プロローグ:論功行賞
聖紅晶――誰しもの脳髄にあって魂を司る器官。
殺人など十年に一件あるかないかという平和なクァンルゥ島では、これを殺して奪うなどという発想すらなかった。
だが、地上に住まう地人たちは日常的に、この魂の精髄を奪い合い殺し合っていたらしい。
この聖紅晶には、スキルが秘められているからだ。
アレクたちが落ちた場所から北にあたる山の中腹に、石造りの遺跡があった。
〈天資の学院〉の生徒たちはその遺跡の堂室で、ある相談を始めていた。
今、アレクの目の前には、五十近い聖紅晶が置かれている。
巨大な【迷いの森】に閉じ込められた騎士たちが死後残したものを、少しずつ拾い集めていたものだ。
騎士たちはまだ数名残っているようだが、全滅も時間の問題だろう。
もっとも、正直、五十近い聖紅晶のほとんどは、アレクたち天人にとって、大して価値のないものだった。
もともと、天人は級の高いスキルを持って生まれる。
地人たちが生涯をかけて身に着けたものより、上位のスキルを。
「〈聖勇者〉は欲しかったんだけどなぁ」
アレクがぼやくと、痩せぎすの少女メイミが楽しそうに笑った。
「まぁ、そう言うなよ、アレク氏。そもそも、何でも必ず入手できるのか。入手に際してデメリットはないのか。何らかの条件があるのか。まだ検証が済んでいなかったじゃないかぃ。あれほどのスキル、ただ首筋にあてるだけで手に入るとは私は思えないよ」
アレクたちにとって最大の強敵であった〈聖勇者〉バルトロッサ・ルグレイドは死の間際、自分の首筋に刃を突き立てた。
正確に、聖紅晶を突き砕くように。
おかげで、せっかくの〈聖勇者〉を奪うには至っていない。
「せっかくだ。級はそれほど高くないけど、アレク氏もいくつか戦闘用のスキルを持ってみたらどうだい?」
――アレクたちは今、最初に降りた場所からは北に位置する山の中腹に見つかった遺跡の中にいる。
雨風がしのげ、格好の隠れ場所としてひとまず一時的に避難するのに持って来いの場所だった。
「……うーん。死体からはぎ取ったクリスタルからスキルを覚えるなんて、ぞっとしないなぁ。ってか、メイミ。あのね、俺だって別に戦闘に使えるスキルを持ってないわけじゃないんだよ。特級以上を持ってないだけで」
「へぇ。じゃ、何があるんだぃ?」
「……〈瞬発力〉とか」
「わ、悪かったね。変なこと聞いて」
そんなに引くなよ、とアレクは思う。
ちなみに、〈瞬発力〉とは最下級に属するスキルの一つであり、地人でも訓練次第で身に着けることのできるスキルである。
全員が特級以上のスキルを持つアレクたちのクラスでは話にもならない。
「魔法系は最高位なら求道者があるし、物理系ならもう少し上のスキルもある。今回の一番の功労者はアレク氏だ。好きに選んでいいんじゃないかぃ?」
「……どうするにせよ、誰かが人身御供にならなきゃならないんだよな。どうしよう、死んだ人の魂に体を乗っ取られたりしたら」
アレク以外にはあまり有用ではないスキルが多いため、まだ誰も新たなスキルを得てみようとする者はいなかった。
すると、横合いから大きな手が伸ばされ、聖紅晶を一つかすめ取った。
ナルガンだ。
〈叡知〉のスキルを持つファビュラに聖紅晶をかざして見せる。
「おい、ファビュラ。これには何が入ってる?」
「ええと、ちょっと見てみますわね……。うーん、中級の〈暗視〉と〈隠密機動〉。あとは、上級の〈地獄耳〉〈完全平衡感覚〉〈經力〉ですかね」
「ま、ちょっとした偵察には使えるな。〈隠伏〉やその下の〈隠形〉ですらないのが解せねぇが。〈隠伏〉が失伝スキルだから、下位スキルも開発されてなかったのか? ……アレク、これもらうぞ」
アレクがわずかに首を縦に振ると、ナルガンはさっさとクリスタルを首筋に当ててしまった。
本当は少し〈經力〉や〈完全平衡感覚〉あたりは欲しかったのだが、〈暗視〉や〈地獄耳〉などはアレクのスキルの完全下位互換なので問題はない。
――ナルガンの首筋から赤い光が湧き出し、クリスタルを内部へと抱き込んでいく。
「ど、どうだ……?」
ごくりと唾を飲んでナルガンの様子を見守る。
すると、ナルガンは二~三度首を振った。
「俺様、なんか変わってるか? 性格とか、見た目とか」
「いや、別に。今まで通りに見えるけど……。どうなんだ、スキルは?」
「あー。よくわからんが、〈暗視〉と〈隠密機動〉は使えそうな感覚があるな。〈地獄耳〉と〈完全平衡感覚〉はもやがかかった感じだ。ファビュラ、もう一度見てくれるか?」
「まったく。人使いが荒いですわね。……ええと、おっしゃる通り、〈暗視〉と〈隠密機動〉を覚えていますわね。逆に、〈經力〉はどこにも見当たりません。残りの二つは……どうも見たことがない状態ですわね」
ファビュラによると、〈地獄耳〉と〈完全平衡感覚〉の二つに関しては、継承したともしていないとも言える状態に思えるとのことだった。
「確かに持っている……けど、まだ目覚めていないという感じでしょうか」
この状態を聞いてメイミが口を開いた。
「ふぃー。なるほどねぃ。すると、〈經力〉は消えたとみていいのかな。すべてを継承できるわけじゃないのか」
ふとアレクが疑問を覚える。
「じゃ、待ってくれよ。バルトロッサのやつは、イリアのスキルを奪ったとき、せっかくの失伝スキルを奪えない可能性があると知りつつ賭けに出たってことなのか?」
「いや~。そうとも限らないんじゃないかぃ? 例えば、狙ったスキルを確実に選べるスキルなんてのがあるのかもしれない。なにせ、私らはスキル奪取に関しては知らないことばかりだからねぇ」
「なるほど」
何の根拠もないメイミの推論だが、バルトロッサの性格を考えればあり得そうなことに思えた。
「ほれ。アレク氏も、何かスキルを持ってみたらどうだい?」
そういって、メイミが背中のバックパックから生えたゴーレムの腕を伸ばす。
その手には他のものよりやや小ぶりの聖紅晶がにぎられていた。
「わわっ、待ってよ。まだ心の準備が」
慌ててはねのける。
しかし……、
「あれ? 今、確かに触ったよね?」
聖紅晶は確かにアレクの首筋に触れた。
それなのに、スキル継承らしき現象は一切起こらなかった。
「はて。何かやり方が違ったんだろうかねぃ。自分の手で持たなければ継承は起こらない? それとも、何かほかに……」
メイミがぶつぶつ言い始める。
アレクが呆然とその様子を眺めていると、どんどんメイミの思考は深淵にはまり込んでいった。
「……ふむふむ、こう仮定すると、確かに。仮に触れただけで継承が起きるなら、天人でも事故によって継承がなされていてもおかしくはない。つまり、何か別のきっかけが必要になる」
「め、メイミ……さん?」
メイミが少年と変わらぬ華奢な胸をそらし、言った。
「アレク氏。私の考えはこうだ。継承は意志によって起こると。天人たちが過去継承のことを知りえなかったのは、そもそも知らなかったからだ。知らなければ、意識のしようがない」
「……俺も一つ考えたんだけど、メイミのゴーレム腕で持っていたからではなくて? 自分の手で首筋に当てない限り、継承は起こらない……とか。いや、ゴーレムなのが原因かも」
「あぁ。それもむろん検討済みだ。だから、条件を切り分けて検討してみる必要がある。まずは、『ゴーレム腕』で『アレク氏がスキルを継承するとの、受容の意志を持って』首筋に当ててみよう。次は『他人である私の手』で。最後にアレク氏本人の手で検証だ」
「なるほど」
先程までびびっていたのはどこへやら。
アレクは好奇心を抑えきれなかった。
(よし、俺はスキルを継承するぞ)
呼吸を整え、受け入れる心の準備をする。
「行くぜ、アレク氏!」
「おっ、赤い光が出てきてるじゃねぇか」
メイミが聖紅晶を近づけ、ナルガンが感嘆の声を発する。
聖紅晶が首筋に触れるか触れないかの寸前、ふと気になってアレクは聞いた。
「なぁ、メイミ。これって何の聖紅晶だ?」
「あぁ、そういえば。大きさからして、おそらく、〈聖勇者〉バルトロッサが自ら砕いたやつじゃないか?」
と、赤いクリスタルがアレクの首筋に触れる。
(それって、砕けていたから反応しなかったんじゃないの?)
とか、
(不完全なスキルが入って変な誤作動を起こしたらどうするのさ)
とか、
(あんな悲惨な死に方したやつのなんて、恨みの念に精神を乗っ取られたりしたらどうしよう)
だのといった感情が一瞬で湧き上がって――消える。
熱い、痛みに似た感触がアレクの首筋をこじ開けて入っていく。
そして――
アレクはおかしな声を聴いた。
『スキル〈聖勇者〉の継承に失敗しました。スキル〈聖勇者〉の一部をサルベージ可能です。復元を試みますか?』




