第15話:アレクの戦い
「よォ。交代要員で来たぜ。あんた、まだ見張ってんのかい?」
あれから、十日過ぎた。
騎士たちが閉じ込められている山に残り、監視を続けているアレクのもとに、エミーリヤがいざという時の〈隠伏〉スキル持ちとして派遣されてきた。
十日間ずっとアレクのそばにいるサンディが、エミーリヤの言葉を翻訳する。
「あぁ。ポリィたちに張ってもらった結界には一つだけ抜け道がある。あいつがそれに気づいた時、対処できるのは俺しかいない」
「だけど、もう十日目だ。少しは休みなよ。これだけ気づかなかったんなら、死ぬまで気づかないかも知れないじゃないか」
「ダメだ。あの戦力は俺たちにとって危険すぎる。せっかく確実に殺せるチャンスを逃すわけにはいかない」
エミーリヤはため息をついた。
「……それで、どうなんだい? 騎士たちの様子は」
「そうだな。全員、体を洗う手間さえ惜しんで酷く汚れてる。超嗅覚のスキルがなくてよかったと思うよ。自分の垂れた糞を食って、敗血症で死んだやつがいる。腐って落ちていた果物の取り合いになって、手を切り落とされたやつがさっき失血で衰弱死した。道端に倒れてるけど、もう誰も気にしてない。まだ始めのころは規律があったんだけどね。手持ちの食糧が心許なくなってきたころに、〈隠伏〉でこっそり隠してやったら仲間割れが起きてさ。そこから、崩れた」
アレクの目には地獄絵図のような騎士たちの醜態がすべて見えていた。
淡々と話すアレクに、エミーリヤは何とも言えない顔だ。
「あんた、ちょっと怖いよ」
「あ、ちょっと待って。動きがあった。あっちに集中する」
エミーリヤの言葉をさえぎり、アレクはスキルに集中する。
* * * * *
巨漢の騎士を、バルトロッサが斬り伏せていた。
「貴公、〈悪食〉持ちだったか。どのように〈鑑定〉の目を逃れていたかは気になるところだが、今は不問に処す。――我輩はここで死ぬわけには参らん。貴公の血肉は皇国の栄華の糧となるのだ。光栄に思うがいい」
そして、バルトロッサは騎士からスキルを奪ったのち、見るもおぞましい行為を繰り広げた。
食ったのだ。
騎士を。
細かく切り分け、生のままむさぼり食らう。
奪ったばかりの〈悪食〉スキルが、『同族喰らいの際に中る心配がなく、しかも、回復効果まである』などという話は、いつの世にもまことしやかに伝わっている類の与太話だが、その場にいた誰もが知っていた。
「貴公らもこうなりたくなければ、この霧から逃れられる術を見つけることだ。死んだ者はこれまで通りスキルを頂くが、これからは肉も頂く。なるべくなら、我輩に手を下させないでもらいたいものだ」
その様子を見て、アレクはバルトロッサが最後の致命的な間違いを犯したことを知った。
(そろそろ、俺の出番も近いかも知れない)
翌日、列を離れて逃げようとした騎士をバルトロッサは殺して食った。
余った肉は他の騎士にも供されたが、何人かはひどい下痢を起こして夜には冷たくなっていた。
その翌日、始めは何のことはない理由から騎士達の間で口論があり、その中心だった騎士二人をバルトロッサは殺して食った。
このままでは、バルトロッサは騎士を一人残らず殺して食い、最後まで生き残るだろう――かと思われた。
だが、夜。
バルトロッサが眠りに就いた後。
数名の騎士たちがうなずきかわし、バルトロッサを包囲した。
「どうした、貴公ら。……まさかとは思うが、我輩に刃向かおうなどというつもりではあるまいな。国に帰ってから、何と申し開きをいたすつもりだ。皇弟殺しと、〈聖勇者〉の簒奪など、一族がいくらおっても首が足りぬ重罪だぞ」
「えぇ。しかし、私たちは皇弟殿下を殺したりは致しませぬ。皇弟殿下は天人の卑劣なる刃の前にお斃れになり、皇国の守護者たるスキルを喪ってはならぬと、我らがスキルを継いで差し上げたのです」
「なるほど。良い筋書きだ。――我輩と貴公らの実力差にさえ目をつぶればな。位階にして1000もの開きがある相手を、どのように弑そうというのかね。雑魚が何人束になろうと、我輩には傷一つつけることは適わぬぞ」
「皇弟殿下こそ、お忘れではありませぬか? 殿下の〈聖勇者〉は守るべきものが多ければ多いほど効果を増す特殊スキル。ですが、殿下は自ら守るべきものたちを放り出しておしまいになった」
「!」
バルトロッサの表情がこわばる。
自分が何をしたのかに、ようやく思い至ったようだ。
「ま、待て!」
「待てと言われて待つとお思いか?」
バルトロッサは逃げ出した。
彼の後を、鬼気迫った様子の騎士たちが追う。
「今ここで殺さなきゃ、いずれ食われるッ」
それは騎士たちの心の叫びであったのだろう。
アレクとしては、このまま最後の一人になるまで殺し合い、食われ合い、スキルを奪い合ったら、一体どのような化け物が生まれるか気になるところではあったが。
もっとも、バルトロッサは飢えで死んだ騎士の聖紅晶は宝石のまま懐に入れていた。
〈教化〉や〈分化〉ではなく、単なる授与という選択肢も取れるためだろう。
「き、貴公ら、落ち着きたまえッ」
さしもの〈聖勇者〉も、自分と同等に近い位階を持つ騎士たちに一斉に襲われてはひとたまりもない。
その時、ようやく彼は気づいた。
もう一つ、彼には珍しいスキルがあることを。
「サンディ。エミーリヤ。行くよ。準備して」
アレクは立ち上がった。
山全域に張られた霧の【迷いの森】の結界。
その結界を破る術はただ一つ。
〈隠伏〉スキルによって異空間を経由し脱出すればいいのだ。
騎士隊の中で〈聖勇者〉だけがそのスキルを持っている。
彼にそのことに気づかれてしまっては、全ての苦労が水の泡だった。
(もっとも、ヤツがこういう形で使うとは俺も予想はしてなかったけど)
エミーリヤのスキルの力で、アレクら三人は異空間に潜った。
〈隠伏〉で入れる異空間には一つの特徴があることに、アレクは気づいていた。
最大の特徴は、誰がスキルを使っても、移動速度は常に『一定』ということ。
これについて、アレクは一つの仮説を立てていた。
異空間には高さも厚みもないが、アレクにはそれがあるように感じられ、真っ白くて何もない空間として知覚できる。
つまり、『長さ』に変わる何か別のモノが、代替に使われている空間――これがアレクの仮説だ。
現空間における移動距離が変わると、速度は一定で、潜伏時間だけが変わる。
(エミーリヤは言っていた。感覚だけを頼りに進むって。目も耳も聞こえないのに、距離がわかる『感覚』と言ったら一つ)
それは『時間』感覚。
この異空間は、現空間における『長さ』の概念が『時間』の概念に置き換わった空間なのだろう。
アレクは異空間を複雑に動きながら、バルトロッサのもとまで進んだ。
『サンディ。今向いている方向に、全力で雷の魔法を……そうだな、大体30ノギスク以上(≒30秒以上)。頼むよ』
言葉ではなく、思念で伝える。
返事もこれは言葉ではなく、ただ『諾』という思念の形のみで伝わった。
そして、アレクは自分の仮説が正しかったことを知った。
アレクには、サンディの雷ですら小走りのような一定の速度で、バルトロッサに襲いかかっているように見える。
きっかり30ノギスク後、〈雷の魔帝〉たるサンディの全力の魔法がバルトロッサに突き刺さった。
「イリアの仇だ。自分の業に焼かれて死ね」
攻撃を受けたバルトロッサが、異空間からはじき出される。
(――後は、彼らが何とかしてくれるだろう)
現空間に叩き出されたバルトロッサは騎士たちに捕らえられ、嬲られ、斬り刻まれていく。
これで、華々しい剣戟も、派手な魔法もない――あるのは十二日間監視し続けた忍耐だけという――アレクの戦いは、幕を閉じた。




