になって見に来たんじゃない?」
「オレを、心配して‥‥? い、いやいやいや! それはねぇだろ! あの、常日頃、顔を合わす度にドブネズミドブネズミとオレを呼んでくる叔母さんだぞ!? あり得ないだろ!!」
花ノ宮 愛莉は、柳沢 恭一郎の息子であるオレを心底毛嫌いしていた。
機嫌が悪くなればオレに土下座を強要させたり、と‥‥度々虐待じみたことをしてくるので、昔からあまり良い印象のなかった親族の一人だ。
あの叔母が、オレを心配して劇を見に来るなど、在り得るはずがない。
何か必ず、別の理由があったはずだ。
「絶対に信じられない、といった顔ね。そんなに愛莉叔母さまが貴方の劇を見に来るのは、変なことなのかしら?」
「変に‥‥決まってるだろうが。お前、あの叔母の性格の悪さを知らねぇのか? オレをドブネズミ、ルリカをミジンコって呼んでくる、ヒステリックババァだぞ?」
「私には、そんなに当たりは強くないわよ? 当主を決める後継者争いも、快く私の後ろ盾になってくれたし。あの悪鬼ひしめく花ノ宮家の中では‥‥割とまともな方よ? あの人」
「‥‥‥‥うーん‥‥。そう、かなぁ‥‥」
まぁ、他の叔父や叔母は、最低最悪のクソ野郎ばかりだったからなぁ。
確かに、相対的に見れば、まだ直接的に手を上げて来ない分マシ‥‥なわけではないな、うん。
甥に土下座しろと言ってくる時点で、まともじゃねぇわ。
「それにしても、すごい演技だったわ、柳沢くん。貴方の最後に見せたあの演技は‥‥過去の柳沢楓馬と同等‥‥いえ、それ以上ね。そもそも、昔の貴方とは違った気色の演技だったわね、アレは。あんなジュリエット、今まで一度も見たことがないわ。本当、素晴らしかった」
そう言って、香恋はニコリと優しく微笑みを浮かべると、椅子から立ち上がった。
そして、窓際に寄ると、彼女は雲一つない初夏の青い空を静かに眺め出す。
「‥‥‥‥今日この日をもって、如月 楓の名は、多くの人の中で噂されることになるでしょうね。フフッ、不思議なものね。過去、天才子役として名を馳せた貴方が、まさか今度は女優としてこの世界に名を刻むことになるだなんて。まるで喜劇でも見ているかのような気分だわ」
「うるせぇな。元はと言えば、てめぇが全部仕向けたことじゃねぇか。如月楓なんて女優を作り出したのは、お前だろ、花ノ宮 香恋」
「そうね。でも、柳沢くんが再び舞台の上に立ったのなら‥‥きっと面白いことになるって、最初から私は分かっていたわ。貴方は色彩を生む、太陽のような役者。貴方が一度舞台の上に立てば、人々の心は騒ぎ出し、周囲の物語は動き出す。貴方は、そんな俳優なのよ、柳沢楓馬」
「オレはそんな大それたもんじゃねぇよ。買いかぶりすぎだ」
「そんなことはないわ。貴方は、人々を明るく照らす、太陽のような存在。貴方に惹かれる人たちは、そんな太陽の衛星たちね」
そう言って香恋はこちらに振り向くと、いつものクールビューティーな様相を崩し、いたずらっぽく笑みを浮かべた。
「ねぇ、柳沢くん、今、好きな人とかいないの?」
「はぁ? 何だよいきなり‥‥。んなもん、いねぇよ」
「フフッ。私には、貴方のような人間のハートを射止める人が、いったいどんな人物なのかは分からないけれど‥‥。もし、誰かに恋をしたのなら、その時は私に貴方の恋バナを聞かせてね。興味があるのよ、貴方という人間の一生に」
そう言って、香恋は目を細めて‥‥母のような、優しい微笑を浮かべた。
開いた窓から室内に風が入り、香恋の長い黒髪をフワリと揺らしていく。
五月が終わり、梅雨へと入れば――――――もうすぐ、夏が始まる。
オレが誰かに恋をするだなんて、正直、女装している身としてはあり得ないことだ。
だが、もし、この二重生活の中、オレに好きな人ができたとしたら‥‥。
その時は、オレは、その人に‥‥自分が男であることを告げるのだろうか。
自分の身が危険になるのを顧みずに、好意を抱いた人物に、愛を告白するのだろうか。
今は‥‥分からない。
ただ、以前とは違い、母の死を乗り越えた今のオレは、誰かと恋に落ちることもあるのではないのかと―――――そう、思った。
第64話を読んでくださって、ありがとうございました。
よろしかったら、モチベーション維持のために、評価、ブクマ、お願いいたします。




