眼前にて
彼女は何の容赦もなく、僕の両目を抉った。取られた眼球は彼女の手の中を見ていた。指の隙間から僕の顔が見える。眼球の入っていた穴から、血が、涙のように流れていた。
「ごめんなさいね。」
彼女は言った。
「一緒に行くって約束したけど、それがダメだって言うなら、せめて景色だけはあなたと共有していたいの。」
いつか2人で旅行に行こう。僕たちはそう約束していた。だが、決して裕福とは言えない家庭に育った僕たちに、そんな余裕は無かった。
だから、僕は彼女の為にお金を稼いだ。そして、彼女1人分のお金が貯まった。だから、僕は彼女1人を旅行に行かせる気でいた。彼女が喜んでくれるならそれで良かった。彼女が笑ってくれるなら、それだけで僕は幸せになれる。
だが彼女は笑ってくれなかった。それどころか、泣き出してしまった。笑うとかわいい彼女の泣き顔は、なんだかとても美しかった。そんな彼女に眼を奪われた。痛くて痛くてたまらなかった。
「この眼と一緒に旅行に行きます。これでキレイなものや素敵なものは見えますね。そういうのをあなたと共有できて嬉しい。だけど、本当はあなたと、こことは違う場所で一緒にお話なんかを楽しみたかった。私が大事なのは、キレイな景色でも美味しい食事でもないの、あなたとの時間だというのに。分かってくれないのね。」
そうか、僕はとんだ馬鹿者だったようだ。
「すまない。分かってやれなかった。もちろん僕だってそうだ。君との時間は大切なんだ。だから、君が喜んでくれると思って言っただけなんだ。許しておくれ。」
彼女は、しょうがないな。と言って、笑った。もちろん眼は彼女の手の中だから、そんな気がしただけだけど。
「ありがとう。せめてその眼だけでも一緒に居させてくれ。」
「うん、じゃあ行くね。」
僕の姿が遠ざかっていくのが見える。なんだか不思議な光景だった。僕の身体は家に向かって歩き出す。景色だけが違うところを映しているから、歩きづらくて仕方なかった。それでも、なんとか家にたどり着くことができた。
彼女はもう電車に乗っていた。僕の眼球はバッグの中だ。入口を少し開けて、外が覗ける様になっている。といっても、天井しか見えないので彼女をじっと見ていた。そうしたら彼女は僕に顔を向けて笑ってくれた。僕は少しだけ満たされた気がした。
電車が止まった。彼女はそれを降り、空港に向かうようだ。途中弁当を食べた。見せてくれた弁当は、とても美味しそうだった。
空港に着いた。ところで荷物検査はどうするんだろう。彼女は僕の眼球を見て困ったような顔をしていたが、やがてニヤリと笑って、眼球を透明な袋に入れて飲み込んだ。
彼女の食道は、素人目に見てもきれいだった。健康そうであった。そして胃にたどり着いた。昔保健の教科書で見た健康な胃そのものだった。人の内臓を内側から見て、少々気持ち悪かったが、彼女が健康そうで何よりだった。
しばらくすると吐き出された。トイレだった。よほど苦しかったのだろう。彼女の目は赤く腫れていた。しかし、僕の眼の無事を確認すると、泣きそうな顔で笑った。
ようやく着いた、旅先での景色は美しく、驚きもあり、足がすくむほど高いところや、思わず頬が緩んでしまうような、和やかな日常なんかを映し出していた。だだ1つ残念なのは、それを言葉で伝えあえなかったことくらいだ。
最終日の前日の夜、2人の男が彼女に詰め寄っていた。僕はそれをバッグの中から眺めていた。彼女は嫌がる素振りを見せる。すると男は突然彼女に掴みかかると、彼女の服を脱がし始めた。
「何をしているんだ!」
僕は家で独り叫んだ。だがその声が届くことはない。
可哀想に、彼女は2人の男に押さえられ、抵抗する事もできなかった。彼女が汚されていく。僕はそれを見ていることしかできなかった。ただただ、眼前にて繰り広げられる惨状を見ているしか無かった。僕は頭を抱え、眼を閉じてしまいたくなった。だが、それは叶わない。眼球を覆うまぶたはここにあるのだ。目の前で起きているというのに、僕はそれを止めることもできない。眼が収まっていた穴から、何か熱いものが流れ出した。
ーー目を閉じることもできず、目を逸らすことすら許されず、ただーー
全てが終わったあと、彼女は首を絞められた。しばらくすると、ピクピクと痙攣し、動かなくなった。
僕の体も動かなかった。押し寄せる絶望に、泣き叫ぶ力もなくただ塗りつぶされていった。
ー1ヶ月後ー
僕は死体で発見された。ほとんど骨と皮の様になって、干からびていた。
今は、彼女の骨と一緒のお墓に入っている。