0話-終わりと始まり-
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日本人特有の黒い髪に、黒い瞳、そして闇に紛れて行動できるようにと、黒一色で統一された装備品。
その姿を目の当たりにした傭兵達は、敵味方関係なく畏敬の念を込めて、こう呟く。
『死神が来た』『伝説がやって来た』――そして、『鴉のお出ましだ』と。
烏丸九郎。出身国は日本。職業は傭兵。年齢は四十代前半。傭兵となる以前の経歴は一切不明。
ありとあらゆる銃器の扱い、近接格闘術に精通し、クライアントより下された命令は必ず遂行する。ただし、子供や罪もない者に危害を加える、あるいはその命を奪うような仕事は、どれほど金を詰まれようが決して受けない。
まるで散歩を楽しむかのようにふらふらと幾多の戦場を練り歩き、そして、当たり前の様な顔をして生還する。
まあ、そんな具合に『伝説の傭兵』と呼ばれるに相応しい戦果を彼はあげてきた。それこそ数えきれないくらいに。
そんな九郎と組んだことのある者達は、彼を一言でこう評価する。
『あいつは人間に殺せる存在じゃない。それこそ神話とかに登場する英雄とかじゃなきゃな』
そんな九郎の神話が、今まさに――
「あー、しんどー」
終わろうとしていた。
アフガニスタンのとある市街地の路地裏。時刻は丁度午前2時になった頃。
ひび割れたコンクリート製の壁にもたれかかりながら、両手に握られた長年戦場を共に駆けてきた、相棒である二挺のVz61を眺め、九郎は自分の置かれた状況に苦笑していた。
今回の九郎の任務は要人救出と目標地点までの護衛。今までこなしてきた仕事と比べても彼の能力をもってすれば何の問題もなく遂行可能な任務であったし、事実任務自体は問題なく遂行された……そう、任務だけは。
結論から言うと九郎は裏切られた。
クライアントの本当の目的は組織の裏切り者であった救出兼護衛対象と、傭兵という仕事柄、明日はその銃口を自分たちに向けてくるかもしれない九郎とを同時に抹殺することであった。
クライアントが引き連れた私兵達の持つAK47の劣化コピーの銃口は九郎に向けられ、そして躊躇いもなく発砲された。
劣化コピー品とは言え、その弾丸は間違いなく人間の命を容易く摘むことが出来る。老いも若いも、男も女も、そして傭兵であろうが関係なく。
しかし九郎はそんな状況下でも、伝説の傭兵の名に恥じない奮戦を見せた。なんとか致命傷を回避し、その僅かに出来た時間で、腰に下げていた相棒達を抜き放ち、反撃。
発射された32ACP弾は数人の私兵の眉間に正確に命中し、その生命活動を停止させる。
あまりの早業、そしてあまりの精密さに私兵達の間に恐怖が生まれた。その隙を突き、九郎は夜の闇に紛れたのであった。なんとかこの地より生還するために。
そして、現在のどうしようもない状況に追い込まれていった。
「しっかし、あのオッサン。たかだか一匹の傭兵ごときにここまでするか、普通? 戦争でもおっぱじめる気かっての」
そう愚痴をこぼし、周囲より聞こえる物音に耳を済ませる。
自分を追う数えきれないほどの足音、そして自分を探す声。
たった一人の人間に対するのに、いったい何人動員してるんだと、笑っていられる状況ではないというのに、九郎は思わず笑みを浮かべる。
しかしそれも当然か。九郎が逃亡し出して数時間経った今、クライアントの組織が負った痛手は生半可なモノではないのだから。
始めは現場まで来た者達で足りると思っていたのであろうが、奇襲、闇討ち、強襲と生き残るためにありとあらゆる手段を用いる九郎の前に、その数はたった一時間で最初にいた人数の半分にまで減っていた。
そこで事態の深刻さに気付いた男は、組織に応援を頼み、人員を大量に導入。
寝静まっていた街は、瞬く間に戦場と化した。たった一人の男を殺すために。そしてそれは実に効果的であった。
いかに能力が高かろうとたった一人の戦士が軍隊に打ち勝てることは現実においてありえない。
闇討ちや奇襲などを用いて最期の時を引き延ばすことは可能であるが、それ以上はない。
それは伝説の傭兵と言われる九郎といえど、逃れられない現実であった。
自分を探す声が、足音が一秒ごとにどんどん近付いてくる。
「あー、くそ。完璧詰んでるな」
それでも生きている以上は最後まで足掻いてやろうと、今後の動きをシュミレートしようとするが、行きつく結末はまるで変わらない。
なにより、体力はもう残ってない、弾薬も撃ち尽くした、そんな状況で何が出来ると言うのか。
第一、日本を飛び出て傭兵として生きると決めたその日から、こういった最後になるであろうと思っていたではないか。
「……馬鹿だねえ、ほんと」
穏やかに死ねないことなんて分かり切っていたのに、そしてそれを受け入れるしかない状況なのに、まだ生きようと思考している自分の生き意地の汚さに、もう何度目か分からない苦笑を九郎は浮かべ、そして――
「っつ、いたぞ! ヤツだ!」
「囲め、囲め!」
「あー、ったく。感傷に浸る暇もねえなあ」
当たり前のように最期の時はやってきた。
数十人、いや百を超える兵士が九郎を取り囲み、そして銃口を向けている。逃げ場などどこにもない。まさに絶望的な状況。
だというのに、九郎は笑みすら浮かべて、体力も残り少ないというのに立ち上がり、
「ま、冥土の土産だ。あと何人かはご一緒してもらうとしようか」
そう言って、自分を囲む兵士目がけて、畏れることなく突っ込んでいった。
そして、その時、その場にいて生きて帰って来た者達は後にこう語ることとなる。
『あの野郎、全身に鉛玉ブチ込まれてるのに止まらなかった。素手で仲間を何人もヤりやがった。なあ、おい。信じられるか? あいつ、眉間にブチ込まれる間際まで、ずっと笑ってやがったんだ。ありゃあ、人間じゃない。正真正銘の化物だった』
烏丸九郎の伝説は、こうして幕を閉じた。伝説の傭兵の最期に相応しく、その事件を生き延びた者の多くにトラウマモノの恐怖を残し、烏丸九郎はこの世を去った。
だからこそ、私達は動き出す。そう、私達は、今この瞬間を、この幕切れをずっと待っていたのだ。
そして――
「観察対象『烏丸九郎』、現世での死亡確認しました。魂を回収します」
「あいよー。んじゃー、あと全部まかせるから。あ、でも結果ほうこくだけはしてねー」
「分かりました。あ、休むならちゃんとお風呂に入って、歯を磨いてからにしてくださいね」
「ええー、めんどくさー」
「わ か り ま し た か ?」
「ううー、わかったよー。もー、ヒルデちゃん、頭かたいんだからー。だから、婚k――」
「……何か、仰いましたか、所長?」
「ひ、ひぃ。なんにも言ってないよー。わ、わたし、おフロ行ってくるー!」
「まったく。相変わらずですね、あの人は。でも、これで、ようやく次の段階に進める。私も準備しなくっちゃ」
その幕切れこそが、これから始まる物語の序章であった。
………
……
…