第05話:追撃の魔の手
「信じてくれ。あいつらは確かに俺たちを狙ってるんだ。パルドゥス!」
アレクはパルドゥスにすがりつくようにして訴える。
アレクに引っ付いていたサンディもまた、心なしか必死な様子で何度もコクコク頷いている。
「何か、聞こえたんだな?」
「あぁ。すごい数だ。もうすぐ着くと言ってる。嘘じゃない。信じてくれ」
アレクの拡張された聴覚は、男たちの鬨の声、百を超える馬蹄の音、そして、口々に叫ばれるアレクたち天人への罵りの言葉を捉えている。
すると、その様子をどこか楽しそうに眺めていたナルガンが、嘲笑を交えてアレクに尋ねた。
「おい。おめーの言う『敵』ってのは、どこにいるっつうんだ? 弱虫アレク」
「わ、分からない。距離も、方角も……。ただ、今この瞬間、俺たちに悪意を向けているやつらがいるってだけで」
「ハ! ご自慢の〈順風耳〉があってもそれかよ。使えねーな」
「だって、仕方ないだろ……っ?! 目の前にいるお前の声も、俺の後ろで俺を馬鹿にしているお前らの声も、全部、全部、同じように聞こえるんだよっ!」
今は立っている位置関係と声から、方向や距離感を知ることができるが、見えない相手の声は、どこから聞こえるのかまるで分からない。
アレクにはすべての音が、同じ大きさに感じるのだ。
いや、厳密には多少違うのかも知れないが、それも微差でしかない。
両耳に入る音圧の差によって、方向を決定できるほどの差ではなかった。
「分かるぜ。騒がしいクラスん中でも、自分の悪口はなんとなく分かるしな。自分に対する悪意を感じ取って、そこに注意が向いたってことだろ」
パルドゥスがアレクに助け舟を出す。
そこへすかさず、痩せぎすの少女メイミが割って入った。
「なぁっ、アレク氏は〈順風耳〉だけじゃなく、〈千里眼〉も持っていたよね。どうだい、方向が分からないってんなら、そうだな、この方向――この先を行ったところに何があるのか見てもらうことは出来るかね。そうやって、全方位を順番に確認していけば、『敵』がどこから来ているのか分かるんじゃないかね?」
「な、なるほど……。ありがと、メイミ。やってみる。この先を、真っ直ぐ……真っ直ぐ……」
メイミの提案に一縷の望みをかけ、アレクは目を凝らす。
厳密には目で見ているのではなく、スキルで見ているため、目を凝らすことにあまり意味はないのだが、気持ち的な問題だ。
集中によってスキルを制御するという意味では効果はあるかも知れない。
しかし――、結果は失敗に終わった。
「だめだ。夜になった」
クァンルゥ島からは水平線がよく見えるおかげで、この世界が球体であるという知識は天人の間には一般に流布している。
アレクの言葉に、パルドゥスが「だあああっ」と息を吐き、エミーリヤが「中間はねぇのかい、中間は」と呆れ返った。
アレクの視界は、一瞬で大地を『半周』してしまった。
すぐさま戻そうとするが、明らかに今いる山とは植生の違う森であったり、海であったりと、『ちょっとすぐそこ』が見えない。
メイミは難しい顔をして唸る。
「ん~む、アレク氏のスキルはかなりピーキーな性能のようだねぃ。自分たちへの悪意を感じたときだけ、その声を聴くことができると。これからスキルに慣れていけば、多少は使いやすくなるんだろうけど」
すると、
「おいおい。とんだ茶番だな?」
ナルガンがおかしそうに茶々を入れた。
うなだれるアレクを、ナルガンはさらに追いつめる。
「俺様は知ってんだぞ、アレク。おめーのせいで、ジゼルちゃんは重傷を負ったってこと。あれだけの被害だ、回復術師が間に合った公算は低い。おめーのせいでジゼルちゃんは死んだかもしれない」
「!」
その言葉を聞いて、イリアとポリィの二人が「マジ?」「アレクのせいでジゼルっち死んだの?」「ジゼルちゃん殺したやつの言うこと、信じらんないでしょ」などとひそひそ話をかわす。
同じような会話はそこかしこから漏れ聞こえた。
悲しいことに、それらすべてをアレクの〈順風耳〉は拾ってしまっている。
「……確かに、俺のせいで、ジゼル先生は重傷を負った。それは、俺がこのスキルに振り回されていたせいだ。でも、俺だってみんなを騙して、どうにかしようと思って言ってるんじゃない。本当に、危険だと思うから忠告してるんだ。……もう一回やらせてくれ」
「ハ! だからよぉ、俺様たちがいれば、小賢しい地人どもがいくら来ようが、相手にはなんねぇよ。襲ってきたところで、全員叩きのめせばいいだろうが!」
と、怒鳴るナルガンの前に、パルドゥスが立ち塞がった。
アレクの背に手を置き、パルドゥスが言う。
「オレはアレクを信じるぜ。アレクの言う通り、もし『敵』がいるなら、オレたちはそいつらに上を行かれた。だからこそ、オレたちは今こうして地上にいるんじゃねーか。ナルガン、お前は安全だと思うなら残ればいい」
それは強い拒絶の言葉だった。
ナルガンはパルドゥスの冷めた目に見つめられ、息を飲む。
だが、アレクはパルドゥスの手を優しく押しやった。
「だ、ダメだよ。パルドゥス。――ジゼル先生は『みんなで生き残れ』って言ったんだ。それが『修了試験だ』ってさ。もう少し、時間をくれ。絶対に見つけてみせるから」
目をつぶり、アレクは集中する。
クラス中、誰しもが息を飲んでアレクの姿を見つめていた。
アレクは目ではなく――、声に集中した。
今も、天人への害意のこもった声がアレクにはひっきりなしに聞こえている。
『クァンルゥ島から堕ちた天人たちがこのすぐ近くにいるはずだ、探せ!』
『皆殺しだ!』
アレクはその声に、さらに集中。
すると、のべつ幕無し切り替わっていた映像が、ある山の頂に固定される。
瞬間、スキル〈千里眼〉が〈順風耳〉と同期し、目の前に、百――いや、二百近い馬上の騎士たちの姿が現れた。
「っ!」
思わず集中を切りそうになったが、アレクは何とかこらえた。
何か、位置の特定の手掛かりとなる視覚情報を、見つけなければならない。
(何か、方角が分かるものは――。太陽――、影か!)
進行方向に対して影がどちらに出ているか。
騎士たちの向かう方向に対して、影は右側に出ている。
今、太陽は天頂を多少超えたあたり、西の空に昇っていた。
つまり、騎士たちは『北』に向かっている――!
(ってことは、あいつらは、俺たちから見て南にいる!)
アレクは目を開けて、パルドゥスの腕をつかんだ。
「南だ! 南からくる!」
「分かった、南だな。――みんな、聞いたな? 北だ、北へ逃げるぞ!」
パルドゥスが全員に号令を発した。
しかし、誰もまだ本気で危険だと感じているような雰囲気はない。
みな、故郷が墜落したショックや、クラスメイトが死んだショックが大きく、まだ立ち直れていなかった。
動くのも何をするのも億劫で、しばらく休みたいのが本音なのだ。
すると、彼らの前にシルヴィアが立って言った。
「あ、あの……。私、スキル〈未来視〉も持ってるのね。アレクくんみたいに使いこなせてないし、見る未来はほとんど選べないんだけど。だけど、このままここにいたら、多分……、また死人が、出ると思う」
その言葉が決め手となった。
全員、もはやパルドゥスが指示を出すことに疑いを持たなかった。
パルドゥスの先導に従って、北へと向かい、歩きはじめる。
ナルガンだけは忌々しそうに、先頭を歩くパルドゥスを見つめていた――。