第30話 女装男、母親の目の前で妹分を抱く
「ぐすっ‥‥す、すいません、穂乃果さん。突然、泣き出したりしてしまって‥‥」
十数分ほど泣き叫んだ後。
落ち着きを取り戻したオレは、涙を拭い、穂乃果からそっと離れた。
そんなオレの顔を正面から見つめると、彼女は柔和な笑みを浮かべ、オレの手をギュッと握ってくる。
「全然、大丈夫ですよ。私、これでも三人の妹弟のお姉ちゃんなんです。ですから、もっといっぱい私を頼ってください、お姉さま」
「穂乃果さん‥‥フフッ。これじゃあ、どちらがお姉さまなのかが分からなくなりますね?」
そう言った後、オレたちはお互いの目を見つめて、クスリと、同時に笑みを溢した。
‥‥人前でこんなに泣いたのは、いつ以来だろうか。
それこそ、5年前ぶりくらいか。
母親が亡くなってからというもの、涙なんてろくに流したことは無かったからな。
常に虚勢を張って、自分は一人でも大丈夫だと、強い自分を演出してきた。
それなのに、出会ったばかりの少女に、オレは簡単に泣かされてしまっていた。
柊 穂乃果。彼女は、本当に‥‥本当に不思議な少女だと思う。
彼女の傍にいれば、オレは、常に素の自分を曝け出されてしまう‥‥そんな不可思議な予感があった。
「‥‥‥‥本当に、不思議な方ですね、穂乃果さんは。年下の女の子のような時もあれば、年上の女性のような抱擁力もある‥‥。今まで生きてきて、貴方のような方は、出逢ったことがないタイプの人間です」
「そんなことないですよぉう! 穂乃果は、普通の一般人です! 『普通』が服着て歩いているような人間です! 私からしたら、お姉さまの方が何百倍も不思議な御方ですよっ! 男の人を倒せるくらい強くて、王子様のように颯爽と私のピンチを救ってくださって‥‥まるで漫画の世界から出て来た、主人公みたいですぅ!!」
「はははは‥‥王子様が、女の子の腕の中で泣きじゃくりますかね‥‥?」
「そういった弱いところがあるのも、萌えポイントのひとつですぅ。失礼かもしれませんが、さっきの私の腕の中で泣いていらっしゃったお姉さまは、すっごく可愛かったですもん。いつも凛としているお姉さまがふとした瞬間に見せる、陰のある御姿‥‥ギャップ萌え、という奴ですぅ!」
「私なんかよりも、穂乃果さんの方がずっと可愛らしい女の子だと思いますよ?」
「え‥‥?」
突如、穂乃果は驚いたように目をパチパチと瞬かせる。
そしてボッと頬を上気させると、顔を真っ赤にして、目をグルグルと回し始めた。
「か、可愛い? わ、わわわわわ、私が、ですかっ!?!? ほ、他の女優科の子たちに比べたら、私なんて全然、ブスですよぉ!!」
「いいえ、私はそうは思いませんよ。確かに女優科クラスの皆さんは全員、美人揃いですが‥‥穂乃果さんだって当然、負けてはいないです。‥‥妹系、というのでしょうか? 穂乃果さんの可愛らしいお顔は、男性心が擽られる、庇護欲が搔き立てられる愛らしさ、可憐さが宿っていると思います」
男性であれば、彼女の小動物的な可愛さに対して、誰もが好感を抱くことだろう。
香恋のようなクールビューティーさとも違う、茜のような釣り目の勝気そうな綺麗系とも違う。
もっとメディアに出ることが多くなれば、穂乃果はきっと、全国でも注目を浴びる美少女役者となること間違いない。
そんな、男性のツボを押さえた可愛らしさが、彼女の魅力だといえる。
「そ、そんな‥‥わ、私、か、可愛くない、ですよぉ‥‥」
両手の人差し指を突き合わせて、穂乃果はチラチラとこちらを覗き見てくる。
そして彼女は意を決した表情をすると、こちらへと緊張した面持ちで声を掛けて来た。
「あ、あの、も、も、もしもの話ですよ? もしも、お姉さまが男性だったとしたら‥‥私とお付き合いしたいと‥‥思い、ますかぁ?」
「え゛‥‥私が男性、だったとした、ら‥‥です、か‥‥!?」
一瞬心臓が止まるかと思ったが‥‥彼女はもしもの話として、その話題を振ってきたようだ。
オレはゴクリと唾を飲み込み、大きく息を吐き出す。
先ほどの様子からして、彼女にオレの正体がバレた様子はなかった。
だからその発言は、カマ掛けとかではなくて――――単なる、彼女の純粋な疑問、なのだろうな。
オレは佇まいを正し、ニコリと微笑み、口を開く。
「私がもし男性だったとしたら、穂乃果さんのような可愛らしい女性とは、ぜひ、お付き合いしたいと考えるはずですよ」
「ほ、本当、ですかぁ!?」
「はい。ですが‥‥穂乃果さんは男性恐怖症なので、私がもし男性だったとしたら、ろくに会話もできなかったと思いますけどね。こうして仲良くなることも、恐らく、できていなかったと思います」
「あっ‥‥そ、そう、ですね。でも‥‥」
「でも?」
「私‥‥お姉さまが男の子だったら良いのにな‥‥って、今さっき、そう思っちゃいました」
「え‥‥? それは、どういう‥‥?」
オレのその発言に、はっとした顔をすると、穂乃果は慌てて立ち上がる。
そして、手をパタパタとさせて顔を扇ぎ、頬を真っ赤にさせて口を開いた。
「な、なななな、何でもないですぅ!! あっ、の、飲み物、空になっちゃいましたね!! 私、ジュース取って来ますっ!! お姉さま!!」
そう言って彼女は、テーブルの上にある空のコップが二つ乗ったトレイを持とうと、手を伸ばす。
だが、その瞬間。穂乃果は、電源コードに足を引っかけ―――――盛大に転倒してしまった。
「ほ、ほわわわわわぁぁぁぁ!?!?!?!?」
「だ、大丈夫ですか、穂乃果さん!?」
そして、彼女はオレの上にドサリと圧し掛かってくる。
何とか穂乃果を抱き留めたオレは、腕の中にいる彼女と至近距離で顔を見合わせた。
まるで対面座位のような形で、オレと穂乃果は数秒間、黙って見つめ合う。
部屋の中にある時計の秒針が刻む音と、お互いの心臓の音だけが、耳の中に入ってくる。
穂乃果の顔は、耳の先まで真っ赤に染まってしまていた。
「お、お姉、さま‥‥」
あと数センチ近付けば、唇と唇が触れあいそうな距離。
柑橘系のシャンプーの匂いが鼻腔を擽り、暖かい温もりが、腕の中でドクドクッと脈を打っている。
今までの人生の中で、こんなに女性と至近距離で見つめ合ったことなど、当然ながら一度も無い。
童貞のオレには刺激が強すぎて、頭がおかしくなりそうな状況だった。
そんな‥‥‥‥互いに目を丸くさせて身体を硬直させいた、その時。
突如、扉がバンと勢いよく開け放たれ、部屋の中に酒瓶を持った女性が姿を現した。
「穂乃果ー!! お母さん、帰ってきたわよーーーーー!!!!! お友達来てるんだってーーーー!?!?!? もしかして、例のお姉さまって人――――――って‥‥ありゃ?」
「え‥‥?」
「あ‥‥」
抱き合うオレと穂乃果。そして、唖然とした表情で立ち尽くす穂乃果の母親らしき女性。
部屋の中に、何とも言えない気まずい空気が漂って行く。
そんな何とも言えない空気の中、酒瓶を持った女性はポリポリと頬を掻くと、困ったように笑みを浮かべた。
「ありゃ、お母さん、もしかして邪魔だったかな、穂乃果ちゃん。ちょ、ちょっとひとっ走りランニングにでも行って来ようかな! あはっ、あはははははっ!!」
「ちょ、まっ、待って、お母さん!! 誤解!! これは誤解ですぅぅぅぅ!!!!!」
穂乃果の悲痛気な叫び声が、辺りに響いていった。
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