悪役令嬢の意地と、転生令嬢の後悔
前半は悪役令嬢、後半は転生令嬢の視点に切り替わります。
こんなお話があっても、いいのかなと思います。
◆悪役令嬢 視点
「――私はお慕いしております。ですから、毒を盛るなど決して致しません」
私はきっぱりと想いを口にした。両手には手枷を嵌められ、首輪と鎖で繋げられている。みすぼらしい囚人服の下には、拷問まがいの尋問を受けた際に刻みつけられた鞭打ち跡が隠されていた。
被告人席に立つ私をぐるりと貴族のお歴々が取り囲む。その視線には、侮蔑と嘲笑に満ち満ちていた。
殿下の暗殺を企てた罪人。そこかしこで、無実の罪で裁かれようとしている私を嘲笑う声が聞こえてくる。私を庇おうとする者は、裁判場のどこにもいなかった。
最初から決まっていたかのように、愛するクロード王太子殿下との婚約は破棄され、父母にも勘当を突きつけられた。
今の私は次期王太子妃でも侯爵令嬢でもない。全てを奪われた、ただのセシリアでしかなかった。
いや、一つだけ決して奪われないものがあった。
「――被告はあくまでも認めぬ、と。それでよろしいか?」
「はい。私は殿下をお慕いしております。その私がどうして害することをいたしましょうか? そのようなことは、決してありえません」
私はクロード様を愛している。その気持ちだけは誰にも奪われない――奪わせない。例え、あの男爵令嬢に未来視の才能があっても絶対に。
「私は今も昔も殿下をお慕いしております。それは、死した先も変わりません」
満面の笑みで私は断言する。脳裏に浮かぶのは、愛しいクロード様の凛々しい姿だけだった。
全く、皮肉なものだ。全てを失った今となって初めて飾らない言葉を告げることができるのだから。……クロード様に直接お伝えすることができないのが残念でならない。
クロード様に寄り添える強い女性になる、その一心で私は努力を重ねてきた。
国王への道を進まれるクロード様の足枷とならないために、甘えた心をずっと押し殺してきたのだ。
本当は私以外の女性とダンスを踊って欲しくなかった。
本当は私以外の女性に笑顔を見せて欲しくなかった。
本当は――。
我慢してきたことは、一つや二つではない。でも、もう我慢しなくともいいだろう。冤罪が晴れたとしても、私はクロード様の妻にはなれない。傷ついた体も名誉も決して元には戻らない。
こんな傷だらけの体、私がクロード様に見せたくない。……せめて、クロード様の記憶の中に残る私には、綺麗なままでいて欲しかった。
自白を引き出すために苛烈な責め苦を負わせたのは、私が罪人として裁かれることが決まっているからだろう。
それならば、この裁判で私が何を言っても結末は変わらない。私は誰かの罪を被せられて死罪となる。ただの小娘に堕ちた私に冤罪を晴らすことは不可能だ。
この裁判は私を見世物にした余興に過ぎない。ただの茶番でしかないのだ。
私はクスリと一つ笑い、そっと視線を横に向ける。泣き出しそうな表情の男爵令嬢が私を見つめていた。
……貴方にも、少しは慈悲の心があったのね。見直したわ。
心の中でしかないが、私は初めて憎い恋敵に称賛を送っていた。
未来視の才があるならば、私がこの裁判で発言することもわかっていたはずだ。それでも、口枷をつけなかった。――最期に愛しいクロード様への想いを口にすることを許してくれた。
一人の男性だけに心を捧げず、複数の男性に心を配る姿には嫌悪しか抱かなかった。てっきり、悪魔の化身かと想っていたが、少しは女性としての心も持ち合わせていた、そういうことだろう。
あの男爵令嬢の考えを私が理解することは決してない。それでも、この慈悲はありがたく受け取っておこう。
意識を正面へと向ければ、裁判長が困惑した表情を浮かべている。私がクロード様への思いの丈を語るなど、想像だにしなかったのは間違いない。私はこっそりと噴き出し笑いをした。
十年間も閉じ込めていた想いが、今か今かと解放の時を待っている。ポカポカと胸の奥があたたかくなっていた。
溢れ出す恋心に背中を押され、私は満開の笑顔を咲かせた。
「――私は殿下を愛しているんです」
◆転生令嬢 視点
私は、どうしたらいいのだろう?
このイベントを私は知っている。セシリア様が犯人でないことも知っている。でも、犯人を明かしたら……。
ちらりと視線を送れば、愛しい彼の横顔が見える。前世の推しで、今世でも大好きな人。彼のルートを攻略する上で、セシリア様の断罪イベントは必須だった。
宰相子息の彼とクロード様は幼馴染だ。クロード様と協力して暗殺を企てた真犯人を追い詰めることが、彼のルートの根幹なのだ。――その始まりは、セシリア様の断罪だ。
彼のルートへ進むためだけに、好きでもない男性にも愛想をふりまいてきたのだ。そんな苦行を耐えてきたのは、彼を愛しているからだ。
でも、頑張ってきたのは……セシリア様も同じだ。
前世の知識が教えてくれる。セシリア様がクロード様のためだけに努力を積み重ねてきたことを。決して悪役令嬢として裁かれて良い方ではない、と。
乙女ゲームのシナリオをなぞれば、彼と結ばれることができる。そう信じていた。事実、今までシナリオから逸れたことはなかったのだ。――それが今、初めて逸れている。
セシリア様がクロード様への想いを叫ぶシーンなんて、私は知らない。
『暗殺を企てたセシリアは罪を認めて処刑された』
淡々とテキストに書かれた一文しか知らない。裁判でのセシリア様なんて、どこにも書かれていなかった。乙女ゲームの中でセシリア様が秘めた想いを口にしたことはなかった。
公式サイトには、氷の令嬢と紹介されていた。学園でもセシリア様と言えば、感情を顔に出さない冷たい令嬢だと評されていた。だから、花咲くような笑顔なんて知らなかった。
ただの恋する乙女だなんて……想いたくなかった。
私は乙女ゲームのシナリオを知っている。だから、セシリア様を助けることもできた。それでも、私自身の恋心のために何もしなかった。
――セシリア様を私は見殺しにしようとした。
その事実に気づいてから、責めたてるようにバクバクと打ち鳴らす鼓動が一向に止まなかった。セシリア様に冤罪を被せたのは私ではない。別にいる。
でも、それを知っていて止めなかったことは罪とはならないのだろうか。
ズキズキと頭が痛くして仕方がない。零れ落ちそうな涙を必死に堪えているが、どれだけ我慢できているのだろうか。
薄ぼんやりとしていく視界の中、堂々と立つセシリア様の姿が凛々しく映っていた。
『――私は殿下を愛しているんです』
私も彼を愛している。だけど、セシリア様と同じ状況で私は言い切ることができるだろうか? いや、絶対に無理だ。
薄々はわかっていた。乙女ゲームのシナリオは絶対ではない、と。
シナリオに逆らったセシリア様と、シナリオに従う私。……比べることすら烏滸がましい。私は馬鹿だ。
悔しいし、情けない。でも、それ以上にセシリア様がカッコイイと想った。
私も『愛している』と言い切れるようになりたい。
前世と今世に跨った気持ちは嘘ではないのだ。それが、乙女ゲームのシナリオに負けるはずがない。ルートに従わないと結ばれない、そんな未来なんてありはしない。――そんな未来は、絶対に私が認めない。
私は強く目を擦り、涙を拭う。その瞬間、くっきりと視界が色づいていった。
「どうしたの? 大丈夫?」
心配そうに愛しい彼が声をかけてくる。彼の手がそっと私の手に寄り添った。
繋がった彼の手を強く握り返し、私は顔を上げる。たった一人で戦うセシリア様の背中を見つめた直後、私は声を張り上げていた。
「――セシリア様は犯人ではありません!」
私も運命めいたシナリオから飛び出すことに決めた。全ては、彼に堂々と愛を告げられる、強い私に変わるために――。
「――セシリアが、私に毒を盛るはずがない!」
そして、もう一人の当事者が裁判場に姿を現す。毒で眠り続けるはずのクロード様が蹴破るように扉を開け放っていた。
一目散にセシリア様に駆け寄り、強く抱きしめる。そんなシナリオも乙女ゲームには存在しなかった。