第10話:倦怠
アレクの視聴覚が肉体に戻ったのは、それから五日後のことだった。
「おっ、ようやく起きたか」
覗きこんでいたのはパルドゥス・ダークライド。
アレクの親友である。
アレクは洞窟の中で、敷き藁の上に寝かされていた。
右手に熱を感じ、見ると、サンディが手を握っている。
「おう。アレク、目が覚めたってな? お前さん、心配させるんじゃないよ。あんなところで身体を手放して、もし、あたしらがお前さんを放置していったらどうするつもりだったんだい」
一度出て行ったパルドゥスに連れられ、洞窟に入ってきたのはエミーリヤだ。
「そんな心配はしてないよ。絶対に守ってくれるって信じてたし」
「ほんっと……。お前さんは甘ちゃんだね。まぁ、小さい体であんたを運んでくれた、サンディちゃんに感謝するんだな」
今度はエミーリヤと入れ替わり、メイミが現れる。
「おっ、起きたかぃー、アレク氏。心配したよ。いくら呼びかけても反応ないしさ。くすぐってやろうかとも思ったけど、サンディ氏に止められてね。何とか水は飲ませたが、飯も食わないから心配したよ。〈調合〉スキル持ちに最低限の栄養が補給できる栄養剤を作ってもらって飲ませてはいたが、何か腹に入れたいだろ? 今、用意してもらってるから、食べてくるんだね」
パルドゥスがメイミを指して言う。
「メイミちゃんには感謝しろよ……。お前、この五日間、ほぼ寝たきり……ということはつまりだな」
言いよどんだ顔に、アレクは言い知れぬ不安を覚えた。
メイミは邪悪な笑みを浮かべる。
「うちらのトイレは、汚物を粉砕乾燥するゴーレムを急遽作ったんだけどねぃ。アレク氏は自分で使えなかっただろ? だから、装着型のゴーレムを作ることにしたんだが、その……サイズが分からないじゃないか」
「……えっ? あっ、えええっ!??!?」
アレクの下腹部には特殊な金属に奇怪な紋様が刻まれた物体が装着されている。
これがその汚物の粉砕乾燥機能付きゴーレム・装着型なのだろう。
アレクが動揺していると、パルドゥスが肩を叩いた。
「大丈夫、見られてはない。オレが見て、メイミちゃんに教えた」
「……み、見たのか? パルドゥス」
「あぁ。お前意外と、りっ」
「わあぁあああっ!」
慌てて両手を振って、アレクはパルドゥスの言葉をさえぎった。
パルドゥスはどこ吹く風といった顔をしている。
怒ったように声を上げ、アレクは強引に話を変えた。
「そっ、それで! ここはどこだ? 山は下りたのか?」
だが――、
「……ここはC8の洞窟だよ。みんなここを離れたくないって」
メイミが申し訳なさそうに答えた。
アレクは今度こそ本気で、怒り、叫ぶ。
「なっ、なんでだよ! ナルガンたちがやられたのはみんな知ってるんだろ? イリアの死に様だって。ここにいたら危ないんだって!」
「そのナルガン氏だが、帰って来てから、何も話してくれないんだよねぃ。ポリィもだけど。みんな、位階1450と言われても、ピンと来ないらしいんだ」
「そっ、そんな……」
アレクは五日間、情報の収集に努めていた。
そのおかげで、いくつか分かったことがある。
彼らはシャンディエフ皇国と呼ばれる帝国の騎士隊であり、〈聖勇者〉はそこの皇弟であること。
名前はルグレイド皇家のバルトロッサ。
二百年ほど前、この地にあった八つの国を併合した帝王家の末裔らしい。
帝国はその後も膨張を続け、大小十数の国々を飲み込み、今もなお肥え太り続けているという。
位階200以上の騎士たちは皇国でもエリートらしく、今回、各地の防衛上どうしても動かせない十数名を除いて、皇国全土から天人を狩るために特別に招集されていたそうだ。
理由は分からないが、彼らは天人に強い恨みを抱いている。
今回、さる『結社』との共同作戦で、山に入っていたようだ。
任務は、クァンルゥ島を貫いた『地の怒り』と呼ばれる儀式魔術の準備をしている間の警護。
『結社』は準備を邪魔される可能性を恐れ、二重三重の警戒をしていたらしい。
中には『運命視』を欺くための策まであったという。
そのおかげか――、それとも単に、まったく地上を警戒していなかったせいか、クァンルゥ島は眼下でそのような作戦が行われているなど露知らず、成すすべなく蹂躙された。
クァンルゥ島を落とした『穴の巨人』については、〈聖勇者〉でさえ、どうやったのか見当もつかないということだった。
護衛の報酬は、結社の者を攻撃してきたり、またはアレクたちのように地上に堕ちてきたりした天人のスキルを、自由に奪ってよい、ということ。
「いいか。あいつら、山の獣を狩って飢えを凌ぎながら、一旦は下山した。ただ、この山を下りて丸一日も行かないところに大きな港町があったんだ。そこで準備を整え次第、また戻ってくる。エミーリヤたちに伝えてもらっただろ? やつらはスキルを奪うんだ。ここにいるのは俺以外みんな特級以上のスキル持ち。あいつらからしたら、手つかずのお宝が放置されているようなもんなんだよ」
アレクは可能な限り、集めた情報をつまびらかにした。
だが、メイミはすまなそうに答える。
「実は……アレク氏。そのことだけど、やつらがスキルを奪うって話は、みんなにはまだ伝えてないんだ」
「なっ、なんで!?」
「その、スキルを奪う力は、地人だけのものなのかぃ? もしかしたら、私ら天人も、同じことが出来るかも知れない。分からないだろ? 試したことないんだから。人殺しなんて、この野蛮な土地と違ってクァンルゥ島じゃご法度だ」
「ま、まさか……、俺たちの中から、スキル欲しさに仲間を殺すやつが出てくるとでも思ってるの?!」
「いないとは言い切れない。――私らが知らなかったってことは、大人たちがそれを隠していたってことだ。それは何でだと思う? そうなることが容易に想像ついたからじゃないか?」
「――ッ!」
馬鹿にしてる。
と、アレクはそう思った。
一番、人のスキルを羨ましいと思っているのは、最高位のスキルでさえ上級の自分なのだから。
だが、アレクは怒りを抑え、さらに説得を続ける。
「……どのみち、やつらはすぐに戻ってくる。スキルの件を伝えようが伝えまいが、逃げなきゃやられるってことに、変わりはないんだぞ」
「悪い、アレク氏。私らは、『見ていない』んだ。あの場から離れたのだって、アレク氏の説得に応じてみんな渋々離れただけだったろ。一度、ここで腰を落ち着けてしまったら、もう……。今、〈念話〉持ちの子に、他の空島との交信を試してもらってる。すぐにでも、救助が来るかもしれないし」
「そ、そんなわけっ……」
その時、アレクは気づいた。
メイミの両肩が不安そうに縮こまっているのを。
背はサンディよりやや高いぐらいでしかない。
サンディの幼体返り前は、クラスで一番小さかった。
ちゃんと食べているのか心配になるような、細い身体をしている。
どこか超越した話しぶりだから気づいていなかったが、メイミだってただのちっぽけな十五歳の女の子だ。
アレクはたまたま『視えた』から、脅威の感覚が上書きされている。
だが、妖精の目を通してあの場の惨状を目の当たりにしたサンディとファビュラでさえ、妖精の到着が遅く、イリアが殺された後しか見ていない。
〈聖勇者〉の恐ろしいまでの強さ、残酷さ、その一部始終を見ていたのはアレクただ一人だった。
他のクラスメイト達にとっては、いまだにクァンルゥ島が落ちたことが一番の関心事であり、五日程度では、その傷からまだ立ち直れていないのだ。
「オレが無理矢理号令して、みんなを焚きつけてもいいんだけどよ。それも何か違ぇしな。……まぁ、いざって時はオレが守ってやるよ」
パルドゥスがアレクの肩を叩く。
アレクはその手を振り払い、立ち上がった。
「お前じゃ無理だよ、パルドゥス」
うつむき、洞窟を出る。
洞窟の外ではクラスメイト達がせわしなく動き、食事の支度をしていた。
男子たちが自分の体ほどの大きな猪を、何頭も仕留めてきている。
生産系のスキル持ちは身の回りの細々したものを木や石などで作っていた。
何人かから声をかけられたが、アレクはそれを全て無視し、森の中へ分け入った。
「……大丈夫だよ、サンディ」
アレクの後をとことこ追ってきていたサンディに声をかける。
「五日間スキルを使いっ放しだったおかげで、多少はコントロールできるようになったみたいだ。一人でも、前のような頭痛には悩まされてない。ちょっと、一人にしてくれ」
サンディをむりやり帰して、森の奥深くの木陰に座り込んだ。
気息を正し、目をつぶる。
時間をかけて集中すれば、歩くようなペースでなら、視点を正確に移動できるようになっていた。
少しでも気を抜くと、一瞬で数百サウ(≒数百キロ)ズレてしまうのは変わらないが。
せめて、ここに来るまでにマーキングしてきた領域に、敵が入って来ないかだけでも監視していよう。
そう思って、アレクは集中を始める。
――そうして、それからどれほど時間が過ぎただろうか。
ふと、肌寒さを感じた。
スキルを解除して、見れば、あたりはすっかり暗くなっている。
アレクの〈千里眼〉は視覚系の最上位スキルであり、〈暗視〉の効果も持ち合わせていたため、時間の経過に気づかなかったのだ。
「んー、常時〈暗視〉効果ってのはこういう時に不便だな。意識してオンオフができるようにならないと」
アレクがそうつぶやいた、その時だ。
肉体の耳が、がさっと木の葉が揺れる音を聞いた。
「だ、誰?!」
慌てて振り返る。
音はだんだんとアレクのほうに近づいてくる。
そこに現れたのは――、
「ポリィ?」
青い髪を腰ほどまで伸ばした〈水神族〉の少女だ。
自らの片割れと言っていい少女を〈聖勇者〉に殺された悲劇のヒロイン。
彼女の目はうるみ、何かを決意したような必死の顔をしている。
ポリィは震えるくちびるを一度ギュッと引き結び、言った。
「なぁ、アレク。……あんた、女の身体、まだ知らないだろ?」
「はぁっ!?」
突然の言葉に、思わず声が裏返った。
腰が抜けたように立ち上がれず、アレクはポリィの接近を許してしまう。
「あんたが欲しいっていうなら、いいんだよ」
「な、なにっ、どうしっ、えとっ、あのっ」
質問をしたくても、首筋に置かれた腕のひんやりした感触が気になってしまって、思考は空転するばかり。
しなだれかかったポリィの吐息が耳朶をくすぐる。
「ほら、緊張しないで。力抜いて」
あまりに急なことに、もはや、えづくような声しか出せなかった。
あらぬところに血が集まっていくのを感じる。
そして――、
アレクのくちびるは、ポリィの柔らかなそれで優しくふさがれた。




