第59話 女装男、舞台に立つ。
「‥‥‥‥あんまり期待はできそうになさそうね、この舞台」
そう言って、私は客席のシートに背中を預けて、手に持っているパンフレットへと視線を向ける。
そのパンフレットには、こう書かれていた。
『―――――花ノ宮女学院女優科一年生による、初の演劇公演【ロミオとジュリエット】』
『主演:ロミオ役・月代 茜 ジュリエット役・如月 楓』
『今話題の若手女優、月代 茜と、柳沢 恭一郎が認めた、未知の才能を秘めた無名の新人女優、如月 楓』
『若き天才二人が織り成す、世界で一番有名なラブストーリー、悲恋の物語を、どうぞ、心ゆくまでお楽しみください』
「‥‥‥‥月代 茜の方は当然知っているけれど‥‥如月 楓って‥‥誰‥‥?」
そう呟いた後、私は首を傾げ、眉を八の字にさせた。
‥‥‥‥‥‥私の名前は、有坂 美咲。二十九歳。芸能雑誌を担当する、雑誌編集者だ。
私の仕事は、才能ある若き役者の卵をいち早くリサーチし、その役者の情報を誰よりも早く全国に広めること。
私が担当している『月刊ゲイノウビジョン』は、一部では、新人役者の登竜門と呼ばれる雑誌でもある。
何故なら、この雑誌に記事が載った若手役者は、数年後、必ずブレイクするからだ。
だから、新人役者は、この雑誌に載ることが最初のゴールと言われていたりもする。
とはいっても‥‥ここ数年は、そんなにブレイクした新人が雑誌に載ったことは、あまりないのだけれどね。
直近でいえば、三年程前に【月代 茜】がウチの雑誌に記事が載ってブレイクしたことくらいかしら。
とにかく、ウチは、才気あふれる新人役者を取材することがメインの―若手ご用達の芸能雑誌なのである。
「だから、柳沢 恭一郎が監督を務める、この舞台に足を運んではみたのだけれど‥‥正直言って、落胆ね。とんだ肩透かしをくらっちゃったわ‥‥」
パンフレットに載っているキャスト陣の名前は、どいつもこいつも、リサーチ済みの役者ばかり。
その多くは、ウチの雑誌に載せるほどの器ではないと、事前に淘汰してきた者ばかりだ。
目新しい存在はキャスト陣を見る限り、あまり見当たらない。
「こう、もっとガツンとくる役者はいないものかなー‥‥。まさか、こんなに人材不足に陥っているとはねぇ‥‥。過去、多くの有名女優を輩出してきた花ノ宮女学院も、もう落ち目なのかもしれないなぁー‥‥」
そう口にし、大きくため息を吐いた後。
ふいに、隣の席から明るい声が聴こえてきた。
「おにぃ‥‥じゃなかったっ。楓ちゃん、ファイトぉっ!! ルリカ、全力で応援してるからね!!」
「ん‥‥?」
声が聴こえて来た方向に視線を向けると、隣の座席に、中学生くらいの小柄な女の子の姿があった。
その女の子は『如月楓しか勝たん』と書かれた鉢巻きを額に巻き、白金色の髪の美少女の写真がプリントされたウチワを両手に持ち、何処か興奮した様子で鼻息をフンスフンスと鳴らしていた。
この少女が手に持っている‥‥ウチワに描かれているハーフっぽい綺麗な女の子が、今回の劇のジュリエット役を務める如月 楓、なのだろうか。
もうすでに、こんな推しグッズ展開がされていることからして、察するに、学園内ではなかなかの人気を集めている生徒なのだろうか。
改めて観客席を見渡してみると、そこには、如月楓のグッズを身に纏った観客の姿が多く散見できた。
なるほど‥‥如月楓は初めて見る顔だし、役者としてはほぼ無名なのは確実だと思うけれど‥‥どうやら彼女には人を惹き寄せる何かがあるらしい。
美人という理由だけじゃ、普通、ここまでのファンはついてこない。
何か、人気を集める確たるモノが、彼女のどこかにはあるはずだ。
「正直、無名役者ってハズレが多いから、あんまり期待はしていないのだけれど‥‥でも、何かちょっと気になるわね、この子」
そう、顎に手を当てて考え込み、改めて手に持っているパンフレットへと視線を向けた―――その時。
突如、ポケットの中のスマホがブブッと震えたのが分かった。
「あ、やば、電源切るの忘れてた」
私は慌ててスマホを取り出す。
すると、そこに映っていたのは‥‥取材データを催促する、いつもの鬼上司からのレインメッセージだった。
私はそのメッセージを見つめて、思わずげんなりとした表情を浮かべてしまう。
「はぁ‥‥‥‥何で、私、こんな人生送ってんだろ‥‥‥」
日々、仕事をして、ご飯を食べて、寝るだけの毎日。
最近では人と会話することも、会社の上司とか同僚とかだけで、殆ど仕事の話しかしてない。
大学の友人たちはみんな結婚し、家庭を築き、それぞれの人生を謳歌している。
あんなに仲が良かったのに、社会に出たら友人たちと交流することもめっきり減ってしまった。
何だか、一人置いていかれたかのような気分。
学生の頃は、こんな感じじゃなかったのに‥‥毎日が、日常が、輝かしく見えていたというのに。
いつ、どこに行こうとも常に一人で、孤独な毎日を送っているような気がする。
今の私の視界には、世界は、灰色一色にしか見えていなかった。
「あ‥‥もう、劇、始まるのね‥‥」
劇場内が暗くなり始めたことに気付き、私はスマホの電源を急いで落とし、舞台の上へと視線を向ける。
その後、アナウンスの声が劇場内に響き渡った。
『――――みなさま、大変長らくお待たせいたしました。これより、花ノ宮女学院女優学科一年生による、ロミオとジュリエットの劇を開演致します。先に、注意事項がございます。館内は飲食、喫煙が厳禁となっております。携帯電話の電源はお切りになって、静かに観覧してくださると幸いでございます。次に―――』
高校生が演じる劇、か‥‥。はぁ、どうせ月代茜以外は学生レベルでしょ。
如月楓も、多分、どうせ想像したよりも大したことないに決まってるわね。
鬼上司から逃げるようにして東北くんだりにまで来たけれど、何も良い情報を手に入れることもできずに、東京に帰ることになりそうね。
‥‥はぁ。どっかに良い逸材は転がっていないものかなぁ。
『――――注意事項は以上となります。それでは、まもなくロミオとジュリエットの劇をスタート致します。皆さま、心ゆくまでお楽しみください』
そう、アナウンスの声が開演を知らせた後、ブーッと、始まりを知らせるブザー音が劇場内に鳴り響いた。
その音の後、数十秒程して、舞台の上に一人の少女が姿を現す。
「うーん、良い天気ねっ! アディジェ川は、今日も素敵な川面をしているわっ!」
豪奢なドレスを身に纏った、白金色の髪の美少女はそう言って、気持ちよさそうに腕を伸ばした。
私は、彼女のその姿を見た瞬間―――何故かは分からないが、ゾクリと、背筋に戦慄が走るのを感じた。
理由は分からない。だけど、あの少女が舞台に立った瞬間、何か不気味なものを感じていた。
「あら、あそこにおられるお方、何処か沈んだお顔をしていらっしゃいますわね。どうかしたのかしら‥‥?」
スポットライトが、舞台の上に立っている青年へと向けられる。
その青年は長い髪をひとつに束ねた‥‥『月代 茜』扮するロミオだった。
彼女は憂いた顔で「はぁ」とため息を吐き、建物を模した二階建ての塔の上から、手すり越しに、崖下のアディジェ川を見下ろす。
そして、憂鬱とした様子で、静かに口を開いた。
「キャピュレット家も、モンタギュー家も、何故、相争うのだろうか。本当にくだらないことだ」
そしてその後、彼は再び大きくため息を吐くと――――下方にいるジュリエットに気が付き、首を傾げた。
「おや、あの方は‥‥? ここら辺ではあまり見ない顔だ‥‥‥‥―――ッッッ!?!?!? な、何だ、あのお美しい御方は!?!?」
驚愕の表情を浮かべ、ロミオはジュリエットを見つめたまま、硬直する。
このシーンは、ロミオがジュリエットを目撃し、その瞬間恋に落ちる重要な場面だ。
だが―――――流石は、月代 茜。
顔を真っ赤にさせて、目を見開いて、声を一切出さずに、一瞬にして恋に落ちたことを上手く表現している。
台詞がない場面というのは、演者にとってとてもやりにくく、難しいシーンだ。
それをあのように完璧に演じきるとは、やはり、彼女は天才役者と認めざるを得ない。
やっぱり、あの子は今の十代の役者の中では、他の追随を許さない、ピカイチの才能を――――――。
「こんなに気持ちの良い朝なんですもの。少し、水浴びでもしようかしら‥‥えいっ!」
「‥‥‥‥‥‥‥‥は?」
その瞬間―――舞台の上に、水しぶきが上がる。
ジュリエットは、スカートの端を両手で掴んだまま、アディジェ川の中へと入っていく。
そして、彼女は楽しそうに水を蹴り上げ、周囲にキラキラと光る水滴を飛ばして行った。
「な‥‥‥‥な、何、あれっっっ!?!?!?」
他の観客もその不可思議な光景に私と同じく困惑したのか‥‥劇場内は、ザワザワとどよめいていた。
無理もない。何故なら私は、あの少女の演技に―――本物の水しぶきを幻視したからだ。
よく、高度な演技力を持った舞台役者は、その場にないものをあるように見せるというが‥‥彼女のその演技は、そんなレベルではない。
本当に、そこに水があるように、私の目には見えていた。
「あれ、が‥‥如月 楓‥‥? な、何なの、あの子‥‥」
灰色の視界が、その幻想の水しぶきを捉えた瞬間、色を取り戻していくように感じられた。
‥‥いや、違う。彼女の一挙手一投足が、世界に色を産み出しているのだ。
如月 楓の演技には、七色の色彩が宿っていた。
「やんっ‥‥もうっ、はしゃぎすぎてスカートがビショビショになっちゃったわ! これではまたお父様に、おてんば娘だと怒られてしまうわね‥‥。フフッ、でも、気持ちよかったから別に良いかしら」
そう口にして、ジュリエットは耳に髪を掛けて、客席に向けてにこりと微笑を浮かべる。
その瞬間―――――劇場内の観客たちが、そのあどけなさと妖艶さを併せ持つ不思議な少女の姿に見惚れ、ゴクリと、唾を飲み込んだのが分かった。




