2-3 月光
「っつう〜!!」
呻きながら起き上がって見ると、なんと、伊賀はベンチから数メートルも吹っ飛ばされていた。
「な・・・」
「なにをするっ!」
ベンチから立ち上がった先輩が、伊賀に向かって叫んだ。
凄まじい殺気。
その迫力に、伊賀は青ざめた。
わけがわからないので、尻もちをついたままあたふたするばかり。
「え、いやっ、あの・・・ごめんなさい!」
とりあえず土下座。
自分の影に頭を擦りつける。
と、伊賀は、自分の横に伸びている影に気づく。
恐る恐る正面を見ると、先輩は自分の前にいる。
彼女が睨んでいるのは、彼でなく、彼の背後。
白い顔の血の気が引いて、更に白くなっている。
その表情を見て、伊賀の背筋がつうっと冷たくなった。
すぐ後ろに、誰かいる。
しかも、とんでもなくヤバそうな奴が・・・!
その時背後から、女の声が凛と響いた。
「『なにをする』だって? それはこっちの科白だ」
伊賀は反射的に、声のする方を振り返る。
そこには女がいた。
月明かりを背に、すっくと仁王立ちした女が。
すらりと長身。
長くたなびく髪が、月に染められて金色に光っている。
月があんまり眩しいものだから、顔は影になってわからない。
腕組みした細い腕、それに絡む細い指。
くびれた腰からしなやかに垂れるスカート、そこから伸びた脚は、堂々と地を踏みしめている。
彼女もまた、伊賀たちと同じ中学の制服姿だ。
先輩が恨めしげに唸る。
「よくも、邪魔してくれおって…」
「さて、」
女が、足で砂地をざっと音を立てて擦り、構える。
「邪魔はどちらなのか、思い知らせる必要があるようだな」
風もないのに、女の長い髪がゆらゆらと陽炎のようにゆれる。
女の身体から気炎が昇っているのだ。
伊賀は、その気迫がただならぬのを、動物的直感で察知した。
こいつはマジでヤバい・・・!
「先輩、逃げた方が…―――――っ?!」
先輩の方を振り返った伊賀は、愕然とした。
彼女の身体に異変が起こっていたのだ。
首が前に突き出し、腹の辺りまで落ち込む。
異常なほどに曲がった背中のコートから、無数に角が突き出す。
空をつかもうとあがく手には、次から次に鱗が生える。
「ぐっ・・・げぇ・・・がはっ」
身体が波打つたび、長い髪の向こうから苦しげな声が聞こえる。その声は、洩れるたび低くなっていく。
このままじゃ、先輩が怪物になってしまう・・・
「先輩!!」
伊賀が駆け寄ろうとする。が、足に何か引っかかって転んでしまう。
それでも起き上がって進もうとしたが、足を引っ張られているのに気づく。
足元を振り返ると、小さな影がズボンの裾をつかんでいる。
「うわっ」
振り払おうとする伊賀を、男の声が制した。
「ここから動くな」
のしかかるように重く、低い声。
思わず動きを止めた伊賀の足元で、小さな影がむくりと頭をもたげる。
それは、少なくとも見た目は、幼児だった。
髪は陽の光を思わせるような黄金色。
ふわりと前髪がかかる、大きな瞳が、無表情に伊賀を見つめる。
そのぷっくりした小ぶりの口から、不釣合いに低い声が、再び発せられる。
「貴様、死にたくないだろう。」
伊賀は、いきなりそいつの胸ぐらをつかんだ。
「お前は、あの女とグルなのか」
幼児は、ズボンの裾を放さず答える。
「そんなとこだな」
ズボンがずり上がるのも構わず、伊賀は鬼のような形相で幼児を引き寄せて問い詰める。
「お前らっ、先輩に何をした?!」
そいつは、顔色一つ変えずに淡々と答える。
「あいつの変化は、別に俺らが何かしたわけではない。静かにしろ」
ちらりと先輩の方へ目を遣る。
「もともと、借りていた化けの皮がはがれて、やつの本性が現れただけだ」
「化けの皮…本性…?」
そうこうしているうちに、先輩は完全に人間の形を失っていた。
「それじゃあ先輩は一体…?!」
「一言で云うなら、化けモンだ」
「じゃあ、お前らは――」
伊賀の問いは、咆哮にかき消された。