掃除と魔災
「なぁ、アイツどうしたんだろうな」
「私に聞いているの?」
「お前しかいねーだろ」
ベノンはトロッコに魔物の遺体を入れながら隣にいたベーリに話しかけていた。
それを唇を少しつり上げて不快そう聞き返すベーリ。
地下遺跡の第一階層。
魔瘴石を取り出し終わった子鬼の死骸をベノンとベーリがトロッコに乗せていた。シャノンとライアスは二人から少し離れた場所で子鬼の解体を行っている。
昨日と今日で半分ほど片付けたが、さらに下層にも死骸は転がっている。討伐隊は目下全力をあげて下層へと進行していても、第三階層から魔物の強さが上がるため難航していた。
「知らないわよ。昨日稽古してどっかで頭打ったんじゃない?」
ベーリがトロッコに子鬼の死骸を押込ながら投げやりに言う。死骸など見過ぎてもはやベーリは女性といえどもそれを麻袋ぐらいにしか見えていない。
「妙に素直なんだよなぁ。今朝だってケロッとして朝飯食ってたし」
ベーリの言葉を聞いているのか、聞いていないのか。
ベノンは昨晩と今朝のことを思い出しながら独り言のように呟いた。
ベノンが知っているツナグはもっと落ち込むはずだった。態度では気丈に振る舞おうとするが顔色は一発でわかる。真っ直ぐなタイプで、言われたことを流せない真面目な奴。それがベノンがもつツナグのイメージだ。それでも孤児院に一年もいると大人しくなった。自分以外にも悲しい奴がいると分かって、今度は言葉に出せないことを飲み込んでため込むように。
それに稽古から戻ってきたツナグはボロボロだった。ベノンは驚いて理由を聞くも転けたとしか聞いていない。あれは転けてできるような傷ではない。
誰かと打ち合わないとできない傷だ。
そして、ベノンが知っている限り、ツナグは剣の打ち合いで負けたことはない。
昨日行った魔銃屋で改めてベノンは思ったが、ツナグは自分と同じような場所にいるやつじゃない。
彼は神印さえ授かれば天才なのだ。神印を授からずに、体内ではなく現実の事象を改変する魔術を発動させるだけの魔力を保有し、トップレベルの魔術技師とも対等に話すだけの知識を有し、身を守る剣術も並外れている。
エルード大陸の四大魔術師、西の守護を任された賢者マキシス・レイナードが直々に後継者になり得ると言わしめた神童ツナグ・レイナード。
そして西の賢者の親友でもある放浪の剣仙ロイ・カバラン、最後の弟子。彼は素質のある者しか弟子をとらなかったという。
二人の大陸最高の師匠を持ち、幼少時代から英才教育を受けてきたツナグは【魔災】がなければ、自分とは全く違った人生を歩んでいた。
今は、何の因果か【魔災】の後遺症で心の傷を負い、魔術も使えなくなり、神印も授からず落ちこぼれとして自分と一緒にいる。
そのことがベノンにとって、たまらなく運命とは不思議なものだと感じさせている。あるいは残酷だと。
それでもいつか―――。
ベノンは片頬で笑みを作り、ふっと鼻で笑った。
「行っちまうのかね」
寂しくも何かを期待している笑み。
たまたま死骸を運ぶためにベノンへ近づいていたベーリは、眉をひそませて嫌そうな顔をする。
「何がよ? いきなり笑い出して気持ち悪い。いいから早く手を動かしてよ」
「へいへーい」
ベノンはとぼけた声をあげてベーリをまた不機嫌にさせた。
◆◆◆
そこは戦場。
白衣を着た医師や看護婦たちが忙しく走り回り、ずらっと並んだ簡易式のパイプベッドで呻く傷兵に手当をしている。
「内臓には異常ありません。肋骨が二箇所と脚の骨折です」
ツナグは並んでいたパイプベッドの傷兵の体に手を当てながら真剣な表情で見ている。その横では看護婦がメモをして、医師が応急処置を行っていた。
大波による討伐隊の傷兵を治療するために用意された野外幕舎だ。神印を持つ治癒士の治療が必要な重傷者は軍部内の傷兵病院へ搬送されベッドの空きがない。比較的軽傷のものを治療する場所。
中年にさしかかったその医師は傷兵の手を当てを続けながら、
「ツナグ君、そろそろ休みなさい。おかげでずいぶんと早く済んだよ。私も手当に専念できたからね」
とツナグに声をかける。
その言葉でツナグは気がついて辺りを見渡すと、診察待ちの傷兵は全員見おわっていた。
だが、まだ自分にできることはある。診察待ちの傷兵は終わったが、いまだに地下遺跡からは傷兵が搬入されてくる。
「いえ、お言葉は嬉しいですが―――」
ツナグがやんわりと断ろうとしたとき、医師は首だけツナグの方を振り返って苦笑する。
「すでに8時間ぶっ通しだ。魔力検知は消耗も激しい。君に倒れられるのも困るからね。余計なベッドは増やしたくない。さ、外で休んでなさい」
ツナグには返す言葉が浮かばなかった。魔力自体はまだまだ余裕はある。それよりも集中力が切れてしまった。そうなると、ずっと緊張していたのでどっと疲れを感じる。
ツナグは回復魔術が使えない。せめてもとした治療は相手の回復力を向上させることだ。魔力検知で怪我の箇所を視るだけならたいしたことはないが、ツナグは魔力抵抗値が高い他人の体へ自分の魔力を浸透させて、怪我の部分の代謝能力を向上させるという荒技を使っていた。魔力検知よりも数十倍魔力消費が激しく精密な魔力操作がいるが、回復魔術の100倍以上効果がない。
「・・・分かりました。では、お言葉に甘えて休憩してきます」
ツナグは医師と看護婦に休憩を取ることを告げて、幕舎から外に出た。
外は兵士達が休んでいる。地下遺跡、特に第三階層に潜っていた者は緊張の連続から解放されて疲れ切っている。鎧の兜でさえ脱ぐ気力がなくて、その辺の芝生で休憩中だ。
ツナグは昼食を食べ忘れたので、スープや食べ物を配給する幕舎で食べ物を受け取り、幕舎の日陰に座って食べた。
塩気のきつい細切れの豚肉と野菜のスープ。パンは白くて柔らかい。
兵士達が戦場から戻ってくると直ぐには固形物が喉に入らない。歴戦のベテランになれば別だが、生死をかけた緊張で胃が活動していないのだ。それを温いぐらいのスープで起こして、パンを浸して食べるといったことが軍で採用されていた。
ツナグも疲れていたので体の隅々に染みこむようだった。パンも普段より二倍は美味しい。
もそもそと食べながらツナグは遺跡の入り口付近を眺めている。
(それにしても被害が最小限だなんて運がいいな)
ツナグはボンヤリと見ながら幕舎の中で聞いた大波の被害を思い出していた。
大波が来たとき、地下遺跡の内部に人は誰もいなかった。神印の儀式があったからだ。訓練兵の神印の儀式の前に、兵士や鉱脈夫達の神印更新があり午前中の作業が免除されていた。もし、神印の儀式がなければ今頃は遺跡内に人が残され被害は甚大になっていただろう。
遺跡で採掘されるメインの階層は第四階層。
平時では300人程度の鉱脈夫と護衛の兵士たちが日が昇っている間は過ごしている。そこに大波がくると半数は帰ってこないだろう。全滅する可能性もある。
第四階層は第一階層の比にならないぐらい強力な魔物が出現し、何よりも倒した後は迅速に魔障石を遺骸から摘出しなければ魔物がアンデッド化する。それまでなんとか肉をもつ生物の範疇にあった魔物が、アンデッド化によって生命としての弱点を克服して蘇ってくるのだ。その上アンデッド化した魔物は肉を求めて遺跡から出ようとする。
このアンデッド化を阻止するのがツナグの小隊がしている【掃除】と呼ばれる任務だ。下層から運ばれてくる魔物の遺体を解体し、魔障石を摘出し、使える素材をはぎ取り遺体を焼く。とはいえ魔物を放置するばすぐにアンデッド化するというものでもない。通常なら最短一ヶ月~数年の範囲。魔物が弱くなればなるほどアンデッド化の進行は早い。
もし、アンデッド化した大量――百から千程度の魔物を放置すると、そこから【魔族】が召喚されてしまう。魔物よりも遙かに能力と知性が高く、魔術そのものである【魔族】は地下遺跡から抜けだし、その都市一帯を破壊尽くして消える。
それが【魔災】と呼ばれる災害だった。
適切な【掃除】を怠った未曾有の人災。
大罪人である西の賢者マキス・レイナードの過ち。
しかし、ツナグの記憶にあるかぎり、あの【魔災】は文献にあった記述とは全く違う。
彼が体験した【魔災】では、魔物のアンデッド化が異常に早かった。死んだ魔物の海が築かれた瞬間に【魔族】が召喚されたのだ。
そして―――。
(やめよう。今回は大丈夫。第一階層はまだ無事。いまは自分の任務に集中)
ツナグは自分自身に言い聞かせるように、そう心の中で呟いた。
不安はある。恐怖もある。
だが、それに歯を食いしばって見つめようと努力をする。