第39話 女装男、演技の基礎練習をする。
ゴーンゴーンと鐘の音が鳴り響く。
五限目の授業が始まると‥‥恭一郎は練習室で座り込む女優科の生徒たちの前に出て、言葉を発した。
「如月、月代、前に出て来い」
「はい」「分かりました」
オレと茜は同時に立ち上がり、集団から離れて、恭一郎の元へと歩いて行く。
その光景を捉えると、恭一郎は隣にいる我妻先生へと口を開いた。
「主役以外の生徒の指導及び脇役のキャスティングは、雄二、お前に任せるぞ」
「分かったよ。‥‥まったく。才能のある生徒以外は指導する気はない、か。相変わらず才能至上主義なんだな、君は」
「タイムイズマネー、時は金なりだ。このオレの時間を奪うんだ、こっちだって指導する生徒は自分で選ばせてもらうさ」
そう言って、恭一郎はオレと茜の前に立つと、ニヤリと微笑んだ。
「さて‥‥。お前たちはこれからロミオとジュリエットを演じる、この劇の主役だ。主役を演じる以上、下手な演技は許さねぇからな。当然、学生の枠を越えたハイレベルな演技を要求する。そのためにはこれからビシバシと容赦なく鍛えていくが‥‥覚悟はできているな?」
「勿論よ。あたしを誰だと思っているの? どんな課題だってこなしてみせるわ!」
「良い返事だ。如月は?」
「‥‥‥‥」
過去に、柳沢 恭一郎の指導を受けたことがある身だから分かるが‥‥こいつの指導は、マジで、人の限界を超えた難題を平気な顔して課してくる傾向がある。
幼い頃に受けた指導―――三日間、ろくに寝食せずにぶっ通しで演技の稽古した時なんか、もう、ほぼほぼ意識失っていたからな。
あのトラウマを思い返してみると、思わず、恭一郎への返事に躊躇してしまう。
「‥‥‥‥ほどほどに、お願いいたします」
そう答えると、隣に立っていた茜が見下すような視線でこちらを見つめて来た。
「ほどほどに、ですって? 如月 楓、あんた、役者を舐めてるの?」
「申し訳ございません。何分私は素人なものでして。少し、怖気ついてしまいました」
「はっ! 臆病者が! そんなんで、この先、あたしの相方のジュリエット役をやれるっていうの? 笑えるわね!」
「‥‥‥‥‥‥多分、数分後、月代さんも私の言葉の意味を理解すると思いますよ」
「は? それってどういう‥‥」
「てめぇら、ウダウダやってねぇで、さっさとオレについて来い。今からグラウンドに出るぞ!」
「は? グラウンド? 何で‥‥?」
恭一郎の言葉に、茜は不思議そうに首を傾げるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ぜぇぜぇ‥‥ちょ、待っ‥‥て、よぉ‥‥」
背後を見ると、重い足を引きずるようにして走る、汗だくの茜の姿があった。
オレはそんな彼女を一瞥した後、そのまま足を動かし、グラウンドを一周していく。
「よし! 如月はあと10周! 月代、遅れてんぞ! お前はまだあと20周残ってるぞ!!」
グラウンド30周。それが、恭一郎の課した最初の課題だった。
恐らくこれは、基礎体力がどれだけあるのかを計ったテストなのだろう。
後は、ランニングをすることにより、足腰と体幹を鍛える目的もあるだろうか。
過去、散々走り込みをさせられたことがあるので、何となく、このトレーニングの意味合いも理解できるな。
「なん‥‥で、舞台の演技するのに、ランニングをする必要が、ある、のよぉ‥‥!! あたし、別にスポーツ選手になりたいわけじゃないんだけ‥‥どぉ‥‥っ!!」
そんな、茜の悲痛な掠れた叫び声が背後から聴こえてくる。
確かに、奴の指導方針の意図を理解していないと、このランニングは意味不明なことこの上ないだろう。
そもそも、あの男の指導というのは、一見、その殆どが演技と関わりのないことばかりだ。
幼少の頃のオレなんて、格闘技やらピアノやら華道やら、多種多様な習い事をやらされていたからな。
演技にリアリティを持たせるために、色んな技術や知識を、奴には無理やり身に付けさせられたものだ。
「‥‥‥‥ふぅ、ふぅ‥‥ふぅ、ふぅ」
マラソンの基本的な呼吸は、空気を吸う動作が2回、空気を吐く動作を2回行う。
呼吸が荒くなると、リズムが乱れ、呼吸が浅くなることが多い。
効率よく酸素を体内に取り入れるには「吸うを2回吐くを2回」のリズムが理想となるんだ。
『4拍子―4歩に1呼吸』や、『3拍子―3歩に1呼吸』の形が、マラソン選手の理想的な呼吸方法と言われている。
呼吸のリズムを保つことが、長距離走で無暗に体力を消費しないことに繋がるのだ。
(‥‥‥‥これも、過去、あのクソ親父に教わったことだっけな)
軽快に地面を蹴り上げ、足裏全体でまっすぐ踏みこむように地面へと着地する。
まともに走るのは久々だが、意外とフォームもちゃんとできているような気がする。
何となく、楽しいかもしれないな、走るのは。
火照った身体に春風が当たって、とても気持ちがいい。
「キャーッ! お姉さまー! かっこいいー!」
突如声が聴こえて来た方向に視線を向けると、そこには、校舎の窓から手を振っている複数名の女子生徒たちの姿があった。
あの階の教室は‥‥二階の校舎だから、恐らく、普通科か。
香恋も、何処かでオレが走っている姿でも見ているのかね‥‥。
無視するのも悪いと思い、オレは、こちらを見下ろしている生徒たちへと手を振り返した。
すると、彼女たちはキャーッと、またしても黄色い声を上げるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「―――――――月代は大分遅れていたが‥‥これで二人とも無事、走り終えたな。ご苦労さん」
「ぜぇぜぇ‥‥や、柳沢先生、こ、このランニングに、い、いったい、何の意味‥‥あるん、ですか‥‥?」
「良い質問だ、月代。このグラウンド30周のランニングは、簡単に説明すると、お前らの基礎体力を計ったテストだったんだ。舞台稽古ってのは、基本、体力勝負になる。だから、どれだけお前らにタフネスさがあるかを調べさせてもらった」
「き、基礎体力の、テスト、ですかぁ‥‥?」
「あぁ。月代、お前、今までドラマや映画にしか出たことがないだろ?」
「そ、そうですけど、何か?」
「舞台ってのは、お前の想像しているよりも体力を使うんだよ。シーンカットも無く、ぶっ通しで演技し続けなきゃならんわけだからな。だから舞台役者ってのは、体力が無ければ話にならない。特に、主役はな」
恭一郎はそう言って茜から視線を外すと、オレへと視線を向けてくる。
そして、困ったように眉を八の字にさせた。
「しっかし‥‥如月、お前は‥‥オレの想像を遥かに越える存在だったな。まさか、涼しい顔で30周を終えるとは。中学で陸上でもやってたのか?」
「そう‥‥ですね。はい。中学では陸上部をやっていました」
嘘だけど。中学は帰宅部だったけどな。
「どうりでな。フォームは綺麗だったし、呼吸法も身に着けていたと見える。文句の付け所のない、素晴らしい走りっぷりだった」
「ありがとうございます」
そう言って礼をすると、隣で地面にへたり込んでいた茜が、オレに鋭い眼を向けていることに気が付いた。
彼女は目が合うと、フンと鼻を鳴らし、そっぽを向く。
‥‥‥‥仲良く、とまでは言わないが、せめて、まともに会話できるくらいはなってくれないものかな。
これから主役とヒロインをやる以上、険悪なまま本番を迎えることだけは避けたい。
「さて、じゃあ次は、発声練習をしてもらおうか。おっと、基礎だからと言って甘く見るなよ、月代。役者にとって基礎は、絶対に忘れてはならない柱の一本だ。これは、どんな大御所の役者にだって言えること。基礎を疎かにするものは、演技の質が必ず劣る。小さな積み重ねこそが、演技の基盤となるものなんだよ」
そうして、オレと茜はその後、7限目の終わりまで多種多様な基礎練習をさせられ―――その後、終業の鐘の音が鳴った時には、茜は疲れ果て、爆死したヤ〇チャのように地面に横たわってしまっていたのだった。
第39話を読んでくださってありがとうございました。
よろしかったら、ブクマ、評価、お願いいたします。




