結婚しようと言われたので、絶対に嫌です、と返しました
「そうだ、君らさぁ、そろそろ籍入れる気ない?」
バキッ、と軽快な音がして、エステルがそちらに目を向けると、姉弟子の手元で茹でた蟹の足がばっきりと折られていた。
王都の下街、一軒の居酒屋。
奥のテーブルを囲むのは、流浪の大賢者コーネリウス・ロータスとその弟子二人だ。
三番弟子であるデネリ・ラッダは、豊かな赤毛と紫の瞳の魔女。彼女はしばし蟹と悪戦苦闘し、早々に音を上げた。
「ねぇ~~~蟹って美味しいけど綺麗に食べるの難しくない?」
「はぁ……師姉は折るのだけは好きですよね。ほら、こっちに貸してください取ってあげますから」
隣の席のデネリから、エステルは蟹の皿ごと引き受けた。
銀の髪に緑の瞳のエステルは四番弟子。魔術を学ぶデネリと違って、コーネリウスから学んでいるのは剣術である。
「やった、サンキュー! エステル、愛してる」
「まじでそういうのやめてください」
「当たりがキツイな」
心底嫌そうに言って、エステルはさくさくと蟹の身を剥いでいく。最後には細いスプーンで綺麗にこそげとっていく徹底ぶりだ。
「あ、エステルくん、僕のもやってぇ」
そこで向かい席から強請ったのが、かの流浪の大賢者コーネリウス・ロータス。
数々の英雄譚を持つ彼は生きる伝説となっていて、人としての年齢は超越しているという噂だ。白く長い髪に、銀色の瞳、長身痩躯。その身に持つ伝説の割には、四十代のごく普通の男性に見えた。
「師匠は自分でやってくださいよ。エステルは私の専属だもん」
ぎゅっとデネリが腕に抱き着いてきて、エステルは自分のものだと主張する。コーネリウスはむむむ、と眉を寄せた。
共に修行して育ったので、三歳年上のデネリにエステルは幼い頃から面倒をよく見てもらっていた。今となってはしっかり者のエステルの方が面倒をみているのだが。
「なんでさ! デネリはちょっとエステルくんになんでもかんでもさせすぎだよ! 僕、師匠だよ? 敬いなよ!」
「師匠、甲羅に酒入れますか」
ツンとそっぽを向いて無視をするデネリ。いきり立つコーネリウスに、抜群のタイミングでエステルは訊ねた。
「入れる~~~!」
「エステル、私も私も」
途端、デネリもそちらに食いついた。溜息をついてエステルはテーブルを指さす。
「はいはい、師姉の分はこっちです。網、熱くなってるので火傷しないでくださいよクソ酔っ払いども」
卓上のミニコンロの網の上には、わざと蟹味噌を残した甲羅がふたつ。そこにエステルは清酒を注いだ。
「エステルくん、口が悪い!」
「誰が育てたの!?」
「君だよ、デネリ!」
「あはっ、そうでした!」
「酔ってるなぁ……」
思わず疲れた溜息がこぼれる。
一通り姉弟子と師匠の世話をやき終わったので、さてさてとエステルは自分の食事に取り掛かった。
師匠や兄弟弟子達とは違いエステルは下戸なので、居酒屋にきても酒は一滴も飲まず代わりにしっかりと食事を摂る。
師匠たちに倣って今日の料理は魚介中心、魚を甘辛く煮付けたものと刺身をかるく火で炙ったもの、貝類の出汁たっぷりスープ、ライスは深皿に大盛りだ。
時々酒の肴のほうも摘まみつつ、どんどん食事を平らげていく。下品ではないがそのスピードはかなり速く、周囲の客はその食べっぷりに感心の目を向けてきていた。
「たくさん食べて大きくおなり」
「俺がこれ以上縦に伸びたら嵩張りますよ?」
ふと見ると、隣からデネリも微笑まし気な視線を向けている。
「そうなったら、大きい家を借りればいいのいいの! でも横に伸びても可愛いかも、エステルなら」
まじまじとこちらを見てきて、デネリがご機嫌で言う。しばし悩んだものの、エステルは首を振った。
「それは俺自身の美意識に反するので、筋肉をつける方針でいきます」
「ひゅー! エステルくんの男っぷりが増々上がっちゃうねぇ~~~」
酒器を片手にコーネリウスが歓声をあげた。エステルがテーブルに視線を向けると、蟹の甲羅はふたつとも空になっている。早い。
「師匠、オッサンくさいなーオッサンだもんなー」
「ひー師匠に向かって失礼しちゃうね! 泣いちゃうよぉ!?」
デネリが容赦なく師匠をこき下ろすと、コーネリウスは泣き真似をしながらデネリの皿から料理をくすねた。
「泣けばいいんじゃないですかね。あ! ちょっと私のエビマヨ取らないでくださいよ、大事に残してたのに!」
デネリとコーネリウスがぎゃいぎゃいやっている間に、深皿のライスが空になったのでエステルは店員におかわりを注文する。ついでに二人の酒も一緒に注文しているところが、我ながらデキる男である。
「で?」
「ん?」
「んん??」
なんだっけ? と首を傾げるコーネリウスを、エステルはじろりと睨む。
「……俺と師姉が籍を入れるって、なんの話ですか?」
そんな話をこちらから振るのは恥ずかしいのだから、すぐに答えて欲しいものだ。
エステルの頬がほんの少し赤くなっていることに気付いたデネリが絡んでくる。
「やーん、エステル可愛い! ちゅーする?」
「しません。酔っ払いはすっこんでろ」
「口が悪い!」
彼女はこんな時だけ目ざといのに、エステルの秘めた気持ちにはちっとも気づいてくれないのだ。
師匠よりも優先して世話を焼いてくる男の気持ちなど、恋以外にあるだろうか?
人の気持ちなど知らずきゃっきゃっと笑うデネリは、いい具合にミニコンロで焼けた魚をエステルの皿に乗せてくる。そこにちょうどライスの皿が来たので、エステルはオンザライスにして魚を食べた。美味い。
デネリはちびちびと酒を呑みつつ、エステルのわんぱくな食べっぷりを見てまたニコニコしている。
「そうそう! うんうん、あのさ、港街のすぐ近くの海域に住み着いちゃった魔物が、夫婦の乗った船ばっかり襲うらしいんだよね」
ポン、と手を打ったコーネリウスは、ようやくなんの話か思い出したらしい。
「なにその嫉妬深い魔物。失恋でもした? 話聞こか?」
「師姉、これ蟹のほぐし身の追加です。ちょっと黙っててください」
「はーい」
余計なちゃちゃを入れ始めたデネリに、エステルはサッとほぐし身と新たな酒杯を差し出す。するとデネリはイイコのお返事をして、師と弟弟子の話を見守る姿勢になった。
「んん。美味しい」
片腕で頬杖をついたデネリは、分厚いガラスの酒杯に桃色の唇をつけてご満悦だ。エステルの思惑通り、その間に話は進む。
「どうも、夫婦の仲を裂きたいらしくてねぇ~」
「……でも夫婦かどうかなんて魔物に判別出来るんですか? まさか男女が二人だけで船に乗っていたら、なんて雑なジャッジじゃありませんよね?」
「なんかエステルくん言い方に棘あるね!? イライラしてる? カルシウム取りなね」
コーネリウスの言葉を聞いて、デネリは頷くと炙った魚をせっせとエステルの皿に乗せた。
「師姉、ストップ」
「うっす」
ふふん、と鼻を鳴らし、コーネリウスは自慢げに腕を組む。
「まぁ魔物退治の依頼が来て、勿論僕だってそこに引っ掛かったわけさ」
エステルは頷きつつ、デネリの前からぐしゃぐしゃになった魚の皿を引き取って骨と身を綺麗に分けていく。
この師姉は魔術以外は本当にからきしで、ちょっと目を離すとすぐにこれである。そして、この師匠は本当に本筋以外の話が長い。
結果、師匠の話を聞きながら手慰みに師姉の世話をやくのがデフォルトになってしまった、悲しきサガである。
「……当然、調べたんですよね?」
「とぉぜんさぁ! それがね、なんとビックリ、魔物自体は実際にいるんだけど、港街の利権が絡んでてさ、つまり夫婦の仲を裂きたかったのは港町の漁業組織なんだよね!」
コーネリウスに酔っ払い特有の端折った説明をされて、エステルの眉間には皺が寄った。
「なるほどわからん」
「師姉、魚のほぐし身です」
大人しく酒を呑みつつ話を聞いていたらしい、こちらも酔っ払いのデネリ。今回ばかりは彼女の意見に賛成だったが、話がややこしくなるのでエステルは魚の皿を差し出す。
「うわん、最高! エステル、結婚して!」
「嫌です」
「やーい、フラれてやんの!」
「なんて???」
「師匠、話を続けてください」
拳を握るデネリと、抜群に腹の立つ煽り顔をするコーネリウス。
実に下らない一触即発の雰囲気に、本気でこの二人が暴れたらこんな小さな居酒屋など秒でフッ飛んでしまう、とエステルは軌道修正を試みた。
「あ、そうそう。でね、つまりは漁業組織が魔物の習性を利用してるんだけど、魔物に『自分はわざわざ夫婦を狙ってない』て証言してもらえないだろう? だから、魔物を退治するのと並行して捜査することが決まって、魔物退治が僕のところに依頼で来たってわけさ!」
言い切ったコーネリウスは、酒のグラスを呷ってぷはーっと気持ちよく空にする。
エステルは両手の指先を擦り合わせて思案した。
「なるほど……魔物を倒すタイミングを合わせておかないと、その漁業組織に『魔物所為で』と罪逃れをされてしまいかねない、ということですね」
「そうそう。あ、エステルくぅん、お酒のおかわり注文よろしく!」
「自分でお願いします」
「厳しい!」
ぱちーん! と派手に自分の額を叩いて、コーネリウスはケラケラと笑った。陽気な酔っ払いである。
慣れたもので、エステルはそのまま話を続けた。
「捜査のほうが誰が?」
「港町の警邏隊もグルの可能性あるから、城から治安維持隊が派遣されるよ~」
「でもそれなら私達が行かなくても、それこそ治安維持隊の男女隊員に任せればいいのでは?」
酒を呑みつつ、案外しっかり話を聞いていたらしいデネリが呟く。
清酒のボトルが空なのを恐ろしい気持ちで眺めながら、エステルは店員を掴まえて新しいボトルと自分用のジェラートを頼んだ。
エステルは下戸の甘党なのだ。
「それがそうもいかないんだよね。海域の魔物は魔物で、結構強いんだよ。だから火力の強い僕んとこに依頼が来たんじゃないか」
ひらひらとコーネリウスが手を振る。
高名な大賢者であるコーネリウスは弟子たちと共に各地を放浪しており、今はこの国に滞在して城への助力や魔術や剣術の講師をしている。
都合、弟子たるデネリ達も城への協力が一時的な職務となるのだ。
「ね。嘘でも籍入れるなら、気ごころ知れた相手がいいだろう? 漁業組織は、船に乗る男女が夫婦かどうか確かめてから襲ってるみたいだから、正式に籍を入れる必要があるんだよね~」
「なんでそんな面倒なことを……」
「なんでだろうね? そこは治安維持隊が調べてくれるでしょ」
うんざりとエステルが言うとコーネリウスも苦笑した。
そこでジェラートが届き、エステルは唸りながらスプーンを入れる。ちなみに彼はライスを三杯おかわりした。
「あ、ピスタチオのジェラート美味い」
「エステル、私にも一口ちょうだい」
「嫌です。師姉にはバニラ味頼んでありますよ」
「やった! ウイスキーかけよ! それはそれとして、一口!」
「はぁ?」
エステルは唇を歪ませたが、姉弟子が言い出したら聞かないことは思い知っている。
眉を寄せつつ、スプーンでひとくちジェラートを掬い、デネリの口元へと持っていった。ぱくりと食べた彼女は満面の笑みになる。
「んー! 美味しい! もう一口!」
「もうあげませんよ」
「人が食べてると美味しそうに見えるんだもん」
ぎゃいぎゃいとじゃれる弟子二人を見て、コーネリウスがやれやれと伝票を持って立ち上がった。
「師匠、おかえりですか」
その後を、エステルが付いていく。
「うん。オジサンは寝るのが早いのよ。デネリのこと、ちゃんと連れて帰ってやんなね」
「はぁ……」
コーネリウスが勘定を払っている間に、エステルは店員に預けていた師の外套を受け取った。彼の後ろに回り外套を広げて、コーネリウスが袖を通すのを手伝う。
「魔物退治の件、頼むね」
「嫌です」
「なんでだよぉー! 大好きなデネリと合法的に結婚出来るんだぞ! 嬉しいだろ!」
見た目四十代の男が地団駄を踏む光景に、エステルは眉を顰める。
エステルが秘めている気持ちを折に触れて利用しようとしてくるのも、なかなか厄介な師匠だった。
「そこが一番嫌です。俺はあの人と、偽りでも任務でも冗談でもなく、本当に愛し合って結婚したいんですから」
エステルがきっぱりと言い切ると、コーネリウスは酒精で赤くなった顔をさらに赤くする。
変に恥ずかしがると余計だる絡みしてくるので、師匠に対しては恥ずかし気もなく気持ちを吐露するようにしていた。
「うう~~~お熱いねぇ。そのまま告白しちゃえばいいのに」
「簡単に言わないでください。師姉の性格だとノリでOKしそうだから嫌なんですよ……ちゃんと、恋がしたいんです」
ただし、気持ちを吐露するのはコーネリウスに対してだけで、肝心のデネリに直接恋情を告げたことはない。
自惚れではなく、デネリはエステルのことを愛してくれていると思うが、それが恋情ではなく家族愛ではダメなのだ。エステルが欲しい気持ちではないのだ。エステルを可愛がっているデネリは、家族愛で結婚してくれそうなところが、絶対にダメだ。
むすっとしてエステルがそう言うと、コーネリウスは上機嫌で弟子の頭を撫でた。
「はいはい。じゃあまあ、それはそれとして任務はよろしくね! 師匠命令!」
お約束の「嫌です」をエステルが言う前に、コーネリウスがさっさと店を出て行ってしまった。仕方なくエステルはデネリの待つテーブルへと戻る。
「あら、おかえり。師匠と一緒にエステルも帰るのかと思ってた」
唇を尖らせるデネリを見て、エステルは目を細める。
豊かな赤毛が華奢な肩を流れ、店のオレンジ色の照明を弾く様は赤金の絹のようだ。幼い頃は彼女の方が背が高かったが、幸いなことに今はエステルのほうがずっと長身で小柄なデネリを可愛らしく感じる瞬間さえある。
「師姉はまだ呑むんでしょう? 最後まで付き合いますよ」
「なんてイイコ! 大好き! 結婚しよ!」
愛してるだの、結婚しようだの、ノリで言ってこなければ嬉しいのになぁ、と思いつつ、
「絶対に、嫌です」
エステルは心底嫌そうに、そう返した。