鉱脈都市ドルガーグ散策
通貨単位:1デリーベウ≒1円
白亜の聖堂。ステンドグラスや尖塔が突き出て大地母神ヴェルーサを讃えている。見上げるほど巨大で荘厳な聖堂は精密な彫刻によって外観だけでも一種の神聖さが空気ににじんでいるようだ。
太陽が中天に上る少し前、気温は十分に上がって歩いていると薄らと汗をかく。
ツナグは白い儀式服を着た集団から外れて聖堂玄関の石階段を降りている。
彼は麻の足元まで覆うような長いローブの儀式服。ずるずると裾を引きずりながら、彼は早足でそのままいつもの兵舎の方へと向かっていた。
彼の背中からは同年代の訓練兵達が喜び合う声が聞こえる。白い儀式服を着て喜んでいるのは皆、神印を授かった者達だ。今回は23人ばかりが授かっていた。儀式に参加したのは全部で24人。
(早く昼食を食べて、午後の任務につかないと)
ツナグはそう思って急いでいた。
暑くて動きづらい服がまるで逃がさないとでも言うように彼の足を引っ張っていた。
午前中は検査と儀式でほとんどの時間を使っているが、このまま急がなくても十分に間に合う。むしろ大通りの食堂でゆっくりと昼食をとれるほどの時間。
彼は後ろで聞こえている喜びの声を必死に聞かないようにしていた。この場を去って彼らから距離をとれば後は忘れる。一瞬だ。嫌な気分は聖堂を離れたら消えてなくなる。
任務をしていたら重労働で余計なことを考える余裕もない。
頭の中でぐるぐるとまわるのは、ツナグの儀式を行った司祭達の顔、目の前で喜ぶ同年代の人たち。
それを早く自分の頭の中から追い出したかった。
「ツナグ、今回も駄目だったか?」
不意に声をかけられてツナグが驚き振り返ると、聖堂の階段でベノンが座っていた。
ベノン・マトー。
孤児院に入ったツナグとは三年の付き合いで、セカンドネームは彼とツナグが過ごしたマトー孤児院からもらっていた。
赤毛で体つきがしっかりした背の高い少年だ。顔立ちや体は13の歳にしてすでに男らしいが、どこか悪戯好きの悪ガキのような微笑みでツナグを見ていた。彼の格好は、ツナグとは違って膝丈ほどまでの長いTシャツのようなものを腰元の革ベルトで括ったチェニック。手には包みを持っていた。
「あ、うん。駄目だった」
ツナグはベノンの問いかけに陰を色濃くして頷く。
厳粛な雰囲気で執り行われる儀式、目の前で自分と同い歳の子たちが【神印】を授かって喜ぶ姿を目にしながら不合格者と烙印を押される。儀式を執り行うヴェルーサ教の司祭が毎回訪れて不合格になる自分を見るあの哀れみの目、あるいは軟弱者と揶揄するような目。沈黙の後に黙って彼の元を去る自分のふがいなさ。
それを思い出してツナグは唇を噛む。
それを見たベノンはそうか、と呟きながら膝を叩いて立ち上がった。
ツナグはきゅっと口をつぐんでそれを黙って見ていた。
ベノンの姿はチェニック、任務外の装いだ。つまり、彼もまた今回の魔力量検査に不合格だったということになる。自分のように神印の儀式に参加しなかったので、手に持つ包みは街に出て買い物でもしていたのだろう。
なら、ベノンの気持ちは自分と同じものなんだろうかと、ツナグは考えていた。
「ほらよ」
黙っていたツナグに一つ苦笑すると、ベノンの手から包み―細長い植物の茎を乾燥させて編んだ包みが一つツナグに投げられる。
慌ててツナグがそれを受け取ると、ほのかに温かい。中から鶏肉の焼けたいい匂いが漂ってきていた。その匂いを嗅いだだけで落ち込んでいた気持ちとは裏腹に体は食欲を訴えだした。
「ま、お互い不合格の身だってことだ。美味いものでも食って元気出そうぜ」
ニヤッとベノンが微笑み、ちょっと照れくさかったのかクルリと背を向けて彼は歩き出した。ツナグも横に並んだ。
ツナグは心の底から感謝した。
感謝して、落ち込んでいた自分に喝を入れ、心配する友のために笑った。
「ありがとう、ベン。お金は払うよ」
「ったりまえだろ。600デリーベウだ」
金額を聞いてツナグは眉をひそめる。
徴兵は市民の義務だとしても自分たちは任務で働いている。多少の給料が支払われるが、ほとんどのお金は孤児院の維持費に回される。
孤児院も慈善活動だけでは回していけない。孤児院育ちの子供は、法律上親権が孤児院にあり、15歳の成人までで得た子供達のお金を自由にできた。
手元に残るほんのわずかな5000デリーベウの約十分の一を昼食に使うなどツナグには信じられない話しだった。総菜をつめたバゲットを屋台で買えば300デリーベウかそこら。
「なんでそんなに高いの買うの?」
少し鼻白むツナグにベノンは分かってないなとでもいうようにため息をつく。
「何でって売り子のねーちゃんが可愛かったからに決まってるだろ」
その答えにまたか、とツナグは呆れかえった。
◆◆◆
鉱脈都市ドルガーグ。
エルード大陸に存在する都市の標準モデルに漏れず、都市の地下には遺跡がある。
その遺跡は、失われた魔導技術でつくられ現代の魔術では再現不可能な【生産】を行う。各都市の遺跡はそれぞれ行う生産が異なり、エルード大陸は各都市のもつ遺跡の生産能力によって繁栄を謳歌してきている。
鉱脈都市ドルガークの都市の中心には【鉱脈生産】を行う遺跡が近く深くまで続いており、ドルガークの市民達は魔物の危険がある地下遺跡に眠る【魔鉱石】を発掘することで生計を立てていた。
【魔鉱石】は、強力な魔力に当てられた鉱石が変成してできているとされており、その魔力伝導性や各鉱石の種類によって様々な特徴を持つ。また、魔術との相性もよく魔術式を刻み込まれた魔鉱石製の合金は、農業、産業、建築などの分野でエルード大陸に不可欠なものとなっていた。
◆◆◆
ベノンを問いただしてみると、総菜のバゲットを二つ買ったのは、売り子のお姉さんに見栄を張りたかったからとのこと。
なんだ、感謝して損したとツナグは不満をもったが、気分は晴れていた。
そのもう一つの理由として総菜のバゲットははっきり言って美味しかった。新鮮なトマトと焼きたての鶏肉をほぐし、その上からタマネギを細かく刻んで煮込んだ甘辛いソース、すっきりする香草の香り。600デリーベウの価値は確かにあるなと、ツナグですら納得していた。できれば、もう少し量がほしい。なので75点。次第点。大人の腕ほどの長さもあるバゲットの四分の一とはいえ、成長期のツナグには物足りない。ものの五分で平らげた。軍人は早食いが尊ばれる。
二人はいま、鉱脈都市ドルガークの小市場へと足を運んでいる。
規模は小さいといっても小市場は活気にあふれていた。タープのようにテントを広げた露天商達が軒を連ね、物売りの声やそれを物色する人たちの笑い声がそこかしこで聞こえてくる。小市場は自由市で、近くの農村や個人の貿易商人が少額の品物を販売していた。ツナグが期待していた果実は様々な色の山をつくっている。
だが、すでに600デリーベウの散財をしてしまったのでツナグは見ているだけ。
小市場は兵舎からも近く、大市場はすべてを見回るだけでも半日はかかる広さと物量の多さだ。気軽に見て回れる小市場は二人の散歩コース。
ドルガークの都市は中心に巨大な遺跡塔があり、そこから放射状に伸びて街が形成されている。軍部の本部は遺跡塔と街を隔てる分厚い城壁の横に構えて、兵舎はそこから西の離れた丘の上に建てられていた。兵舎には訓練を行う場所もあるので広い敷地面積をもち、丘の麓には教会や市民の住宅地がならぶ。これは何かあったときのために兵舎と軍本部から軍人を住宅地や教会へ即座に派遣するためだ。
「な、ツナグ。魔銃屋行こうぜ」
果物の山を物色しながらツナグが、屋台の50デリーベウのお茶でも買おうかと悩んでいるとベノンが隣のツナグを誘った。
ツナグは大仰に眉をひそめる。
「また? この前の休暇にも行ったよ」
「いいんだよ。また最新式の魔銃が売り出されているかもしれねぇだろ」
嬉しそうに言うベノンを見て、ツナグは諦めた。すでに彼の中では行くことが決まっている。
ツナグは儀式服から古ぼけたペンダントを取り出しパチンと開けた。
それはペンダント型の時計だった。秒針はないが分針はある。時間はまだ残されているとはいえ魔銃屋は大通りを越えた商業区。急がないとショーウインドーにべったりと張り付くベノンを引きはがすのに苦労する。
「なら早いところ行こうか」
そう言って二人は駆けるような早足でその場所へと向かった。
目的地は都市の東エリアにある。
東側半分は高炉が立ち並ぶ地区で、労働者用の住宅地も多い。こちらは住宅地とは違ってドルガークの中でも治安が悪い場所になる。ツナグの孤児院はこの高炉地区の一角にあった。だが、高炉地帯でも治安がいい場所がある。西エリアと東エリアの中心、南へとつながる正面門の大通りから東エリア寄りの商業区。それは魔鉱石で作られた武器、防具などを制作する鍛冶屋が立ち並ぶ場所だ。その場所には魔道具組合、魔術士組合、商人組合といった立派な建物が建ち並び、警備兵も配備されて治安がいい。
ベノンは勝手知ったる道とばかりに人が足を踏み入れないような小道を使って、ショートカットしていく。薄暗い路地、生ゴミが散らかる裏道、浮浪者が寝ている小道、誰かの家の庭先。
それを抜けて、大通りにでると一気に開けた。
街の大通りは馬車や荷運び人、上流階級の市民やカップルで賑やかだ。ここまでくると、テラス席のカフェが並び、優雅な雰囲気がある。
その大通りも見ずにベノンは目的地へとドシドシ歩いて行く。逆にツナグはもう少しみたいなと思いつつも彼の後を追った。
目的の魔銃屋へと着くのはツナグが思っていた以上に早かった。
ベノンに付き合ってツナグも何度も通っているが、未だに道をすべて把握していなかった。ベノンは道の混み具合を計算にいれて道を選択する。放射状に成長していく鉱脈都市の道は煩雑で、なかなか覚えきれるものではない。
その店は高い建物だった。
四階建てで頑丈な石造りの店、ショーウィンドウには赤い絹の布の上に飾られた高級魔銃を飾り、両開きの高級そうな黒い木の扉が如何にも冷やかしは許さないと言っているようだった。横には小屋があり、制服を着た門番がじろりとツナグ達を見た。
「よし、入ろうぜ」
ベノンは鼻を膨らませ、興奮気味に我先にと重い扉を開けて中に入っていた。
店内は驚くほど高級だ。
分厚い絨毯が敷かれ、ゆっくりと品定めできるように商品の数も少なめ。だが、壁一面に飾られた魔銃。店内の中心には最新型モデルが頑丈そうなケースに入っておいてある。 カウンターらしき打ち合わせスペースと店員が数人、白い髭でお腹の大きな支配人らしき人も暇そうに魔銃を磨いている。
客は、明らかに冷やかしだとわかるベノンとツナグ、それとボロボロの白いローブを着た女性が一人。店員は見向きさえもしない。
魔銃屋に女性は珍しいなとツナグは首を傾げた。
「愛しの64型三種術式魔小銃!」
ベノンが一目散にお目当ての魔小銃の方へと走っていった。
毎度毎度、恥ずかしいなと思いつつツナグはベノンとは逆のカウンターの横にあるショーケースへと歩いて行く。
【魔銃】とは、弱者の武器だと言われ、神印保有者からは蔑まれていた。
なぜなら魔銃の動力は魔力結晶であり、50mの距離で殺傷能力を持つほどの魔術を起動させる魔力には限りがある。一般的な神印保有者が同魔術を50回以上発動するのに魔銃では10回程度になるからだ。しかも魔力結晶は高額だ。メリットとしては、魔術が使えない者でも魔力結晶の供給があれば魔術を行使できる。
単術式魔小銃の大まかな構造として、短身のフリントロック式銃に似ている。銃身には収束用の簡易魔方陣がパイプ内部に刻まれ、トリガーの上に術式を描いた魔方陣が納められている。この魔術式を起動するために、使用者は魔力結晶に撃鉄で衝撃を与えて瞬間魔力注入量を増やして魔術を発動する。魔長銃はその規模を大きくしたもので、飛距離は150m~200mとなる。ただし魔力結晶も大容量が必要。
ここでツナグの興味を惹くのは魔小銃に納める術式用の魔方陣。
博物館の書物のように並べられた魔方陣を眺めていると、ツナグはふと目をとめた。
それはまだ見たこともない魔方陣だった。
魔方陣を描く魔皮紙は、迷宮都市でとれる大火蜥蜴の皮。魔方陣の記述は魔術親和性の高い魔物の皮で記述されることがほとんど。配給量が多く安いからだ。もっとも魔術親和性の高いのが心臓で、これに記述するためにはかなりの専門知識がいる。
大火蜥蜴の皮は火の魔術を描くには最適で、インクはその血と魔力結晶を溶かした赤いインク。なめした黒っぽい魔皮紙に赤いインクが毒々しいが目立つ。
火魔術の魔銃用では高級な部類にあたるが、その魔方陣の記述は独創的だった。独創的よりも挑戦的が正しいのかな、とツナグはフムフムと頷く。
ツナグは膝を折り、時間を忘れてじっと見ていると、
「はぁ、満足。ずいぶん、真剣に見ているな。なんか面白いのあったのか?」
ベノンが後ろから声をかけてくる。
ツナグは振り返らず、
「これ、新しい魔方陣があってね。しかもすごく面白い」
「へぇ~。俺には魔方陣はさっぱりだが、どの辺が面白いんだ?」
ベノンは魔銃は好きだが、専門的な勉強をしたことがないために魔方陣の記述に疎かった。
ツナグは目を輝かせながらハキハキとしゃべり出す。それもかなり詳しく。
「魔術の起動諸要素を描く外周部の神聖文字や中心の結果の神聖文字は普通なんだけど、外周部と中心をつなぐまでの過程記述が挑戦的。これ、直線で描かれてないでしょ?」
ツナグが指さした魔方陣には中心へと落ち込むように曲線で描かれていた。基本的な記述だと集中線のように放射状の直線で加速と収束を描く。
「あ、ああ・・・」
圧倒されつつもベノンは頷いた。
「でね。これはつまり二次元的な記述じゃなくて、三次元的な記述。より加速と収束を強化するためにこういった曲線を描いているんだよ。これで撃ち出す火の魔術はかなり高熱で、そして高速だ。三割ぐらいは向上しているはず」
「ってそれすげーじゃねぇか」
「うん、だからこれ描いた人はかなり詳しい人だね。それも古代魔方陣の知識も持っているよ」
「軍の装備にこれを使えばいいんじゃねぇか? 大火蜥蜴じゃなくてもっと安い魔皮紙つかって」
ベノンの言葉にツナグは口をつぐんだ。
うーんと、唸り魔方陣を見つめながらベノンの質問に答える。
「これたぶん兵器としては使えないよ?」
「え?」
「だって、中心円の神聖文字が小さすぎる。この収束率だと敵に糸ぐらいの穴を開けるだけのサイズだよ。小さすぎると殺傷能力が落ちるからこれは使えない。せめて小指ぐらいの穴をあけないと」
「ふむふむ。ならどう改良すればいいのかい?」
「えーっと。中心円を今よりもっと大きくするといいかもしれない。三次元的な記述の欠点でサイズの正確な断定がかなり難しい。直線だと比例的でサイズが決めやすいけど、曲線はそれだけ計算がややこしくなって、結局は作ってみないとわからないから」
「ふむふむ。中心円にサイズを特定する神聖文字を入れるというのはどうだい?」
「あーそれならいけるかもしれなけど、そうするとロスが出る。せっかくの三次元記述が勿体ない。ここは何度か作り直して、狙いのサイズになるまで工夫した方がいいね。中心円が大きくなれば追加の神聖文字を書き加えられるかも。この魔方陣はかなり優秀だから研究費が掛かってもすぐに回収でき―――」
ツナグはそこで止まった。
果たして自分は誰と話しているのか、と。
横を見ると大きな眼鏡をかけた女の人がニカっと白い歯をみせて笑う。赤毛を三つ編みにして、そばかすが浮いていた。
「うわっあ!」
ツナグは飛ぶように下がって驚く。
後ろではベノンが忍び笑いで爆笑していた。
「君、詳しいね。私と世界を旅しない?」
慎ましい胸を反らすその女性は、なんとも壮大なことを言った。