2-2 公園
男は10代半ば、男と呼ぶには早い幼さが残る。
学校帰りなのか、学ランを着ている。
喉まで絞めた詰襟から伸びた顔には、目覚め始めたりりしさの中に、まだあどけなさを留めている。
しかし何やら深刻な表情で、物思いに沈んでいる。
男はふと、人一人分空けて腰掛けている女の方を見る。
彼女も制服姿である。
こちらは女という言葉がそのまま似合う、大人っぽさがある。
きちんと両脚をそろえ、両手もスカートの上に重ねられている。
腰掛けているのが、雨ざらしの木のベンチではなく、どこかの国の玉座であるかのような、気品漂う座り方。
寒さが残る春、彼女はコートを着ている。
細身のコートは身体の起伏をくっきりと描き出す。
その陰影は、旅人を惑わせる夜の砂漠を髣髴させる。
肩を滑らかに流れる黒髪が、月光を撥ねて銀に輝く。
その合間からのぞく白く整った顔は、空を見上げたまま、男の方を見ようともしない。
まるで、人形だ。
男が心の中で、ぽつりと呟く。
はらり、と男の視界を横切るもの。
目で追うと、それは男の膝に舞い降りた。
桜の花びらだ。
はらり、はらり
降ってくる花弁を手に受け、男は桜の木を見上げる。
天高く昇りつめた満月が、彼と桜を正面から照らしている。
夜桜。
なぜだろうか。
こんなにくっきり照らされているのに、桜の花は霞んで見える。
夜、桜を見るたびに、男はいたたまれない気持ちになる。もどかしい気持ちになる。
それと同じぐらい得体の知れぬもの・・・
「伊賀、くん」
名前を呼ばれ、はっとする。
いつの間にか女がこちらを見ていた。
「何でしょう、先輩」
多少棘のある口調で、男が応じる。
そんな男をなだめるように、女が云う。
「こんな夜更けになるまで待たせておいて、ごめんね。・・・私、待ってたの。ずっと。この時を」
何を? と男が首をかしげる。
しかし女は、それには答えない。
「ねぇ、伊賀くん?」
女が呼ぶ。
幼子がほしいものをねだるような甘えた声で、
それも知恵をつけ初めた幼子のような、小賢しさが透ける声で。
「・・・私と、契約、してくれない?」
「契約? 何ですか、それ?」
突拍子もないことを云われて、たじろぐ伊賀。
「契約と云ったら契約よ…わかるでしょ」
ふふふ、と女が含み笑いをする。
冷ややかな月光が、彼女の顔に浮かぶ笑みを曝け出す。
実に妖艶な笑み。
獲物を見つけた猫のように、女が男の方へにじり寄って来る。
彼女の息が荒い。
目がギラギラとして、今にもかぶりつきそうだ。
どうも、様子が、おかしい。
そこで伊賀の中である考えが閃いた。
ひょっとして…先輩の云う「契約」って「契る」ことか?
あの、古文でよく見る、男女の「契り」ってやつか?!
ベンチの後ろは深い茂み、ベンチの前には人気のない公園。
つまり、誰もいない公園でふたりっきり…。
なんてベタな展開なんだ!
「いや、先輩、それはよくないです。僕はまだ中2だし…」
ベンチの真ん中に座っていた伊賀は、先輩から離れようと右へずれる。
「14歳になられたのでしょう。もう十分役目は果たせる歳です」
女が男にずり寄る。
「でも、ここ公園だし…」
また伊賀がずり下がる。
「どこでもいいのです、あなたさえいれば…」
また先輩がずり上がる。
とうとう伊賀は、ベンチの端っこに追い詰められた。
迫り来る、先輩の燃えるような瞳。
長いまつ毛の影が落ちる、上気した頬。
柔らかで、桜色の唇がぱっくりわれる。
彼女の息が顔にかかる。
甘い匂い。
その香りで頭がクラクラしたその時…
「ぬぁぁぁにスケベ面してんだぁ!!」
威勢のいい声がするや否や、激しい衝撃が左顔面を襲った。
次の瞬間伊賀の身体は宙を飛び、固い地面に叩きつけられた。