第24話 女装男、ロミオを演じる。
――――――オレが役者を始めたきっかけ。
それは、病気の母を喜ばせたかったからだった。
母さんは、いつも薄暗い病室の一室でテレビを見ていた。
滅多に帰って来ない父親を画面越しに見つめて、母はいつも楽し気に笑っていた。
多分、その姿を見て、オレは悔しく思ったのだと思う。
何でここにいない親父に対して、母さんは笑顔を浮かべられるだ、って。
何でここにいるオレじゃなく、あの好き放題やっている親父が母さんを笑わせられるんだ、って。
オレはシスコンでもあり、マザコンでもあったのだ。
だから「母さんの一番は僕のはずだ」って、そんなしょうもない対抗意識を燃やして、オレは役者の世界へと飛び込んで行ったんだ。
『―――――楓馬。また賞を取ったんだってね? 流石はお父さんの息子ね。やっぱり、血は争えないみたいね』
日本からイギリスに帰り、たくさんの賞状を抱えて母の元へと向かうと、母さんはいつも‥‥ベッドの上からオレの頭を撫でて、そう、声を掛けてきた。
それが、とても嬉しかった。
オレも母さんを笑顔にできるんだって、そう思ったから。
オレは、大切な人の笑顔が見たくて役者となった。
ただただ人を喜ばせたくて、この道を選んだんだ。
何か特別な賞を目指しているとか、役者として大成してやろうだとかは、別段、そんな大それた目標は何も持ってはいない。
オレは、画面の向こう側にいる誰かを喜ばせたかった。ただ、それだけだった。
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「出席番号6番 如月 楓です」
「しゅ、出席番号22番 柊 穂乃果ですぅ!」
そう言って、12番目のペアであるオレと穂乃果は、パイプ椅子に座る審査員の講師二人に頭を下げる。
そして顔を上げ、オレは久しぶりに、父の顔を間近で視界に納めた。
(‥‥変わらないな。いつも自信に満ちた笑みを浮かべ、常に他人を挑発しているような佇まいをしている‥‥本当に、ムカつく野郎だ)
―――――オレは静かに瞼を閉じる。
今からオレがするのは、『演技の重ね掛け』だ。
【柳沢 楓馬】としてロミオを演じるのではなく、女性の【如月 楓】として、ロミオを演じる。
心から女性に成り切り、演技の節々に女らしさを発露させ、衆目に『女性』を意識させる。
普通、男役を演技するのであれば、観客に女性らしさを見せるのはタブーだろう。
だが、オレは敢えてそのタブーを侵す。
何故なら今回のオレにとっての目的は、オーディションに合格することではなく、あのクソ親父を騙しきることだからだ。
「‥‥‥‥」
目を開ける。
そして、オレは妖艶に微笑み、父親と対面した。
「――――これからオーディションを開始します。ロミオとジュリエットが橋の上ですれ違い、その後、キャピュレット家の舞踏会で再会するシーンを演じてください。制限時間は30分間です。では、スタートします。始めてください」
我妻先生のその言葉に、オレと穂乃果は向かいあった。
(‥‥大丈夫です、穂乃果さん。私の目だけを見て、演技をしてください)
そう小声で声を掛けると、穂乃果は胸に手を当ててコクリと小さく頷いた。
男性恐怖症の彼女には、事前に、オレの目だけを見つめて演技するように指示を出しておいた。
本来であれば、この橋ですれ違うシーンで、向かい合って演技するというのはおかしなところではあるのだが‥‥彼女の視界に男性である講師の二人がちらついては、穂乃果は演技どころじゃなくなるからな。
この立ち位置は恐らくオーディションにとってはマイナス評価になるだろうが、今のところ男性恐怖症に対する最善策はこれしかないのだから、仕方がない。
「スゥ―‥‥ハァー‥‥」
静かに深呼吸した後、穂乃果は目を細め、淑女然とした貴族の少女を演じ始める。
「‥‥アディジェ川は今日も素敵な川面をしているわね。うん、とても良い朝だわ。あら、あそこにおられる方、何処か沈んだお顔をしていらっしゃいますわね。どうかしたのかしら‥‥」
「はぁ‥‥」
大きくため息を吐き、オレは川面を見つめ、憂いた表情を浮かべるロミオを演じる。
ここで、本来であれば、語り部であるロレンス神父のナレーションが入る。
『この橋の上で、二人は初めて出逢った』
『青年は鬱屈とした様子で水面を見詰め、少女はそんな彼を遠くから不思議そうな様子で見つめていた』
『青年が人の気配に驚いて顔を上げたとき、互いの目が深く吸い寄せられ―――時が止まったかのように、ただ静かに、ロミオとジュリエットはお互いの目を見つめ合っていた』
『青年の名はロミオ、少女の名はジュリエット』
『これから始まるのは、けっして叶わぬ恋に落ちてしまった、悲しい恋人たちの物語』
『どうか皆さま、二人の愛の物語を、最後まで見届けてください―――――』
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《柳沢 恭一郎 視点》
場面は、キャピュレット家の舞踏会でのシーンに変わっていた。
橋でのすれ違いの後、舞踏会で再会を果たしたロミオは、ジュリエットへとダンスの誘いを持ちかける。
「すいません、踊って下さいますか?」
「はい、喜んで」
手を取り合う二人。
ジッと見つめるロミオに対して、ジュリエットは首を傾げ、静かに口を開く。
「あの‥‥? そんなに見つめられて、どうかしましたか?」
「いえ。貴方は覚えていないかもしれませんが‥‥僕たちは以前、会ったことがあるのですよ。アディジェ川に掛かる、橋の上で」
「フフッ、覚えているわ。確か、三日前に憂いたお顔で川を見詰めていたお方、ですわよね?」
「あぁ、覚えていてくれたのですか! 嬉しいなぁ! 僕は、あれからあなたのことばかりを考えて、追い掛けていたんです!」
そう言って、ロミオ役である楓は、ジュリエット役の穂乃果の腰を抱くと、手を握り、彼女の瞳と至近距離で視線を交差させる。
その突然の行動は、どうやらアドリブだったようで。
ジュリエット役の穂乃果は楓のその行動に役を忘れてしまい‥‥突如、頬を真っ赤にして、動揺した様子を見せていた。
「ふ、ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!?!? お、お姉さま、な、何を――――――」
「美しい瞳ですね。まるで宝石のようです」
「あ‥‥お、お世辞が上手いのね。舞踏会に出席しているのだから、あなたも貴族なのかしら?」
「僕は貴族じゃないですよ。もしかしたらあなたに出会えるかと思って、キャピュレット家の門を潜ったのです。そうしたら、こうして、貴方と再会することができたのですよ。この運命には、天上におられる神様に感謝しなければなりませんね」
「そんな嬉しい言葉、鵜呑みにしちゃうわ。ほどほどにお願い」
(―――――――ほう。上手いな)
柊 穂乃果の方はそこまでのものじゃないが、如月 楓の方は節々に、積み重ねてきた演技の経験の深さが垣間見える。
とはいっても、細かい技術力や感情表現で言えば、圧倒的に月代 茜の方が上ではあるのだが。
「‥‥‥‥」
だが、月代 茜には持っていない、特別な何かを、如月 楓は持っている。
何よりも大きなところは、彼女の演技には人を惹きつける『何か』が、あるところか。
「すごい‥‥謎の色気というか‥‥不思議な魅力があるわね、あの子‥‥」
「うん。他の科の人たちがあの人をお姉さまって呼ぶのも、頷ける部分があるわね‥‥」
チラリと、オーディションを見守っている生徒たちに視線を向けてみると、そこには、ウットリとした表情をしている女優科のガキどもの姿があった。
なるほど‥‥場のコントロール、観客の空気を掴んだ、か。
洗練された高い演技力があるというわけでもなく、目だった能力があるわけでもない。
ただ、何処か色気のある――女性らしさが漂う妖しげなロミオ、独自のキャラクター付けがされた主役の姿が、そこにはあった。
(なるほどな。あの如月 楓という少女は、台本の中にあるロミオを独自に脚色し、台詞だけをそのままに、違うキャラクター像を演出してみせているのか)
セオリー通りの基本を準える演出家には嫌われるタイプのやり方だな、ありゃ。
だが、それが面白い。見る者にとっては目新しい、興味の惹かれる対象となる。
「‥‥雄二。お前が興味を惹かれている理由が分かった。確かにあのガキは、他とは違う。面白い逸材だ」
「へぇ、君が素直に認めるだなんて珍しいね、恭一郎。今日は空から槍でも振ってくるのではないかな?」
「‥‥‥‥‥‥だが、それだけに惜しいな。あの如月 楓とかいうガキ、多分、相当なブランクがあったんだろう。あいつの演技には、必死に過去の自分を思い出しているかのような‥‥焦り、焦燥感がある。それと、演技することに対して何処か、恐怖心が感じられる」
本当はもっと高く飛び立つことができるのに、何かが邪魔をしていて上手く飛び立てない。
だから、全力を出さずに、低いところで低空飛行を続けている。そんなイメージか。
「なるほど。雄二、お前が本質を隠そうとしていると言っていた理由を理解した。アレは、力を敢えてセーブしているんだな」
改めて、如月 楓を見つめる。
その姿は、やはり、亡き妻――――柳沢 由紀と、瓜二つにしか見えなかった。
第24話を読んでくださって、ありがとうございました。
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