第40話 女装男、黒歴史を父親に暴露される。
「よし、今日の稽古は終わりだ。以上、解散」
「ありがとうございました」「あ‥‥ありがとうございまし‥‥た」
七限目が終わり、オレは頭を下げて、恭一郎へと礼をする。
すると、隣から悲痛気な声が聴こえてきた。
「も、もうダメ‥‥あ、歩けない‥‥」
声がした方向へと視線を向けると、そこには‥‥練習室の床に座り込み、もう一歩も動けないと言う様相でへたり込んでいる茜の姿があった。
恭一郎は煙草とライターを胸ポケットから取り出し、煙草に火を点けて吸うと、疲れ果てている茜を見下ろして声を掛ける。
「だから最初に、ビシバシと容赦なく鍛えていくって言っただろう? 当初の威勢はどうしたんだ、月代」
「演技の練習に、ランニングだとかうさぎ跳びだとか、分けわかんないことやらされるとは思ってなかったのよ‥‥本当、何なの、この稽古は‥‥」
「確かに、オレの出す課題が通常の稽古とは逸脱している行為なのは事実だ。だが‥‥お前がライバル視している楓馬は、幼い頃からこのオレのシゴキを受けてきたんだぜ? 謂わば、あいつはオレの弟子といったところだ」
「!?!? フーマがっ!? 本当なの!?」
茜は勢いよく顔を上げると、目をキラキラとさせて、恭一郎を見つめだす。
恭一郎はそんな茜の様子に、何処か楽しそうな様子で微笑んだ。
「あぁ。あいつも今のお前みたいに、ブーブー文句言いながらもオレの稽古に付いて来ていたもんだ」
「フーマの師匠が‥‥柳沢先生なの!?」
「‥‥まぁ、あのガキは多分、オレを師匠だとは思っていなかっただろうがな。隙あらばオレを越えてやろうと常にギラギラと目を輝かせていた‥‥虎視眈々としていた野心家だったよ。本当、ムカつく野郎だったぜ」
「うんうん! フーマはそういう奴よ! どんなに著名な俳優の前でも、あいつは一度も自分を曲げなかったもの! 誰もが恐れる大御所俳優の目の前で、『このシーンの貴方の演技は、脚本の中の人物像と方向性が違う』って言ってのけて、現場を凍らせたことは今でも覚えているわ。あいつは、本当に、何者も恐れてはいなかった!」
「げっ、あんの馬鹿、んなクソ生意気なこと言いやがったのか!? ‥‥一応聞いておくが、大御所俳優って誰のことだ?」
「村雲 藤之助よ」
「‥‥歌舞伎出身の大御所中の大御所じゃねぇか‥‥。何やってんだあいつ‥‥」
「でも、村雲 藤之助は一切、フーマを怒りはしなかったわ。むしろ、彼を誉めていたわ。忌憚ない意見に感謝する、って」
「心の広い人で助かったな‥‥。んなクソ生意気なことを言ったら、普通、干されてもおかしくねぇぞ‥‥」
そう口にすると、恭一郎は額の汗を拭い、ふぅと大きく息を吐いた。
オレも、何故か突如過去の黒歴史を父親に暴露されてしまったので、同時に額の汗を拭い、大きく息を吐いた。
そんなオレの様子を不思議そうな顔で一瞥した後、茜は再度恭一郎へと視線を向けて、開口する。
「フーマが受けていたというのなら‥‥あたしもこの稽古、これから頑張って受けて行こうと思うわ。柳沢先生」
「おぉ。そりゃ良かった」
「あたしはフーマの隣に立てる大女優になるのが夢だもの。これがフーマの歩んだ道だというのなら‥‥どんなに辛くても、必ず乗り越えて見せるわ!」
そう言って、瞳を輝かせる茜。
そんな彼女に、恭一郎は何処か呆れた様子で口を開いた。
「そんなにあいつのことが好きなら、会いに行ってみれば良いじゃねぇか。せっかくこの仙台に居るんだしよぉ」
「‥‥‥‥それは、その‥‥まだ心の準備ができていないのよ。あいつには、もっと綺麗になったあたしを見てもらいたいから‥‥」
「はっ、随分とらしくない、殊勝なことを言うんだな。んなこと言って、いざ会いに行ってみたら、あいつに既に女ができてても知らねぇぞ?」
「う、うるさいわねぇ! フーマにいつ会おうが、あたしの勝手でしょ!!」
茜は叫び声を上げて立ち上がると、鞄を肩に掛ける。
そして、彼女はこちらを静かに見下ろした。
「‥‥‥‥如月 楓。今日のランニングでは、全然あんたに勝てなかったけれど‥‥あたし、あんたには絶対に負けないから。明日から覚えておきなさい!」
そう言葉を残し、彼女は痛む足を引きずりながら、練習室から出て行った。
そんな彼女の後ろ姿を見つめながら、恭一郎はやれやれと肩を竦める。
「まったく。負けず嫌いなのは結構だが、如月はロミジュリの相方なのだから、もう少し柔らかい態度で接しても良いだろうに。あの女、楓馬の話以外だとてんで笑みも浮かべやしねぇな。友達居んのか? あいつ」
「‥‥‥‥」
茜があんなにツンケンとした性格になってしまったのは、恐らく、過去のオレが原因なのだろうな。
子役時代のオレは誰とも連まず、いつも一人で、何処か達観したような視線で物事を見ていた。
そう、オレは中二病だったのだ。
それも自分は天才だとか思い込む、結構痛いタイプの。
その絶賛中二病時代だった時のオレは、「役者とは孤高であるべきだ」――みたいな、ハッズカシー台詞を、茜の前で吐いた記憶がある。
その言葉を、茜は先程の恭一郎にオレのことを話していた時みたいに‥‥キラキラと目を輝かせて、聞いていた。
だから、あいつが誰に対してもツンツンモードなのは、恐らく、中二病時代のオレの影響を受けたせいなのだろうな‥‥。
「さて。オレはもう帰るが‥‥如月はどうするんだ? 練習室で居残りするのなら鍵を渡すが?」
「あ、いえ。私もすぐに帰ろうと思います」
既に時刻は午後六時半を回っており、我妻先生が担当していた他の女優科の生徒たちはこの場にはおらず、オレを残して全員、帰宅していた。
穂乃果もきっと、オレの稽古が長かったから、先に帰っているのだろう。
オレは床に置いていた鞄を手に取り、肩に掛けると、恭一郎へとお辞儀をする。
「では、私はこれで。今日はありがとうございました」
「おう。もう外は真っ暗だからな。お前も気を付けて帰れよ」
そう言葉を交わし、オレは練習室を出て、昇降口へと向かって歩いて行った。
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下駄箱の前へと辿り着くと、そこには先に帰ったはずの茜の姿があった。
紅いツインテールを揺らし、茜は自身の下駄箱のロッカーを開けて、その場に暗い顔をして立ち尽くしている。
どうかしたのだろうかと、彼女の背後に回ると―――その悲惨な有様に、思わず声が出てしまった。
「こ、れは‥‥」
茜の下駄箱の中が‥‥割れた生卵や、生ごみでいっぱいになり、落書きだらけになっていた。
『さっさと学校辞めろ』『ウザイ』『どうせ枕営業で出世したんでしょ』『ビッチ』
罵詈雑言の嵐が、彼女の下駄箱には一面書かれていた。
オレはその光景にゴクリと唾を飲み込み、茜に声を掛ける。
「これは、酷い‥‥。大丈夫ですか? 月代さん?」
「‥‥」
「今すぐ職員室に行きましょう。万梨阿先生に相談して、解決を――――」
「構わないわ」
「え?」
茜はそのままロッカーの扉を閉めると、上履きを鞄に仕舞い、靴下姿のまま外へと向かって歩き出した。
オレは慌てて靴を履き替え、彼女の傍に近寄り、声を掛ける。
「なっ‥‥そ、そのまま帰るおつもりですか!? 靴下で帰るのは流石に‥‥」
「構わないと言っているでしょう? ついて来ないで!」
「で、ですが‥‥」
「あんたなんかの助けなんて絶対にいらないわ。だから、ついて来ないでよ!」
そう言ってこちらを鋭い瞳で睨みつけると、茜は前をまっすぐと見つめる。
「あたしはこの程度のことで折れるような弱い人間じゃない。あたしは‥‥フーマのライバルだもの。彼なら絶対に、こんな程度のことを気にするわけがない‥‥だから、あたしも平気なのよ」
そう言葉を残すと、茜は瞳に涙を貯めて、静かに去って行った。
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「‥‥‥‥茜、大丈夫だったかな‥‥」
帰宅し、女装を解いて着替え終えたオレは―――現在、夕飯の準備を進めていた。
今夜はカレーを作ろうと思い、ニンジンやジャガイモ、玉ねぎなどの具材をまな板の上に置いて、包丁を使って細かくカットしていく。
リビングの方に視線を向けると、そこにはウキウキした様子で料理ができるのを待っているルリカの姿があった。
そんな彼女の姿に微笑みを浮かべていると、ふいに『ピーンポーン』と、チャイムの音が部屋の中に鳴り響く。
その音を聞いたオレは、ソファーに座ってスマホをいじっているルリカに、そっと声を掛けてみた。
「ルリカ、お客さん、見に行ける?」
「ごめん、おにぃ‥‥私、まだちょっと‥‥」
今日は元気そうだからリハビリも兼ねて来客の応対くらいできるかと思ったのだが‥‥やはり、まだ無理そうか。
ルリカは長い間この家に引きこもっているため、対人恐怖症の気がある。
なので、初対面の人間には、彼女はあまりうまく接することができないのだ。
「そっか。分かった」
オレはタオルで手を拭いた後、エプロンを付けたまま、インターフォンの前へと立って、通話ボタンを押した。
「はい。柳沢です」
『‥‥‥‥』
「?」
画面には誰も映っておらず、外からの返事はない。
何事だろうと、玄関に向かって歩いて行き――扉を開けて、外へと出てみる。
すると、そこには‥‥やっぱり、誰もいなかった。
「いたずらか?」
首を傾げ、再び部屋の中に戻ろうとした、その時。
扉の横の壁に、誰かが座り込んでいることに気が付いた。
覗き込んでみると、そこには‥‥紅い髪のツインテールの少女が、座り込んでいる姿があった。
「え‥‥? 茜‥‥?」
「‥‥‥‥あ‥‥フー、マ‥‥?」
顔を上げると、茜は瞳を潤ませ、悲痛な表情を浮かべる。
何故か彼女は、制服、靴下姿のまま、家の前に座っていたのだった。
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