ミント・ジュレップ のなりわい
駅の路地裏にある隠れ家的な雰囲気のバー。ゆるくカーブしたカウンター席の1番奥に座ることが、最近の私のお気に入りだった。
丸くて脚の長い椅子に座ると、もうどこへも行きたくなくなる。磨かれた床につかない足は、勝手に歩くことがないので妙な安心感があった。
金色のミラーボールを目で追いながら、思いがけず引っ込み思案な「私」は「私」の方を、愛想の良いバーテンダーさんが見てくれるのを待つ。人懐っこい笑顔が向けられてから私は目を伏せて、カクテルを1杯だけ注文した。
ミント・ジュレップ 。尖ったバーボンに、生命力の強いミントの葉が散りばめられたお酒。それは人波に流されながら生きる私と、非常によく似ていた。
爽やかな香りの中で弾けるソーダには清涼感があって、いつも目の覚めたような気分になる。とても重要なことだ。
ひと口だけ含んでから、私は両耳にイヤホンをつけた。周囲の色彩がセピア色に変わって、舌の上の味わいを深くする。研ぎ澄まされていくような感覚があった。
今日は3ヶ月後にライブハウスで演奏予定のカバー曲を聴くと、あらかじめ決めていた。この場所は歌い慣れた箱に似ているにも関わらず、箱にはない何かを確かに有している。
1つの小さな音をキッカケにして、一斉に音が鳴り出す。おもむろに私は瞳を閉じて、両耳を狭い手のひらで塞いだ。
最初はギター2本が同じ旋律を4回、同時に響かせる。厳密に言えば、旋律の音は4回とも違う。音程の移り方は同じだ。
背景のドラムは2回、同じ音を繰り返す。後の2回は全く異なる音だった。ベースは他の楽器よりも音が長い。2回だけで同じ音を繰り返している。
他の楽器は音程が上から下へと向かっていくのに対して、ベースだけは下から上へと向かっていく。縁の下の力持ち的な役割を担っている。次の、ギター2本が下から上へ向かう音を自然な形で奏でられるようにしていた。
次の、ギター2本が下から上へ向かう音はサブドミナントで終わっていて、曲の始まりを期待させている。刹那、ギター1本が走り出すように2回だけ同じ旋律を奏でる。ドラムはずっと同じ音を同じリズムで刻み続けた。
もう1本のギターとベースが旋律と同じリズムで歌う。もう1本のギターは旋律と3度の違いしかないため、響きはやわらかい。トニックで音が終わり、ヴォーカルが入って曲が始まる。
ヴォーカルが入ると、楽器がヴォーカルを引き立たせるようにして小さくなった。ギター1本が旋律から運動に変わる。もう1本のギターがリズムを刻みながら進み、時折1つの音を同じ高さで響かせる。
旋律はA・A'、B・B'、C・C'、D・D'、E・E'、F・F'と対応しながら進む。A、B、C、D、は音程の差がないため、ほぼ印象の差もない。
部分的に低音で同じ音が続いていく、という曲が数年前から増えた。統一感があるのは良い。でも、どこか淡白な印象を受けてしまう。
A・A'、B・B'の背景の音は同じであり、Cになるとベースが入る。D'になるとドラムが入って、ギターが和音の役割を果たすようになる。E・E'の背景は同じでドラムの音数が少しだけ多いものの、全ての楽器が同じようにリズムを刻む。
FはEのアレンジになっていた。F'になるとギターが旋律を追うようにして、低音から徐々に高音へと向かう。サビに入る前段階として音を盛り上げていく。
サビはベースと1本のギターが和音を奏でる。もう1本のギターは和音の後、余韻を残すように1音ずつ弾かれる。ドラムのリズムの刻み方に、あまり変化はない。
とりあえず1番だけ、何度も繰り返して聴いた。そして楽器の構成の仕方、演奏の仕方、和音の繋ぎ方、異なる響きのための創意工夫について考える。
音楽は不可思議だ。同じことを繰り返さないと印象に残らない。同じことを繰り返すと、意味を感じなくなる。
だから、旋律や背景を少しずつ変えて異なるものになろうとする。でも、それすらも聴くという行為によって繰り返されてしまう。
首を傾げながら、私はイヤホンを外した。途端に周囲の鮮やかな色合いが戻ってくる。ミントの葉が先程よりもさらに青々として見えた。
ミント・ジュレップを口に含む。グラスに氷が当たる。日常的な空間の中で。繰り返される日々の涼しげなカランという音を、私は聴いたような心地がした。