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空は赤く血のように燃え

作者: 朝日奈徹
掲載日:2016/08/23

 ひとしきりあたりに響き渡っていた威嚇的なサイレンの音がふいに熄んだ。

 ばたん、ばたん、と車のドアが乱暴に閉まる音がして、パトカーからふたりの男が降り立った。

 既に数人の制服警官や、鑑識の人間がいる中へずかずかと入っていく。

「仏さんは」

 そう言いながらひとりが上体をかがみこませる。

 清潔だが安っぽい背広、靴はくたびれて埃だらけだ。

 相棒はこの男より若いが、身なりに金がかかっていない点は変わらない。

 誰が見ても、私服の刑事だとわかる。

 彼らが取り囲んでいる死体は、その日の未明には、もうこの道路脇に倒れていたらしい。

 それは異様なほど蒼白だった。

「どうも、全身の血がないんじゃないかって感じですね。詳しくは司法解剖を待たないといけないでしょうが」

 鑑識が言うと、年嵩の方の刑事が頷いた。

 若い方があたりを見回す。

「またこのへんですか。どうも最近このあたりには妙な事件が多くありませんかね」

「おまえの気のせいだよ」

 年嵩が答えた。

「そうですかねえ。でも最近……ほら、あのアパートの周辺でいつもおかしな事が起こりやがる」

「ばぁか。同じ所轄内の事件なんだ、ある程度似たような場所があっても、不思議じゃねえ」

「……そりゃそうですがね」

 若い方は納得できない、という顔をする。

「それにしたって、いったいこいつは自分の血をどこに置き忘れてきたんだろう」


 俺は片手を強く自分の脇腹に押し当てていた。

 痛い、というよりは、そのあたりを中心に、体がどんどん痺れて強張っていくような感じだ。

 そして、どくん、どくん、と心臓が脈打つたびに血が流れ出している。

 それは不快なねばっこさとともに、脇腹を、そして左の大腿を濡らしつつあった。

 こんな出血が続いたら、間違いなく俺は死ぬ。

 だけど、俺はなんでここにいるんだっけ?

 頭が、ともすると朦朧となってしまうのも、出血のせいなのだろう。

 畜生……やっぱり、痛い。

 死ぬほど痛い。

 あたりまえだ。

 俺は、確かこのドアの向こうから現れた奴に、腹を刺されたのだ。

 奴の手にあった庖丁を、憶えている。

 なのに、なぜ俺はここにいるんだっけ?

 突き抜けてくるような痛みも、出血も、どくん、どくん、という心臓の脈動と一致していた。

 俺は両手で脇腹を押さえ、背中を壁にもたせかけた。

 ああくそ、視界が歪む。

 俺は、誰だっけ?

 ……そうだ。

 俺の名は酒宮俊太だ。

 未来工科大学の二年生だ。

 ここは……?

 ふいに俺は、この場所の名前を思い出した。

 青山荘。古びた木造モルタル建てというのかな。小さなアパートの、二階の外廊下だ。

 痛い。気が遠くなりそうな、そんな気がする。

 いや、出血が続いているんだし、いつそうなっても不思議ではないか。

 俺は必死に尻ポケットからスマホを取りだした。

 右手をズボンの横にこすりつけ、スマホを握った。

 けれど、手が震え、指が滑り、うまく操作できない。

 苛立ちながらも、電話のアイコンをタップした。

 119。たった数字三つなのに、うまくいかず何度も俺はやり直した。

 ついに電話がかかった!

 ところが、どういうことだ、幾ら待っても向こうが電話に出ない。

 救急の番号なのに、一体どうなっているんだろう。

 耳からスマホをはなして、画面を見る。

 間違いない。俺がかけ違えたんじゃない。

 どうして、誰も電話に出ないんだ。

 なんでだ。どうしてだ!

 わからない。

 俺は電話を切ると、もう一度かけ直した。

 けれども、結果はかわらない。

 リダイヤルしても、数字を入力しなおしても。

 畜生! 畜生! 俺はどうすればいいんだよ。

 スマホを尻ポケットにつっこみ、しばらくの間俺はその壁によりかかっていた。

 でも、だめだ。血が……血が、止まらない。

 誰か、助けてくれ。

 俺はもう、泣きそうだった。

 恥も外聞もない。痛いし、気が遠くなりそうだし。

 救急は電話通じねえし。

 けど、そこに半ばうずくまっていても、血は流れ出るばかりで、誰も助けちゃくれなかった。

 そもそも、人が通らない。

 俺はなんとかよろよろと立ち上がった。

 通路になまなましく血が溜まっているのを見ると、またも気が遠くなりそうになった。

 俺はなんとか、となりの部屋の呼鈴を押した。

 びぃぃぃぃぃ、となんともレトロな音がしたようだ。

 部屋の中で誰かが動く気配がした。

 はやく。はやく出て来い。そして俺を助けて。

 俺のかわりに、119番にかけてくれ。

 なのに、誰も出てきやしない。

 どうなってるんだ。

 わからない……。

 俺はもう待てなかった。

 よろよろと、そのまたとなりの部屋の前に立つ。

 いや、そこの壁によりかかる。

 呼鈴を押した。

 ほどなく、「はい、はい、今開けますよ」という親切そうな老婆の声がした。

 ぎい、と音をたてて扉が開く。

 けれども、出て来た老婆は、あたりを見回しながら、見事に俺をスルーした。

「おかしいわねえ。悪戯にしては誰もいないし」

 そして無情にも、ばたん、と扉を閉めた。

 親切そうな顔をしていたのに、なんてこった。

 俺は扉をどんどんと叩いた。

 助けて。助けてくれよ。頼むよ。

 でも、老婆はもう出てこなかった。

 血は、やっぱり流れ続けている。

 俺は半ば転がるように、アパートの外階段にたどり着いた。

 よくあるだろう。

 屋根はついているけど壁はない、金属製の階段。

 それが、こんなに急なものだとは気付かなかった。

 こんな階段を、どうやって下りれば。

 きっと、普段なら何も考えずに下りてしまうような階段の一番上に、俺は座った。

 ここを立って歩いて下りようとしようものなら、絶対に途中で転がり落ちる自信があった。

 子供みたいに、一段ずつ尻をおろしていく。

 片手で脇腹をおさえてはいるが、階段を一段おりるたびに、ずきん、と痛みがはしる。

 その都度、血が流れて階段を汚していく。

 俺はぽろぽろと涙が流れ出てくるのを感じた。

 人間、どうしようもなくなると、自然と涙が出ちまうものなんだな。

 永遠とも思える時間を費やして、俺はなんとか階段を下りきった。

 脇腹をおさえながら、よろよろと階段すぐの部屋をめざす。

 倒れるように呼鈴を押した。

 けれど、人がいる気配はない。

 ああ、畜生。

 平日昼間だ。老人でもなければ、仕事や学校で外出しているのが普通の時間じゃないか。

 この部屋の主もきっと、そうなのだ。

 俺は体を引きずるようにしながら次の部屋へと動いた。

 苦しい。

 息が浅く速くなっている。

 額にも、首筋にも、じっとりと脂汗が浮かんでいた。

 血は、俺の来た後に一条の帯となって残っている。

 俺は、いつまでもつだろうか。

 呼鈴を押す。

 この部屋も中で人の動く気配がした。

 さあ、出て来い。

 頼む、頼むよ。

 俺を助けて。

 誰でもいい。助けて。

 なのに。部屋の主はいっこうに出てくる気配がなかった。

 膝から力が抜ける。

 俺はもうへたりこみそうになってる。

 次の部屋にたどりつけるだろうか?

 けれど、俺のそんな思いを知ってかどうか、一階の一番端の部屋の、扉が開いた。

 いかにも若奥さんといった風貌の女が出てきた。

 お願いします、助けて。

 俺はすがるように女を見た。

 でも、女の目はやはり俺など見えていないようだ。

「あら大変、急がなくちゃお迎えが間に合わないわ」

 保育園にでも子供を迎えに行くところなのか?

 ばたん、と扉を閉めて、女は俺の鼻先を通り過ぎ、急ぎ足で通りへ出て行く。

 そんな馬鹿な。

 この女も俺が見えてない?

 どういうことなんだ。

 ともかく、救急車を呼びたい。

 一刻も早く俺を助けてほしい。

 そうだ、公衆電話からならかけられるかもしれない。

 確かこの通りを少し行ったところに公衆電話がなかったか。

 俺は自分の体に鞭打つように、必死に足を動かした。

 その間にも、やはり血は流れ出していく。

 どくん……どくん。

 腹の傷があると、腹圧で内臓が出てくると聞いた事がある。

 でも、幸いにして脇腹だし、それほど大きな傷口でもない。

 庖丁がぐさっと刺さっただけだ。

 だから血が出るだけですんでいるのだろうか。

 助けて……たのむ。

 誰か……。

 俺はよろよろと、青山荘をはなれ、道路へと彷徨いでていった。

 公衆電話があるのはどっちだっけ?

 ああ、本当に目の前が暗くなってきた。

 そしてようやく、俺は思い出した。

 ここへやってきたのは、最近青山荘のあたりで不思議な事件がいろいろと起こっていると聞いた。

 そのうちのひとつが、青山荘の二階端の部屋の住人にまつわる話だ。

 本当は空き室のはずのその部屋にいるという噂の人物。

 会えば誰もがひどく驚くのだというが、なぜ驚くのかは伝えられていなかった。

 そういう怪談じみた話が好きな俺は、軽い肝試し気分で、空き室の住人に会えるかどうか、やってきたというわけだ。

 なんとも馬鹿な事をしたものだ。

 ホラー映画によくある、まぬけな犠牲者そのものだ。

 ああ。だけど……。

 俺は、あの空き室でいったい誰と会ったんだっけ?

 俺はとうとう歩き続けるのを諦め、その場に膝をついた。

 そうすれば、もう体を保っていることなどできない、そのまま崩れるように道路に横たわってしまう。

 うつぶせで脇腹を押さえる事はできないから、自然と仰向く。

 変だ……。

 まだ夕方ではないはずなのに、空はひどく赤い。

 夕焼けのように真っ赤だった。


 刑事は古い木造アパートの外階段を踏み鳴らしながら上がっていった。

 一階の住人は何も見ておらず、何も聞いていない。

 二階では余計に話を聞くだけ無駄なのではないかと思えたが、年嵩の刑事は、思い込みによる手抜きを自分に許すたちではなかった。

 一番端の部屋の呼鈴を押すと、いかにも世話好きと思える老女が顔を出した。

 被害者(ガイシャ)の写真を見せて、話を聞き出す。

 といっても、老女は何も知らない。

 そんな若者は見た事もないという。

 礼を言って聞き込みを終わろうとした刑事だったが、ふと、若い方が割って入った。

「すみません、お隣と、反対側の端に住んでる人の事を簡単にでいいから、教えてもらえませんか」

「うちのとなりぃ? ええまあ、そうねえ。なかなかちょっと」

 どうやら老女の隣人には何か秘密があるようだ。

 年嵩の刑事の眸が、チカッと油断ならぬ光を浮かべる。

 けれども年嵩はいかにも人が良さそうな笑顔を作って、言った。

「まあ色々ありますわなあ。で、あっちの端はどうです?」

「ああ。あっちですか」

 老女は目をぱちくりした。

「いいえぇ。あそこは空いてるんですよ。でもね」

 老女はにんまりと笑った。

 年金だけで、こんなところにひとり暮らしだ。

 噂好きでないわけがない。

「ここはもう古いですからねえ。あの部屋の扉が開いたら、実は、とんでもなく不幸になるかツキが巡ってくるかどちらかだっていう話があるんですよ。ええ、ええ。なんでも、自分が一番憎いと思っているか、愛しいと思っているものが出てくるんですって。ほんとかしらねえ」

 老女は笑いながら片手を振った。

「噂ですよ、噂。でもあたしは試した事はありませんよ、ほんとうに何か出て来たら怖いですものねえ」

 そしてちらっと視線を一番端の空室へと走らせるや、そそくさと扉を閉じた。


 俺はだめもとでスマホをもう一度取りだした。

 電話をタップしようとして、画面を目に近づけて注視した。

 旗が一本も立っていない?

 そんな馬鹿な。

 こんな町中なのに、圏外だっていうのか。

 道路はいつになっても、ひとりとして通りかかる者がなかった。

 俺は頭上の赤い空を見つめた。

 ここは異世界なのか?

 それとも、日常から、すきまのようなところへこぼれ落ちてしまったのか。

 そしてようやく俺は思い出した。

 青山荘の空き室では、敵か恋人か、どちらかに巡り会えるという不確かなネットの噂を聞いたのだったということを。

 俺は空室であるはずの部屋の前に立ち、呼鈴を押した。

 そして、中から現れた人物に、いきなり脇腹を刺されたのだ。

 庖丁がずぶりと俺の体に潜り込んだあの感覚がよみがえる。

 そうだ、刺さるという感じじゃないんだ。

 刃が俺の肉をかきわけて潜ってくる。

 ああ……苦しい。

 そいつの顔を、俺は思い出す。

 それは、俺自身だった

 一生うだつのあがらないような、二流の大学でうだうだと過ごしている自分を、一番憎んでいるのは、俺だったんだ。

 都市伝説とか、噂とか。

 そんなものを安易に信じた俺が、馬鹿だったんだ。


「どうします? 空室だって話ですけど、一応人がいないかみてみますか」

 若い刑事が言った。

「ああ。不法侵入かなにかわからないが、何者かが潜んでいるって可能性はゼロじゃないからな」

 若い刑事は頷いた。

 二階の一番端の部屋の呼鈴に手をかけた。

 びぃぃぃぃぃ、と古くさい音が響く。

 なかに人の気配があるとは感じられない。

 なのに、扉はきい、と甲高くきしりながら開いた。

 午後二時。

 刑事らの後ろにある空は、抜けるように青く明るい。

 なのに、扉をあけた人影の後ろ、小さなベランダにでも通じていそうな窓の外に広がる空は、血のように赤かった。

 


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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちは。いつもツィッターでお世話になっております。彩杉です。 拝読しました。 着想が素晴らしいですね。憎い人か恋人か。その扉を開けてみたいと思う人はたくさんいそうです。 アパートの住人に…
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